栄通記

sakaidoori.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

タグ:林教司 ( 12 ) タグの人気記事


2016年 05月 02日

2507) 「林 教司 EXHIBITION」 たぴお 終了/4月25日(月)~4月30日(土)  

 



林 教司 EXHIBITION     

    

 会場:ギャラリーたぴお
      中央区北2条西2丁目・道特会館1F
      (中通りの西側の郵便局のあるビル。)
      電話・林(090)7050-3753

 会期:2016年4月25日(月)~4月30日(土)
 休み:日曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00
     (最終日は、~17:00まで。)


------------(4.30)

 (以下、敬称は省略させていただきます。)


 当館オーナーの林教司個展。そして、「林たぴお」は4月末日をもって閉館。この日、4月30日は最終日だ。
 今後は、当会館が「ギャラリーたぴお」と名前を変更しないで直接管理運営、新スタートです。
 林教司氏も新スタートです。中央バスターミナルビル地下1階で、「喫茶レ・ノール」を経営する。5月9日が新装開店予定日だ。美術作品がその喫茶店に展示されるのかどうか?いずれにせよ、その様子は報告したいです。
 

 さー、個展会場に行こう!サイゴだ、最後だ、林たぴおの最後だ。



f0126829_1551782.jpg




f0126829_1553648.jpg




 先日北海道抽象派作家展に出品した作品が堂々と場を飾っている。久しぶりの自信作だ。
 40年前の作品が向かい合っている。この最新作と最旧作の対比は絶妙だ。
 
 その両者を真っ先に乗せます。



f0126829_15355128.jpg
   ↑:「赫景」・2016年。




f0126829_15361086.jpg
   ↑:「月と羅漢」・1975年(全道展)。



 旧作、20歳代の作品とは思えない出来映えだ。何よりも過去と今の共通性に驚く。「赤と黒」が好きな画家だ。「具象と抽象」、「引いたムードとめらめらと発火するムード」違いはあるが、画家はただ立ちすくんでいるように見える。空気感、緊張感、作品にのめり込むという姿勢と連続性を感じる。20代の情念、思いを変わらずに抱き続けていた。

 だが、時代は変わった。
 彼の属する同世代の男性群、「日本の戦後」の目標を物質的豊かさに求め、ひたすら脇目もふらずに邁進した。世界環境とのマッチングの良さが幸いして、目指す「豊かさ」を手に入れた。一世代遅れの私ではあるが、そういう彼等の努力に感謝しよう。

 林教司はどうだったのか?
 旧作の最初のタイトルは、「待つ」ということだ。あ~、「待つ人」だったんだ、林教司は。何を待っているのだろう?間違いなく、時代の上昇気流の中で生きた人だ。作風の「強さ」がそれを証明している。彼は「鉄の人」でもある。強い男が「突き進む」時代精神に疑問を持ったのか?ためらいがあったのか?

 それでは何を「待っている」のだろう?見果てぬ夢?触れ合い?何かとの合体?
 



f0126829_1622256.jpg
   ↑:「形代(かたしろ)」・1992年(全道展)。



 「元慰安婦、Tさんとの語らい」と説明されている。

 重い画題だ。ムードも林好みの荘重さが充満している。が、どこかユーモラスだ。
 「元慰安婦」に触発されつつも、社会的倫理性とは一線を引いて「絵画」で遊んでいる。
 真っ正面から対峙しつつ、斜に構えるという二段構えの画家だ。





f0126829_16324288.jpg
   ↑:「異郷にて」・1986年。


 おそらく、シュールリアリズムが流行った時の作品か?あるいは美術史を研究する中で、シュールを取り入れたのだろう。
 何を描いても上手い人だし、反逆精神や斜に構える姿勢の持ち主だから、こういう世界も自然なのだろう。だが、氏の持ち合わせている「遊び精神」が、シュールに花を添えることはあっても、こういう息苦しさを長続きさせるには、氏の抱える愛憎の強さが邪魔をするだろう。




f0126829_16441897.jpg
   ↑:「陀羅尼」・1996年。



 「林・マンダラ」。「鉄のマンダラ」と呼ぼう。





f0126829_16474326.jpg
   ↑:「異郷の人」・2015年。



f0126829_1650458.jpg





 林たぴお、最後の作品掲載になります。私の好きな作品です。



f0126829_16514342.jpg
   ↑:「種子シリーズ」・2010年~。





f0126829_16531287.jpg


by sakaidoori | 2016-05-02 21:11 |    (たぴお) | Trackback | Comments(0)
2014年 07月 12日

2408) 「BOOK'S ART 9th」 たぴお 7月7日(月)~7月12日(土)

  



BOOK'S ART 9th  


    


 会場:ギャラリーたぴお
      中央区北2条西2丁目・道特会館1F
      (中通りの西側の郵便局のあるビル。)
      電話・林(090)7050-3753

 会期:2014年7月7日(月)~7月12日(土)  
 休み:日曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00
     (最終日は、~17:00まで。)

 【参加作家】
 タカダヨウ 藤川弘毅 林教司 田中季里  

------------(7.10)




 (以下、敬称は省略させていただきます。)




f0126829_22505618.jpg
   ↑:(会場入口からの撮影。)



 入口正面、厳かな背表紙の行列にしばし唖然とする。




f0126829_23241784.jpg
   ↑:林教司




f0126829_23255323.jpg




f0126829_23263043.jpg





 カラーコピーだ。同じ物がが貼られているだけだから、重たくはない。が、白く静まりかえった空間で、異様な主張を発散している。作家は林教司だ。「鉄の人・林教司」がひさびさに重たく土俵を仕切っている。確かに空箱ですらない単なる紙だ。ビデオの内用に深い意味があるのかどうか?そんなことよりも、いかにも「洋物だ-」というもったぶった意匠も気に入ったのだろう。

 実在と非在の主張?虚実の横断?もったいぶった遊び?

