栄通記

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2012年 10月 25日

1843) 「佐藤愛子・作品展」 時計台 終了10月1日(月)~10月6日(土)

  
佐藤愛子・作品展     


 会場:時計台ギャラリー2 階B室
      中央区北1西3 
       札幌時計台文化会館
      (中通り南向き)
     電話(011)241-1831

 会期:2012年10月1日(月)~10月6日(土)
 時間: 10:00~18:00 
      (最終日は~17:00まで。)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(10.2)

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     ↑:左側の大作、「いぬ Ⅱ」・F100。
     ↑:右側の大作、「ねずみ」・F100。


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     ↑:左から、「男の顔 3」、「woman」、「男の顔 2」。



 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


 もっともっと暴れればと思う。もっともっと自由にヤンチャになればと思う。お転婆娘とは還暦過ぎの熟女への愛称だ。もっともっとオテンバに!!

 佐藤愛子は人が好きだ。一見、お洒落に真面目に自由に面相を描く。でも、本質はお洒落とは無縁だ。
 彼女は寂しがり屋が好きなんだ。寂しがり屋への愛が今展の顔顔顔顔だ。お洒落っぽくなったのは画家の優しさというもので、優しい所で止まっている。別に男性画家のように人間本質などというものを追究する必要はない。佐藤愛子風の、愛すべき寂しい顔、哀しい顔、可愛い顔、いじけた顔、つまらなさそうな顔を晴れ晴れと描けばいい。もっともっと物語にすればいい。あふれる夢の中で、哀しくてつまらなさそうな顔たちにも、しっかりと座るイスを用意したらいい。
 行儀良く一枚一枚に丹念に顔を描くのも良いだろう。が、彼女の心の中にはもっともっと楽しき妄想があるだろう。それをオテンバ曼荼羅にして欲しい。


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     ↑:「はこ 15」。


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 この「はこ」物語は、将来の佐藤愛子・曼荼羅図の下絵だ。華開く曼荼羅華だ。そうなって欲しい。


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     ↑:左から、「マスク」・F0。「on acold winter morning」。


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     ↑:左から、「ポチ」・SM。「おるすばん」・SM。


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     ↑:左から、「誕生日の犬」・F3。「しろいねこ」・F3。


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          ↑:「タンゴ」・F8。


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          ↑:「スーパースター」・F6。



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by sakaidoori | 2012-10-25 07:43 |    (時計台) | Trackback | Comments(2)
2011年 04月 24日

1511) 「NUKILLIZO 沼霧蔵・個展」・新さっぽろ 4月20日(水)~5月2日(月)

○ NUKILLIZO 沼霧蔵・個展 


 会場:新さっぽろギャラリー
    厚別区厚別中央2条5丁目6-3
     デュオ2・5階
    (デュオは地下鉄新札幌駅周辺にあるショッピング・ビル。
     地下鉄&JR新札幌駅と直結)
    電話・花田(090)9439-7921

 会期:2011年4月20日(水)~5月2日(月)
 休み:火曜日(定休日)
 時間:10:00~19:00 

ーーーーーーーーーーーーーー(4.23)

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 エスカレーター前のギャラリーは目立つ。黒くて何が何やら分からないムードが目の前に突然現れて、通行人の足を誘っていた。
 
 ドロッピング、マーブリング、箸を筆先にしてのドローイングにより、黒地に人体や顔が湧き出るように描かれている。
 主に顔を中心にして画かれている。画面上部をよく見ると、オドロオドロした雰囲気の顔が見える。

 実は、今作はアトリエを借りての公開制作で出来上がったものばかりだ。今展直前、九日間を借り切って、寝食制作三昧の日々であった。公開制作最終日に、その様子を見た。場所はイベント・スペースATTICKだ。百聞は一見に如かず、その様子も近々掲載する予定だ。


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 なかなかの迫力だ。今展の代表作だろう。一枚一枚を見るのもよし、左2枚、右4枚の組でも見れよう、あるいは6枚全体でもいい。例えば「ヌキリゾー版、風神雷神図」として。もっとも、今展のテーマは「閻魔」だ。
 閻魔、地獄の支配者だ。闇夜の象徴として、目に見えぬ力の源泉として、絵画の中で大きく振る舞っている。
 大きく成長したヌキリゾーだ。成長過程の「閻魔・ヌキリゾー」でもある。
 その年齢、技法等々は制作現場で推し量ることができるでしょう。乞うご期待!!


