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2018年 09月 12日

2595)①「群青 挨拶&『元気展 前期D室』」 アートスペース201 終了/1月25日(木)~2月6日(火)

第5回 丸島均(栄通記)企画


群青ぐんせい

 ぐんじょうと読まないで下さい。
 ぐんせいと読んで下さい。「群れる青い人達」です。



10部屋の展覧会
〔写真、絵画、書、ドローイング、テキスタイル、立体、他〕

  「群れる青い人達による自己表現展です

    雪固まる1月、2月・・・
    寒い・・・
    少しでも元気になれれば・・・
 

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

●会場:アートスペース201
    札幌市中央区南2条西1丁目山口ビル5&6階
     電話:011―251―1418
   
●会期:前期⇒2018年1月25日(木)~1月30日(火) 
   後期⇒    2月1日(木)~2月6日(火)
     (前後期全館使用&総入れ替え。)
●時間:10:00~19:00 
    (各会期最終日は、~18:00まで)

《前期》
6階A室 ◯「日めくり、季めくり、心めくり」(写真展)
6階B室 ◯「私たちはなぜモノクロで撮るのか」(モノクロ写真展)
6階C室 ◯「対展」(2点一組の写真展?)
5階D・E室・ホール ◯「元気展(総合美術展)
 (D室)⇒杉崎英利(チョーク画) 佐々木麗鶴(絵画) チQ(マジックペン画) 佐々木幸(現代美術) 神成邦夫(写真) 町嶋真寿(立体・鉄)
 (E室)⇒宍戸浩起(写真) 篠原奈那子(写真) 岡田綾子(立体) 北村穂菜美(絵画) 鈴木比奈子(絵画) 山本和来(陶芸) 
 (ホール)⇒田中季里(版画) 碓井玲子(刺繍) 冬野夜薙(絵画)


《後期》
6階A室 ◯「闘」(写真展)
6階B室・ホール ◯「踏み出す」(写真展) 
6階C室 ◯「それぞれの居場所「(写真展)
5階D・E室 ◯「元気展」(総合美術展)
 (D室)⇒梶田みなみ(立体) 野呂田晋(写真) ドローイングマン(ドローイング) 水中蝶生(点描画) 
 (E室)⇒福岡幸一(ドローイング) 柿崎秀樹(絵画) 久藤エリコ(切り絵) 金侑龍(現代美術) 酒井彩(彫刻) 
 (ホール)⇒碓井玲子(刺繍) 櫻井麻奈(写真)
 


【座談会】 
出品者による写真を語る集い
 ~僕はなぜ写真を撮るか?見せたいか?~

◎2018年1月27日(土)/6階C室
 司会:篠原奈那子
 参加者:橋本つぐみ、髙橋ヤヒロ、平間理彩、岩田千穂

【催し】
◎2018年2月3日(土)/5階D室
 16:00~ 出品者による演奏会
      ~ジャズ・フォーク・クラシック~
  「実験水槽」/佐藤瑞生(ギター弾き語り)/篠原奈那子(ホルン)&宍戸幸希(コントラバス) 
 17:45~   出品者紹介
 19:45頃~20:00  軽食パーティー(参加無料)

●助成金:札幌市文化芸術振興助成金活動
●協力 :アートスペース201

●企画 :丸島均(ブログ「栄通記」主宰)
●連絡先:090―2873―2250 marushima.h@softbank.ne.jp
●住所 :札幌市北区屯田3条2丁目2番33号

ーーーーーーーーーー(1.25)


展覧会・群青・・・このブログを主宰している丸島均・・・の企画展、総合美術展です。60名の参加。

この展覧会は今年の冬に開催されました。ですから、既に終わっています。来年の同じ時期に「第6回 群青」が同じ会場で開催されます。その時の冠は、「代表・阿部雄、元気展担当・丸島均」の予定です。

既に終わって半年以上が経ちます。しかし、丸島の怠慢で、今冬の展覧会の紹介を一切しませんでした。今年の冬の報告と、来年の群青の活動&宣伝のために、今日から精力的?に掲載していきます。
とはいっても10部屋です。60名の参加です。細かく記していけば、「札幌の今」の美術を記すことができません。掲載に濃淡があります。文章説明のない、写真だけの掲載になる場合があります。