 きっと、その全てだろう。それよりも、林教司が「何かと闘いたい!」そんな衝動が起こったのではないか。「どうだ、カッコイイだろう!」と言うかもしれない。が、本当は自分がこのコピー群、その背景の実体に勝てるかを自問自答しているのかもしれない。芸術は何はさておいて自分との勝負である。





 その右側は--



f0126829_22524412.jpg






f0126829_23311068.jpg
   ↑:タカダヨウ



 最近のタカダヨウは赤い毛糸を愛用している。不純な血液というイメージだ。過剰な増殖にも、神経系の無限連鎖にもなりそうだ。どこまで激しくするかとか、空間との兼ね合いも探求中だ。

 今回、頭とその頭髪に見えてしまった。誰かの小説で、素戔嗚尊が頭の髪の中でいろんな動物を飼っているという物語を思い出した。この場合、「赤い頭と赤い髪」は生きる営みの場だ。生命賛歌だ。
 不気味さの中で「人間とは」に拘っている作家だ。ざっくばらんな赤い毛糸、どこかだらしないが、その塊から何かが産まれそう。良いものかな?悪いものかな?




f0126829_23454375.jpg
   ↑:林教司





f0126829_23461770.jpg
   ↑:藤川弘毅


 「純血の人・タカダヨウ」の次は、廃棄物造形の藤川弘毅だ。今回は清潔感たっぷりの白衣装だ。この清潔感が何やら怪しい。なぜなら、「廃棄物」と「清潔」は似合わない。何より作家・藤川弘毅の趣味とも違うだろう。



f0126829_23515823.jpg




 今作、「白の人・藤川弘毅」ではあるが、「記録の人・藤川弘毅」だ。薬などのレッテルを綺麗に閉じている。何の病気か?それはこの際関係ない。今までの藤川・廃棄物作品は、出所も名も知れぬ所有者からの贈りものであった。ゴミかもしれないが、「もう一度光を」という優しい心根(表現者根性)としての作品であった。が、今回はこれらの所有者は藤川弘毅、本人だ。つまり、ここには作家本人が白いバインダーの中に居る。一つ間違えば、本当に白い人になっていたかもしれない。そのことを淡々と白く記録した作品だ。










f0126829_975382.jpg
     ↑:林教司




 これは驚きの秀作だ。重たく格好良く、美術館収蔵レベルでしょう。多分旧作だと思う。

 本の作り方が見事だ。紙には点字本みたいな穴が暗号のように敷き詰められ、女が飾りのようにして貼られている。コーティングされた本は、捨てられても捨てられても、朽ちることを拒んでいるようだ。
 ある朝送られてきた秘密命令入りの本みたいだ。「君の使命は×月×日、某大使館のミスターXを拉致すべし・・・、写真の女を使え、殺すべからず・・・、あと数秒でこの本は自動的消滅する」。

 重厚な遊び本だ。芸術家の過剰にして沈鬱なるエネルギーのはけ口だろう。吐き出し行為だ。ただ、林教司はカッコマンだから、汚い嘔吐は好まない。場末に光る十字架を目指している。


 あまりに惚れ惚れする本だから、少し頁をめくってお見せしましょう。



f0126829_9284335.jpg




f0126829_9285747.jpg




f0126829_9293866.jpg








 さて、残りの入口左側です。




f0126829_22525748.jpg




 ここは田中季里のコーナーだ。

 まるで林教司との2人展だ。呼応し合っている。闘いではない。林教司の背中を見て、自分の引き出しを手広くしようとしている。自分を見つめるきっかかにしている。

 個別作品は「本」だ。それがテーマだから。本質は「波」との戯れみたいだ。
 大きな波小さな波、寄せる波引く波、面白い波変な波、可愛い波恐い波・・・「林本には負けそう。でも、波なら私のものよ。だって、いつもいつも見ていたから」。


 以下、写真を載せます。いじらしき波達を見てやって下さい。




f0126829_9584681.jpg
   ↑:田中季里


 以下、上掲の部分図。



f0126829_100249.jpg



f0126829_1001846.jpg




 手だ。可愛い手が泳いでいる。何かを掴もうとしている。





f0126829_1083049.jpg
   ↑:田中季里




f0126829_1092056.jpg





f0126829_1093872.jpg





 

by sakaidoori | 2014-07-12 10:12 |    (たぴお) | Trackback | Comments(0)
2013年 11月 26日

2313) 「林 教司作品展」 たぴお 11月25日(月)~11月30日(土)

  



林 教司作品展  

(1986~1995)全道展作品 (小品)女、花、果実を描く  

    

 会場:ギャラリーたぴお
      中央区北2条西2丁目・道特会館1F
      (中通りの西側の郵便局のあるビル。)
      電話・林(090)7050-3753

 会期:2013年11月25日(月)~11月30日(土)
 休み:日曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00
     (最終日は、~17:00まで。)


◎ 移動開催

 会場:ダイニングバー イソムニア 
      中央区北10条西16丁目1
      電話・(011)640-6400

 会期:2013年12月3日(火)~12月15日(月)
 休み:日曜日(定休日)
 時間:11:30~23:30


------------(11.25)

 回顧展です。個展というものが常にそうであるように、リ・スタート展です。

 やはり記念すべき個展だ。画家が自己を省みると同時に、見る側は「林教司とは何であったか?」を刻むものであった。特に、40年前の大作は印象深い。「この時点でこの作品!これ以上を描くということはどういうことか?これ以上が描けたか?・・・」

