栄通記

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2011年 01月 15日

1430)「第16回 みなもの会新春展 (日本画展)」・セントラル 1月11日(火)~1月16日(日)

○ 第17回 みなもの会新春展 


 会場:大丸藤井セントラル・7Fスカイホール
     電話(011)231-1131
     中央区南1条西3丁目
      (東西に走る道路の南側)

 会期:2011年1月11日(火)~1月16日(日)
 時間:10::00~18:30
     (最終日は、~17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(1.11)

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 「中野教室には三つの大きな特徴があって、一つはモミモミ画法で、一つは・・・」と、かつて故黒田博子さんが教えてくれた。残り二つの特徴をしっかり聞いていなかった。そのうちにまた聞けるだろうと思っていたら、さくねん亡くなられた。当然、今年は彼女の作品は無い。


 そのモミモミ画法を赤裸々に表現した作品がめっきり減った。強い絵にする時には重宝だが、その強さにあった深みが絵にないと形式張った誇張に終わりかねないので、単純な利用を避けたからだろう。ゆったりした時間、まったりした空間で絵を楽しむには隠し技として暖めていた方がいいかもしれない。

 全部で100人近くの出品者だ。作品数は100点以上だ。好きな作品、気になった作品を何点か載せます。それで全体のムードなりこの会のあり方、実力を想像して下さい。


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          ↑:ルーシー教室・黒沢フク、「一五の春」。

 今展一のお気に入り。
 何と言っても朱のアッサリ感と輝きが良い。15歳、お色気を振る舞う歳でもなく、さりとて美しさを誇らない歳でもなく、遠慮がちに大振り袖を見せるが、振り袖自体が存在を主張している。朱の主張、恥じらう15歳、春ですね。


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          ↑:帯広・藤本喜久子、「三輪車」。

 自転車、子供、植物と皆なしっかり大きく描いているのが良い。饅頭のようにふっくらとしたボリューム感、皆なが対等に絵を作っている。


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          ↑:ルーシー・佐賀彩美、「五月爽風」。

 美しき懐かしき古里です。子供時代の風土は雨風強く、冬の雪は辛く厳しかったと思う。全ては綺麗な記憶となって絵に甦るのでしょう。
 一所懸命に細かい線を入れ色を重ねる。樹の枝振りの拙さが、かえって絵に子供心を注ぎ込んでいる。熱心さが時には絵を汚くもするものだが、綺麗な所で筆を止め、あくまでも全体に心を配ろうとしている。桃源郷でしょう。


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          ↑:ルーシー・山本美里、「森のささやき」。

 シロバナエンレイソウ(白花延齢草)、別名ミヤマエンレイソウ(深山延齢草)か、あるいはオオバナノエンレイソウ(大花之延齢草)か。林内で群生して咲く。緑一色した中で、花弁の白さ白さが清々しい花だ。
 山本美里さんは花々のささやきを描いている。一草々の凛々しい立ち姿も描いている。語り合いと凛々しさ。
 僕はこういう絵を見ると、どうしてもある種の思いが先走る。細い茎がスクッと上に伸びて、花弁が何かを求めているような仕草、見果てぬ夢をどうしても絵に見てしまう。緑と白、緑という日常の世界から、白が何かに向かっている。それはこの絵の求めた事ではないのだが・・・。


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          ↑:こもれび・山崎良子、「浜菊の詩」。


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          ↑:こもれび・岸本泰子、「池塘」。

 濃密な池の描写に、淡泊で小振りな池に咲く花(コウホネ・河骨)、そしてトンボ。
 濃い川の描写に淡泊な花が負けている感じ。花の優しさをコンパクトに表現したかったのだろう。もっと花を大振りにするか、もっと花の数を増やして川の強さに負けないムードがあればと思う。
 おとぎ話のようなコウホネの花、子供心を誘う。


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          ↑:北星学園高校OG・下谷鮎美、「春を楽しむ」。

f0126829_23185490.jpg 会場で少しばかり語り合う。

 鳥を一所懸命に描いた。この姿は春がいい。それに鳥に樹は付きものだ。春の花を描こう。沢山花を描いたら鳥が目立たない。チョット少なめにしよう。あ~、枝振りは難しい~、ムズイムズイ。こんなものかな?まぁ、いいか。さぁー、やっとバックだ。鳥を引き立たせよう。春らしく明るい青、そして贅沢に月を添えよう。