さて、第1回目の報告は前期元気展・D室です。次回はE室、その次は後期元気展です。その後、写真中心の6階を記していきます。

以下、会場を入口から左回り。

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賑やかな部屋です。
敢えて一人一人を一言で言えば、神成邦夫の非主観性、佐々木幸のマイペース、チQの主観主観200%、佐々木麗鶴の一所懸命さ、杉崎英利の遊び心、町嶋真寿の静謐さ、だ。
ということは、この部屋はミスマッチに近いグループ展ともいえる。問題はミスマッチが意外性をうんだか、あるいは、それぞれの個性を殺したか、だろう。ある意味で、最もグループ展らしい部屋で見る側もそれなりに楽しめたと思うのだが、ギャップがありすぎたから、参加者一人一人にとっては不満が残ったかもしれない。企画者の配慮不足も指摘しておかないといけない。




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   ↑:神成邦夫、「surface(サーフェス) [北海道札幌圏]」。


この作品は神成邦夫にとってはかなりの実験作品だった。氏の最近の作品は道内の何処にでもありそうな風景を地名性や特定性を排して、フラットに無機質に提示する。物事の表面(皮相)を軽く見せて、見る側の意識をフワフワさせて、それでいて、此処は何処?君は誰?と問い返したくなる作品を発表し続けている。今回、ぶつ切り・引っ付け・連作にして、氏が普段試みていることとの関係性を問おうとした。試みは良かったが、この部屋の雰囲気が良くなくて、氏のチャレンジ精神にはマイナスになってしまった。ゴメン!おそらく、この壁全部でこれを試みるべきだったのだろう。迫力が違う。そうなると、非主観的作品が神々しい恣意的作品になったかもしれない。


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   ↑:佐々木幸(CAIアートスクール17期)。左側、「いっちゃん」。中央と右側、「無題」。


佐々木幸は、今回は参加することに意義ありだ。全作、旧作だから。
事前に、「私、旧作で勝負しますから!」と問い合わせがくれば、その真意を問いただす。そうでなければ、設営日に壁に飾る作品を持参すればいいのだ。きっと、不本意な旧作発表だったろう。「果たして自分は今後とも制作し続けられるか?」と、自問自答したことだろう。それで良いと思う。次回を期待しよう。次回が不発だったら、次々回を期待しよう。そうやって、作品に名を借りた生き様を発表し続けよう!


②に続く

by sakaidoori | 2018-09-12 00:01 | 群青(2018) | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 04日

2583) 「神成邦夫展 『surface(サーフェス) 北海道』」 茶廊法邑 終了/8月22日(水)~9月2日(日)

神成邦夫展 
  surface(サーフェス北海道
 
   
    
 会場:茶廊法邑 カフェ・スペース
     東区本町1条1丁目8-27
     電話(011)785-3607

 期間:2018年8月22日(水)~9月2日(日)
 休み:月曜日、火曜日(定休日)
 時間:10:00~18:00
     (最終日は、~16:00まで) 

ーーーーーーーーーーーーーーーー(8.26)



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(以下、敬称は省略させていただきます。)


神成邦夫は飽くことなく道内の風景を撮る。「どこにでもある北海道の風景」、一言でいえば「殺風景な切り取り」だ。しかし、強固な約束事で作品は縛られている。それは氏の美学の落ち着いた地点?


強い約束事-地平線を入れる。しかも中央でなければならない。
すると、当然、上半分は空ばかり。空は青くなければならない。それも薄青一色、白雲は青の飾りになるから許される。雨雲一杯のダークな世界は排除される、個性が生まれるから。
それでは下はどうする?水平線辺りに建物が横並び、その下に綠の原野が拡がる、そして適当な方向に向かう道路。これが基本だ。
横拡がりのフラットな画面、濃淡を否定する、強く見せることを否定する。しかし、それでは神成の哲学美がゆるさない、灌木風の世界、やや濃いめの綠の窪地、そこに万感の思いを馳せて向こうの世界に通じる「窓」を配置する。「表層(サーヘェス)を見よ」といいながら、「この窪地を見よ」と、僕の目に迫ってくる。すると、いよいよどうでも良い風景は視界から消え、灌木の中ばかりを見つめる。しかし、「ただ見つめさせる」のが氏の主張だ。入るのも良し、見るだけでも良し、離れるのも良し・・・撮影者は見る人をあざ笑うかのようにして、同じ風景を提示するばかり。
きっと神成邦夫は都会の「個性的風景」を撮りすぎたのだろう。そんな大量なスナップ群を見ていると、ある日気が付いた。「なんだ、個性的と思って撮ったのに、みんな同じじゃん!都会って個性が無いのか?いや、個性が無いのは俺自身かも?」結局、個性的な写真がいやになっちゃったんだ!でも、アマノジャク的「神成邦夫」という目立ちたがり屋根性までは否定できない。そこを否定したら写真を止めないとけない。「オレ、写真が好きなんだよな・・・」最後に残ったつぶやき・・・

