栄通記

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2018年 09月 04日

2583) 「神成邦夫展 『surface(サーフェス) 北海道』」 茶廊法邑 終了/8月22日(水)~9月2日(日)

神成邦夫展 
  surface(サーフェス北海道
 
   
    
 会場:茶廊法邑 カフェ・スペース
     東区本町1条1丁目8-27
     電話(011)785-3607

 期間:2018年8月22日(水)~9月2日(日)
 休み:月曜日、火曜日(定休日)
 時間:10:00~18:00
     (最終日は、~16:00まで) 

ーーーーーーーーーーーーーーーー(8.26)



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(以下、敬称は省略させていただきます。)


神成邦夫は飽くことなく道内の風景を撮る。「どこにでもある北海道の風景」、一言でいえば「殺風景な切り取り」だ。しかし、強固な約束事で作品は縛られている。それは氏の美学の落ち着いた地点?


強い約束事-地平線を入れる。しかも中央でなければならない。
すると、当然、上半分は空ばかり。空は青くなければならない。それも薄青一色、白雲は青の飾りになるから許される。雨雲一杯のダークな世界は排除される、個性が生まれるから。
それでは下はどうする?水平線辺りに建物が横並び、その下に綠の原野が拡がる、そして適当な方向に向かう道路。これが基本だ。
横拡がりのフラットな画面、濃淡を否定する、強く見せることを否定する。しかし、それでは神成の哲学美がゆるさない、灌木風の世界、やや濃いめの綠の窪地、そこに万感の思いを馳せて向こうの世界に通じる「窓」を配置する。「表層(サーヘェス)を見よ」といいながら、「この窪地を見よ」と、僕の目に迫ってくる。すると、いよいよどうでも良い風景は視界から消え、灌木の中ばかりを見つめる。しかし、「ただ見つめさせる」のが氏の主張だ。入るのも良し、見るだけでも良し、離れるのも良し・・・撮影者は見る人をあざ笑うかのようにして、同じ風景を提示するばかり。
きっと神成邦夫は都会の「個性的風景」を撮りすぎたのだろう。そんな大量なスナップ群を見ていると、ある日気が付いた。「なんだ、個性的と思って撮ったのに、みんな同じじゃん!都会って個性が無いのか?いや、個性が無いのは俺自身かも?」結局、個性的な写真がいやになっちゃったんだ!でも、アマノジャク的「神成邦夫」という目立ちたがり屋根性までは否定できない。そこを否定したら写真を止めないとけない。「オレ、写真が好きなんだよな・・・」最後に残ったつぶやき・・・

殺風景な作品群。風景を殺してでも見せたい「神成自身の原風景!」。それは間違いなく神成の世界だ。だが、これだけ徹すると、意外にも見る人と共感作用が働く。不思議な経路で、見る人と撮る人との共感体験を実現した。いや、そう錯覚させた、殺風景な風景で。



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こういう作品が昔の都会を撮っていた時の名残なんだろう。それに、似たような綠多き風景ばかりでは面白くないと思ったのだろう、ちょっとした鑑賞者へのサービスだ。と同時に、殺風景な原野風景から繋がるなにかになるかもしれない、撮影者の保険なのだろう。

一点、記しておきたい。
画面下とカメラとの距離感は異様に近い存在になっている。真逆の画面上とカメラの距離感は自然体である。ここにカメラの嘘がある。人間目だと、画面下も画面上も無視される。どうしてもカメラ目は画面下を強調する。本当に画面下を強調したかったら、水平線を上の方に持っていけば自然な風景になる。神成邦夫はひたすら約束事の「水平線は中央」を守り、異質と思える作品を、全体の中では異質感を薄めて提示している。




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by sakaidoori | 2018-09-04 10:25 | (茶廊)法邑 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 07日

1538) 今後の掲載予定

  
 最近の記事はかなり古い展覧会が多くなっています。お気づきのこととは思います。そういう、古い展覧会を当分は精力的に載せていく予定です。古いと言っても、今年のものが中心です。例えばーー

 ・ 高校生の年度末美術展 (大谷高校 他)
 ・ 大学生の美術科卒展 (道教育大学 大谷大学短期大学部)
 ・ 大学生の写真部卒展 (北大写真部 他)

 ・ 幾つかの個展、グループ展 (山田恭代美 ピストル3 道都大学生展 他)

