栄通記

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2018年 09月 22日

2607)「北海道大学写真部 『夏の暮れ展』」 エッセ 9月18日(火)~23日(日)

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(   ↑:外から会場を撮ったもの。)



北海道大学写真部

  「夏の暮れ展



 会場:ギャラリー・エッセ
     北区北9条西3丁目9-1 
       ル・ノール北9条ビル1階
     (南北に走る片側2車線道路の東側。)
     電話(011)708-0606

 会期:2018年9月18日(火)~23日(日)
 休み:
 時間:10:00~19:00
     (最終日は、~17:00まで) 

ーーーーーーーーーーーーーーーー(9.20)



以下、会場風景を左回りに--

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北海道大学写真部は道内を代表する写真部です。
代表するといっても、大学自体が日本を代表する規模だから、当然です。
代表するといっても、道内の大学写真部そのものがかなり低調です。低いレベルでの褒め言葉です。
しかし、代表は代表です。しっかり活動し、しっかり作品を見せて下さい。

そういう期待する思いで見に行くのです。今回の印象はというと・・・
①とりあえず、会場をしっかり埋めていたことは良いことだ。
②参加者が多いから仕方がないのだが、一人一人の作品数が少なかった。
③目立つ作品が少なかった。
④平日なのに、関係者が多数会場に待機、それは良いことだ。

作品数は多い。とても詳細には掲載できません。数少ない言葉になります。





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   ↑:木村仁(工学部3年)、「前進」。


一目で分かるように、かなり意図的に加工した作品群だ。
与えられた発表面積で力強く押し出していて、若者らしくて好ましい。

「前進」というタイトルがどうも気になる。なんか、ちぐはぐなのよ~。
一言で木村作品をかたるならば、「ちぐはぐ」だ。
「ちぐはぐ」であっても、あるいは「ちぐはぐ」だかろこそ言いたいことがわかる、のであればかまわない。しかしど~もしっくりこない。
木村君の特徴は満遍なく気配りしていることだ。基本は「人」で、街角の「人」の様子をいろいろな角度・切り取りで迫る。普通はそれはいいことなんだが、彼の場合は平衡感覚が良すぎて、このバランス感覚の良さが森山大道張りの強さ荒っぽさと両立しないようだ。もし、弱めの心象風景的な加工でこの作品を見せて、タイトルが「それぞれ」だったらぴったしかもしれない。

きっと木村君は「それぞれの人達」が「それぞれ」に前進、明日を信じて生きているんだ!と言うことを強くいいたかったのだろう。彼の強い願望と、もともと持っている良き目配り感覚とのマッチングが悪かったみたいだ。
しかし、強く発表した姿勢は良い。3年生だ。来年は間違いなく学校は忙しくなる。来年春の資料館での展示、個展をする勢いで取り組んで欲しい。






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   ↑杜過(生命科学院修士1年)、「猿田彦日渡り」。


杜過・「du guo」、「どぅー ぐお」、と読むのだろう。中国人だ。
燃えるような作品、被写体ありきの典型だ。この迫力、見た時の感動をたった一枚でこの大きさとは寂しかった。この大きさだったら縦に四枚以上を連続して並べないと!自己主張の少ないおとなしい人なのかな?




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   ↑:登坂直紀(工学部4年)、「No Man's Land」。


山岳雑誌に紹介されそうな山だ。
山の風貌もさることながら、背景の眼下風景が良い。
登坂君は鉄道風景が気になったみたいだ。妻は「川」はどこ?と尋ねていた。僕は手前に段々と迫る山の頂、向こう側の段々畑のような景色の重なりに見とれてしまった。写真の持つ情報量にはつくづく感心する。





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   ↑:井上知彦(?)、「欠けたピースを埋めて」。


おっ、色っぽい作品だ。ピースが欠けているのか?女が欠けているのか?井上君はピースを埋めたいのか?女の中に井上君が埋まりたいのか?
もし、シリーズでの出品にするのだったら、「欠けたピース」をそろえるのか、「欠けた女」で埋めるのか、井上君の願望で埋めるのか・・・どうするのかな?







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   ↑:熊坂友紀子(法学部)、「父と娘」。


タイトルが良い!写ってもいない「娘」がタイトルにある!これですよ。
この写真を熊坂友紀子君は撮っているのだから、当然「父と娘」はそこにいる。しかし、作品では「娘」は登場しない。登場しないが、「父」は誰かと気持ちよく呑んでいる!当然誰かとは「娘」だ。被写体にわざわざ「娘」がいないのが良い!タイトルに「娘」を添えたのが良い!







