栄通記

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2008年 02月 04日

515) アバウトの写真 9回目  川田竜輔・版画

515) アバウトの写真 9回目  川田竜輔・版画_f0126829_16382926.jpg


○ 2008 多摩美術大学版画OB展(第11回)

 会場:さいとうギャラリー
     南1西3 ラ・ガレリア5階
     電話(011)222-3698
 会期:2008年1月29日(火)~2月3日(日)
 時間:10:30~18:30(最終日は16:30迄)

 ※開催パーティ:2月2日(土)16:30~18:30
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 川田竜輔(多磨美大版画科5期生・1976生)、「凹凹(ぼこぼこ)」・2007年・木によるリトグラフ・51.5×36.5cm。

 このコーナーは既に写真紹介をした作品を載せることがほとんどです。それに、上記の展覧会の感想記はまだ済んでいません。順番は逆になりますが、なるべく月初めに写真の入れ替えをしたいので、一足早い、川田君の紹介です。

 川田君はいつから札幌に来ているのか、聞くのを忘れましたが、この展覧会に参加する機会があれば、わざわざ本州から出向いているようです。この4,5年の間に3度ほど彼に会っています。体も大きくとても2枚目とは言えませんが、気さくな性分で、合えば肝心の版画のことはそっちのけで馬鹿話に花が咲きます。

 川田君はコタツを必ずといっていいほど画題に使います。北海道の人にはなじみの薄い暖房機ですが、内地の人にとっては冬の必需品です。旧家か農家では堀コタツを使っているところもあるかもしれませんが、たいていは電気コタツです。コタツの人間臭い、アット・ホーム性が好きなのでしょう。もしかしたら、人に言えない個人的体験があるかも知れません。例えば、小さい時にお隣の可愛い女の子が遊びに来て、コタツの中で素足が触れ合った甘酸っぱい記憶が忘れられないとか。

 川田君はユーモラスだ。人間同様に、作品もだ。コタツは情緒的なものだが、コタツ布団の広がった形を版画の白と黒の世界に置き換えることによって、コタツを生き物のようにさせて遊んでいる。
 今回のアバウトの写真はストレートな表現だ。殴られた顔を遊び、殴られて膨らんでいくコブの形・動きをを楽しんでいるようだ。おそらく自画像だろう。「俺を殴れ。俺は抵抗しない。痛くなんか無い」川田君が殴られる理由を知らない。己の画業の拙さを嘆いて、己自身を鼓舞しているのだろう。殴る手は他人かも知れないが、ドサクサにまぎれて自分自身でも殴っているのだろう。だって、殴らないことにはコブは大きくならないし、絵が描けないではないか。
 ボコボコと殴られ、ボコボコとつぶやいている。「おっかさん。これが俺なんだよ」

 人間臭くて、ユーモラスで、白黒のメリハリが利いて、形の動きをどのように発展させようかと思案している川田君。又来年会おう。(2・3)

515) アバウトの写真 9回目  川田竜輔・版画_f0126829_23404967.jpg

 ↑:「同調ー2」・2005?・木版リトグラフ。

by sakaidoori | 2008-02-04 17:03 | ★アバウトの写真について
2008年 01月 14日

472)④ポルト 「絵画の場合・小林麻美の場合」・油彩  終了・10月20日(土)~11月11日(日)

○「絵画の場合」展  

 会場:ポルトギャラリー
      中央区南1西22
      電話(011)618-7711
 会期:2007年10月20日(土)~11月11日(日)
 休み:月曜休館
 時間:12:00~19:00(最終日17:00まで)

★お問合せ:北翔大学美術プロジェクト 林亨 電話(011)387-3894

 出品作家:谷口明志、小林麻美、八子直子、久野志乃、大井敏恭、安藤文絵、田畑卓也、レスリー・タナヒル、渋谷俊彦、林亨・・・以上10名。

(小林さんも写真だけを先に紹介します。)

472)④ポルト 「絵画の場合・小林麻美の場合」・油彩  終了・10月20日(土)~11月11日(日)  _f0126829_238088.jpg

472)④ポルト 「絵画の場合・小林麻美の場合」・油彩  終了・10月20日(土)~11月11日(日)  _f0126829_2394376.jpg
(部屋の角を利用した展示。立体的に見せたいということ、彼女にとっての立体絵画が見る者にどう伝わるかが問われるところだろう。タイトルの記録が悪いので、後日報告します。下の写真作品は支持体が画用紙風で小品です。)

472)④ポルト 「絵画の場合・小林麻美の場合」・油彩  終了・10月20日(土)~11月11日(日)  _f0126829_23165750.jpg

472)④ポルト 「絵画の場合・小林麻美の場合」・油彩  終了・10月20日(土)~11月11日(日)  _f0126829_2318992.jpg
472)④ポルト 「絵画の場合・小林麻美の場合」・油彩  終了・10月20日(土)~11月11日(日)  _f0126829_23185029.jpg