 初日は個展を祝ってのオープニング パーティーだ。その様子を伝えるような会場風景になりました。関係者各位、ご寛恕を。


 (以下、敬称は省略させていただきます。)



f0126829_11382725.jpg




f0126829_1139520.jpg




f0126829_11392810.jpg





f0126829_11425540.jpg





 氏はおびただしい作品を残していたはずだった。実に残念なことだが二、三年前の豪雪で、保管していた建物は崩壊し多くが消滅してしまった。今展の作品は、そういう中で生き残った作品群だ。

 ではあるが、初期の大作をこうして見ることができる。お伝えしたい。



  1947年     室蘭に生まれる
  1965年(18歳) 独学で油彩を始める
  1967年(20歳) 第1回個展(室蘭丸井デパート)
  1970年(23歳) 室蘭美術協会公募展初出品 協会賞・同会員
  1974年(27歳) 全道展初出品・入選 
  1977年(30歳) 自由美術展入選   
  1989年(42歳) 全道展会友推挙
    (年齢は全て推定。)



f0126829_11435679.jpg




f0126829_11564569.jpg
   ↑:「月と羅漢」・1973年(26歳) 120号。



f0126829_12563687.jpg
   ↑:(上掲作品の部分図。)



 静かな作品だ。深い世界だが、極端を排して淡々としている。それは羅漢に託した「老い」の姿だ。進でも退くでもなく羅漢はたたずむ。太い両手両足は別の存在のようにして自己主張している。確かに顔は前を向いて前傾だが、一人の目は閉じられ、一人の目はこちらをにらみ返している。諦念と不遜さ。赤いマントは身を包み、自身の素肌、生の精神を塞ぎ込んでいる。赤をはぎ取れば醜く卑小な体があるだけだろう。

 それよりも何よりも黒くて暗い。全面が暗いから、かえってトコトン手前で暗さは留まっている。その留まる踊り場に二人の羅漢は身を守るようにたたずんでいるのだろう。その先に暗さを見るのは自分の仕事ではないと悟りきっているようだ。「先に進めるか!」と、一人の羅漢はこちらに投げかけている。当然、その羅漢は画家自身であり、投げかける相手は社会であり己自身だ。己己己が羅漢にも黒にも赤にも手足にも、幾重にも重なっている。

 暗い先に画家(羅漢)が見つめているもの、それは月に照らされた希望かもしれない、悟り(死)かもしれない、この安定した闇夜とは異質な混沌かもしれない。
 まるで以後の林教司の活動はその闇夜を突き抜けて、先を見定めようとした悶えだったのかもしれない。人生的要素や絵画的要素が装飾されて作品は姿を変容していった。不可思議な象徴としてのシュールな世界、曼荼羅的完璧を求めてのシンメトリー、その曼荼羅は姿を変えて抽象へ向かう。一方で、男の性(さが)は女へ向かい、ロマンと見果てぬ夢に華を咲かせて昇り詰めては、急展開にも落下しかねない。落下や格闘は血への闘争だったかもしれない。父へ、母へ、愛人へ、知己への愛憎・・・。

 その全貌を今展で見ることはできない。ただ、この闇夜の緊張感を維持しながら作品は間違いなくある。その緊張感を乗り越えたかどうか!
 まだまだ林教司は生きる。26歳時の傑作を乗り越えることはできないだろう。だが、そこには観念的「老」があった。今、「老い」という年齢に達した。本当の「老」の傑作を、生き様を楽しみにしよう。






f0126829_12561753.jpg
   ↑:「足音」・1988年(41歳)。


 いわゆるシュールリアリズム。
 どう見ても良いのだが、僕の画題の解釈を記しておきます。

 男根を意志でへし折り、反吐を吐き、両足をくにゃくにゃにして、横たわりへたばった人物画だ。
 一つの断末魔とも言える。が、両側の黒い部分は人の体をなしていない両足と頭だが、中央の王道は明るい綠で、希望のドアの前で横たわっている。たとえ折れて血を噴出しそうだが男として存在している。「不信」を背にして「自信」が立っている。



f0126829_13162562.jpg
   ↑:(上掲作品の部分図。)







f0126829_13183669.jpg
   ↑:「異境にて」・1986年(39歳)。



 シュールな作品だが、空の青や海の青はそのものズバリの清々しさだ。タイトルは故郷「室蘭」を詠っている。
 やはり故郷とは離れて懐かしく想うものだ。離れれば良きことのみが想起する。もちろん、人にもよるが嫌なことが詰まった場でもあろう。が、そういうのを忘れた時には綺麗な作品が生まれる。果たして氏にとっての「故郷」とはどういうものであったか。この綺麗な海空、そして象徴化された岸壁(岬)と不可思議な物たち・・・。







f0126829_13254615.jpg







f0126829_1328997.jpg
   ↑:「Water seed (水の種子)」・1999年(52歳)。



 空、水平線、大地、海、波、卵、女、諦念、挽歌・・全ては抽象化し象徴化され、シンメトリーという美の形を与える。胎内回帰・再生というテーマで世界を覆われる。

 静かだ。
 今展を見て、氏にとっての「静かさ」に強く惹かれた。激しき自己自身の完璧なまでの裏返し。「静と動」、「完璧と混沌」、「諦念と恨み」、「天国と地獄」、「女と男」、後者の情念情動に支えられて前者の桃源郷が開くのだろう。





f0126829_13465330.jpg
   ↑:「陀羅尼(DARANI)」・1996年(49歳)。


 記すのが遅れましたが、氏はお寺の次男坊です。お寺の後継者となるべく、しっかりと修行をされた方です。日蓮の流れをくむ法華宗です。人生色々で、お坊さんになることなく絵画道の人生です。
 ですから、絵画から発する仏教臭は血肉化しているのです。






f0126829_13522865.jpg
   ↑:「種子」・2011年。





f0126829_13543175.jpg



 