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 舞踏家・紅月鴉海を画いたもの。ライブ制作最終日に、その舞踏家が作品を横にして演じた。作品は2枚ずつ表現されていて、右側から「這う、立つ、歩く、地に戻る」というイメージだ。まさしく舞踏家は暗闇の中で床に寝そべり、乳房も露わに這い回っていた。アングラ舞踏であった。


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by sakaidoori | 2011-04-24 21:28 | 新さっぽろg. | Trackback | Comments(0)
2011年 01月 06日

1415)終了「マリ フジタ(藤田真理)・展覧会 2010」・ミヤシタ 12月9日(木)~12月26日(日)

○ マリ フジタ・展覧会 2010 


 会場:ギャラリー ミヤシタ
    中央区南5条西20丁目1-38 
    (南北の中小路の、東側にある民家)  
    電話(011)562-6977

 会期:2010年12月9日(木)~12月26日(日)
 休み:月曜日(休廊日)
 時間:12:00~19:00 
     (最終日は ~17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(12.10)

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 最近続いている暗室シリーズ。
 ドアの向こうはカーテンで仕切られている。カーテンが白い。いつもの黒さとは違うので、ちょっとした違和感。
 楽しみにしている展覧会だし、それに暗室仕立てということで期待感が高まる。一気にカーテンを開ける。


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 長い白髪を垂れた老婆の首が3体、それのみだ。
 正直に言えば、ちょっとした衝撃というか、意外性を求めての入場だったから、余りに普通のぶら下がりに拍子が抜けた感じだ。それは作品のできとは無関係に、暗室という道具立てにこちらが過大な光景を期待するからだろう。それはこういう展示を続けることの難しさの一つでもある。作家は決して奇をてらった行為ではないのだが、こちらが勝手にあらぬ妄想を膨らませるからだ。

 さて、老婆の首?やや歳をとった女の首が3個。殊更苦しい風情でもなく、目を閉じ、口を開き加減にした穏やかな顔だ。髪の長さは現代人的ではなく、その白さと重なり少しばかり時代がかって見える。白い髪、白の好きな作家だ。女性性を強める意味を持たせているのだろう。
 額には数字が書かれている。以前の作品にも、バーコードを使ったり数字の川をこしらえたりと、「数字」に拘る作家である。決して無味乾燥な意味ではなく、何かしらの好意的思惑の合図だと思う。

 晒し首とも怨霊とも言えなくもないが、それほどの怖さは伝わらない。「あ~、女の首がある、性少なき女の顔がある・・・」
 今展は今後も続くであろう「藤田真理の表現・闘い」のターニング・ポイントになるのかと感じた。「赤裸々に女をぶら下げたらどうなるのだろう?女が女を吊り下げる、それはどういうことか?」、作家自身の自問自答を見る展覧会であった。



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             ↑:(後ろ姿。)

by sakaidoori | 2011-01-06 20:58 | ミヤシタ | Trackback | Comments(0)
2010年 07月 07日

1289) 時計台 「森山誠・展」 6月7日(月)~6月12日(土)


 森山誠・展

 会場:札幌時計台ギャラリー 2階A室
      中央区北1条西3丁目
       札幌時計台文化会館
      (東西の中通りの北側にあるビル)
     電話(011)241ー1831