472)④ポルト 「絵画の場合・小林麻美の場合」・油彩  終了・10月20日(土)~11月11日(日)  _f0126829_23204043.jpg


 小林さんの作品は3階。

 茫洋としている。が、それ以上に力強い。緊張の中で描ききった強い意志が伝わる。一見すれば、網目模様に囲まれた青春の閉塞状況ともとれる。
 仮にそうだとしても、俯いて出口無しの様子に絶望していない。網の向こうからこちらを見返している「小林麻美」がそこにいる。だが、こういう閉塞状況、見返し根性の絵は彼女の絵画には常につきものだ。あまりに絵が強く、表現力がついた。人によっては文学的解釈に陥りがちになる。彼女が意識的に絵画で追求している、向こう側の世界がどう表現されたかも問題だろう。「向こう側」と言っても「あの世」・「常世」の世界ではない。(以上、2007年10月28日記)

 比喩的に言えば、日常生活の三次元の時空の世界が身の回りにあって、その時空の場とほとんど重なっていて、別種の違う世界と言えばいいのだろうか。瞑想してその空間を体感するというよりも、空間そのものと全身が目になって対峙している時に、向こうのほうから攻撃的に迫ってくる塊のようなもの。逆に、気配の違いに感ずいて、こちらから力づくでこじ開けて侵入したい場。倫理的な、あるいは気持ちが良いとかいう情緒的な世界とは無縁だ。
 物理学は宇宙空間を重力を含めて、四つの力で成り立っているという。小林麻美は「第5の力」を見極めたいと欲しているみたいだ。

 西洋美術は己の美の追求、思想の追求の果てに「造形」という概念に至った。一つの真理の気づき、発見である。「造形」ということばで超歴史的にすべての視覚芸術を理解可能にした。縄文人は「造形」に関係なく「火焔土器」を創造した。我々はその土器に限らず、「造形」という美術的概念で古代文物を把握もし、十分に楽しむことができる。

 小林麻美は画家である。自分の中に嘔吐したい異次元感覚を溜め込んで溜め込んで我慢して、我慢しきれずに吐き出した固まりに別の何かを見ようとしている。小林の目はその嘔吐物に釘付けになるのだ。それを「造形」でくくろうとしている。それは画家の傲慢な幻想かも知れない。もっともっと傲慢に幻想を顕わにすればいいのだ。

 中・大作のタイトルは「網目(もうもく)の景色ー小屋・半月湖・広場」である。網目(あみめ)模様に覆われた風景、その網目を「もうもく」と呼べと作家は言っている。それは「網膜」や「盲目」を同時に意味しているのだろう。区切られた一齣一齣が映像のように網膜に写り、それらは一齣でも独立し、全体でも一つの世界を想定している。しかし、同時に盲目をも意味し、分別のつかないアナーキーな世界かもしれない。

 (直ぐに続きを書く予定だったのに、そのままになってしまいました。以上のような記を書く予定ではなかったのです、あらぬ方向に行ってしまいました。蛇足のような言葉をつづった感じがしますが、これはこれで良しとします。)

472)④ポルト 「絵画の場合・小林麻美の場合」・油彩  終了・10月20日(土)~11月11日(日)  _f0126829_22502546.jpg

 

by sakaidoori | 2008-01-14 23:09 | ポルト
2008年 01月 06日

461) アバウトの写真 8回目  森川昭夫・油絵

461) アバウトの写真 8回目  森川昭夫・油絵_f0126829_22335059.jpg


○ 第6回 森川昭夫・油絵個展

 会場:大丸藤井セントラル 7Fスカイホール
    電話(011)231-1131
 会期:2007年8月28日~9月2日(日)
 時間:10::00~19:00(最終日は17:00まで)

 上記の個展の時に撮影した作品。

 とても上手い作品か?と問われればけっしてそうではないと思う。
上手さをそぎ落とした素の表現か?と問われれば、やはりそうではないと思う。

 この絵の魅力は作家自身の「見る目」「感情」「郷土を思う愛情」を正直に表現しているところにあると思う。何でもない札幌の中核地域を愛情をもって楽しく表現しているではないですか。

 僕は「絵は思想」として見ている。非言語的思想、それは時に反言語的思想の場合もあるかもしれない。「絵に表現された思想」、それはまさしく作家自身の「思想」のように振舞っている。それを僕はあれこれ思い、僕なりに言語化するのを楽しんでいるわけです。その言葉が作家自身にかすれれば望外の喜びですが、作家という的はどうでもいい側面があるのです。作家を狙っているようにみえる「言語」という「弓」を、作家と一緒になって「弓」のことをあたかも他人のことを語っているかのごとく語り合えれれば、どんなに素晴らしいか。

by sakaidoori | 2008-01-06 22:56 | ★アバウトの写真について
2007年 10月 10日

344) ②タピオ 「Octob 1」 終了・10月1日(月)~10月6日(土)