 

by sakaidoori | 2013-11-26 14:15 |    (たぴお) | Trackback | Comments(1)
2013年 05月 16日

2057)「ボトル アート (テーマによるグループ展)」 たぴお 5月13日(月)~5月18日(土)

ボトル アート                   
    

 会場:ギャラリーたぴお   
      中央区北2条西2丁目・道特会館1F
      (中通りの西側の郵便局のあるビル。)
      電話・林(090)7050-3753 

 会期:2013年5月13日(月)~5月18日(土)
 休み:
 時間:11:00~19:00
      (最終日は、~17:00まで)

 【参加作家】
 YUKO 藤川弘毅 林教司 田中季里 加藤弦 (能登健一)・・・以上、5名?。
  
ーーーーーーーーーーーー(5.14)


f0126829_0234110.jpg



f0126829_0272260.jpg



f0126829_0274158.jpg



f0126829_0275951.jpg



 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


 「ボトル アート」、当館では初のテーマ展だ。ありそうでなかったテーマとも言える。

 参加作家に「能登健一」とある。僕の行った日にはなかった。代わりなのか、「加藤弦」作品があった。




 
f0126829_0383061.jpg
     ↑:YUKO。


f0126829_039631.jpg



f0126829_0393546.jpg



f0126829_0404850.jpg
f0126829_041017.jpg



 爽やかですね~、可愛いですね~、まいっちゃうよ、まったく。

 ユキダルマのYUKOだ。
 最近はキャラのユキダルマを避けている。嫌いになったのではないだろう。表現の幅を拡げるために、意図的に避けているのだろう。そのうちにカムバック・ユキダルマ君だ。

 ユキダルマはしばし消えたが、「文字」はしっかりとある。「コトノハエマキ」が原点の人だから、どうしても言葉を添えたいのだろう。課題は、文字が説明にならずに、自然に作品の中に収まるか、だろう。今作、ビンの中にかわいく文字が入っている。誰かさんとの約束事の「契り文字」みたい。ふふふっ、という感じで文字を眺めていた。

 あー、それにしてもそれにしても、娘心の色だ。春、春・・・いつもいつも春。




f0126829_22201663.jpg
     ↑:藤川弘毅


f0126829_2221721.jpg



f0126829_22213487.jpg
f0126829_2222618.jpg



 左側の作品が面白い。別角度で再掲。


f0126829_222359100.jpg
f0126829_22232340.jpg



 藤川弘毅、久しぶりの登場だ。当館のテーマ・グループ展の常連、常連中の常連だ。この人がいないと寂しいし、面白くない。「カッムバック藤川弘毅」だ。

 今回は三連作。祭壇風の三角配置だ。廃物利用を得手とする作家だ。日頃の感謝を込めて、廃物代表としてのボトル君達に感謝の祈りかもしれない。
 三点の組配置だが、それほどの関係性はない。作品の主張よりも、「藤川弘毅健在」という挨拶だ。まずは出品することで、今後のテンションを高めるのだろう。




f0126829_22342669.jpg
     ↑:林教司。


f0126829_2255493.jpg
f0126829_22552035.jpg





 たいして気に入ったので、一杯載せます。付き合って下さい。


f0126829_22403290.jpg



f0126829_22411651.jpg



f0126829_22413352.jpg



f0126829_22415831.jpg



f0126829_22421729.jpg




 う~ん、素晴らしい。さすがは林教司だ。いつかどこかで見たことのありそうな世界。なのに、なぜかしらチョット違う。目の付け所が違うというべきか。押さえ難き溢れる感性・・・静かに静かにと、自分を制御しつつ、制御された世界を楽しんでいる。リズムと軽さと、人間や人生への拘りだ。女気の無いのが宜しい。

 それにしても、先日の個展「一幕」以来、自由な精神を感じる。短期決戦型の作品発表での、このフットワークの良さ、天晴れとしかいいようがない。




f0126829_22504513.jpg
     ↑:田中季里


f0126829_22514066.jpg



f0126829_2252373.jpg



f0126829_2252353.jpg




 青が好きな田中季里、海が好きな田中季里。なのに今回はその片鱗もない。代わりに空き缶に糸巻き巻き、そして何故だか糸の直線、ただそれだけだ。
 正直にいって、何をしたいのかは分からない。きっと、将来の個展のための下絵のようなものだろう。
 でも、こういう意味不明な作品を出すって、良いことだと思う。感性のマンネリ化防止には最適だ。柔軟な感性と意固地な意志、ですね。



f0126829_2334533.jpg
f0126829_2343997.jpg
     ↑:加藤弦


 酒は何処。
 ボトルの中。
 ・・・
 キャップが開かない、開けれない。
 酒は呑みたし、呑めれない。
 呑みもしないのに、既に酔っているのか?
 目の前のボトルをただ眺めるだけ。
 酒は呑みたし、呑めれない。
 今は23時17分。

by sakaidoori | 2013-05-16 23:20 |    (たぴお) | Trackback | Comments(0)
2013年 04月 19日

2019)「林教司 展 『(二幕)想像と錯覚が為の 日々の在りかた』」 たぴお 4月15日(月)~4月20日(土)

  
   

