栄通記

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2008年 08月 17日

731) 岩佐ビル2F ①「アフンルパル展 露口啓二・写真展」 8月11日(月)~8月18日(月)

○ アフンルパル(ahun-ru-par)展
    露口啓二・写真展

 会場:中央区北3条東5丁目5・岩佐ビル2F
     電話→フレメン写真製作所(011)281-5805
 会期:2008年8月11日(月)~8月18日(月)
 時間:11:00頃~17:00頃 

 問合せ:書肆(しょし)吉成 (080)1860-1085
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(8・16)

 展示会場は2ヶ所。
 2階の広いメイン会場と1階の写真家・露口啓二さんのスタジオ・フレメン写真製作所です。

 2階のメイン会場は事務所の空き室といった風情で、窓が沢山あって何にもない部屋にただ写真だけが壁に並べられたり、立てかけられたりしている。強い日差しだけがある、光の部屋と写真との付き合い。

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 ↑:会場左側。① 「On-沙流川」シリーズ。
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 ↑:会場正面。② 「地名」シリーズ。
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 ↑:右側の奥の空間。③ 「ミズノチズ」シリーズ。

 写真展はアイヌ語との関連で成立している。

 そして、残念ながら写真だけを見て感動するという展覧会ではない。感動以前に写真だけでは何を「意味」しているのかは分からない。殺伐とした写真群だ。「On-沙流川」シリーズは沢の水があるから、少しは救われるが、かといって自然鑑賞という世界とは無縁だ。心象?・・・。
 代わりに撮影者のしっかりした説明書きがある。「アイヌ語ーアイヌ地名ー現地ー写真ー撮影者の言葉」。
 撮影者は写真作品だけの力で、感動とか何かを喚起させるということを拒否している。汚いとは言わないが、道内の何処にでもあるスナップ写真をアイヌ語の言葉と一緒に投げかけるだけだ。アイヌ語や地名に関心のない人間には「面白くない」展覧会だ。

 禁欲的な撮影態度、知識無くてはアプローチできない作品、作家の意図は何であろう?
 少なくとも作家の位置は想像できる。
 北海道の歴史や地名に関心を抱いた時に、切実な問題がある。生身のアイヌとの関わりだ。ある人は、その歴史の中での和人の行為を弾劾し、倫理的な真摯さでアイヌに関わろうとする。
 ある人は使われなくなったアイヌ語にロマンを感じ、日本語だけを考えていたら見えない「何か」を探ろうとする。

 露口啓二はアイヌ語への安易な美化を拒否する。風景としての被写体への感情移入を拒否する。その断絶と屈折は作品を「非人間的」にする。写真の「面白さとは何なのか」と自分自身に問うているようだ。今の彼は写真以前に、書物の中のアイヌ語という言葉と、その確認の為の現地踏査という旅の往復に意味があるような気がする。


 4枚の露口・作品を印刷した大きな通信誌が売っていた。600円である。とても安い。その裏に4人の男性による骨太な「露口・写真論」の記事がある。どれも素晴らしい論述ではあるが、結果的に4人全員が彼を言祝(ことほ)いでいる。結果的には4人が全て露口作品を同じ目で見ている。
 僕は彼の作品、彼の行為をただ褒めていたのではダメだと思う。おびただしいエネルギーでアイヌ語を調べて現地踏査を繰り返す。出された作品は、何かを否定したようで冷たい。露口啓二の意味を超えて断絶・屈折に迫らなければ、「アイヌ語地名考」以上のものは生まれないのでは?
 いまでも日本人には避けてしまいがちな「和人とアイヌ」の関係。そのいろいろな言葉を彼らから聞きたかった。
 

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 ↑:左から、「ヲコタノサル」、「エソロカン」。

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 ↑左から、「イラニツカ」、資料集よりのアイヌ語地名の羅列
 上掲は①の「On-沙流川」シリーズ。
 幕末の探検家(幕府のスパイ)・松浦武四郎の「東西蝦夷山川地理取調圖」より、沙流川流域のタイトル地名の由来と思われる場所を狭いアングルで撮影。最新作。
 

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 ↑:「俣落」 マタオチ 冬・群生するところ。

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 ↑:「祝津」・sikutut えぞねぎ。
 上掲は②の「地名」シリーズ。
 漢字として使われているアイヌ語地名、その言葉の由来と思われる場所を撮影。更に時期をずらして、そのスナップ写真につながるように隣接地域を撮影。それらの2枚一組で提示。メインは始めに撮った写真と思われる。非常に複雑な作業工程。5年前の「札幌美術展」に出品。