(①の続き)

344) ②タピオ 「Octob 1」 終了・10月1日(月)~10月6日(土) _f0126829_0221817.jpg


 これからのギャラリー・タピオを語る場合、どうしてもある程度はきちんと書いておかねばならないことがあります。

 タピオは竹田さんがオーナーです。ご存知の方も多いことと思いますが、現在、竹田さんは病気治療の為に入院中です。病気の程度のことは僕自身あまり詳しくは存じませんが、肉体的にギャラリー運営は厳しい状態だと伺いました。
 上の写真は林教司さんです。今展の10年程前の自作が背景です。タピオのグループ展は有名ですが、皆勤とは言わないまでも、最も多く参加している作家です。竹田さんの治療中のタピオの運営は林さんが中心になります。将来の肩書きは分かりませんが、正式な竹田さんの代行です。代行とはー運営上の金銭的責任をも含むことだと思います。外目に見てもタピオが黒字で安泰運営をしているとは思いにくいです。決して商売という意識で代役をされるとは思いません。その辺の詳しい経緯は定かではありません。いづれ機会がありましたら、伺えることでしょう。恐らく、作家・林教司にとって竹田さんの今までの成果を終わらせたくない、と同時に、タピオが彼にとってかけがいの無い場であること、だと思います。直ぐにタピオ・カラーが変わるとは思いませんが、間違いなく変化するでしょう。これからの林・タピオを厳しく、暖かく見守って行きたいと思います。

 竹田さんには一日も早い健康回復をお祈りします。同時に、タピオ復帰をお待ちしています。

作品紹介を含めて③に続く。)

by sakaidoori | 2007-10-10 01:13 |    (たぴお)
2007年 10月 10日

343) ①タピオ 「Octob 1」 終了・10月1日(月)~10月6日(土)

○ Octob 1

 会場:タピオ
    北2西2・中通り東向き・道特会館1F
    電話(011)251-6584
 会期:2007年10月1日(月)~10月6日(土)
 時間:11:00~19:00
      オープニング・パーティー:10月1日 18:30~

 【出品作家】
 阿部有未(版画)、竹田博(油彩)、田村陽子(足型?)、名畑美由紀(油彩)、長谷川雅志(生地に模様等を描く人?)、林教司(油彩)・・以上6名。


 今展は6人のグループ展だが、長谷川さんの生地の作品の主張が強くて、「長谷川雅志と仲間達・展」という様相だった。以下、適時写真紹介するが、カメラのバッテリー切れの為に全員は紹介できない。申し訳ない。

343) ①タピオ 「Octob 1」 終了・10月1日(月)~10月6日(土)  _f0126829_23251760.jpg


 昼過ぎに立ち寄った。目だつ長谷川作品を囲むように、壁に他の作品が並んでいる。幸い長谷川氏が在廊、どうしても彼の作品が話題の中心になる。普段の長谷川作品は布の作品を下げることによって、部屋全体にフワフワした感じを立ち込めるといったものだ。数cmの楕円をくり抜いて、その円を中心にして墨で5、6層に円を描き増していくのだ。そういう水玉模様で布全体を覆って、カーテンのようにぶら下げて部屋全体の空気を長谷川模様にする。カーテンといったが、実際の目的は舞台装置だ。横綱・千代の富士で有名な福島町に古い神社がある。その神社で毎年音楽祭をしている。その舞台装置の為の作品なのだ。

 今展の作品もそうである。だが、いつもとは違う。普段は全体の空気感を大事にするのだが、この作品は、「俺の作った、カーテンを見れ」と主張している。模様は単なる水玉ではなく、海中で蠢く、空に舞い上がらんとする怪獣のようである。・・・氏との会話中、いきなり席を立ち、照明を切った。そして、これを見てくれといわんばかりにカーテンの裏に備え付けの電気を付けた。(それが上の写真)。当然、模様は下から当てられて浮かび上がってくる。妙に部分部分、否、穴の開けた部分だけが光を通して玉のように輝き、その効果で模様が立体的になり、怪獣の手足が動き出す錯覚の世界を現出す。氏は、ニンマリして、「これをお客さんに見せたかったのよ。他の作品が在るから、電気を切るわけにはいかないのよ。どうだい、いいだろう。これを舞台装置にして若い人に唄ってもらったよ。聞きたいかい?」と言って、CDを流す。「これを作るのに半年かかった。たったの2時間のライブの為だけだよ。右左、繋いであるだろう。一緒に描くと、どうしても左右対称に成っちゃうから、別々に描いた。良い動きしているだろう」

 動きがある。長谷川さんに何があったかは知らない。いつに無く高揚感を漂わせている。今の彼は非常にハイだ。長谷川雅志という男とは初対面だが、作品に感情をぶっつけようとしている。その作品を使って、歌い手や踊り手などとコラボレーション、精神の共有を計っている。