林教司 展  

(二幕) 想像と錯覚が為の 日々の在りかた
                   
    

 会場:ギャラリーたぴお
      中央区北2条西2丁目・道特会館1F
      (中通りの西側の郵便局のあるビル。)
      電話・林(090)7050-3753

 会期:2013年4月15日(月)~4月20日(土)
 休み:日曜日(定休日)
 時間:11:00~18:00
  
ーーーーーーーーーーーー(4.19)


 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


f0126829_21575950.jpg



f0126829_21582225.jpg



 当館オーナー&画家&作家・林教司の個展、第二幕の始まりだ。


f0126829_2223081.jpg



f0126829_2251799.jpg



f0126829_2253894.jpg




f0126829_2284753.jpg



f0126829_2292077.jpg




f0126829_22103595.jpg



f0126829_22123919.jpg


f0126829_2213532.jpg



f0126829_22142133.jpg






 妄想と想像の、虚像と虚栄の、林教司というドン・キ・ホーテによる愛による破滅と誕生の、讃歌であり挽歌だ。

 先週の第一幕は、画家の心にムラムラと何かの衝動が走り、「これは残さねばならぬ」という思いでの「とっかり展」だったと思う。ひとまずは「サンマ」で自己紹介をしたのだ。
 今回、一気に愛と挽歌を奏でている。ハサミを突き刺すことによって、自己の狂気をズバッと明示している。
 一気に形作られた展覧会であろう。絵を描くという多くの時間と労力ではない。あれこれの悩みや可能性を緻密な計算で、入念に仕上げてはいない。だが、林教司はいつもいつも絵のことを考えている。それを一気に畳み込んだ場だ。甘さもあろう、弱さもあろう、奢りもあるだろう、そういうことを顧みずに自分の生きざまをズバッと出す。それは何かと言えば「愛」だ。愛したもの全てへの「挽歌」だ。

 ・・・何という若い精神だろう、愛と挽歌を語るなんて。日常人にとっては恥ずかしい限りだ。若さというバカさがなければ、酒の力を借りて夜中に天に語りかけるのでなければ、とてもできやしない。
 美術家はそれをする。恥ずかしさを一身に背負って、のたうち回りながらでも「愛」を語る。「女」を「山川草木」を「生きとし生きるもの」を「宇宙」を褒め讃える。それは選ばれたものができる特権かもしれない。確かに傲慢かもしれない。錯覚かもしれない。しかし、己の錯覚を信じている誠はある。それは触れるに値すると信じる。



f0126829_22161439.jpg


by sakaidoori | 2013-04-19 22:55 |    (たぴお) | Trackback | Comments(0)
2013年 04月 10日

2005)「林教司 個展 『一幕』」 たぴお 4月10日(水)~4月13日(土)

   

林教司 個展  
           一幕
                  
    

 会場:ギャラリーたぴお
      中央区北2条西2丁目・道特会館1F
      (中通りの西側の郵便局のあるビル。)
      電話・林(090)7050-3753

 会期:2013年4月10日(水)~4月19 or 20日13(土)
 休み:日曜日(定休日)
 時間:11:00~18:00
  
ーーーーーーーーーーーー(4.10)


 月曜日にたぴおを覗いた。22日(月)まで休みとあった。
 今日の水曜日、「林教司 個展」開催の連絡を受け取った。早速見に行った。


f0126829_20294350.jpg



 タイトルは「一幕」だ。



f0126829_20301099.jpg




f0126829_20304195.jpg




f0126829_20305188.jpg




f0126829_2111503.jpg



 (以下、敬称は省略させて頂きます。)



 独り芝居の為の舞台装置のようだ。
 主人公は皿の上のサンマ・・・。さて、サンマは泳ぐか、飛び跳ねるか・・・?皿の上なのだ、誰かの舌を楽しませるのか・・・?

 何やら物語が始まりそうだが、さて・・・?実際、タイトルは「一幕」なのだ。原稿は作家の頭の中だ、二幕、三幕と物語は進むのだろう。あまり深入りせずに序章気分でこの舞台の冷ややかさを楽しもう。

 どうしても僕たちは、「これは何?」と、意味を知りたがる、考えてしまう。「意味」、作家にとっては既に用意されているかもしれない。たまたま発想を目に見えるものにしただけで、「さて、どうしよう?」と感じているかもしれない。

 それに、こういうインスタレーション的展示は、「見た瞬間の驚き、意外性」が大事だから、あまり現場風景を載せすぎたかもしれない。確かに、意外性は削がれるが、「たぴおで林が生きているゾ、何やら頭をもたげたぞ!」、というメッセージにはなるだろう。

 このサンマ、とりあえずは作家自身=林教司として見ておこう。

 作家は皿の上に横たわっている。いや、くたばっているのかもしれない。誰かに食べられたいのかもしれない。美人ならば、「男の本懐」とつぶやくかもしれない。だが、その薄さ、見た目の触感に反して歯ごたえがなさそうだ・・・。
 林教司は皿の上で横たわっている。何かに突き刺さり、体をくの字にしてくたばっている。その皿を取り、台の丸太を倚子にして、一つにサンマ皿を置き、一つに僕が座ろう。そして・・・、・・・その続きは「二幕」・・・に・・・して・・おこう。


 こんな空間が好きな方、ちょっと覗いて、会場内の倚子に座って、遠巻きに作品を眺めて下さい。良いアイデア湧いてくるかも、気分爽快になるかも・・・しれません。





f0126829_21372396.jpg



 追記:
  今回の「一章」は先週の土曜日終了しました。今週は「二章」です。
 まだ見ていません。見に行き次第報告します。

by sakaidoori | 2013-04-10 21:44 |    (たぴお) | Trackback | Comments(3)
2012年 11月 04日