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 ↑:③では、いまは無きコトニ水系の跡地を撮影。北大構内を沢山撮っている。今週の「札幌美術展」に出品した作品群。

by sakaidoori | 2008-08-17 19:14 | ★その他 | Trackback | Comments(0)
2008年 07月 20日

694) 門馬 「クリストフ・パゴノ写真展 『最後の暗闇』」  7月11日(金)~7月21日(月)

○ クリストフ・パゴノ写真展 『最後の暗闇』
     <AF2008:キャビネ・ド・キュリオジテ(珍奇陳列室―06>

 会場:ギャラリー・門馬 ANNEX
     中央区旭ヶ丘2丁目3-38・(バス停旭ヶ丘高校前近く) 
     電話(011)562ー1055
 日程:2008年7月11日(金)~7月21日(月)・会期中無休
 時間:11:00~19:00
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(7・20)

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 DM作品を見た人には歌舞伎俳優の一瞬の美、静けさの中での張り詰めた緊張感のようなものを感じた人は多いのではなかろうか。確かに、日本の伝統芸能の中の静寂美や、俳優達の一瞬の動作に凝縮された緊張美や思想というものの影響は認められるだろう。だが、それらとは一線を画した明快な思想あるいは哲学が、作品全体を覆っている。

 日本人にはプロ・アマを問わず、写真だけに止まらず、思想性(哲学)に欠けた表現の弱さがあると思う。展覧会ごとのコンセプト(目的・観点)は持ちえても、バック・ボーンとしての思想(哲学)を我々はなかなか持ち得ない。心象的な作品、あるいは自然との関係でなりたつ作品を見る機会が多い。決してそれらを否定しないが、やはり多すぎると言わざるを得ないだろう。
 哲学少なき我々の精神が芸術的質の向上のネックになっていると思う。が、「よりよき生」が思想を常に必要とはしない。逆に不必要な場合もあるだろう。徹底的に個人主義でなければ生きられない欧米人の生き様が芸術を支えているのだ。
 個人主義に徹する必要のない日本人、一方で個人主義という腫瘍が我々を明治以来侵食しつつある。その最前線にいるのが表現者だと思う。「生きる」ことと、「思想を抱く」ことの乖離を我々の廻りの表現者は体現しているだろう。

 宗教(キリスト教)が細胞の一つ一つに組み込まれ、そこから哲学を持ち、詩を発するのがヨーロッパ人だ。フランス人写真家の作品を見て、哲学を持つ人間の作品のゆるぎなさに圧倒された。しかも、作品はフランス人特有の詩的ムードに覆われているのだ。


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 テーマは「死」だ。
 幾つもの死者のパターンがある。
 死んでしまって、肉体という物質性だけを残し風化しかかった顔。あたかも演技のように死に装束に顔を包み、人としての精神性を剥ぎとられつつある顔。最後の審判を前にして、何かに挑みかかるような鋭い目。諦めた顔。逆に断末魔の叫び顔。死を前にした顔の想像力が写真家の心を満たしている。僕は作品を見ることは出来るが、自分自身の「死の観念・死に顔の想像力」の乏しさを思い知らされる。

 写真家は「死」を前提に顔を撮る。「より良き生の確認」などという、ヒューマニティーを無視するかのようだ。日本的美の表現を利用しながら、「死」を見詰めている。それは写真家の恐れの反映なのか?事実として認めた諦念(ていねん)なのか?日本人にはわからない最後の審判の為の心の準備なのか?
 問うこと、それは哲学することであろう。「死」を哲学すること、何と厳しい作業なのだろう。

 それにしても美しく不気味に顔が死が僕に迫ってくる。

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 (↑:切られた顔。)

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 (↑:堕ちる顔。)

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 (↑:哀しき叫び顔。)

by sakaidoori | 2008-07-20 22:46 | 門馬・ANNEX | Trackback | Comments(0)
2008年 06月 19日

667) さいとう 「大坂寛・写真展」  終了・6月10日(火)~6月15日(日)

○ 大坂寛・写真展

 会場:さいとうギャラリー
     中央区南1西3 ラ・ガレリア5階
     電話(011)222-3698
 会期:2008年6月10日(火)~6月15日(日)
 時間:10:30~18:30(最終日は17:00迄)

 企画・構成:吉岡達夫(フォト・ディレクター)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(6・15)

 文学館での「加藤多一・展」を見た。近代美術館に行くには時間があったので、ユリイカの北海学園写真部の写真展と、たまたまさいとうギャラリーに立ち寄った。

 大坂寛氏の写真展を見ることが出来た。僕は画家もそうだが、表現者の中央での知名度や評価の程は全然知らないと言ってもいいだろう。おそらく、大坂氏は著名人の一人かもしれない。風景写真以外で、力のある写真を見れた良い機会であった。
 幸い、企画担当の吉岡達夫氏がおられた。簡単な会場風景しか載せれませんが、掲載の快諾に感謝。



