栄通記

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2010年 08月 28日

1357) 「狩野悠佳子の場合 ~旭丘高校OG」

 狩野悠佳子君は今春旭丘高校を卒業され、東京の私立大学に入学された。文学、それも詩を志す人で、絵画は趣味というか余芸のような存在だ。
 ささやかな縁があり、一昨年の夏から彼女の絵を見ている。
 初めて見た絵は楽しみの範囲を抜けきれないもので、微笑ましいものだった。

 その翌年の2月、ここから見れる絵を発表することになった。
 旭丘高校の近くに奥井理ギャラリーがある。美術部校外展をそこで開催した。その時の彼女の絵を本編のアバウトの欄に利用させてもらった。再掲になるが、また載せることにしよう。


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 彼女は詩を書く。詩の文芸雑誌にも投稿している。
 2008年5月、第46回現代詩手帖賞を授与された。高校生の受賞ということで、注目度は高まったことだろう。
 絵の成長を見る前に、詩の方で全国の注目するところとなった。そういう中で詩の個人誌「月光」を発刊した。コピーを利用した100%手作り本だ。創刊号は散文と詩のみでほとんど絵はない。ようやく余裕ができたのか、2号(’08.11)の表紙に絵が登場した。


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 以下数点ですが、昨年の高文連後に見た作品を載せます。ゆるりと女子高校生の作品を楽しんで下さい。


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     ↑:「MIDORI」、30号?・第55回高文連石狩支部展・市民ギャラリー・2009年8月6日撮影。

 人間を緑で仕上げた。緑の色調効果は抜群で、幸せのポーズともとれるが本当にそうなのか?求愛とも挽歌ともとれる。悩ましい作品だ。悩ましいが、人間はスーッとしっかり直立して見果てぬ何かを真剣に見つめている。


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     ↑:奨励賞「I,my,me,mine」、2009年度「U-21」・市民ギャラリー・2010年2月13日撮影。

 将来に対する強い意志を表現している。彼女の絵の人物は頬が丸くて可愛い。それが今までの特徴だが、今作はこけている。進路決定という、この時期の緊張感がそうさせたのか。強い気持ちが伝わる。
 進学を決める過程での制作かもしれない。この作品の発表の時期には既に大学入学が決まっていた。


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     ↑:今春の奥井理ギャラリーでの旭丘美術部校外展から。

 卒業年の記念作品は「U-21」に提出した。そして卒業間近だから時間がない。だから、時間のかかる絵画ではなく、知恵による短時間制作の美術品でまかなった。こういう構想はその場しのぎというよりも、いつも何かしら妊んでいるのだろう。詩人の言葉巧みさが小粋に憎い。

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     ↑:(キャプションを拡大して、作品の遊び方を味わって下さい。)

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          ↑:「万華鏡」。

 作品はそれ程でもないが、添えられた散文が興味をつのらせる。
 以下、書き記しておきます。

    一時間一七分遅れた罪滅ぼしとして、あ
    の人がくれた花束をやさしく手折っ
    て、万華鏡の中に押し込みました。花は
    花でうつくしいということが、あのひと
    のずるいところでした。わたしの目から
    花と光があふれます。まっしろなまぶしさ
    の遠くで、あのひとが散っていきます。



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     ↑:今夏の奥井理ギャラリーでの「旭丘高校美術部在校生と卒業生・展」から。2010年8月21日撮影。


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     ↑:「ひととき、ゆるゆる」。

 空(宙)を見つめている。ゆるゆる気分で、ゆるゆると首をもたげ、ゆるゆるとした存在をおっかけている。
 卒業時の頬のこけた真剣さは、ここでは「明日を向かって撃て」と言わんばかりの心の余裕に変化している。彼女の画風であるマ~ルイ肉体表現も戻った。詩人は何にねらいを定めるのか?
 (他は著名な団体による詩作品に対する受賞宣伝パンフ類。)