1858) 「BLUE -1th」 たぴお 終了10月22日(月)~10月27日(土)


BLUE -1th            
    

 会場:ギャラリーたぴお
      中央区北2条西2丁目・道特会館1F
      (中通りの西側の郵便局のあるビル。)
      電話・林(090)7050-3753

 会期:2012年10月22日(月)~10月27日(土)
 休み:日曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00

 【参加作家】
 糸原ムギ 笹岡素子 田中季里 林教司 MIZUHO・・・以上、5名
   
ーーーーーーーーーーーー(10.24)

 「ブルー」をテーマにしたグループ展。
 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


f0126829_0273361.jpg



f0126829_028993.jpg



f0126829_0284976.jpg



 写真では雰囲気がでていない。実際の会場は青が迫っていて、迫力があった。こういう展示は「個展」では味わえないだろう。個人が「青」というテーマで開いても、今回のような「不統一な統一感」は出せないだろう。
 だから、全体の「青感」なりを突っ込んで書けばいいのだが、それは手に余る。問題として仕舞っておこう。そして、オーソドックスに個々の作品を簡単に記しておこう。


f0126829_10352973.jpg
     ↑:笹岡素子


f0126829_10355833.jpg


f0126829_1036939.jpg



 「べろだしチョンマ」といった感じで、だらしなくこちらを挑発しているのか?この、なんとも言えない迫力、生理満点の臭さは何処から来るのだろう?
 その三角形の大きさは不揃いだ。切り口も白味を見せてざっくばらん。垂れ下がる形も不定形で、アンバランス感が漂っている。要するに、どこかなおざりないい加減なムードなのだが、それでいて太い目だけはパッチリさせて、こちらを睨みつけている。乱れた女のたくましさ、だ。
 もっと言えば、この膨らんだ三角袋は、女の性器に見えて仕方がない。饒舌な唇でもある。その場合、目や鼻はないのだ。口あるいは性器に生き物が特化されて、ボンボンと迫ってくる。「凛とした姿」などをあざ笑うようにして、女がそこにある。

 笹岡素子はこの表現をいろいろと試みている。デザイン風な感覚も残しながら、さわやか風に出発したのだが、何とも言えない人間臭さが全面を覆いだした。興味津々だ。どこまで行くのか見守ろう。



f0126829_10585296.jpg
     ↑:田中季里


 あえて全体を解説風に語れば、左側の縦長の絵画は「自画像」だ。足下の四角い小品の並びは、「自己の足跡」だ。そこに、「風景」としての山と空がある。そういう自分を中心としたイメージを明瞭に現すこと、そこに自己の飛躍を賭けているのだろう。小さき自己がしっかり立って、世界を見つめる、関わる・・・その為の心の準備のような作品に思えた。



f0126829_117253.jpg
     ↑:林教司


 「引き裂かれた自己」あるいは、「引き裂く自己」とでも言おうか。そうではあるが、リズムや構成を楽しんでいる。

 全体の暗さからくる負のイメージを見るか、目をランランと輝かせているたくましさを思うか?
 作家の生理を見るか、絵画の文法を見るか?楽しみも分かれるところだろう。


f0126829_11181124.jpg
     ↑:糸原ムギ、「POOR LAND」。


 糸原ムギ、あっさりとした形態や色に、怨念のような世界を詰め込んでいる作家、と理解している。
 今回、タイトルが赤裸々だ。「貧困王国」。建築現場の足場板を版にしているのか?古めかしさをサラリと流している。この作家特有の持ち味だ。


f0126829_11291771.jpg
     ↑:MIZUHO

 きっと若い作家でしょう。色や形を遊んでいる。気分大きく見れるのが良い。
 「私の好きな世界、青でくくっちゃった。一度したかったの。青のふっくら感、上手く出たかしら?小さな世界と大きな世界との青い会話、聞こえますか?」

by sakaidoori | 2012-11-04 14:03 |    (たぴお) | Trackback | Comments(0)
2011年 11月 03日

1603) 「林教司・個展 『Water Seed (水の種子) 2011』」 たぴお 10月31日(月)~11月5日(土)

○ 林教司・個展 

     Water Seed (水の種子) 2011
 

    
 会場:ギャラリーたぴお
      中央区北2条西2丁目・道特会館1F
      (中通りの西側の郵便局のあるビル。)
      電話・林(090)7050-3753

 会期:2011年10月31日(月)~11月5日(土)
 休み:日曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00
      
ーーーーーーーーーーーー(11.2)

f0126829_20471629.jpg



f0126829_20491310.jpg
     ↑:「water seed ー水の種子 2011」・2004。

f0126829_20525364.jpg



f0126829_20532060.jpg



 綺麗な個展だ。
 暗く沈鬱なテーマが、ずっしりと迫る。


 「2004年 悲しき海よ、静かであれと
   祈りを込めて種子に封じた。
     2011年 かなしき海をあの日と同じに
       祈りを込めて種子に封じた
               
           water seed (水の種子)
                       林 教司」


 2004年と2011年の「悲しき海」に「静かであれ」という。巨大地震による海の恐怖だろう。スマトラ沖地震と東北地方太平洋沖地震のことだろう。

 スマトラ沖地震の時、映像で津波の恐怖を目の当たりにした。攻め寄せる津波に人々は逃げ、退いた後の人々の街は無惨な姿を残していた。しかし、他国の出来事として僕は見ていた。その時僕とは違って、何かの真実を見、それを画家は絵にした。
 そして今回の日本地震と津波だ。同胞の街を人々を襲った。