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 ↑:入り口の第一室。

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 ↑:第二室。

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 ↑:第三室。


 会場は2室ある5階の会場全部を使ってのもの。エレベータの近くの入り口を締め切って、遠くの入り口からの訪問である。展示会場まで少しばかり歩むことになる。静かな時間作りと、作品を左周りに見せようという工夫だ。吉岡氏の演出である。(展示は左回りの方が良しと一般的にはされている。行動心理学の知恵。そういう意味で近美と芸森は正反対の設計思想で、おそらく芸森の方に軍配が上がることになるのだろう。)


 会場は三室に区切られている。

 第一室は「巨樹と裸婦」で、大坂氏の現在の取り組みである。インクジェットの大判の樹木が真っ先に目に飛び込んでくる。大樹に小さく恥毛も赤裸々にあっけらかんとした裸婦が立っている。女性の官能美を、あえて無視するかのような演出だ。それは写真家が大樹そのものに取り組んでいる姿勢を際立たせる。樹の持つ生命力、樹形や樹皮の力や象徴性を表現している。体内回帰や女性器そのものを連想させる構図もあるが、どうしても「あっけらかんとした裸婦」を画面に入れたいという撮影者の強い意志がある。何かを表現したいというよりも、裸婦を挿入することによって、何かを確認しているようだ。

 第二室はシモン風を表現した初期の作品、エロス、風景写真と多彩な紹介になっている。官能的な女性美が圧巻だ。エロス表現は次室へのプロローグにもなっている。ポラロイドもあり、写真技法としていろいろと取り組んでいるのが分かる。テクニックの見せ所だ。全て小品。

 第三室。
 再び大樹の大きな作品があるが、第一室とはうって変わって、樹にたむろする官能美・エロスの世界だ。いやらしくもゾクゾクする世界だ。第一室の裸婦による官能の世界とは全然違う。箱の中にエロスを閉じ込める男の美学が充満している。黒の下着を身に着けた外人風の女の表情、目そのものがエロスとなって挑発している。彼の作品はどこか見る人を挑発する。
 「いやらしい」、僕はこの言葉を愛する。もし、性行為だけを目的にした表現を「いやらしい」と言うならば、僕はこの言葉に多くの弁護をしたい。「いやらしい」、この言葉の無い官能の世界などあるはずはない。その言葉だけでは言い尽くせない、男の美学・エロスがあるだけだ。
 作品に赤印が付いている。写真だから、赤印は売約作品と思った。赤印の作品だけを見ていった。というのは、質の高い似た傾向の作品ばかりで、てっきり買い手は、ある種のエロス作品をまとまって買ったのかと思ったからだ。その買い手に感情移入したのだ。ところが、それらの赤印は非売品だった。撮影者の好みだったのだ。写真作品にはいろいろと加工がされていて、モノタイプ(一点物)なのだろう。

 再び鑑賞者は、第一室から第三室へと繰り返しいていくことになる。
 大樹はもしかしたら、写真作家になる前からの、彼の「何か」の反映かもしれない。自分自身の原点とエロスを重ねての模索かもしれない。大坂作品は技術もあり、表現力もあり、評価も高いから、彼の秘部を見逃しがちだ。「大樹と裸婦」で、新境地と言われているのかもしれない。僕はそこに、「巧みな技」に隠された、大坂氏の裏と表のせめぎ合いを感じた。


f0126829_23492473.jpg ディレクター・吉岡達夫氏には見応えのある紹介をして頂いた。来年も何かを企画されるそうだ。見逃したくない企画になるであろう。
 (文字写真はクリックすれば大きくなります。)











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by sakaidoori | 2008-06-19 23:53 | さいとう | Trackback | Comments(0)
2008年 06月 01日

637) 写真ライブラリー 「はたち展」  終了・5月14日(水)~5月18日(日)

○ はたち展

 会場:札幌市写真ライブラリー
   北2東4 サッポロファクトリー・レンガ館3階
    電話(011)207-4445  
 会期:2008年5月14日(水)~5月18日(日)
 時間:10:00~19:00 (最終日は~17:00迄)

 【出品者】
 江波戸剛 三橋夏希 田村佳奈 櫻井智和
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(5・18)

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 今年、成人式を迎えた学生4人による写真展。

 以前、少しだが三橋さんと学生写真展で会話したことがある。彼女の作品数が少なかったので、「次はしっかり発表しないと!」と激励した。年も若いし、少し心配気味で見に行った。

 一応、三橋さんを中心に見に行ったのだが、それぞれのテーマはチャンと伝わるし、しっかりした写真展だった。まずは、その広い会場をたったの4人でそれなりに纏め上げたことを祝したい。
 そうは言っても、意外性の薄さや表現の深みの物足りなさ、構成の細さなども感じる。更に更に自分を見詰めて、世界を見詰めて、カメラを常に携えて、もっと良い写真展を期待したい。