 その日の7時から舞踊があると誘われた。キタラに素人楽団を聴きに行こうと思ったが、こちらのほうを選んでしまった。 (②に続く)

by sakaidoori | 2007-10-10 00:11 |    (たぴお)
2007年 08月 28日

303) 佐々木徹さんからのバースデー・カード

303) 佐々木徹さんからのバースデー・カード_f0126829_15195811.jpg

 佐々木徹さんからバースデー・カードを頂いた。二通頂いた。


「お誕生日おめでとうございます。
FIXMIXMAX展のTAKEDA SYSTEM vol,007における「佐々木徹個展」、
ご高覧ありがとうございました。

この度、佐々木徹はかねてより闘病中でしたが、平成19年5月21日永眠致しました。
故人の意思を受け継ぎ、このBIRTHDAY CARDを遅らせて頂きます。

   家族一同」

 同様の内容で「水脈の肖像06ー日本・韓国・ドイツの今日」展の時のカードも届けられた。


 初めて佐々木さんの作品を見たのは「札幌の美術2004 20人の試み展」の時だった。キンキラキンの自転車の前にポップな写真?を沢山貼ってあった。他の作家とはちょっとずれた視点からの作品で、なんということもなく記憶にしまいこんだ。日めくりカレンダーが用意されていて、誕生日のところに連絡先を記載すれば、その日にお礼状を贈るというのである。これまた、なんという思いも無く記載した。

 2004年7月31日に送られてきた。実に何の興も湧かないで受け取った。「面白いことをされる人だ。何人送られたかは知らないが、ピンポイントでその日に着くようにするのって、結構大変だろうな」

 その後、間違いなくもう一度頂いた。何の発表時の礼状だかははっきりとは覚えていない。覚えているのは、最初の時とは違ってその日を期待して郵便物を調べ、カードを確認した時にニンヤリと笑ったことだ。こういう遣り方で「作家ー作品ー鑑賞家」を繋いでいることに「現代美術も悪くはないな」と一人満足したものだ。

 今年の5月に佐々木さんが亡くなられたのは知っていた。「FIXMIXMAX展のカードはどうなるのかな。もしかしたら家族の方が送ってくれるかもしれないな」と、軽い期待を持っていた。誕生日ではないが間違いなく贈られてきた。有難うございます。


 以下、三つの図録から写真紹介をします。

303) 佐々木徹さんからのバースデー・カード_f0126829_15215297.jpg
 ↑:①「札幌の美術2004 20人の試み」展の時の会場風景。

303) 佐々木徹さんからのバースデー・カード_f0126829_15242252.jpg
 ↑:②「水脈の肖像06ー日本・韓国・ドイツの今日」展の時の壁に貼られた365枚の部分図。

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 ↑:③FIXMIXMAX展の会場風景。家がタケダ・システムで、その中の犬を含めた作品群が佐々木さんの作品。

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303) 佐々木徹さんからのバースデー・カード_f0126829_1532157.jpg
↑:④⑤中の様子。


 近作は全て「対話する0と1」のシリーズである。試み展の図録によると1998年から始まったようだ。犬や自転車が佐々木さんの分身と理解している。目の前に意味もなく膨らんでいく陳腐な景色。繁華街の文化と言えばいいのか、性・商品・日常品・写真・記号・数字などなど。しかも成金趣味のような七色の世界。資本主義、消費社会の負の面ともいえるが、だからと言って我らを包んでいる風景を弾劾しようとか、乗り越えようなどという思想性は作品にはないと思う。映像のように留まることなく、垂れ流しの目の前の現象を、まるで自分とは関係なく、たまたまそこに居るかのごとく振舞っているように見える。「賑々しさ」と「傍観者」。この目くるめく世界にどっぷりつかって、体全体を汚濁にまみれようとはしない。徹底した傍観者にもなろうとはしていない。自転車は逃げる道具にもなれれる。なんと犬の表情の物憂いことか。体の人にも、目の人にもなりきれない。(続く

 佐々木さんの立脚点はどこなのだろう?
 最後の発表が象徴的である。若い武田浩志君とのコラボレーションである。武田君も隠微な裸婦の写真を多用し、エロスをもてあそぶように画題に取り入れている。しかし、「性の(男にとっての)消費」は佐々木さんと同様に重さよりも軽いウォーミング・アップのようにして視覚からすり抜けていく。佐々木さん、武田君は同じように他人との絡みでの自己表現を好んでいるようだ。佐々木さんは武田君に自分の若き影を見ていたのかもしれない。二人とももう一つ、装置を持っている。武田君は音楽を、佐々木さんは時をデジタル風に分節化し、無意味に繋ぎ合わせていく。万華鏡のような色と形の組み合わせ、一枚一枚の写真は日めくりのように時を告げ、最後に生身の人間にひょこりと挨拶に来るのだ。「お誕生日おめでとう」と。一期一絵の展覧会の出会いは、デジタル的時の経過の後、何かを鑑賞者に語らずにはいられないのだ。だが何を語ればいいのか。無縁なる他人に対して。間違いなく許される言葉がある。「お誕生日おめでとう」。