殺風景な作品群。風景を殺してでも見せたい「神成自身の原風景!」。それは間違いなく神成の世界だ。だが、これだけ徹すると、意外にも見る人と共感作用が働く。不思議な経路で、見る人と撮る人との共感体験を実現した。いや、そう錯覚させた、殺風景な風景で。



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こういう作品が昔の都会を撮っていた時の名残なんだろう。それに、似たような綠多き風景ばかりでは面白くないと思ったのだろう、ちょっとした鑑賞者へのサービスだ。と同時に、殺風景な原野風景から繋がるなにかになるかもしれない、撮影者の保険なのだろう。

一点、記しておきたい。
画面下とカメラとの距離感は異様に近い存在になっている。真逆の画面上とカメラの距離感は自然体である。ここにカメラの嘘がある。人間目だと、画面下も画面上も無視される。どうしてもカメラ目は画面下を強調する。本当に画面下を強調したかったら、水平線を上の方に持っていけば自然な風景になる。神成邦夫はひたすら約束事の「水平線は中央」を守り、異質と思える作品を、全体の中では異質感を薄めて提示している。




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by sakaidoori | 2018-09-04 10:25 | (茶廊)法邑 | Trackback | Comments(0)
2017年 01月 20日

2548)「チカホで、100枚のスナップ写真を見る会 ~野呂田晋~」チカホ 終了/9月2日(金) 17:00~





チカホで、丸島均と100枚のスナップ写真を見る会


2016年期 第10回

野呂田晋 の場合



場所:札幌市チカホ①②番出入り口付近の白くて丸いテーブル
   (銀だこやモスバーガーの前!)
日時:2016年9月2日(金)
   17:00~

ーーーーーーーーーーーーー(9.2)

※ 来週から丸島企画・群青展が始まります。
  展覧会の初日に「岩田美津希+長内正志+篠原奈那子 +司会者+年配写真家」の、写真にまつわる身内的座談会を開催します。
 年配の一人、トップバッター的に司会者の横に座って頂くのが、今回掲載する野呂田晋さんです。適時、神成邦夫さん、吉田切羽さんにも司会者(丸島均)の助っ人役です。




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   ↑:(本日の主役・野呂田晋さん。)




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 野呂田晋さんの写真発表スタイルは、一口に言えば「変(へん)」だ。奇を衒ってのウケネライと見られても仕方がない。
 「ウケねらい」、それは悪いことではない。絵描きがコンペとか公募展で優秀賞を採りたいと思う。だから、必然的に、応募する団体の好みを考えて作品を構想する。実際、そういう涙ぐましい努力をした人が採用される。自分の好きなことを好きなように描いて、「見事一等賞」・・・それは無い。
 かの有名な藤田嗣治ですら、フランス人好みに気付き、その好みを作風化し、見事、世界の藤田嗣治になったのだから。


 野呂田晋さんの場合、本当はどうなんだろう?「奇を衒ったウケねらい」だけなの?
 画家の実力をスケッチ(デッサン)で推し量れるように、写真の場合はスナップを見れば、発表作品とは違った撮影者の気心を推し量れる。

 その野呂田晋・スナップ集です。見るのが楽しみです。




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 いきなり選ばれた参加者の好み。
 しかし、これは野呂田晋スナップのダイジェスト版と言いたい。
 要するに、「変」なスナップだらけなんだ。「これをとる」「あれにネライを定める」「心模様を写し撮る」ではない!なんだかしらないが、「撮っちゃった」だ。








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 同じ作品が多い二つの組み合わせ。
 微妙に両者のムードは違うのだが、今はその違いを無視しよう。まったく、どうでもいいスナップだらけだ。

 だから、「面白くない!」のならば話は簡単なのだが、丸島均はすこぶる楽しい。「何かを強く撮ろう!その何かに語らせよう!」という姿勢が乏しい。そこが最大の魅力だ。被写体の自由度が拡がる!心象などという小賢しい撮影者の主張ともおさらばだ。自分中心に見れて気分爽快だ。