三橋夏希の場合
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 淡いモノトーンによる心象の世界。光と闇の狭間でフワフワっと泳いでいる感じ。線の細さと表現のオーソドックスさは感じるのだが、静かな中での一途さが好ましい。
 擬人化された影や自分の影を使って心象を投影する姿には「甘さ」があると思う。安易な擬人化は表現の幅を狭めると思う。もっと普通に世界を撮った方が、三橋さんの個性が出ると思う。実際、僕は板塀の写真は好きだ。面による光と影の構成的世界も良い。
 急激に力量の高まる人では無いと思う。撮り続けて、発表し続けていて、ある時、「三橋さん、こんな表現力、あったの」と言いたくなるタイプでは。(グループ展でも、発表する時は連絡下さい。)


田村佳奈の場合

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 とても芯の強い写真です。それは、白の表面にたいする感度と表現の強さに端的に現れている。
 上の波を撮った写真はあまりに普通で、撮影者の導入の役割をしている。展示は入り口付近で、最初に見られる展示になっている。いろいろとモノトーンの作品があって、雪を撮った4枚連写の写真と続く。全体の構成はの不安定感はあるのだが、最後に持ってきた雪の写真は素晴らしい。表面を見る感性が良い。美と肉感性が程よくマッチして、しかも撮影者の強さが伝わる。とても良い写真だと思う。

江波戸剛の場合

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 江波戸剛君は素直な写真家だ。おそらく一生に一度の展示だろう。というのは、会場中央に小部屋を作って、「江波戸君の部屋」にしたのだ。その部屋の中にカラーのスナップ写真を丁寧に綺麗に一列に並べている。故郷か、よく遊びに行ったおじいちゃん、おばあちゃんの田舎のスナップ写真だろう。一コマ一コマ・・・それらは「今」の写真だろうが、思い出が一杯詰まっていて、本人が語れば嬉しくなって涙が出てきそうな風景だろう。見る僕らはその写真を見ても涙はでないが、撮影者が涙しているだろうな、と想像すると、もらい泣きしそうだ。

 二十歳を飾る「江波戸君の部屋」の外壁にはちゃんとした写真がある。下の写真がそうだが、目の写真を特に紹介しておこう。過去を見る目とは一線を画した「目」だ。

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櫻井智和の場合

 櫻井君は好青年だ。
 入り口に力強く展示している。メインの展示は、強いコントラストのモノトーンで「過去の僕の写真」と「今の僕の写真」の比較構成だ。それは現在の表現力の誇示であり、自信表明でもある。当然、演出された過去の写真よりも、今の写真の方が良いのに決まっている。その天真爛漫さが微笑ましい。
 櫻井君は人間が好きだ。
 だから、何を撮っても擬人化や象徴として被写体を収めがちになる。そのことは悪いことではない。問題は安易に擬人化しがちな自分自身の目に対する批判精神が薄いことだ。「今の僕の写真」を並べた時に、どれだけ自問自答したであろう?擬人化に徹し切れなくて人間の後姿を挿入してしまった。人を撮る自分に酔っているのだ。
 だが、櫻井君の良さは、臭いとも思える「人間」へのアプローチが素直なことだ。被写体を大きくスッキリ撮る眼差しには好感が持たれる。これほど大きく迫るのならば、素直に「人間」を撮って、「顔」を撮って、「動き」を撮って発表したら良いと思う。自分自身の素直な精神に気付いて、正面きって勝負した方が櫻井的なのではなかろうか。

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 ↑:「過去の写真」
 ↓:「今の写真」
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by sakaidoori | 2008-06-01 22:36 |    (写真ライブラリー) | Trackback | Comments(0)
2008年 05月 31日

636) プラハ2+d 「ウリュウ ユウキ[南11条西13丁目停留所]」  5月23日(金)~5月25日(日)

○ ウリュウ ユウキ(写真展)
    [南11条西13丁目停留所]

 会場:プラハ2+ディープサッポロ 9J(建物1F)
     中央区南11西13・東南角地の2階建て民家
 製作期間:2008年4月23日~5月22日
 会期:2008年5月23日(金)~5月25日(日)
 時間:11:00~19:00
 レセプション:5月24日(土)、19:00~
ーーーーーーーーーーーーーーーー(5・25)

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 札幌の電車路面図を床に手描きして、その上に写真をぶら下げて、電車関係ののストップ映像エンドレスで流して、電車音がまるで外の騒音のように聞こえてくる。上の写真を参考にすれば、おおよそ想像がつくと思う。