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   ↑:青山恭子(総合教育部理系1年)。左側、「なぐさめ」。右側、「パレット」。


初々しいです。やっぱり1年生、しかも女性の撮影。
次回は大きな「パレット」におおきな「なぐさめ」、お願いします。






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   ↑:茶房ゆかり(修士課程1年)、「彩 -color-」。


上の作品、まるで外に人が歩きながら作品を見ている感じ。違います。屋内風景です。





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作品の量は「アッパレ!」ですが、中身をアッパレとは言いにくい。作品がダメという意味ではないです。単純に見づらくて見られない。
作品は薄いビニール版に転写したもので、外光にあたっているので薄くしか見られない。しかも、背景が重なってしまい、いよいよ何が何だかわかりづらい。
そういう意味で今展での茶房ゆかりの試みは成果としては不十分だっただろう。しかし、こういう試みは経験がものを言う。良い勉強になったことでしょう。

見づらい被写体だが、いま記事執筆のためにパソコンで見返している。
・・・・
ごくごくありふれた街角の風景ばかりだ。そういう日常群に対して「彩 さい・いろどり・色」と命名した。爽やかな日々、流れる日々、気分良くチョット色づいて進んでいく。
・・・
エモーショナルな事柄、ロマンとポエムで色づけして世の中を軽く進んでいきたい、渡る世間は軽い色ごとばかり、チョッピリ楽しんじゃおうかな・・・。








   ↑:川上円香(文学部2年)、「久しぶりだね」。

爽やかです。爽やかな同姓を撮りたかったのでしょう。撮りたい撮影者の気分はよく伝わる。
被写体の世界にもっと身を投げて、被写体をどう捕らえたら、もっとその女性の生き様が表現できるか!いったん、被写体から離れることによって、被写体を見直す。空を撮るなり、彼女の見つめる先を撮るなり(嘘の見つめる先でも構わない)、全く関係のないスナップをこの組み合わせに挿入するなり・・・もっともっと、そんな感じです。
でも、2年生か・・・川上さん自身が爽やかに見える。






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   ↑:東優太郎(工学部4年)、「漁場の母っちゃ」。


びっしっと正面から見つめている。古くさい味だ。
左から・・・鉄道、露天のおばちゃん、何かのお店・・・できるだけ撮り手の気分を反映させないよう・・・できるだけ現場の気分がすーっと反映されるように・・・近からず遠からず、一定間隔で相手の傍にいる・・・ひそひそ話は聞こえないが、生きている物音は間違いなく聞こえる距離・・・(だいたい、学生写真で鉄路があれば撮り鉄、あるいは旅行好きと思って間違いない)・・・旅の足跡を一枚、一枚、また一枚・・・
・・・惜しい!この大きさでこの枚数は少なすぎる!旅に出て、一ヶ所だけ心に残るということはない。撮り鉄で旅好きならば、東感覚の旅の足跡を、報告記をもっともっとしなければならない。東流は「綺麗に・端正に」みたいだ。たとえお行儀が良くても、もっともっと若者が見る旅の魅力を伝えて欲しい。




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   ↑:(中央の作品) 新里勇生(文学部歴史文化論講座4年)、「ご来光を拝みに」。


妻が見つめている風景写真。

遠くに尖った山は羊蹄山。手前はご来光を見るために登った山なんだが、多分、尻別岳だろう。花が咲いている、エゾカンゾウだろう。
じつは、この山でこのエゾカンゾウが見られる時期は決まっていて、7月の初旬だ。ここは群生していて、他の花も咲くお花畑だ。
エゾカンゾウ、沢山咲くには咲くが、一杯咲いているのを見るのは難しい。その年によって咲き具合がちがうのよ!
そしてこの写真は雲海もある!

尻別岳は1,000m前後の山だ。たいしたことはない。しかし、この「風景」を見られるのはなかなないだろう。おめでとう、新里君!




後記:
「出品するのだから、良い作品を出したい」という言葉を耳にする。
当然な言葉だ。
二十歳前後の、しかも、趣味活動としての「良い作品」とはどういう意味だろう?
僕は大学写真部展に、「質の良い作品」を求めて見に行かない。
初心者程度の表現力の人達だ。初心者程度だからこそできる表現を見に行っている。要するに、今の一所懸命な姿をだ。
上手くなりたい方法がある!長くすることだ。ただそれだけだ。何でもそうだが、長くすれば上手くなる。長くして欲しい。







by sakaidoori | 2018-09-22 11:14 | エッセ | Trackback | Comments(0)
2010年 09月 14日

1369) たぴお 「夏の終わりに・・・ (7人のグループ展)」 終了・8月30日(月)~9月4日(土)


○ 夏の
   終わり
     に
      ・・・



 会場:ギャラリーたぴお
    中央区北2条西2丁目・道特会館1F
    (中通りの西側の郵便局のあるビル。)
    電話・林(090)7050-3753

 会期:2010年8月30日(月)~9月4日(土)
 休み:日曜日
 時間:11:00~19:00
     (最終日は、~18:00まで。)