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 これは神成邦夫さんの選んだものだろう。不思議不思議野呂田ワールドではあっても、しっかりご自身に合ったものを選び取る!嗅覚の下達した方だ。
 神成邦夫さんも座談会の強力な助っ人だ。氏は学生3人のミニ個展全てを見ている。若きエネルギーを頂いたことだろう。




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 丸島が選んだもの。なかなか良いものを選ぶことができた。




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by sakaidoori | 2017-01-20 23:05 | 100枚のスナップを見る会 | Trackback(1) | Comments(0)
2016年 05月 18日

2526)⑦「群青後期『神成邦夫 写真展』」 アートスペース201 終了/2月4日(木)~2月9日(火)

      群青」(ぐんせい)展。

 ぐんじょうと読まないで下さい。
  ぐんせいと読んで下さい。「群れる青い人達」です



後期・6階B室

神成邦夫 写真展 

HORIZON-北海道-  
 ~内界と外界の境界線~



●第3回 丸島均(栄通記)企画

   群青(グンセイ)
     八つの展覧会
       〔写真、絵画、書、ドローイング、テキスタイル、立体〕

  「群れる青い人達」による自己表現展です。

    雪固まる1月、2月・・・
    寒い・・・
    少しでも元気になれれば・・・ 

●会場:アートスペース201
    札幌市中央区南2条西1丁目山口ビル5&6階
     電話:011―251―1418
   
●会期:前期⇒2016年1月28日(木)~2月2日(火) 
   後期⇒     2月4日(木)~2月9日(火)
     (前期は6階3室のみ。後期は全館5室の展覧会。)
●時間:10:00~19:00 
    (各会期最終日は、~18:00まで)
      


後期・6階A室
◯「女の空間」(女性写真展)
外崎うらん 高澤恵 平間理彩 杉下由里子 高橋ヤヒロ(高橋智乃) 石澤美翔

後期・6階C室
◯「対展 Ⅱ」
  佐々木仁美 高橋徹 竹中春奈 杉下由里子 村田主馬 宍戸浩起 高橋ヤヒロ(高橋智乃) 酒井詞音 石澤美翔
・・・(以上9名)

後期・5階D室
◯「元気展 ~色・物語の部屋~」(多ジャンル美術展)
  碓井玲子(テキスタイル) 小西まさゆき(絵画) 佐々木幸(現代美術) 杉崎英利(絵画)   
 
後期・5階E室
◯「元気展 ~線の部屋~」
  久藤エリコ(切り絵) 佐藤愛子(クロッキー) ドローイングマン(ドローイング) 樋口雅山房(書)

●催し:2月5日(金)17:00~20:00 
    17:00~  ドローイングライブ(ドローイングマン)
    18:00~   出品者紹介
    18:45頃~20:00  パーティー

●企画者:丸島均(ブログ「栄通記」主宰)
 連絡先:090―2873―2250 marushima.h@softbank.ne.jp
 住所 :札幌市北区屯田3条2丁目2番33号

ーーーーーーーーーー(2.8 9)



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 北海道の、どこにでもありそうな風景。
 青空に輝く殺風景な風景がA1サイズで18枚、びっしりと横一列に並んでいる。
 皆さんにも、神成風景を疑似体験してもらいたい。以下、18枚を掲載します。



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 臆することなく、面白くない写真を堂々と披露している。だから、僕は神成風景写真を「面白くない写真」と、大きな声で言い切っている。あまりにも堂々としているから、何かがそこに映し出されているのかと思いたくなる。しかし、ことさら語るべき物事はない。ただ、撮ったという行為と、風景ならざる風景を見つめる意識があるだけだ。

 彼の作品をグループ展以外に見たことがない。グループ展での彼の存在は、僕にとっては一際目立つ。他の写真家は「何か」を撮っている。あたりまえだ。何かを撮らなければ写真は成立しない。神成邦夫も、確かに「何か」を撮っている。だが、どうみても撮られた風景そのもので何かを訴えているとは思えない。心象風景の投影とも思えない。記憶の断片を探し求めての旅の記録とか、見果てぬ夢の痕跡でもないだろう。なぜなら、写真に肉声を感じないからだ。ただ写真風景があるだけだ。