 ◎ 三つの大きなグループ展(サッポロ未来展 ザ・ビギニング プレ・トリエンナーレ展)・・・来週の予定です


 当然、現在進行形の展覧会や近々終わったもので、気になる展覧会は書き続けます。
 6月から旅行に頻繁にでかける予定です。それまでは古い展覧会が頻出するので、お付き合い下さい。最終的には多くの展覧会を載せれないとは思います。一つでも多く書くつもりです。

 いつものように余りコメントの少ないブログです。どれほど読んで頂いているかは不明ですが、これからも宜しくお願いします。連絡、意見、希望、愛の苦言等宜しくお願いします。


      ~~~~~~~~~~

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 今、近美で開かれている「シンカ展」。
 前半は考古展、後半は小綺麗コンパクトな遺跡文物展。その埋蔵品は工芸家、立体造形家や小品愛玩家を楽しませてくれるでしょう。
 最後の部屋にはおしら様のような埋蔵物、とても日本的なムードの一品が待ちかまえています。
 館内には随所にビデオが流れ、広いビデオシアターも用意されています。アンデスのフォルク・ローレも静かに響き、ゆったりと古代南米文明に思いが走ることでしょう。古代文明といっても、時は日本の平安末期が舞台です。


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     ↑:(近美2階からの風景。)

 今日は小雨模様の曇りでした。美術館の訪問者も適当な人数でうるさくはなく、しかし人の触れ合いを感じることができる空間でした。

by sakaidoori | 2011-05-07 21:21 | ★ 挨拶・リンク | Trackback | Comments(0)
2011年 03月 10日

1482) 「守分美佳・展」・ミヤシタ  3月2日(水)~3月20日(日)

○ 守分美佳・展    


 会場:ギャラリー ミヤシタ
    中央区南5条西20丁目1-38 
    (南北の中小路の、東側にある民家)  
    電話(011)562-6977

 会期:2011年3月2日(水)~3月20日(日)
 休み:月曜日(休廊日)
 時間:12:00~19:00 
     (最終日は ~17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(3.9)

 会場風景から。全作品をカバーしています。


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     ↑:①

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     ↑:②


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          ↑:③

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          ↑:④


 明るくカラフルで元気な絵、将来的にはそんな絵を描く人と思っていた。
 さて今展、カラフルさは無いが、明るく強い絵に励んでいる。簡明で親しみやすい。

 「明るく強く」。そういう「元気」な絵、だから「カラフル」にする必要はなかったのだろう。好きな多色や赤系での勝負ではなく、白と黒の力をギラギラと確かめている。そのボリューム、他とのバランス、他の色との浸透具合等々、確かめること多き作品が並んでいる。
 線描もただ気の趣くままの自由さでは面白くない。自分を越えられないではないか!!だから、③の作品のようなぎこちない線、しかし主張する線にチャレンジしてみた。成功しているとは思わないが、意欲満々な試みだ。③の作品、意欲は線だけでなく、黒の侵入にとりつかれたみたいだ。下地の黒というよりも、綺麗な顔に遊んで泥がくっついたみたいだ。ちょっと汚いが、遊びとはそういうものだ。
 概して小品はウォーミング・アップ気味の自然な絵画だ。大作はあれこれと試作でもあり、今の抽象画の実力でもある。


 作家とお話しすれば分かることなのだが、絵画の原点には北海道の四季がある。特に、雪のある冬から、雪が溶けて無くなり、土が出てくる春のイメージが作品に投影されている。だから、今展の黄色は菜の花だ。白は雪、黒は土、緑は葉、線はあぜ道・・・、ピンクがでれば桜なのだろうが、それでは余りに風景にオンブされすぎだ。そして守分美佳は風景から離れた。色と形という絵を追求し始めたようだ。どうなるかという迷いはあるが、チャレンジする心に迷いはない。だから今は何を描いても明るく元気な絵になるのだろう。


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     ↑:⑤

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     ↑:⑥


 ①と⑥は若くて清々しい絵だ。春の気分が充満している。

 支持体は木。石膏か何かで支持体を覆い・がめんに凸凹を作っては引っ掻いている。それにアクリル・ガッシュで色を重ね、最後はクレヨン?などで線を引いたり画面にお化粧をしたり、最後のクレヨン?などのおかげで膨らみと丸みが加わり、さらに発色を高めているようだ。