 会期:2010年6月7日(月)~6月12日(土)
 時間:10:00~18:00 
     (最終日は、~17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーー(612)

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 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


 森山誠の魅力・・・・氏の画題は概ね決まっている。人の居る室内画と静物画である。そういう意味ではパターン化しているのだが、厭きる事はない。
 渋い色合いが大半だ。色は深みを帯びて、ざっくばらんに大きな面積を占有している。「何もない」単色の色を構成していて、全体の中で大きな自己主張をしている。その大胆さと、関係という構成と、輪郭線にもなっている強く明快な直線が緊張を強いる。氏の絵は明快だ。明快さは今展でもいかんなく発揮されていて、いつになくわかりやすい。

 今展の特徴を2点記しておきたい。
 人を多く発表している。
 随分と横拡がりというか、横に対する動きを重視し、スピード感を持たせる為に、輪郭のせめぎ合いの部分に淡い色合い塗り込んでいた。
 つまり、雰囲気が具体的になったみたい。

 (作品のタイトル等は後で書きます。)

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 今記では「人」をメモしておきたい。

 森山誠は室内画に人を配置する。「人を描きたいから配置しているのでは」と、人物の事を氏は説明するだろう。確かに人の「叫び」とか「哀しさ」とか「存在感」として、強いリアリティーを氏の「人物」に求めない方がいいだろう。
 では、何故にそんなにいつも「人」を描くのだろう?飾りや小道具にしては、こだわりすぎのようだ。
 僕は、森山誠は「人間」を描く事を断念した画家だと思う。今でも「人間」に大いなる興味と好奇心を抱いていると思う。だが、絵においては、人という存在を追求する事を断念したと思っている。だが、哀しいかな、森山誠は「人間」がとても大好きなのだ。かつ、真摯な人でもあるから絵から「人」を外せない。人からリアリティーを喪失させて、室内の花瓶のように人を配する、氏の無意識の選択だろう。だから、氏の人物画は全て自画像と断言したい。それはピエロと言っていいかもしれない。

 だがだがだが、ピエロが独り立ちし始めた。幾多のユーモラスな顔が今展には登場している。生き生きしている。
 もしかしたら、かつて氏が描いていた「人物像」とは、時代状況的な「虐げられた人々」とか、「貧しき人々」とかいう政治的な想念だったのかもしれない。そこに「違和感」が発生し、否定しきれないないままに絵は正直だから人を遠ざけたのだろう。

 今後、氏の「人間・肖像画」が大きな意味合いを持つとは限らない。「森山・絵画」は人にウエイトを置かなくても、充分な魅力を湛えている。そのように磨き上げられた。今展は過去の「人」に対する宿題を精算したのかもしれない。
 だが、より自由になった「森山誠」、次も一所懸命に彼を語りたい。


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 横拡がりと動きの森山・ワールド、これも大事な今展の楽しみだが、「人と顔」を書きすぎました。写真だけ載せておきます。

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 以下、いろいろチャレンジしている姿です。

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          ↑:「卓上」・30F 2010年。
 

by sakaidoori | 2010-07-07 20:50 |    (時計台) | Trackback | Comments(0)
2009年 07月 06日

1030) さいとう 「沼田彩子・個展」 終了・6月30日(火)~7月5日(日)

○ 沼田彩子・個展

 会場:さいとうギャラリー
    中央区南1条西3丁目1
      ラ・ガレリア5階
     (北東角地。
      1階が日産のショールーム。)
     電話(011)222-3698

 会期:2009年6月30日(火)~7月5日(日)
 時間:10:30~18:30
     (最終日は、~17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーー(7・4)
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 ’04年3月、道教育大学札幌校・油彩研究室卒業生。

 在学中の学内展や道展のなかで単作を見続けている。ようやくまとまって見る事ができた。
 クローズ・アップした顔やその周囲の背景をダブらせて描く、ピンクと茶の間をざっくばらんなタッチで横断し動きがある、激しさや動きの割には女性は美顔、そんな印象だった。