 変な言い方だが、特徴のない定点、面白くない風景と向かい合い、「撮りたいという意識」を撮っているみたいだ。まるで禅問答だ。「撮られた風景は・・・トイレ。その心はそうかい!」禅坊主たちの禅問答は大声で相手を投げ飛ばす勢いで言葉を発する。格闘だ。堂々としている。堂々としていなければならない。そういう強さが神成風景も同じだ。堂々と無意味と思える世界に入り込んでいる。

 そんな「面白くない」神成風景が部屋一杯に堂々と並んでいる。
 鑑賞者がどういう反応をするか気になった。サーと見て、サーと帰る、と思った。ところが、意外にも多くの人がこの空間で長居をしている。「この風景は何処かな?」と軽く自問自答している。「なんか懐かしいね」とか、「変に落ち着くんだよ」とか言ってくれた。軽く反応し、長くたたずんでいる。「おー、まさしくこれが個展の魅力なんだ」と、僕は心で喝采をあげた。



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 今回も索漠とした風景ばかりだ。が、個々の作品の水平線が全作品を中央で貫いていて、しかも上部は青空一杯、下部は赤茶けた土色と統一感があり、部屋全体に安定感が生まれた。そのことが、「何でもない空間での心の休憩」になったかもしれない。撮影者の「どうでも良さそうな風景集」という徹底ぶりが、思わぬムードを作った。意図したムード作りとは思えぬが、「風景」の持つ魅力には違いない。

 また、東北震災跡地と見間違った人もいた。そえrは、見る側にすでに「決めつけられた風景」があったからだろう。誤解という「風景」だ。

by sakaidoori | 2016-05-18 00:13 | 群青(2016) | Trackback | Comments(0)
2014年 07月 20日

2419)②「Gleam groove(グリーム・グローヴ)第1回『希望の光』展」品品法邑 終了/3月16日(日)~3月23日(日)





Gleam groove
   (グリーム・グローヴ) 

   第1回『希望の光』展
 




        
 会場:品品法邑
     東区本町1条2丁目1-10
      (北郷13条通の北側の南西角地。
      同じ北側の向いに法国寺有り。)
     電話(011)788-1147

 期間:2014年3月16日(日)~3月23日(日) 
 休み:火曜日(定休日)
 時間:11:00~18:00

 【参加作家】
 神成邦夫 木村輝久 木村睦美 戸井啓介 七苗恭己 楢崎豊 原田麻菜 牧志禮 丸山貴江 山本祐子・・・以上、10名。 
   

ーーーーーーーーーーーーーーーー(3.23)


 2417)①の続き。

 (以下、敬称は省略させていただきます。)




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   ↑:吹き抜けの2階から階下を見下ろした様子。




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   ↑:(右端作品がこれから記す神成邦夫。)






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   ↑:神成邦夫、「光 .C 光があるうちに何かをしよう」。



 次は1階の作品から。



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   ↑:神成邦夫、「光 .A 暮れゆき最後の太陽光」。



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   ↑:神成邦夫、「光 .B 闇を持つ最後の太陽光」。



 (大きなお世話ですが、現場で見るよりも見やすく加工したかもしれません。多分、もっと暗めで、見続けていると目が慣れて上の写真のようになるのでは。)


 全く困った人だ。天の邪鬼というべきか、目立ちたがり屋というべきか、グループの最協調者というべきか異端者と言うべきか、唯我独尊・我が道を行く神成邦夫だ。

 間違いなく今作は「目立つ」ことを基本にしている。「10人も参加していたら、所詮一人は小さい。目立たない。どうしたら目立つか?」を基本にしている。しかし、ただ目立つのならば、エロ雑誌のハダカ女を撮ればいいのだが、それでは知性派神成邦夫の名が廃る。テーマは光だ、明日への希望だ、時期は冬だ。だったら北国の「夜明け前」だ、「『夜明け前』の前の闇夜だ」だ。
 そして、「目立たないといけないの」のだが、グループあっての個人だ。他人作を否定したり、覆い被さってはいけない。あくまでも「目立たず目立たず」。

 マイペースに希望に満ち満ち、明日を信じる神成邦夫であった。





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   ↑:(右端が次ぎに記す七苗恭己。)




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   ↑:七苗恭己、「再生」。





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   ↑:七苗恭己。左から、「気まぐれな光芒のように、、、」、「羽ばたきゆく 子供たちのために」。