※ オープニング・パーティー ⇒ 初日 1800~

 【参加作家】
 今荘義男 柿崎秀樹 佐藤美紀子 高林恵理子 田中麻里 林教司 藤川弘毅

ーーーーーーーーーーーーー(8.31)

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 総合タイトルの「夏の終わりに・・・」、その言葉にこだわった作品なのかどうかはわからない。むしろ、それらの作品を「夏の終わりに」として見てみたら、どんな風景が浮かぶのかという、ギャラリー側の提案でしょう。

 小品尽くしだが、実に楽しめた。キュッと充実感があった。もちろん、作品の方向性の違い、質の高低差はある。それらの違いを混ぜ合わせたギャラリーの魅力があった。ギャラリー空間の魅力ではない、描いた作家の人間像がほのかに垣間見えたのが面白かった。


 全作家は紹介できません。会場でお話しした作家、めったに見られない作家、気に入った作品を中心にして載せます。


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     ↑:高橋恵理子


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 おそらく高橋恵理子は「絵の好きだ、絵を描く喜びを再認識した、そして絵を他人に見せたい、絵を通していろんな人と交流したい」、そんな動機での参加だと思う。まさにたぴお・グループ展はそういう人を求めているのだ。

 作品はまさに「夏の終わり」の想い出なり懐古調の作品群と、若者らしい一気描きに分類される。
 俳句と絡めた絵画作品の方が彼女の自然な絵画スタイルだろう。だが、僕は展覧会作品としてはこういう雰囲気の作品は取らない。良し悪しではなくて、余りに若者らしくない。「らしさ」を求めて、それを追求し楽しんで作品巡りをしているからだ。

 そういう意味では上掲の左側の2作品の方が面白い。確かに質はまだまだだが、何かを「描きたい」という思いが伝わる。
 本人が居られたので、俳句画との作風の違いを交えていろいろと対話した。

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     ↑:左から 「無常」、「鉛筆が青で泳いだ日」。

 左側の花の絵は、はかなさも表現したかったとのことだ。それが顎の辺りの表現になった。だがこれは無理だ。生命賛歌の満開の花の中に、同時に枯れる死を表現したいのだ。だからタイトルは「無常」となる。一枚の絵の中に相反することを表現するのが「絵画」だとは思う。だが、それを一気に取り組むと、作家の思いだけが一人歩きして作品のレベルとはかけ離れてしまう。ここはじっくりと「満開燦々」の絵と、「死する花」をテーマにした作品を描き上げて2点一組で他人に見せたい。

 上掲の右側の作品、偶然の産物とのことだ。あ~もったいない。偶然に出来たものならば、1点で満足せずに、色を変えるなりして一気一気に5,6点ぐらい描き上げて、その中で4点一組の連作仕立てにまとめたら良いのに。
 そんなことを作家・高橋恵理子と対話した。僕の意見の中味はどうでも良いことで、少しは刺激になったならば嬉しいことだ。次は「若者らしい」のをもっと見せて下さい。「鉛筆が泳いだ日」、良いタイトルだと思う。この気分で勝負したらいいのに。


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     ↑:藤川弘毅


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 藤川弘毅、若い女性の生き生きとした表情を撮るのに長けた作家だ。生きた人間は素晴らしい。素晴らしいが被写体に収めるには作家の自由な精神だけではままならないことが多々ある。今作は人形に迫ることによって、日頃の生々しい制約を離れて、作家・藤川弘毅が人形作品という若き人物の美と儚さを追求した作品群だ。
 写真に閉じこめる、枠に閉じこめる、閉じこめることによって露わになる女性美と恋慕の世界。今展一の作品群だった。


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     ↑:佐藤美紀子


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 佐藤美紀子、この人には華がある。だから、切ない作品を作るのだが、暗く打ちのめされることはない。前向きな健康的な美がある。上昇志向の気分の持ち主だ。
 だが困ったことに、その華を狭い世界で完結しようとしている。彼女の目はいつもいつも狭い一点に凝固して、なぜだかはしらないがそこに永久の美を求めている。女の子の「お人形さんゴッコ」を演じているみたいだ。自分に語らい、自分に満足し、自分に激励している。
 大きく開花するにはもったいない振る舞いだが、やっぱりトコトン気の済むまでミクロを追求せねばならないのだ。その限界なり何なりに踏み込んで、「もう良いか!!」とつぶやいた時に、彼女の目は方向転換をするのだろう。他人に気が付くのだろう。

 その時は間違いなく訪れる。だが、道外の人だ。その時を見ることができるのだろうか?


 (他の作家の写真作品のみを追って載せたいと思います。)

by sakaidoori | 2010-09-14 22:18 |    (たぴお) | Trackback | Comments(0)