 長々と10代後半女性の思春画を紹介した。
 彼女の絵は詩と共に理解すべきかもしれない。この場合の理解とは、詩表現の裏の意味を絵画で探索するということではない。

 言葉とは絶対に正直なものではない。正直ではないが、人の心を惹きつけたり、もてあそんだり、傷つけたりする力がある。摩訶不思議な存在だ。詩人の言葉とはその極みである。言葉の魔術師、錬金術師であり、ペテン師でもある。
 狩野悠佳子の詩人ネーム・文月悠光も、未成年だがマジシャンであることには違いない。
 彼女の詩は、象徴言語を駆使して、読む者を煙に巻いたりはしない。誰でもが過ごす日常生活に、等身大で入り込み、詩人の感性で日常の影なり隅を撃つというスタイルだ。分かりやすく常識的な言葉の羅列だ。若いから自虐的な言葉もあるが、それは本質ではない。本質は言葉の遊び人だ。遊び人と僕に決めつけられるのが、彼女の未熟なところで、この未熟さがどう大成するかが大いなる興味だ。その時に、今画いている絵画の感性が、詩の裏側の秘密の部屋の役目を果たすかもしれない。
 絵画は正直だ。絵画は自己の感性と正直に向き合わないと相手に魅力が伝わらない。
 詩人の言葉は「虚」に満ちているが、感性を研ぎ澄まさないと単なる「ウソ」でしかない。その感性の一端を絵は正直に現すことだろう。

 
 
 

by sakaidoori | 2010-08-28 21:25 | ▲個人特集 | Trackback | Comments(2)
2010年 03月 23日

1237) 新聞の切り抜き 「文月悠光 『一生のお願い』」 2010年3月19日 北海道新聞夕刊7頁

○ 新聞の切り抜きから

  文月悠光・作、「一生のお願い」 2010年3月19日 北海道新聞夕刊文化欄7頁。


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 (クリックすれば拡大されます。)


 文月悠光。ふづきゆみ、詩人。
 
  1991年 札幌市生まれ
  2008年 現代詩手帖賞受賞
  2009年 「適切なる世界の、適切ならざる私」の処女出版
  2010年 上記の詩集により、第15回中原中也賞受賞
          今春より、東京都内の大学に進学。


 「お月さまになりたい」というブログを主催されている高校生です。
 以前、当ブログにトラックバックを頂いたりしたので、何かと気になる高校生であり詩人です。そして、絵を描く人でもあります。

 中也賞受賞おめでどう!


 新聞のエッセーは受賞記念の依頼文でしょう。

 「私」の廻りの「女の子たち」、両者を「一生のお願い」という言葉がつなぐ。「私」はその言葉に異常反応し、「女の子たち」との関係に違和感を持つ。だが、その違和感は狭い同性社会での違和感のようだ。逆に言葉はいきなり「彼」に代わり、信頼の相手になって話は進んでいく。「彼(言葉)」を確保したいという願望は、狭い身内社会での違和感を、より広い認識への導きとなり、「対峙すべき世界」が観念化される。その辺の心の変遷を詩集という物語に再構築して、処女出版詩集「適切な世界の、適切ならざる私」が誕生したのでしょう。十代の「私」の相対化にもなっているのでしょう。

 エッセーは文月悠光の詩と同じ流れを感じる。
 舞台の日常性、「言葉」の意外な提示は大胆な転換となっていく。「私」と「女」の生理が言葉を支えている。
 そして・・・、詩でも時々感じるのだが、文末を「結論」として結ぶ性格が露わだ。どこか「青年の主張」のようなスタイルで話をまとめた感じがする。文末は「結」ではあっても「結論」ではないと思う。書き出しのストレートさ、話の流れのみずみずしさに比べて、高揚はしているがどこか教訓的な文末だ。確かに初々しさはあるが。

 さて、今春から花の都・東京に行かれる。「違和感」はどんな形に生まれ変わるのでしょう?故郷とはだれにとっても適切かつ凡庸なところと思っている。一方で、郷土での違和感はある種の人にとっては余りにも当たり前なことだし、厭わしいものだ。古里は少年の肉体的成長を期待はするが、精神的成長を不問にしがちだから。
 見ず知らずの風土とそこでの生活は違和感だらけだ。たとえ心地良くても、いつしか限りなき断絶感、喪失感になるかもしれない。あるいは、開かれた世界への窓になるかもしれない。

 詩人、文章家としての大きな成長を期待しています。

by sakaidoori | 2010-03-23 14:36 | ◎ 短歌・詩・文芸 | Trackback | Comments(3)