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   ↑:七苗恭己




 正直心の撮影者だと思う。それに、写真で遊びたいんだ。

 「正直心はヒューマニズム」と、「遊びたいは、作る・装飾性」ということだ。このヒューマジズム精神と作る遊び精神がかみ合っていない感じだ。真面目に一所懸命に考える。考える時の基本が、「写真ならば、こうした方がよくなる」になっていて、「写真としては少しおかしいが、僕はどうしてもここにこれを置きたい」になっていないのが最大の問題点だと思う。つまり、そうせざるをえない写真感性というものがあるのだが、その自分の感性を見つめることよりも、写真としての完成度に重きをおいているみたいだ。

 例えば、親娘が離れてはいるが楽しそうな作品です。ロマンチスト&ラブストーリー全開だ。僕は真ん中の木立の影は装飾過ぎていらないと思う。親娘の愛情関係の為には邪魔だと思う。この真ん中は愛に包まれた余白の雪景色で充分だと思う。

 だが七苗恭己は大きく木立のシルエットに着目する。二つの意味上がる。「とにかくここに何かを入れたい」、一種のハート・マークという飾りで満たしたい。
 もう一つは、写真をより良くしたいという写真技術の問題-装飾とか構図とか光と影とか-として知的感覚で大きく入れた。

 シルエットをどうしても入れたい心と、写真技術にズレが生じている。他の作品も全てそうなのだが、何やかにやで空間を埋めている。埋めるのは七苗恭己の感性だから良いことなのだが、全て知的操作・小道具に見える。写真としては整理した方が良い作品になるとは思うが、それでは七苗恭己の遊び心がなくなる。だから、整理したらダメなのだ。思うに、もっともっと愛を込めて、小道具を扱うべきだろう。ヒューマンという主題はしっかりしている。小道具が真のキューピットになったらと思った。
 それと、試みとして装飾性を脇に置いて、「人間を正視」して撮られたらと思う。日の丸写真という無意味な悪評をもろともせずに、正直200%で迫って、七苗恭己の魅力確認をされたらと思う。この正直な感性は貴重だと思う。






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   ↑:(一番左側が次ぎに記す戸井啓介。)




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   ↑:戸井啓介、「朝光に願いを」。     





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   ↑:戸井啓介。左側から、「月光路」、「冬の陽光」。




 「ニッポンの夜明け!!胸を張って堂々と、我が祖国ニッポン!!」そういう意気込み盛んな作品群だ。

 とにかく強い。強さを200%発揮する。その強さから醸し出される「虚(キョ)」は仕方ないが、「ウソ」は断じてあってはならにという信念を感じる。
 戸田啓介のような強い写真家にとっては難しい時代だと思う。氏の場合は「強さ」の裏に「焦り」とか「苛立ち」とかの感情の起伏はあまり作品に出てこない。もっぱら「信念」を感じる。今の時代は「信念」を飛び越えて「あるがまま」にいこうとしている。豊かな時代だから、他人との微差とか、より個人的感性が見られている。そういう意味では、戸井啓介の場合は、その力強い信念の内用よりも一人仁王立ちする姿が眩しく見られているかもしれない。

 それはそうと、この強さは「風景」に納まるのだろうか?「社会」や「風俗」や「闘う人間」や「ドキュメント」に合ってる感じだ。








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   ↑:(真ん中が、これから記す丸山貴江。)





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   ↑:丸山貴江、「Tram」。




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   ↑:丸山貴江。左側から、「Trin」、「Cargoship」。



 ほんのチョッピリ遠くにある「観覧車」、「電車」、「船」・・なんだかそこにちっちゃな幸せがありそうだな。ちょと覗いてみてみたいな。でも覗き見はいけない、」ちょっと遠くから眺めてあげましょう・・・。そんな作品群だ。丸山貴江にとっての童謡の「小さい秋みつけた」みたいだ。

 被写体に迫るとか離れるとか、凝視するとか胸がドキドキするとか、そんな冒険はしない。もし冒険という言葉を使うなら、何でもない風景でも「撮るという行為」に小さな冒険をしているのかもしれない。きっと写真行為で「冒険」の入口に立っているのだろう。とりたてて深入りする必要も無し、かといって離れる必要も無し。でも、写真という冒険は彼女を少しずつ前に押しているかもしれない。観覧車の廻りの賑やかな風景を見つめていると、自分も灯火の一つになりたいと思い始めているかもしれない。

 