 画面に占めている人物のダブル画像は、人間の明と闇の追求かと初めは思ったが、どうも顔が美しすぎるので、心理追求の痕跡と見るのは保留にしている。
 心理よりも生理のほうを強く主張する作家のようだ。というか、自分自身のエネルギッシュさが素直に綺麗に表現されているみたい。

 絵の波動は人と人、物と物の間の見えない交流なのかもしれない。が、画家自身の投影とも思える。人物以外に画面には登場せず、その人物のエネルギーが行き場を求めているみたい。
 「何か」を描こうという強い意識が、どうしても絵を自己中心にさせている。自己中心で良いのだ。だが、画題の幅が限られているので、自己のエネルギーの方向が常に一定で安定しているのが気になる。おそらく肉体が好きな画家だろう。生身の皮膚から発する汗や匂いや産毛の生命力を、なんとかして無臭無触の絵画にしたいのだろう。

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 今展、多くの小品中品があった。「体」にしばられない画題だ。抽象画だ。画家の気分をキャンバスとの会話で表現したのだろう。大作の大仰さが抜けて色と形の遊びになっている。大作が皮膚からの波動としたならば、これらは皮膚の色模様だ。
 波動には短波、中波、長波とあるだろう。アルファ波、ベータ波、ガンマー波もあるだろう。当然、沼田・波にもいろいろあるはずだ。

 生理を表現する画家だと思う。その正直さは強情さでもあろう。正直・強情、さらにチャレンジ精神・自由度・しなやかさが加わればと思う。


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by sakaidoori | 2009-07-06 13:19 | さいとう | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 17日

970) STVエントランス・ホール 「渡辺貞之 『存在と眼』」 4月6日(月)~4月26日(日)

○ 渡辺貞之
   「存在と眼」

 会場:STVエントランス・アート
    中央区北2条西2丁目・STV北2条ビル・1階ホール
    (東南角地、玄関は東向き) 
    電話(011)207-5062
 会期:2009年4月6日(月)~4月26日(日)
 時間:月~金 9:00~18:00
     土・日  9:00~16:00

ーーーーーーーーーーーー(4・6)

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 渡辺絵画のエッセンス展だ。

 油彩はいつもの「ゴッコ・シリーズ」から。
 会場全体を教会風に見立てた展示だ。メインの大作は「渡辺流最後の晩餐」。板をつなぎ合わせた作品で、開き窓に描かれた宗教画をもじっている。いつになく人が沢山居て、円い顔が画面でにぎあっている。風刺芝居の一齣だ。絵の出来がどうのこうのというよりも、こういう画家の行為を楽しみたい。
 他の油彩画は静かそのものだ。あまり画面をゴチャゴチャせずに静かだ。「その静けさ、色そのものを見ろ」、という作品だ。静寂の中の緊張。

 「目の人・渡辺貞之」の真骨頂が階段を利用して並べられたデッサンだ。目を中心にした顔の表情は少年達の心の窓だ。光と影だ。対人関係におけるマイナスの顔、社会の一員としての希望と不安の顔だ。
 階段の下、そこの暗さが顔を見るにはうってつけだ。暗闇の真実さがある。
 そして階段を上がりながら一人一人の青年達を見ていく。教会の登り回廊に並べられた使徒のように。

 渡辺・演劇空間が都心のビル内にひょっこりと現れた。
 青年達の眼差しに想像が膨らむ。画家の「人を見る目」に愛情と怜悧さを思う。「目」とは美しく不可思議なものだ。 


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     ↑:「黒い羽根の天使 最後の晩餐ゴッコ」。

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     ↑:左、「実験ゴッコ」。右、「童話の宅配便」。

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     ↑:左から、「不安」、「絶交」。

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     ↑:「19歳」。

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     ↑:左から、「失望」、「背反」。

by sakaidoori | 2009-04-17 10:45 | STVエントランスホール | Trackback | Comments(2)
2008年 11月 15日