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 守分美佳さんの装幀本の紹介。

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  ・「不器用な日々」
     清水眞砂子 日常を散策する(エッセイー集 第2巻)。
  ・清水眞砂子著 (「ゲド戦記」の翻訳家)
  ・定価 1,995円
  ・かもがわ出版 
  ・四六版 上製 240頁


 装幀の仕事もされているのですね。
 さわやかな表紙です。一つの愛情表現でしょう。

by sakaidoori | 2011-03-10 15:15 | ミヤシタ | Trackback | Comments(0)
2010年 07月 20日

1304)カフェ・サーハビー 「今泉東子・絵画展 『くもりのち、おなかがへった』」 7月12日(月)~7月26日(月)


○  今泉東子・絵画展
   『くもりのち、おなかがへった』


 会場:CAFE サーハビー
    南3条西1丁目3ー3 マルビル1F
    電話

 期間:2010年7月12日(月)~7月26日(月)
 休み:火曜日(定休日)
 時間:11:30~22:00
     (お客様がいればいつまででも)

※ ライブ・ペインティング ⇒ 7月19日(月 海の日) 13:00頃~ 
   
ーーーーーーーーーーーーーーーー(7・19)

 初訪問の喫茶店。ということで、入り口から店内の様子を先に載せます。小さな絵画が今泉東子・作です。

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 店内を入り口から左回りの風景です。
 何となく、雰囲気だけでも伝わればと思います。
 マニアックな小物が、整理整頓されてにぎにぎしく並んでいる。ソファーはアンティークというべきか?店内にドーンと通路を塞いでいるようで、そこがこの店の最大の特徴だ。古めかしくも変な安心感のある店です。だから、「画廊喫茶」というよりも、多くある小物の一バージョンとして「今泉・絵画」です。だが、そこは肉筆の最新作、童話的画題に色が輝いて見えた。


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     ↑:ライブ作品。制作2時間ぐらいだから、まだまだ進行するのだろう。


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 今泉東子、道教育大院を修了してから2年ぐらいか?幸い、教育大卒業展で見て以来親しんでいる。その時は一所懸命に「風景」を厚塗りで描いていた。院生時代は一気にイメージ性を押し出す形で、薄塗り・ザックバランに「海」や「空」を描いていた。それのみという印象だ。
 何より色がうらやましかった。ピンクや青や緑の中間色を自分の体の色のようにして、キャンバスに投げていた。だから、色が強く垂れていたりしたら、少し違うような気がした。良くも悪くも「自分という色」が全てだ。余りにも素直すぎて、少し見ている方は困るのだが、やはり眩しい。絵に否定的要素とか、抜けた未知なる可能性とかは少ない。彼女にそれを求めてはいけないようだ。そのこと告白したような今回の喫茶個展だった。

 おそらく、今までの彼女の絵画行為は、そしてこれからも「自分を出す訓練」なのだろう。その結果を「イメージ画」と、とりあえずは言ってもいいのだろう。イメージの向こう側にある「自分の絵」を、画家自身が知らないのだから、そう呼ぶしかない。

 今展の小品はとても子供っぽい。麦わら帽子的童話(絵本)シリーズになっている。縦線や人工物などの具体的形が出てきた。それは小さな驚きだ。絵本なのに「人」なり「生き物」が無い。おそらく、絵が「生き物」だから、画家にとってはその必要が無いのだろ。絵本作家ではないのだろう。
 「何かを描きたい」のではなさそうだ。そういう苦しみは感じられない。出てくるものの流れに身を任せる。自分の中の箱を開く訓練なのだろう。それが宝箱か空箱かは分からない。間違いなく色という空気はある。
 開く訓練をしなければならない。それは描き続けることなのだろう。

 弱々しい絵だが、明るく健康的な色だ。形も遊びだした。芯のある絵、色心騒ぐ絵、より今泉東子らしい絵、もっともっと出てくるだろう。

 
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by sakaidoori | 2010-07-20 13:29 | (カフェ)サーハビー | Trackback | Comments(0)
2009年 12月 18日

1134) 新さっぽろ 「風の彩・本田滋個展 ≪二十歳の厚別・空見る街≫」 終了・12月2日(水)~12月7 日(月)

○ 風の彩・本田滋個展
   ≪二十歳の厚別・空見る街≫


 会場:新さっぽろギャラリー
    厚別区厚別中央2条5丁目6-3
     デュオ2・5階
    (デュオは地下鉄新札幌駅周辺にあるショッピング・ビル。
     地下鉄&JR新札幌駅と直結)
    電話・花田(090)9439-7921