 今回は6名の掲載でした。また来年も見たいと思います。失礼を顧みない文章ですが、また書かせてもらえれば嬉しいです。




 以下、品々法邑2階からの風景。


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by sakaidoori | 2014-07-20 10:31 | (くらふと)品品法邑 | Trackback | Comments(1)
2012年 11月 25日

1884)①「写真クラブ「BePHaT!!」 第9回作品展 『夢 Photo 2012』」市民g. 終了11月21日(水)~11月25日(日)





写真クラブBePHaT!!
第9回作品展
 


    夢 Photo 2012    


 会場:札幌市民ギャラリー 第5展示室 
      中央区南2条東6丁目
      (北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2012年11月21日(水)~11月25日(日)
 時間:10:00~19:00
      (最終日は、~17:00まで。) 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(11.23 24)

 意欲的な写真家集団だ。風景、心象、大人に女に子供から風俗と、あれやこれやの被写体だ。幸い、広い会場だから、1人1人を充分に楽しめる。他人の写真との関係でも良い響きがある。もっとも、そう思うのは僕の贔屓の目で、無手勝流の無節操集団とくくれるかもしれない。どんなくくり方でもいいのだ。面白く、かつ刺激的ならば。


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 入り口付近から賑やかだ。この会場参加への踏み絵のようなものだ。「綺麗綺麗の自然写真好みの方は・・・」と、おとなし系を欲する方を無言に拒否しているみたい。


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     ↑:入り口第1室。


 そうはいっても、入り口のうるささは鑑賞者に一瞬の緊張を強いるだけで、静かに展示は進んでいく。


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     ↑:2室。


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     ↑:2室。


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     ↑:3室。


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     ↑:3室。



 概ね、以上のような会場風景。

 沢山の撮影者だ。ほんの一握りの人だけの紹介になります。

 
 刺激的な入場だったが、個人掲載は第3室のもっとも奥まった部屋のもっとも地味な作家から始めます。


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          ↑:神成邦夫


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 なんとも殺風景な風景だ。全く面白味に欠ける。
 「面白味に欠けるとは何事だ!!だから栄通の言う事は信用できん。神成邦夫氏に失礼ではないか!!」と罵言を発するか方もおられよう。しかし、「良い写真ですね、心が晴れ晴れします」と言われては、神成邦夫は泣くに泣けないだろう。なぜなら、なるべく被写体への集中心を殺して、見る人の意識が消え入るような世界を彼は追い求めているからだ。「この写真を見ていたら、突然写真にポッカリ穴が空いて、覗きたくなって、頭が白くなってしまう。覗き終えたら浦島太郎さんになるのかしら、あらイヤだわ」そんなことを氏は夢見ているのだ。自分が浦島になりたいのだ。

 アイヌ地名に関わる「名付けという意味あるある風景」と見る人がいるかもしれない。似てはいるが全くの別物だ。僕の写真では分かりにくいが、被写体に対する強さが神成風景にはない。磁場や地霊との結びつきを感じない。ただ、無味乾燥な風景があるだけだ。


 この写真は、芭蕉の「古池や 蛙飛び込む 水の音」のようなものだ。この詩は、「古池」とか「蛙」とか、俳句的言語や実景が昇華されたところに意味があるだろう。だが、最後には余韻とか無化された心の残映が響くが、その前提として集中されるべき物がある。「音」とか、「池」とかだ。文学的構築物といってもいい。目的のための導きの手段がある。

 だが、神成邦夫は、そんな象徴的手段や比喩や暗喩をもっとも否定する。何でもない光景を見ていて、いつの間にか心がどっかに行ってしまって、それでもそこにいるしかない自分を確認するばかりだ。禅に「無」という言葉がある。確かにそれに近いものかもしれない。だが、「禅の無」は変幻自在な精神の自由さを求め、悦楽の境地がある。

 神成邦夫の「何でもない世界」は、確かに一つの自由かもしれない。他人が気付かない現象との触れ合い、交歓に、一人悦になっているのだから。
 しかし、大いなる悩みが最後に残る。「何かを撮らねばならない」ということだ。芭蕉も禅問答もやはり同じ悩みがあった。「言葉」からの超克だ。氏にとっては「風景からの脱皮」が永久の夢だ。


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     ↑:神成邦夫の私家本の写真集


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 中身はカラフルな都市の一コマ。
 あの風景写真から、このカラフル・ワールドを見なおそう。確かに街を楽しんではいるが、何とも大人の戯れ的な余韻がある。