 美術表現は自己表現でもあるのだが、佐々木さんの場合は他者との交流ということが大きく頭をもたげてきていたのではないだろうか。その確認の途上で向こうの世界に逝ってしまわれた。佐々木ワールドに漂う甘さと優しさ。作品と葉書が思い出として私に残されてしまった。
 
303) 佐々木徹さんからのバースデー・カード_f0126829_1525678.jpg
 ↑:⑥


 写真①:「札幌の美術2004 20人の試み」展の図録より。
 写真②:「水脈の肖像06ー日本・韓国・ドイツの今日」展の図録より。
 写真③④⑤⑥:「FIXMIXMAX」展の図録より。

by sakaidoori | 2007-08-28 16:03 | ◎ 個人記
2007年 05月 24日

193) 黒木孝子考

 谷口顕一郎君のことを書いた記事について、やないさんから黒木さんに関するコメントを頂きました。
 その文中に2年前に「どらーる掲示版」に投稿した旨、記しています。昨年の誤りでした。管理人・坂本公雄さんの主体展レポートに関するレスという形での投稿です。関係のあるところだけ全文そのままに再掲します。興味のある方はRyoさんのいーとあーと から[3963]をのぞいてください。参考写真も載せます。


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 (↑写真①:黒木孝子展「1985年から2003年の500枚の小さな世界」のDM。2003年1月7日(火)~1月12日(日)、於ギャラリー・ユリイカ。)

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 (↑写真②:2003年 全道展カタログより。本文中の作品の3分の1の量。)

193) 黒木孝子考_f0126829_14301796.jpg
(↑写真③:2005年、全道展のカタログより。本文中の作品の2分の1の量。) 


[3963へのレス] 全道展・主体展の黒木孝子さん 投稿者:栄通 (丸島) 投稿日:2006/06/22(Thu) 17:34

(少し遅い投稿になりましたが、お許しください)

 絵を見始めた頃、一所懸命に観て、考え続けた作家達がいた。黒木さん、全道展・小樽在住の西辻さん・・絵の持つおおらかさや優しさを学んだ、現代美術の谷口顕一郎君・・苦渋のユーモアや作家自身の哀しさを。

 三年前のことだ。黒木さんが年始早々にユリイカで個展を開いた。スケッチ・ドローイング展であった(写真①)。何年もの間、折にふれ落書き風に花や動物、建物などを描き記したスケッチ帳を、一点一点葉書大程に切り抜いて展示したものだった。五百点以上あっただろうか。線描に現れた作家の脳内世界、その移り変わりを見続けて飽きなかった。近作が特に気に入った。輪郭にこだわらないで伸び伸びと大らかで、線が踊っていた。
 その年の道内主体展で油彩の大作を初めて観た(写真②)。坂本さんが今展(写真③)で撮られた写真でも分かる様に、タテの直線を基調にした抽象画だった。その時はスケッチ画の延長上の中品もあった。弾けんばかりの線描だ。十色の世界が小活火山のように飛び跳ねて、島倉千代子の「人生色々」-ー女だからって慎ましいだけじゃ無いのよ、弾けて飛んで何をするのかわからないのよ、恋だって浮気だってーー黒木さんのかん高い声を更にオクターブ高めて歌っていた。なぜこの自由さが油彩に出てこないのだろうか?むしろ、なぜ自分を曝け出すようなスケッチ展をしたのだろうか?たとえ、オーナー鈴木さんのアイデア・きっかけがあったとしても。その時の油彩画に十字らしきものが中央上部に滲み出ていた。僕はこれを小谷氏の鎮魂(レクイエム)と見た。決して小谷さんは画家仲間や後輩達に強圧的影響を与えたとは思われない。彼女にとって小谷さんの死は精神的エア・ポケットと同時に自立えの契機になったのではなかろうか。彼女の中にある自由さ軽やかさと生真面目さ硬さという二面性。その後の発表作品に自由度の強い作品は消えた。何ごとも無かったかのごとく黒と黄を基調にした縦縞の世界に引きこもってしまった。確かに今展の作品(写真③)は以前のよりもリズミカルでどこか心が和む。表具のような装飾性、日常生活の中の気持ちいい壁紙とも生け花風とも言える。