 林教司氏のライフモチーフは鎮魂と挽歌だと思っている。
 家族のこと、肉親のこと、両親のこと、伴侶のこと・・・画家の私的動機が楕円形の卵として結実する。それは子宮であろう、種子であろう、生命の主張でもあり、回帰すべき女性への思慕でもあろう。
 荒れ狂う海はもしかしたら画家自身かもしれない。やさしき女性の怒れる姿かもしれない。

 全(まった)き水辺線、完璧な直線と楕円形。全ての色は剥ぎ取られ深い一色のみ、卵形の中だけが海のしじまを映している。それは個人史に支えられた生命史への比喩と象徴と昇華であろう。


f0126829_21453435.jpg



f0126829_214727100.jpg
f0126829_21474065.jpg
     ↑:右側、「「water seed (水の種子)」・2005。


f0126829_2150440.jpg



 暗い絵画達と伴にいる喜び、それは不思議な時間だ。やはり絵画は個展だ。
 それにしてもニクイ個展である。このお洒落さは何なのだろう。多くの画家はうらやむだろう。


f0126829_21581937.jpg     →:「種子の為の27」。





 

by sakaidoori | 2011-11-03 22:15 |    (たぴお) | Trackback | Comments(0)
2011年 06月 01日

1578) 「愉(たの)しき玩具展 (4名参加)」 たぴお 5月30日(月)~6月4日(土)

f0142432_0191390.jpg
○ 愉(たの)しき玩具展     

   
 会場:ギャラリーたぴお
      中央区北2条西2丁目・道特会館1F
      (中通りの西側の郵便局のあるビル。)
     電話・林(090)7050-3753

 会期:2011年5月30日(月)~6月4日(土)
 休み:日曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00

 【参加作家】
 佐々木仁美 佐藤一明 林教司 益村信子  三上詩織  

※ オープニング・パーティー ⇒ 初日 18:00~    

ーーーーーーーーーーーー(5.30)

f0126829_0255613.jpg



f0126829_0262694.jpg





 5名の参加予定でしたが、1人は欠席、1人は賛助出品のような形で、実質は3人展です。予定外の少ない出品で、会場を賑わす展示ではありません。確かにそれは残念なことですが、それなりに面白い。フワーっと良い気分にしてくれます。「玩具」としての夢は、知的な夢も備わっています。中高年の夢、若き夢、男女の夢、玩具という夢、ほんのチョッピリ哀しさを秘めた愉しき玩具展です。


f0126829_7294221.jpg
          ↑:佐々木仁美、「零レ落チル」。(「玉のような音色が落ちる、舞う」の意か。)


f0126829_729312.jpg


f0126829_7302745.jpg


f0126829_7304798.jpg



 これは振って鈴の音を愉しむ玩具だ。
 早速作家に振ってもらった。20代中葉と若い。その若さで両手でしっかり持ち、強く振った。まさしく鈴の音が「ガラガラ、シャラシャラ、ジャラジャラ」と小刻みに高鳴った。
 色っぽく揺すってはいけない。耳を作品に添え、かすかな音色を愉しんではいけない。神社の鈴のように、辺りにこだます気分で強く振らないといけない。なぜとならば、佐々木仁美は無我夢中で一所懸命に作ったからだ。針金の絡み具合を見よ。自身の元気さを作品に乗り移らせたからだ。自分を強く振ってもらいたいのだ。他人に握られ振られ揺すられ、玉のような歌声を発したいからだ。
 佐々木仁美はブロンズ作家だ。札幌育ちだが、富山の大学で学んだ。私は彼女の作品を幾つか見た。小さい作品がほとんどだった。その小さきものへ自身の愛情を注いでいた。「何か」を作るのではなく、「自分の分身」を愛情一杯に作るという姿勢だ。かといって、男の耽溺とはちがう。美化につながるお守りのようなものだ。そのことを誰も文句は言えないだろう。所詮作品とはそういうものだ。だが、飴玉をただ見るばかりで面白味に欠けていた。「作品」には「面白さ」という味の素が必要なのだ。やっとそういうものを見せれるようなった。
 会場に行かれて、是非、巨大鈴玉を振って下さい。意外に静かで綺麗な音です。
 6月13日から18日まで、当館で「佐々木仁美・初個展」が開かれます。こちらの方も宜しく。


f0126829_8305195.jpg
          ↑:林教司、「ラプンチェル考」。


f0126829_8313223.jpg
f0126829_832293.jpg



f0126829_8363885.jpg 全く驚いてしまった。「鉄の人 エロスの人・林教司」作品なのだ。ファンタスティックに林教司の登場。何を作っても上手い人だ。ただただ脱帽である。

 だが、このメルヘンさは今展だけのものではないだろう。昨秋からの絵画作品は何かを脱ぎ捨てたかのような正直さがあった。今展と同様な稚児的戯れが画面を支配していた。怨念を見ることを止めたわけではないだろう。見続けることに疲れたからではないだろう。新境地と言うべきか、引きずらない「自由」さがあった。今展はタイトルに身を委ねるようにして「愉しき玩具」をつくったのだろう。

 しかし、「愉しさ」にもいろいろあるものだ。
 タイトルの「ラプンチェル考」とは重く哀しい名付けだ。「妊娠」と「性」が覆う愛と哀しみのグリム童話だ。「食(ラプンチェ=ちしゃ=レタス)」と「髪」は重要な味の素だ。
 長き階段は主人公である処女ラプンチェルの長き髪だ。建物は出入り口のない天空の建物だ。娘をレタス(ラプンチェル)の代わりに妊婦から奪い取った魔女は、そこで彼女を育てる。乙女の長い髪を階段にして彼女に会いに行っていたのだ。それを見ていた王子は、夜な夜なその階段を伝わり、逢瀬とまぐわいを果たし身籠もらせた。二人の関係を知った魔女は・・・。
 話は不幸な形で展開する。最後は、母となっていたラプンチェルの涙の滴で、失明していた王子の目を癒やし、目出度く童話は終わる。
 (佐々木仁美・作品が「滴」ならば!男涙て階段をしめらすだろう!)