 会期:2009年12月2日(水)~12月7 日(月)
 休み:火曜日(定休日)
 時間:10:00~19:00

ーーーーーーーーーーーー(12・5)

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 当館は今年オープンした新しいギャラリーだ。
 デュオ2の5階の広い渡り廊下を間仕切りしての空間。エスカレーターで5階に昇ったら目の前にある。エレベーターで行っても直ぐにみつかるのだが、いくつもエレベーターがあるのでチョッと見つけづらいかもしれない。その時は食堂街でもある5階を一周すれば簡単に見つかる。

 新札幌のビルディングは生まれた時から、全体像がつかみにくいので有名だ。建築士が知識のあらん限りを尽くして設計して、「これぞ最高!機能的に良くできた!」と自慢したかもしれない。実際は、行きたい所にはなかなか行けないという、お粗末な結果になった。

 そんな不便な場所だが、当館が新名所として市民に親しめる場になればと思っていいる。
 僕も今回で5度目だ。我が家からも自転車で行ける。慣れれば簡単で、気分は僕のテリトリーだ。


 初紹介のギャラリーですから、部屋の全部を載せます。
 (以下、敬称は省略。)

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 ここは明るくて清潔な開放感が最大の特徴です。
 簡易なパーテーションによる壁面。壁というよりも組み換え自由で風通しの良い境界線といった感じだ。境界無きギャラリー、だからいつも玄関は開きっぱなし。


 そこに、「本田滋、厚別・新札幌に見参!」といったムードで、サッソウと登場だ。


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     ↑:「副都心展望」・S60。

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     ↑:「風の彩」・2009年 S60。


 上は今展の目玉の大作。2点ともS60。
 「副都心展望」というよりも、「副都心炎上」だ。
 「風の彩」というよりも、「爆発する色ビルディング」といった感じ。なんとも元気が良い、凄まじい。細かいところは問わない。新札幌の、厚別の魅力を見つめよう、と激しく迫ってくる。


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     ↑:左から、「ホテルの見える路」、「夢のせて」・ともにS6。

 スピード感豊に厚別の街を表現している。


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     ↑:左、「出納邸 (雪印バター酪農 海外より導入)」。右、「雪印バター生誕地」・共にS8。


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     ↑:「テクノロード」・S8。


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     ↑:左、「ロコブリッジ」。右、「スクランブルロード」・共に S8。


 崩壊せんばかりの大作の炎上、本田滋のやる気満々の厚別への取り組みだ。僕は氏よりも厚別の近くに住んでいるのに、その情熱にたじろいでしまう。

 たじろいでばかりはいられない。
 いつもと同じようでいて、いつもとは一味違うスクエアーの小品をじっくり見た。

 上段は対象を大きく捉えている。本田好みの建物の傾きは、存在感と動きの表現だ。真ん中にビシッとどっしりとしている。時の重みも加えたいのだ。

 下段の風景画、見慣れない氏の構図法だ。
 氏の作品は元気さや勢いが特徴だ、ユーモラスでもある。だが、それらは対象を大きく生き生き表現すること、絵の中で「生きている」という訴えでもある。積み木のように組み建てられた「風景」の一つ一つが、どうしたら存在たりうるか?どうしたら絵の中でひとりでに動き出すか?そういうことを追求していると思う。小品群は、それらの追求の痕跡でもあるだろう。

 初めて聞く地名や建物もある。
 僕は札幌の歴史に関心があるのだが、身近な厚別のことをあまりに知らな過ぎたようだ。訪ねる楽しみが増えた「本田滋・厚別展」だった。
 

by sakaidoori | 2009-12-18 22:34 | 新さっぽろg. | Trackback | Comments(0)
2009年 03月 18日

938) ミヤシタ 「守分美佳・展」 3月4日(水)~3月22日(日)

○ 守分美佳・展

 会場:ギャラリーミヤシタ
    中央区南5条西20丁目-1-38 
    (南北の中小路の、東側にある民家)  
    電話(011)562-6977
会期:2009年3月4日(水)~3月22日(日)
 休み:月曜日(休廊日)
 時間:12:00~19:00 
     (最終日は ~17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(3・3)

 まずは会場風景から。

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          ↑:①

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          ↑:②


 この数年続けている画風だ。
 線と色面とのリズムによる抽象画だ。抽象画といっても、「抽象の何たるか?」を問う作品ではないだろう。はっきりと言えば、支持体が大地であり、靄のかかった原風景に見立てて、その上に自分らしさを表現しようとするのだ。
 