 今展の最大の収穫は写真家ウリュウ・ユウキがフリーハンドの世界を展示構成に取り入れて、写真表現の幅を拡げたたとだ。だから、今展の魅力は彼の手描きの線や文字を、写真とは独立して楽しむことだ。写真が付け足しというわけではないが、これだけの大作?の「絵画」を写真展の補助手段として捉えるのは、今展の意義を失う。絵を描く姿から、写真と写真以上のことをウリュウ・ユウキに見るべきだ。
 ぶら下げられた写真は、想定範囲の感じはするが、足元の絵を踏むのを避けようとして見る角度に制限を与え、心地良い緊張感を生んでいる。うるさく思われがちな電車の音響が、足元の線路と、なぜかしら不思議な一体感をなしている。

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 部分図を掲載しました。楽しんでいただいただろうか?つまらなく見えたら、僕の写真紹介の下手さです。
 次に、メインの写真紹介をします。

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 ↑:DMにも使われている出発地点の写真。ここから始まる。いつになく力強い作品。

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 ↑:ウリュウ・ユウキのセルフ・ポートレイト的作品。曇天気味の空を背景にして、電線が画面を走る、直線が空間を切り裂くように。

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↑:栄通推奨の作品。
 左側のボケた黒い世界、しかもかなり広い。なかなかこういう写真を撮るのは勇気がいる。無意味と思える部分をどれだけ取り込んで、全体の距離感空気感を「写真の世界」にするか。写真が真実を撮らない姿だ。当然、心象とは無縁だ。
 写真というのは真似の出来る世界だから、自分でもこういう写真をチャレンジしてみよう。

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 途中から展示風景をモノトーンで撮った。上の写真の大半がそれである。写真作品はモノトーンだから良いのだが、ウリュウ君の入った会場風景が不思議なムードで撮れた。



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by sakaidoori | 2008-05-31 18:54 |   (プラハ2+ディープ) | Trackback | Comments(0)
2008年 05月 24日

627) 創 「ARTISTS WEEK Vol.1 “air”」・写真展  ~6月28日(土)

○ ARTISTS WEEK Vol.1(第1回 アーティスト・ウイーク)
   “air”(空気)  
    
 会場:ギャラリー創(ソウ)
    中央区南9条西6丁目1-36 U-STAGE1F(地下鉄中島公園駅から徒歩5分。南9条通り沿いの南側、北向き入り口。)
    電話(011)562ー7762
 会期:2008年?月?日~6月28日(土)
 休み:火曜日
 時間:10:00~18:00
 ※駐車場は2台分完備

 【出品作家】
 山岸誠二 廣島経明 置田貴代美 高井稜 中橋修 (会期中、メンバーの変更あり)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(5・24)
 企画展覧会です。

 3月末の教育大学岩見沢校・学生展(2年生展)以来の訪問。時々ギャラリー前の道路を通るのだが、いつもいつもここでは展示会を催してはいない。おそらく、それではイカンと関係者は思ったのです。来月末までの変化球を含めた連続展示会の興行だ。変化球というのは、メンバーの変更等、勝手気ままに行うのだ。いつまで現在の作品が並んでいるかは分からない。

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 ↑:中橋修

 今展は写真展と言ってもいいと思う。一人インスタレーションで気を吐いている中橋さんだ。三角形作品でも分かるように、シンプルで都会的な幾何学美、空気感を特徴としている。そして、下に転がった円球は、それを置くことによって場の風なり、空気の流れを微妙に変える変化球だ。グループ展だから、他の方の領域を侵さないようにおとなしく置かれている。室外の入り口付近にもそれとなく置かれている。
 久しぶりに氏の作品を見れてスッキリした。ギャラリー廻りを始めた頃に知った作家で、一所懸命に個展を見に行った。新鮮に思い出された。7月には個展の予定。


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 ↑:山岸誠二、「continue」。
 以下の写真家はこの2月にたぴおで開かれた「MOVE展」にも参加していた方達ばかりだ。そういう意味で、今展覧会の作家のまとめ役は山岸さんかもしれない。違った場所での表情を楽しもう。

 横一列の写真にスーッと光が走っている。光は白だが、七色の世界を飛び跳ねるようにして、白が走っている。

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 ↑:廣島経明
 御馴染みの宇宙創成の色の語り部が、ブロックに囲まれての展示。


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 ↑:置田貴代美
 他の方を含めて、今回はピンポイントの作品紹介はしません。独特の空気感によるイメージ、あるいは心象の世界です。一人白黒です。

 
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 ↑:山岸せいじ、「air」。
 壁作品は入り口から左回りに紹介しています。摺りガラスの壁の横に並べられています。光、光にあてられたこちら側と向こう側、どこまでも明るく明滅し、光の女神の力を借りて「何か」を捉えようとしている・・・これが僕の山岸ワールドです。僕の目は曇っているから、彼の見たものがなかなか見えない。