 やはり作品にはエロス・林教司があった。「哀しき玩具」でもある。









f0126829_915393.jpg









 (以下、時間が無いので写真だけ載せます。夜になって、簡単なコメントを添えます。
  以下、6月2日午前に記す。)



f0126829_974266.jpg
          ↑:益村信子


f0126829_983192.jpg
f0126829_984755.jpg


 青色と円の好きな益村信子さん。
 軽そうな玉を、「ここに置いてみようかな、そこにも置いてみようかな・・・、あらあら、何だか海の真珠貝みたい、泡のよう・・・ブクブクブクブク・・・ふわふわブクブク・・・」、他人の部屋まで押し入っては失礼かな、そんな気分で自分のお庭で静かにブクブクふわふわしています。どうということはないのですが、コンパクトに綺麗に収まった益村信子・海の幸ワールドです。



f0126829_9111156.jpg
          ↑:佐藤一明

f0126829_9114647.jpg
f0126829_9115583.jpg



 今回は佐藤一明・顔見せ出品のよう。「ストーブの人・佐藤一明をお忘れなく。そして、ストーブだけではない佐藤一明をどうぞよろしくお願いします」
 聞くところによると、大きな作品の見本(エスキス)のようです。確かにそうです。閉じこめられた蒔、表面の角張った伶俐さが印象的です。完成品を見たいものです。

by sakaidoori | 2011-06-01 09:40 |    (たぴお) | Trackback | Comments(1)
2010年 04月 15日

1265) ①市民ギャラリー 「’10 第37回 北海道抽象派作家協会展」 4月13日(火)~4月18日(日)


○ ’10 第37回
    北海道抽象派作家協会展


 会場:札幌市民ギャラリー 
     中央区南2東6(北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2010年4月13日(火)~4月18日(日)
 時間:10:30~18:00
   (初日は13:00~、最終日は~17:00まで。)

 【出品作家】
 同人:石川潤(新同人・七飯) 今庄義男(岩見沢) 岩田琿(七飯) 後藤和司(札幌) 佐々木美枝子(札幌) 鈴木悠高(札幌) 外山欽平(函館) 名畑美由紀(新同人・札幌) 林教司(岩見沢) 三浦恭三(小樽)・・・以上、10名。

 一般:甲斐野弘幸(札幌) 甲斐野市子(札幌) 笹岡素子(江別) 鈴木薫(札幌) 能登智子(札幌) 横山隆(札幌) 吉田英子(札幌) 柿崎秀樹(札幌) 風間虹樹(帯広)・・・以上、9名。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(4・14)

f0126829_1130553.jpg

 昨日拝見、見応えのあるグループ展です。
 見応えがあるから、沢山の参加作家を書きたくなって、そして能力不足で書けなくなったのが昨年の栄通記です。これではイカンと思うので、今年は可能な範囲から始めて、少しでも多く紹介していきたいと思います。



 まずは第1弾、会場風景からです。

f0126829_1132132.jpg


f0126829_11352736.jpg


f0126829_1136352.jpg
          ↑:以上、第1室。





f0126829_11413690.jpg


f0126829_11422857.jpg


f0126829_1143330.jpg
          ↑:以上、第2室。



 広い壁を我が物顔で振る舞うのは誰か、天高くどこまでも上昇する人はいるのか、どんな作品が床を這い回るのか、ベテランと新人はどんな混じり合いをするのか、際だつ作品はあるのかないのか、今年は何色と呼ぶべき空間になるのか・・・。
 ただただ抽象というだけの作品展だ。抽象という定義もここではあまり問われていない。抽象という言葉の同志であって、強く「抽象運動」を人海戦術的に展開しているとも思えない。だから37回と続ける事ができたのだろう。細かい事は問わない、「抽象という指に止まれ」。そして年に1回、見る僕らは全体のイメージで心の中に「抽象」を蓄積していく。この会場の広さはとても重要だ。広さという物が空気が、作品を大きくもし小さくもする。
 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


・ 林教司の場合


f0126829_12171838.jpg


f0126829_121820100.jpg
          ↑:「種子」、4m×4m。

 やはり見せ方の巧みな作家だ。
 床に並べても可能だろう。それ以上に、天井に張り付けたくもなる。昇天として拝み見るのだ。その横を天窓からの光が四角く薄暗い部屋を横断する。朝な夕なに見上げるのだ。

 巨大にして完璧な球体。中心へは楕円模様という迷宮をかすめながら、完璧な愛と美の中心へ。種子、恥部、子宮、母胎、女体へと吸い込まれる。愛と美の理想郷が作家・林教司氏には見えもし感じもしているのだろうか?作品の前では見る人は作家と孤独者の立場になる。広い部屋に我一人君一人、願望としての永久の時間、永劫回帰。
 巨大だが薄塗りで淡い。その淡さが何かにすがりつきたそうな印象を受ける。紙の薄さが風に揺らぎそうだ。淡さと重なり哀愁感も漂っている。


  ②へ続く

by sakaidoori | 2010-04-15 12:48 | 市民ギャラリー | Trackback | Comments(0)