807) CAI02 「FIX MIX MAX!2 『門馬よ宇子・展』」 11月8日(土)~12月6日(土)

○ FIX MIX MAX!2
    門馬よ宇子・展

 会場:CAI02
    中央区大通西5丁目 昭和ビル・B2 ラオム1
    (地下鉄大通駅1番出口。注意⇒駅の階段を下りてはいけません。昭和ビルの地下2階です。)
    電話(011)802-6438
 会期:2008年11月8日(土)~12月6日(土)
 休み:日曜日・祝日(定休日)
 時間:12:00~23:00

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(11・14)

 FIX MIX MAX!2が始まりました。とても全部は書けれません。関心の赴くままに掲載します。 

 門馬よ宇子・展、素晴らしい。

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 展示は3部構成。

 中央の蚊帳は映像作品のスクリーンだ。確か3年前だったか、自宅ギャラリーで個展をされた。その時の映像作品だ。うかがった記憶ではヨーロッパ旅行でのビデオである。テーマの一つは「家族」(夫婦)ではなかったか?

 壁面左側は最晩年に彼女が退院した折に、病気回復を祝って門馬ギャラリーに訪れた人達による門馬さんの似顔絵だ。思い出(オマージュ)・展の部分だ。

 圧巻は女史自身による似顔絵だ。正面と右側の壁にびっしりと貼られている。
 以下、その似顔絵を概ね制作順に載せます。(クリックして下さい。大きくなります。)

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 配列順は左下から右方向、上方向と概ね並べられている。
 上の写真はその始まりの部分で、「14、2、1」と記されている。写実的で優しい顔だ。そういう顔はすぐに無くなり、ほとんど同じ顔が日付と色を替えて連綿と続く。やや細くて面長、きつい表情ばかりだ。

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 上の作品は「15、7、20」。会場出入口傍の最上段の展示。実は最後の作品は一段上の右端にあって、平成15年9月初中旬あたりの日付だと思う。

 昨日、関係者に簡単に作品経過をうかがった。
 「およそ6年前。体が病んでいて、痛くて痛くて、その時期に制作したものです。360枚ぐらいあります。痛みがひいたら、描くのを止めました」

 痛みを和らげる為に、忘れる為に描いていたのだろうか?痛みと対峙する作家の精神、ダイレクトに転写し記録として残し置く作家の強い意志を思う。色を変える事がわずかな救いなのだろうか?その痛みは病からくる個人的なものだ。だが、見る人は肉体的苦痛を忘れて、美とは異質な精神的痛みを思う。彼女自身に向けたもの、家族に向けたもの、同朋に向けたもの、社会に向けたもの・・・痛みを描き続ける意力が見るものの目を焦がす。
 それにしても凄い迫力だ。僕は晩年の彼女しか知らない。背筋が真直ぐで凛とした立ち姿と、たやさぬ笑顔しか知らない。笑顔には嘘は無かった。だが、それが全てではなかったのだ。

 人はいずれ死ぬ。
 亡くなられた方を悼み、供養するのは残された者の務めだ。だが芸術家の「死」はそれだけではいけない。
 芸術家の精神・苦痛・歓喜はその人だけのものだ。決して共有などできない。共有という幻想に捉われた宗教集団になる必要はない。
 作家の残した作品に自分自身の心の種が震える時がある。何かを表に出さざるを得ない、という精神に駆られる時がある。

 無造作にブロック壁に貼られたスケッチの一枚一枚。それはあまりに普通の紙だ。どうか大事に剥がして下さい。何かの機会に別の場所で会わせて下さい。




 
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 会期は長いが、長いと思うといつの間にか終わっている。見たい方は是非早めに行かれて下さい。

by sakaidoori | 2008-11-15 23:11 | CAI(円山) | Trackback | Comments(0)