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↑:高井稜
 女性写真家です。たぴおで見つけた僕のお気に入りの一人です。風景ですがあえてダブらせて、力強い作品です。ダブっていて、くっきりしているーこれが高井さんの魅力です。対象を見る画家の一本気な力を想像しています。


 適時、作品は入れ替わるとのこと。また行って写真を撮ってきます。

 今回は担当者・本庄女史と雑談をしてきた。内容はここの認知度を高めること。その為にも、できるだけ展示会を埋めていくこと。ここは貸しギャラリーだけを目的にしていないとのことだ。ならば、しっかりした企画を考えねばなりません。「ギャラリー創」ならぬ、「本庄美術館」と云われても良いではないですか。意気込みと意欲に期待したい。そして、良い展示会の時には褒めよう、当然問題があれば叱咤激励しよう。

by sakaidoori | 2008-05-24 23:13 | 創(そう) | Trackback(1) | Comments(0)
2008年 05月 20日

625) たぴお 「写羅」・写真 終了・5月12日(月)~5月17日(土)

○ 写羅
    SHARA Vol.1(写真展)

 会場:ギャラリーたぴお
    中央区北2西2・道特会館1F (中通り・東向き)
    電話(011)251-6584
 会期:2008年5月12日(月)~5月17日(土)
 時間:11:00~18:00

 【参加作家】
 EISHIRO.W  KOHK.F  SUSUMU.T  YOHKO.O  YUKI KYHJI.H
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 6名による写真展。「写羅」・・・「栄通記の案内板」に「羅」に拘って漢字の字義を考えたが、「シャラ」はシャラクやシャレにも通じて、言葉遊びの意味もあるのだろう。今度、オーナー・林教司さんにお会いした時でも、話しの種に伺ってみよう。

 6人の異なるアプローチで色のある展覧会だった。展示方法、白黒とカラー、被写体の違い、被写体との距離感、今風・心象模様・エロス・海外の風景・風景一般・・・たぴお的表現を借りれば、「非連続的連続空間」ということになろう。

○ YOHKO.O
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 おそらくパソコンに明るくにぎにぎしく沢山集合させたのだろう。なんといっても色の華やかさが良い。この技法は写真の一枚一枚にこだわることなく、個々の色とイメージが全体を作り、全体のイメージが個々を制約するということだろう。
 とりあえず全体のムードから入っていく。この場合は色爛漫の南国調で、その楽しい気分で個々の作品を、宝箱の中身をひっくり返すようにして楽しむのだ。個と全体のイメージと具体性。全体のムードに反した作品もさらりと取り入れられたりして、ギャップ効果も作家の意思の反映であろう。


○ YUKI、「hole」。
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 見て分かるように、セクシャルな画題とタイトルだ。綺麗な撮り方だ。どんな被写体であれ、この撮影者にとってはこのテーマは可能だろう。穴、セクシャルではあるが何かしら深淵を見る目を感じる。物自体にひそむ、秘部の闇、深さ。それを成り立たせる男と女の接点の危うさ、つまずきの入り口でもある。


○ KOHK.F
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 インスタレーション風展示。会場に変化をつけている。デザイン的感覚で、「この作品を見よ」というよりも、全体の調和の中でたたずんでいる。


○ KYOUJI.(林教司)。
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 林さんがインド?旅行に行った時の写真でしょう。セピア色が古拙な感じです。
 彼は仏教関係者でもあるから、修行の一環かもしれない。右の写真、クリックすれば大きくなるのですが、中央の男性は若かりし頃の林さんでしょうか?背景は土饅頭です。お墓です。樹木は菩提樹で、立っている女性がスジャータだとしたら、合唱している林さんは悟りを得た釈尊になります。鹿野苑(ろうやおん)で初転法輪(しょてんほうりん・釈尊が初めて四諦八正道を説いた行跡)をしているところか、子供達は純真な気持ちで教えを請う人達の象徴かもしれない。


○ EISHIRO.W(渡辺英四郎)。
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 渡辺さんらしいシンプルな色合いと構成美と、異国情緒のある写真です。春らしく花が画面にしっかりと配されています。中年男性のカメラの目と、写真の中の二十歳前後の若い女性のいる空気感、そんな調和を感じます。


○ SUSUMU.T(為岡進)。
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 ↑:左側、「朝日に輝く打瀬船(尾岱沼)」、「朝日に輝く水面(然別湖)」