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     ↑:YuKa


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 何なのだろう、この素直さ、初々しさ、若さ。眩しいとしか言いようがない。好きな蝶や花をしっかり強くバッチリと撮る。色もくっきりすっきり華やかにする。誰に遠慮の必要があろう。これが私の世界だから。
 強く被写体を見る、その目と姿勢には感動する。
 花を男が撮れば、「性と慾」がつきまとう。なんとも可憐な乙女ばかりだ。羨ましき健康美があるばかりだ。

 まったく神成邦夫の面白くない世界の対極だ。あまりに逆だと、ぐるっと廻って2人がドッキングするかもしれない。



 ②に続く

by sakaidoori | 2012-11-25 20:01 | 市民ギャラリー | Trackback | Comments(0)
2010年 03月 07日

1221) 品品法邑 「Cross Road -4人による写真展-」 3月1日(月)~3月21日(日)

○ Cross Road
    -4人による写真展

 
 会場:品品法邑(2階)
     東区本町1条2丁目1-10
      (北郷13条通の北側の南西角地。
      同じ北側の向いに法国寺有り。)
     電話(011)788-1147

 期間:2010年3月1日(月)~3月21日(日)
 休み:火曜日(定休日)
 時間:10:00~18:00 
     (最終日は、~17:00まで)

 【参加作家】
 野呂田晋 神成邦夫 池田伸子 對馬大輔

ーーーーーーーーーーーーーーーー(3・7)

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 当館1階は工芸品や美術品の販売スペースだった。はっきりわからないが、当分はギャラリー空間として利用されるのかもしれない。今回、初めての紹介です。

 さて、写真4人展。
 出品数にばらつきがある。グループ展だから、一つのリズムとして見ることができる。そうは言っても、沢山出した人に、どうしても意識が集中する。今展は特に神成邦夫氏の作品に感ずるところがあった。
 (以下、敬称は省略させて頂きます。)

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     ↑:「PAST,NOW AND FUTURE」。

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     ↑:作品①

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     ↑:左から、作品②、③。

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     ↑:左から、作品④、⑤。

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     ↑:作品⑥。


 「・・・写真の性質である表現性と記録性の狭間を往来しながら、自分の写真、写真からの自分を見つけるために試行錯誤しています」と、自己紹介している。

 「写真の表現性と記録性」。例えば、表現の為だけのスナップ写真であっても、そこに写された「景色」は月日が経つ程記録性を帯びて、撮影者のリアリティーを越えた「記録」が圧倒的な迫力で迫ることがある。逆もある。「記録」のためだけに撮った写真が、その撮影者の目を想像したくなる程の「表現力」がある時もある。
 そういうことは写真には常に付きまとうことでもある。難しい問題なのだが、とりあえずは不問にしがちである。。

 今展のタイトルは「過去、現在、そして未来」だ。作品は何時撮られたのだろう?あえて撮影者はそれを明示してはいない。写真歴も25年と長いから、最近撮ったのか、過去の作品を意図的に編集したのかがわからない。写された状況で判断できればいいのだが、僕にはそれができない。何とも古い被写体のようだが、もしかしたらこの「光景」は「今の北海道」のどこかにあるかもしれない。
 そして、撮影者は車から風景に迫る視点だ。あたかも覗き趣味、あるいはタイムスリップの位置に自分がいるのを鑑賞者に意図的に伝えているようだ。この視点が12枚の作品と重なり、被写体が「今なのか、過去なのか」を妖しくしている。

 「記録」とは「過去」だろう。「表現」とは「今」だろう。「未来」・・この言葉は撮影者の「願望」のようなもので、「記録」と「表現」の先に、ストレートに「未来」はないと思っている。あるのは「過去」と「現在」の往還だけだろう。
 1枚の写真に「今」と「過去」を同時に成り立たせようとする視点に思えた。時には懐かしくもあり、時には吐き気をもよおすような「過去」、だがそれらがカメラ目線になった時にいやがうえにも撮影者に「何か」を訴えて迫ってくる。それは明るい「未来」よりも、「体内回帰的な死への恐怖、誘い」にも重なるかもしれない。


 (続く。他の方の簡単な紹介は、明日の深夜になります。)

by sakaidoori | 2010-03-07 23:53 | (くらふと)品品法邑 | Trackback | Comments(0)