 どうして曲線を使って自由度を高めないのだろうか。それを持っている人だと思う。もっともっと自分をさらけ出して、かろやかな女を演じてもらいたい。

 
 他、二人の作家のメモ書き。(以下省略。)

by sakaidoori | 2007-05-24 14:38 | ◎ 個人記
2007年 05月 23日

192) 凹みの谷口顕一郎記

 突然ですが、凹みの谷口顕一郎君のことを書かせてください。

 1976年 札幌生まれ
 2000年 教育大学札幌校芸術文化過程卒業
       現在、ドイツ在住。年末にテンポラリーで個展の予定。

 一月ほど前に、道新で本人の写真入でドイツでの活躍が紹介されていました。ご存知の方も多いと思います。その時の記事を写真紹介できれば親しみの持てる記事になったと思うのですが、手元にないので省略です。適当に資料を載せますので参考にしてください。

 
192) 凹みの谷口顕一郎記_f0126829_1513737.jpg
 (↑:「札幌美術2003 19+1の試み展」図録より。)
192) 凹みの谷口顕一郎記_f0126829_1516577.jpg
 (↑:4年前、旧テンポラリーでの個展の時の作品図録より。)

 4年前の2月(?)旧テンポラリーで彼の個展を見た。彼は凹みの研究というフレーズで現在も発表している。その時は壁などの凹みをトレースして薄いプラスチックに型どったものだった。色は黄色。しかも、あまり大きくない作品を適当に切って兆番で引っ付けていた。四角い部屋の白壁に綺麗に一列になって展示されていた。20個位あったと思う。先に見ていた女性(学生?)連れが作品に顔を引っ付けながら折ったり伸ばしたり、「かわいい」などと言い合い楽しんでいた。僕は何の感慨も無く、部屋をぐるぐる何回も何回も廻っては、彼女達の真似をして触ったりもした。作家が別室にいたので話しを聞くことにした。
 開口一番、「全然わかりません」。
 作家は余に正直な質問に少し赤らめながら説明し始めた。
 「これは建物の傷などの凹みで・・・・なんでこんな事を始めたかというと、あるレンガ造りの倉庫でこんな風な傷があったのです。これだっと思いましたね。僕の作品は平面ですが、彫刻、立体だと思っています。限りなく厚みの無い立体作品。兆番はどうしても必要ですね・・・」。そういいながら、キッカケになったという傷の写真を僕に見せた。僕は彼が抱いた驚きとは全く違う驚きを抱いた。何かを谷口君は語っていたと思うが、虚ろな気分で時を過ごしてその場を後にした。

 赤いレンガ壁に胃を細めたような形の傷であった。凹みだから黒かった。人体の傷口が赤黒く固まったように見えた。もしマチエールを追求する画家ならば、その模様をリアリティーの対象として、迫真の色合いで描くだろう。見る者も驚愕をもって応えるだろう。だが何としたことか。谷口君は歴史的象徴として、あるいは切実な擬人化の対象として捉えてもいい形を、一切の生理を剥ぎ落として作品にしてしまったのだ。それはピエロ、狂言回しあるいはトリック・スターのような行為だ。
 「あっ、貴方。アナタはこの形に人間の真理を見出したのですね。おー、何と素晴らしい。僕が再生してあげましょう」。そう言ってトリック・スターはチョチョイのチョイという感じで凹みをプラスチックに置き換えて注文主に差し出すのだ。そこには凹みの中にしみこんだ歴史という時間や、他との関係性という空間概念を軽く否定しているのだ。注文主が首をかしげていると、「えっ、気に入りませんか?そうですか、それでは兆番を付けて折ったり伸ばしたり、もっと楽しくしてあげましょう」。形は更に更に注文主の気持ちから遠くなるが、「あー、確かに兆番があるほうがいいですね。プラスチックも手に親しくていいですね」。そんな会話で場面は終わり、谷口トリック・スターは次のお客さんの所に行くのである。

 ここには、都会の青年の複雑な思いがある。芸術を自己表現の忠実な反映とすることに意義申し立てをしているようだ。きっと谷口青年は良い人だと思う。だが、自分に対しても他人に対しても冷めたところがある。齊藤作品のように対人関係を楽しもうという余裕が無い。それでいて、人の心に残る凹みという型を再生する感知能力に長けているのだ。「良いものを良い」と言って他者に対峙する事をかっこ悪いとおもっているのかもしれない。少なくとも自分自身が真剣と見られることを憚っているようだ。

 最近の谷口君はプラスチックを止めてステンレスの世界に生きているようだ。ステンは硬くて加工し難いが、料理し終えた後のステンは輝きといい、縁取りの丸みといい美の象徴のように現れてくる。プラスチックの凹みの無機物性から、時空や肉声をを取り戻そうという行為なのだろうか?美を求めていることだけは間違いない。美のみが信じれるものとしてあるのだろうか?現代美術が「美」を不問にしようとしているのに、皮肉な対応だ。谷口君は現代美術という視点からも離れているのかもしれない。おそらく作家は美を中心にして社会性、時間性、空間性の留保と取り込みの往還をして行くのだろう。