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 ↑:「夕日と船(茂津田海岸)」

 オーソドックスですがしっかりした自然美。

 海、船、朝日と夕日、どれをとっても気になることばかり。
 「人は何処から来て、何処に行くのか?」そこにロマンティシズムを見る人がいるかもしれない。ドラマを見る人がいるかもしれない。哲理の始まりを見て取る人もいるだろう。
 「私という存在」は、人という「種」にとっては生まれるべくして生まれたのかもしれない。だが、「種」にとっては個々の生命は省みない時がある。
 「個」としては「生まれる理由」は生前には与えられていない。若い時には「何故」と問いて悩みもした。歳とともに考える力は衰え、時間だけが過ぎていく。
 「生きることの意味」の前に、自然はいつもそこにある。

by sakaidoori | 2008-05-20 12:17 |    (たぴお) | Trackback | Comments(0)
2008年 05月 20日

624)時計台 「徳丸晋・写真展 -minamo-」 終了・5月12日(月)~5月17日(土)

○ 徳丸晋・写真展
      -minamo-

 会場:時計台ギャラリー 
    中央区北1西3 札幌時計台文化会館・(中通り南向き)
    電話(011)241-1831
 会期:2008年5月12日(月)~5月17日(土)
 時間:10:00~18:00 (最終日17:00迄)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(5・13・火)

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 昨年に引き続いての2回目の個展。テーマは同じく「水面(minamo)」。

 倶知安・羊蹄山麓の三ヶ月湖の水面を望遠デジタルで撮ったもの。昨年初めて見た。湖面の揺らぎに写る湖岸や空の様子が、色となって美しくも不思議に魅入らせていた。湖面、それは自然としての有り様を、鏡として間接的に我々に開示させる扉であった。徳丸晋はそれを切り取ることによって、自然美、自然の様態をあまりにストレートに目の当たりにさせる。昨年は初めてということで、新奇な新鮮さもあった。今展は2度目だから、もっと落ち着いて見れるだろう。同じ物でも良いのだが、また違った迫り方を期待した。

 基本的には同じなのだが、大きく見せるということ、小室だが作品群の全容を見渡せるというものだ。そして、一枚一枚の写真の表情に、あれやこれやと想像させながら見ていくのである。
 「想像しながら見る」、これが氏の作品のエッセンスかもしれない。「これは一日の何時ごろ撮ったのだろう?紅葉がメインとは思うが四季のいつ頃かしら?その日の風はどんな感じなのかしら?どんな速さなのかな?暖かい天気かな?日の当たり具合はどんなのかな?・・・撮影者がどんなポーズで取っているのかな?どんな眼で、口元で、手つきでシャッターを押すのかな?・・・」そこには間違いなく自然にすっぽり吸い込まれた撮影者・徳丸晋がいる。彼を想像することによって、僕は羊蹄の麓に運ばれる。僕自身の自然の見る眼を反芻する。徳丸晋に負けないだけの強い気持ちで見なければいけない。

 作品は絵画性を強めた感じがした。明るく強く健康的な印象画風だ。不思議な模様もあって、水面の表情の可能性を楽しませてくれる。絵画性は色という狭い意味だけでなく、造形性といえばいいのだろう、水面の形の綾、ボリューム感が可能性を秘めていると思った。
 縦長の作品などは掛け軸的で、開放的な日本美の空間がイメージされた。
 だが、それらは全て徳丸晋の「自然の秘密、それに関わる喜び」に還元されるのだろう。(写真はクリックすれば大きくなります。)

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 ↑左側。全体の中では異質な作品です。これを分割した作品をDMに使っていました。あまりに茫洋として散漫な感じもして、何故DMに使ったのか疑問に思っていました。原作を見て納得。骨のような形にも見えるし、他の作品とは違った可能性があるのです。

 右側。何とも素晴らしいグラデーションです。とても深い作品です。展示作品はガラスが反射して、ムードが伝わりにくくて、この作品だけはファイルからの原作?を写真に撮りました。感謝。

by sakaidoori | 2008-05-20 10:18 |    (時計台) | Trackback | Comments(0)
2008年 05月 11日

620) af 「フランク・ゴルドブロン写真展『異なるもの奇異なる物』」 4月8日(火)~5月24日(土)

○ フランク・ゴルドブロン写真展
    『異なるもの奇異なる物』
   <AF2008:キャビネ・ド・キュリオジテ(珍奇陳列室―03>

 会場:札幌アリアンス・フランセーズ
    中央区南2西5 南2西5ビル2F・(入り口は西向き)
    電話(011)261-2771  
 会期:2008年4月8日(火)~5月24日(土)
 休み:4月29日(火)~5月6日(火)、日曜日
 時間:10:00~19:00 (土曜日は18:00迄)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(5・10)

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 、昨年のアリアンス・フランセーズ主催写真公募展で入賞したフランク・ゴルドブロンの写真展。その折に送られた10枚の作品で構成されている。