 支持体は板だ。その上に砂をまぶして凸凹を作る。下地処理する。一番下の色は黒だろう。右手に任せて線を引く。下地が砂で凸凹しているから、一気には線を引けれない。ゴツゴツした筆触を楽しみながら引いていく。おそらく横線から始めるのだろう。
 下地面が区切られたら、その面に色を入れていく。
 絵の色のリズムと無意識の自分との会話に時間は過ぎていく。

 ところでそうして出来た作品で、どこか相反する絵が上の①と②だと思う。

 ①は正面左壁にデンと展示されている。守分由佳美佳の一番の満足作だろう。だって、一番良い所に飾ってあるのだから、今の彼女の気分をだいべんしているのだ。
 ②は右奥の隠し場所のような所で目だた無いような展示だ。

 困ったことに、隠したいような②の作品が一番目立つのだ。紫が部屋の四隅で輝いている。その色面積もやたらと広くて、他の絵の安定した色バランスを崩している。
 この作品の意味は二つ考えられる。
 一つは、自分の中の新たな可能性を感じたが、まだまだ暖める段階。
 一つは、本当は出したくないのだが出来ちゃたから展示しないわけにはいかないという消極的立場。
 「さずかり婚」と「できちゃった婚」の違いと言えばいいのか。
 作家本人は後者の立場で作品を説明していた。「自分らしくない作品」だと。

 「自分らしさ」、今の彼女は寒色系の色に覆われて安定した世界を望んでいるようだ。画面の白と黒が示すように春近き雪解け時の気分を噛み締めているのだろう。
 寒色中心の安定した世界でも構わないと思う。だが、気分転換に「自分らしくない絵」を描くことも大事だと思う。だが、この作品の場合は違う。無意識に「今の自分は認めがたい作品」が誕生した。そのことに作家は否定的だ。
 この紫の絵は小品の絵が小さく区切られている現状に、無意識に何かを訴えているのだと思う。あまりにも小さく自分を縛っていることに、「いろんなドアを開けては」と促しているのでは。

 大きな絵を描いてみたらと勝手に思った。50号の広さの前だと筆を持つ手も大きくなるだろう。視点もあっちこっちに飛び交い戸惑うだろう。50号の次は100号だ。それから小品へとユーターンしてみては。
 「春を待つ心」、「何かを待つ心」が「春の心」「夏の心」「秋の心」と、願望から今へと変化するかもしれない。

 しっかりと強い色だ。色境界をクレヨンがなぞっている。境界線であることを忘れて、領域をはみ出ては幅広く引かれている。区切ることを拒否しつつ、区切ることを楽しんでいるようだ。

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by sakaidoori | 2009-03-18 13:54 | ミヤシタ | Trackback | Comments(4)
2009年 01月 02日

868) 謹賀新年

 新年、明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。

 昨年のある時期からテレビが壊れて見ていない。新しく買うかどうかを考えているうちに一月が経ってしまった。J-Comを利用していたのだが、その利用料ももったいないし、NHKの受信料もかかるし、我が家の支出削減の大波をかぶって一切合切止めにした。

 息子が江別から正月のために二泊ほど帰省した。テレビが無くては寂しいということで、持ってきた。おかげで紅白の歌番組を見ることができた。 
 
 晦日に呑み過ぎて、元旦は少し自粛。とりたてて変わりはないが、家族3人でそれなりの年越しと年初めを終えることができた。
 時系列で元旦の写真を載せます。

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 (↑・11:10。良い天気だ。)

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 (↑・同。2.5mほどのヒマワリが庭に2本咲いた。処分するのを惜しんでいたら、雪に埋もれることになった。)

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 (↑・同。青空と屋根とヒマワリ。昨年はヒマワリのことを観察させてもらった。)

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 (↑・左、小さなヒマワリもフェンスの傍にある。そのヒマワリの種の部分がゴソッと雪の上に落ちた。右側は残った部分。まるで胎盤のよう。)

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 (↑・11:40。昔は近所でも日章旗を掲げていた。今では全然見かけない。祝日も掲げたいのだが、ずぼらでトンと顔出しする機会がない。正月三ヶ日まではこのままだ。間締めの和紙の飾りが風で全部吹きちぎられていた。このスタイルで20年以上しているが初めてのことだ。)

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 (↑・12:51。サイクリングロードと風景。今年もこの道にはお世話になります。心の中で拝んでしまった。)