 
192) 凹みの谷口顕一郎記_f0126829_1519167.jpg
 (↑:2年前、旧テンポラリーでの個展の時の作品図録より。ドイツの壁と作品。)

 *トリックスター:文化人類学用語。機智に富む超自然的存在。二項対立(創造ー破壊、善ー悪など)を体現する両義的・媒介的性格を持つ。文化英雄とも。「コンサイス外来語辞典」より。


 
 絵の見始めの頃に一所懸命に考えた作家が3人います。今月紹介した西辻さん、同じ全道展会友の黒木孝子さん、それと谷口君です。黒木さんのことは二年ほど前に「どらーる」の掲示版に書きました。谷口君は書く機会がなかったのと、今秋に個展をするということですから、それ以前に記録に残す為に理由も無く今日紹介します。なぜこの3人かというと、何の理由もありません。上手、あるいは表現力が高いというわけではありません。偶然にも、一所懸命に考えたことがその後の絵画鑑賞の役に立っているので、どうしても文章化しておきたいのです。以上の谷口考は本人には語ったことなので彼にとっては目新しいことではありません。



 
 

by sakaidoori | 2007-05-23 15:03 | ◎ 個人記
2007年 04月 20日

150)案内: 室蘭 「北浦晃個展」・油彩画 

○ 北浦 晃 個展  「北海道の風景」
     平成18年度室蘭市芸術文化功労賞受賞記念展

 会場:室蘭市文化センター展示室  
     室蘭市幸町6-23
     電話(0143)22-3156
 会期:2007年5月9日(水)~5月13日(日)
 時間:10:00~18:00(最終日は16:00まで)

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150)案内: 室蘭 「北浦晃個展」・油彩画 _f0126829_14311847.jpg



 風景画。
 山容・風景という具象画の中に、抽象的造型を意識的に偲ばせ、明るくはあるがあまりに知的で構成美をかもし出す世界。見る人によっては硬いと思うかもしれない、僕はその貼り絵のような遠近感、絵画的トリックに魅入られて昨年は白老、美唄と足を運んだ。その前の年も美唄に「静物画」自選展を見に行った。

 北浦氏は自身の画業を時系列を中心にしてわかりやすく展開される。自分自身の為でもあるが、鑑賞者に少しでもわかってもらいたいという気持ちである。鑑賞者には若い画学徒も想定されているであろう。


 簡単に氏の画歴を紹介します。以下はあくまでも僕の理解の範囲です。

 初期の版画時代。見ていないのにこういう表現は誤解を生むかもしれないが、「青春画時代」と呼びたい。

 次に版画と決別し、全道展の油彩部門を主な発表舞台とする。人から静物へとテーマは動き、挫折を伴った試行錯誤時代、「競争画時代」と呼びたい。明快に2期で分けられる。前半はあまりに公募展的な構成美、後半は東洋画にある空間美の追求。あまりに空間の見えざる闇を凝視しすぎて袋小路に陥りがちになり、大きな世界、風景へと逆に開眼することになる。

 90年代初頭より画題は自然、それも山を中心と定める。そして、今日に至るのである。「本格的絵画時代」と呼びたい。やはり2期に明確に分けられる。10年前の「日勝峠シリーズ」が再びの袋小路へと氏を追いやった。マクロの風景を志向しながら、ミクロにこだわりすぎるという過去の習性離れがたく、山容の木立のみの山水画のような様式美と禅問答のような形式美に陥った。10年前にこの室蘭文化センターで「日勝峠」までの回顧展をされたとある。その後、風景そのものの魅力が北浦絵画を蘇らせた。まさに、今展はそれから先の北浦絵画の代表作の展覧となるのであろう。100号以上11点を含む30点の油絵と8点の版画(複製シルクスクリーン、頒布用)。新作発表が6点ほど図録より認められる。
 

 僕は絵が嘘だということを北浦絵画に学んだ。今展出品の画題の山名ー十勝岳、斜里岳、有珠山、美瑛岳、美唄岳、室蘭岳、旭岳、羊蹄山、夕張岳、風不死岳、ピンネシリ、熊根尻山、樽前山、大雪山、芦別岳、駒ケ岳と雄阿寒だけ以外は登っている。これほど綺麗に描かれているのに山岳美が前面に出ない絵も珍しい。更に、嘘としての絵がなぜ面白いかということも学んだ。

 室蘭は遠いところです。行くことができなくても、賞を頂いたお礼としての記念展、気に留めてください。氏は昨年の6月で70歳になられたとのこと。友情エールで「古希記念展」とおっしゃる方もいます。「ごあいさつ」文に「・・・まだまだ続くライフワークの中間発表といった気持ちです」と、あります。
 失礼な言辞があると思います。お許し下さい。来週中に、昨年の美唄の「山の自薦展」の写真紹介をしたいと思います。

by sakaidoori | 2007-04-20 15:59 | ◎ 個人記
2007年 02月 25日

74) 小林麻美ギャラリー訪問記(訪問記①)