 作品は森の中を背景にして、岩や動物を合成している。気分は古代の恐竜時代だ。タイム・スリップして安全に古(いにしえ)を楽しもうというのだ。
 「キリンが恐竜時代にいるわけがないだろう!」って、そんな細かいことを言っていたら、フランス人の知的ユーモアについていけないよ。これ等は一種のオタク作品で、リアルさを売り物にしているだけなのだ。撮影者は読み手がどんな笑いをするかを楽しんでいるのだから、こちらも彼に負けないくらいにそれらしい物語を語ってやればいいのだ。現代版の外人・一休さんとのトンチ遊びなのだ。それにしても、さすがはフランス人だ。知的センス、洗練度は見習うものがある。

 撮影者のトリッキーに当館の主宰者は刺激を受けたのか、作品の間にいろんなコンパスのコレクションを並べている。そしてクイズを鑑賞者に出している。「帽子職人・馬具職人・時計職人・靴職人・看護師・地図学者・石工・鍛冶屋の道具はどれだ?」と質問用紙を用意している。正解者にはプレゼントがあるそうだ。しかし、全然分かりません。物理系・建築系で興味のある方は見学に行ってはどうですか。

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by sakaidoori | 2008-05-11 23:03 | af | Trackback | Comments(0)
2008年 04月 20日

610)モエレ沼公園 「ウリュウ ユウキ写真展  chapter2ーそして春は」  終了・4月20日(日)

○ ウリュウ ユウキ写真展・「春を迎えに行く」
     chapter2ーそして春は  

 会場:モエレ沼公園・ガラスのピラミッド内2階・アトリウム2
   東区モエレ沼公園1-1
   電話(011)790-1231
 会期:2008年4月20日(日)
 時間:13:00~17:00
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(4・20)

 半日限りの写真展。
 その中に公開展示風景と、公開撤去風景も入っている。階段状ではあるが単に写真を並べた風変わりの写真展ともいえるし、展示過程を公開するという意味ではパフォーマンス展ともいえるし、この日この時間の一回限りという意味ではインスタレーションともいえる。
 定義は定義として、好天に恵まれ初夏のような雰囲気、多くのお客さんに恵まれ、充実した展示会だったと思う。
 開始から1時間程いたので、紹介と雑感です。

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 先日まで琴似のカヘェバー「ラジオ&レコード」の展示会作品と、未発表を合わせた30点ほどの展示会。あらかじめシュミレーションしているはずだから、展示は順調にすすみ30分ほどで終わった。準備していたとはいっても、ウリュウ君は汗をかきかき、相当緊張していた。

 被写体はモノクロで雪と雪景色がほとんどだ。
 会場には撮影者の言葉があった。それには信州生まれということ、新潟育ちということ、東京に少し住んだが雪がなくて寂しかったこと、札幌に住んで北国の雪に会えたこと、その白い景色は春を迎える雪(冬)だと謳っていた。
 今日の天気は春真っ盛りで、光が燦々と作品に当たっていた。冬を懐かしむ感じの作品展にもなっていた。その分、普段の展示会とは違った、雪への撮影者の暖かい声が聞こえてきそうだった。

 階段状に作品が置かれているから、なんとも手にとって作品に接する感じで見ることになる。
 雪のある風景の空気感、それが表現の大きな柱だと思う。雪と背景、雪と物との関係で表現されたり、直線に区切られた窓からの覗きとして表現されたりする。雪景色全体のボリューム感や、表面の雪質感にどことなく人間臭い暖かさを保っている。
 雪の表面だけを撮った作品が多数あった。空気感や質感を超えて、雪(対象)そのものに迫ろうとしている。線の構成美やロマンとは一線を画した、強い撮影者の「目」を感じた。撮影者自身のストレートな主張ともとれる。今までとは違った新鮮な驚きだった。


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 ↑:単作としては最も愛情溢れる作品だと思う。人間を撮っているからだろうが、寒い冬なのに雪質感と人の歩みが辺りの風景の密度に変化を与えている。

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 ↑:僕はウリュウ作品の直線的構図に惹かれる。右の電信柱、左の作品と一緒になって見るのが良い。どこが良いかというと・・・。

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 鑑賞の後にモエレ山に登った。沢山の人がいた。ウリュウ君の展示会場のピラミッドの館を眺めた。不思議なものだ。たかだかそこには30枚ほどの写真が並べているだけなのだ。なのに、作品達の真ん中にウリュウ君が真っ直ぐに立っていて、その彼が作品を睨み返している様子が想像される。
 藤谷康晴ドローイングに、ウリュウ ユウキは触発されての展示会だ。藤谷君はエネルギーを会場の窪んだところに充満させて、爆発点を見つけるようにもがいていた。ウリュウ君はその目が作品に注ぎ、館のガラスを真っ直ぐに突き抜けてモエレ山の僕をも睨みながら微笑んでいるようだった。
 それは春の陽気の妄想のような一時だった。

by sakaidoori | 2008-04-20 22:34 | ☆モエレ沼公園 | Trackback | Comments(8)