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 (↑・12:58。初詣に行く。途中の南郷13丁目の交差点。雪が溶けて水が張ってある道路を撮ったつもりが、そこに映ったビルを目立たせることになった。)

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 (↑・13:18。)
 白石神社は大盛況だ。並ぶのが大儀だから、脇からの参拝。軽く一礼して、二礼二拍一礼、最後に軽く一礼。お賽銭もあげれなかったので、また来ることにしよう。

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 (↑・13:30。太陽と空と雲だけを撮りたいのだが、都会の風景としていつも電線がそこにある。)


 明日から再び美術作品の感想を中心に書き続けていきたいと思います。

by sakaidoori | 2009-01-02 12:48 | ◎ 個人記 | Trackback | Comments(5)
2008年 12月 16日

850) p2+d 「小牧寿里 [Drift Vol.1 -暗夜漂路ー]」 終了・12月12日(金)~12月15日(月)

○ 小牧寿里(写真展)
    [Drift Vol.1 -暗夜漂路ー]

 会場:プラハ2+ディープサッポロ・1F 9J
     中央区南11条西13丁目2-12
     (東南角地の2階建て民家)
 会期:2008年12月12日(金)~12月15日(月)
 時間:11:00~19:00

※ レセプション:12月12日(金)、19:00~

ーーーーーーーーーーーーーー(12・15)

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 「動く光と動かない風景」

 光のプリズムを挿入した風景写真です。
 基本的に暗闇で海あるいは川を後ろから引き気味に撮影し、背景としての風景の中で光が踊り飛び交っている。

 光の線が落書きのように水面で踊っている写真がある。これは撮影者の遊び心で、作品としてはビシッと光が「存在」した写真の方が良い。
 かすかな姿ではあっても、どの写真も都会の光を写している。
 水平線上に蜃気楼のように灯る街の明かり、こっそりとしっかりと存在している。賑やかしい七色の光の隙間に都会のビル、小さくしっかりと写っている。光に気をとられてる、思わず視線を下げれば川が暗く大きく流れている。

 光と川(海)と都会、小牧の目はこの3者に注ぐ。これらが彼の風景だ。川(海)の静けさ暗さは向こうの世界への入り口のようだ。だが、入り口はそれだけではないようだ。むしろ、光も川も都会も、全てが向こうの世界の入り口のように開いている。三つのドアと言ってもいい。
 それらに撮影者は「暗夜漂路」と名づけた。「漂」には水の上に浮かば軽さ心もとさの響きがあるが、作品はそんなに軟(やわ)ではない。強い。写真家が向こうの世界を写せれるかどうかは知らないが、被写体の全てからはしっかり対峙する清々しさがある。

 光はトリックとして捕まえられ、川(海)はリアルな姿を曝け出し、都会は我等が住む分身として常にそこにある。薄暗い写真全体は全てを覆っている。
 「漂路」、それは「漂止」であり「漂視」でもある。「漂流」であってはならない。写真家は流されてはいけない。


※ 以下、個別写真を載せますが再現度が非常に悪いです。
 現物は被写体は小さくてもしっかりと写っていて、そこが今作の良いところでもあります。それらが僕の写真では迫ってきません。心象的な写真になってしまいました。

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     ↑:上段の写真群。左側には壁に「Water Front」と、直書きがされています。
 動いているモノレールから撮られたもの。何秒間のカメラ目の開いた景色。モノレールは海の上、海に囲まれた都会の景色。都会の虚実の姿。


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f0126829_1427044.jpg ↑:下段の写真群。
 →:やはり写真の右端には、左のような経緯度を示す数字が書かれている。上段が本州のある都市の風景で、下段が北海道のある地点の風景。







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     ↑:内側から光を当てて、グラデーション豊に表現されている。同じ作品が2枚重なっていて、その厚みと隙間が作品の質を高めているのだろう。
 目の楽しみだけを考えれば、この展示方法は素晴らしい。その代わりに、作品と視覚対話をしようとしたならば、その質の高さは言語の入る要素を狭めている。



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 「小牧寿里」。「寿里」を「ジュリ」と読んで、勝手に粋な女性だと思っていた。「ヨシサト」と読むのだ。充分に知っている男性であった。男っぽい顔だ、男らしい写真であった。

by sakaidoori | 2008-12-16 12:39 |   (プラハ2+ディープ) | Trackback | Comments(0)