74) 小林麻美ギャラリー訪問記(訪問記①)_f0126829_1213876.jpg
 小林さんのアトリエを訪問した。この3月一杯で閉鎖予定の曙学舎の一室である。油の臭う部屋に案内される。以前に一度だけ建物内を散策したことがある。彼女の部屋とガラス越しに見覚えのある作品をとうして、彼女の「場所」を確認していたので始めてという感じはしない。旧教室は広い。3人の共同使用ということだが、意識は彼女の占有空間に集中することを強いられる。

 日時を決めての画家訪問は始めての経験だ。何やかにやと好条件が重なり訪問を決意することができた。僕が小林作品をどう思っているかは36番の記事を読んでもらいたい。

 訪問には目的というものがある。少なくとも、この記事を書くわけであるから取材という側面はあったはずだ。聞きたいことをまとめておき、確認し、新たな疑問や気付きを掘り下げ文章化しなければならない。言語化できない点は留保、判断の停止をもって暖めておくようにしなければならない。残念というか情けないというかほとんど何一つできなかった。2時間半ほどの対話だった。冗談などほとんど無く、「小林にとっての絵と、小林作品と知人の作家考」だった。録音を蘇らせれば濃いい「小林麻美とその作品」として纏めれると思うのだが、対話というライブになって、精神の充実はあっても、個々の言葉は記憶の回路から遠ざかってしまった。物書きという職業人の並々ならぬ努力と才能を思い、自身の準備と自覚を高めなければと反省している。今回は言い訳じみた言葉から始まってしまった。今後も作家のいるアトリエで話がしたいと思っている。不覚の思いを記しておきます。
 取り留めなく思い出すままその時のことを書き進めてみます。今日書かねば、本当に印象すら忘れてしまいそうだ。

 
74) 小林麻美ギャラリー訪問記(訪問記①)_f0126829_133356.jpg アクリル用の真白きキャンバスの後ろに「世紀の具象展」に出品した作品があった。それを表に出す。その影に「これは未発表です。いろいろ問題があってこのままにしています」という中品も表に出して、その作品を常に目にしながら話は進行した。

 あらためて小林絵画の興味を記しておきます。
 絵画の中の不等質な空間描写、それを見ることによって非日常性を絵画的に体験するということがまずあります。このことは作品を見ることによっていろいろと判断すればいいことですから、彼女との会話は質疑にはならない。確認はできたと思うが、彼女自身が言語化できる「不等質な空間描写」「不均一な距離感」まで引き出すことはできなかった。というより、会話としては「何かそういうものを表現したいのだろうな、僕は見たいものだな」という辺りをうろうろするばかりで、会話を楽しむばかりだった。未完成の作品は小林絵画を語るのにいいテキストになった。あまりこの作品のことを具体的に語ることはできないが、今までの作品傾向と少しずれているから会話を膨らますのには絶好であった。「どこが違うのか」「焦点の位置はどうなのか」「人の描き方の違いはどうしたことか」「異時空間は実現されているのか」「僕はこの絵にこんな期待をしたい」などなど・・・。彼女は実にチャンと応えてくれる。応えながらどこか自問自答気味になり、いろんな表情をさらけ出す。・・・(ああー、何て人の悩ましい顔は綺麗なのだろう。僕はこういう表情を見ると思考が止まってしまうのだ。ただぼんやりと女性の顔を見てしまう。会話の中身を忘れた原因に、絵を描く人のある側面を垣間見ることによって、僕自身が気後れしてしまったのだ。画家魂に触れたのだ。「見ること」の意識を高めねばならない。)

 聞きたいことの一つに、「空間表現にとっての顔なし人物描写の問題」があった。人を描くのに特別な意識があるようだが、その点を聞くと明快な返事が返ってきた。「あんまり意識していません」意外な返事だったので、肝心なことを聞き忘れた。「絵画の中に滲み出る小林麻美の生理と、この人間臭さと先程の不等質な空間表現との絡み具合はどう相計っていくのか。生理は捨象される物なのか、独自の小林ワールドのキーになるのか」思えば聞きたいことをチャンと聞かなかった。が、楽しい会話だった。楽しければ良いのかと問われれば辛いが、今回は良しとしたい。
 

 思い出せばまだまだ瑣事を書くことができるだろう。だが、今の段階では今度の訪問記の記録はこれで充分だろう。文章の濃さには恥じ入る面が多くて、小林さんには申し訳ない。多くの時間を頂きながら許して頂きたい。

 ありがとう御座いました。


追記
 以前、此処に小林さんの写っている写真がありました。
写真掲載の確認が不十分だった点がありました。小林さんに迷惑をかけました。申し訳ありませんでした。
 

by sakaidoori | 2007-02-25 02:11 | ◎ 個人記