 部分部分は強いが、全体が淡泊になってしまった。やはり鳥に全生命をかけて描きすぎたようだ。
 細部に入魂する力を、内に働く力を、外に向けたらと思った。



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     ↑:北星学園高校OB・干場清順。左から、「終点より向こうにあった街」 「顕(あらわれ)」。

 一昨年だったか、教育大卒業展で初めて作品を見た干場清順・君だ。この会場で見れて驚いた。それ以上に嬉しかった。

 漫画チックさの全面細密画は愉快でもあり、無条件に圧倒された。
 さて、今作・・・少し悩ましい。「さすらいのジプリ」、とでも言うべきか、ユーモラスはどこに行ったのだろう?気分は「希望」?
 「終点より向こうに或った街」、それは始まりの街ではないか。次は「始まりから見える街」を待とう。


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     ↑:左側、朝日カルチャー・谷口満江、「苫小牧演習林」。
     ↑:右側、生協・佐久間登子、「秋の実り」。

 同じ日本画でも随分と違うものだ。
 通りすがりの見識豊かな人にその違いの理由を尋ねた。支持体の違いだとのこと。一方は画材が染み込まないで盛り上がっていく。だから洋画風になるのだろう。一方は画材が吸収されて平面な感じになる。水墨画のボカシも同じ理由なのだろう。今一意味不明なところがあるが、とてもいい話を伺った。

by sakaidoori | 2011-01-15 00:05 | 大丸藤井スカイホール | Trackback(1) | Comments(0)
2009年 04月 14日

969) 山の手 「中野邦昭・日本画展」 3月27日(金)~4月16日(木)

○ 中野邦昭・日本画展

 会場:ギャラリー山の手
    西区山の手7条6丁目4-25・サンケンビル1階
    (発寒川に面しています)
    電話(011)614-2918
 会期:2009年3月27日(金)~4月16日(木)
 休み:日曜・祝日(定休日)
 時間:10:00~17:00
     (最終日は、~16:00)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(4・14)

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 中大作は民家のある風景と滝、それと女性画(美人画)が中心、他は葉書き大の肉筆画や中野さんには珍しく猫などの焼き物があります。

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     ↑:「月の日」・S30号。

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     ↑:「雪の日の月」・S30号。

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     ↑:「たおれてもなお (コスモス)」・S30号。

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     ↑:「北の干場」・S150号。

 今展随一の大作。他の作品もそうですが、制作年が明記されていません。最近作なのかはわかりませんが、最近の力作でしょう。干場に雪が舞い散り、季節の重さが伝わってきます。人がいないのが良い。干された魚たちの後ろに無数の人影が、人の力が感じられます。絵巻ものです。

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          ↑:「炎舞」・200×50cm。

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 ↑「天の川」・120変。









 中野邦昭ー1948年に小樽で生まれ道東で育ち、京都で日本画を学ばれた。
 若い時には寺が炎上する激しい絵も描いていた。その全画歴は知らないが、今は動きが少ない絵が多い。気品漂い温かく爽やかな絵だ。特に雪降る北の大地の生命観を追求しているように見える。「灯り」にその原点を見ている。
 画題に多く見られる古き民家、おそらく作家の原風景だろう。ストーブを描くことはないが、その明かりが部屋を灯し人の影が窓に写る。家自体が擬人化されてどっかりと存在する。樹木や全ての物も、厳しい風土の中で静かに生きている証なのだろう。だから、中野風景画に人物は必要ない。画面全部が生き物の生気で覆われているのだろう。
 東洋美を表現するのに「気韻生動」やそれに類する言葉がある。日本(和人)伝統少なきこの北海道で、いかに気品や命の輝きを表現するかが画家の課題だと思う。中央で学び、日本美の伝統を若き体験で知っているから、それへの親近感と画家としての独自性に悩まれたのではないか?
 古き民家といい、童顔の少女といいロマン性の強いのも確かだ。だが、男からロマンを取ったら何も残らない。時代は古き民家をあざわらうように、あるいは伝統建築物などと称して過ぎていく。画家はそれに拘る。その拘りが見る者を過去から、今へと引っ張る。

 画家はようやく60歳を過ぎたばかりだ。決して若い年ではない。静かに自分と向き合う年代だ。生命力や行動力は落ちる。ストーブの炎は、裸婦にからむ赤いスカーフとにもある。ストーブは激しく静かに人の頬を照らす。瞳に炎が宿る。心は温かく明るくなる。それを力に画家は筆を進めているのだろう。


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by sakaidoori | 2009-04-14 23:50 | 山の手 | Trackback | Comments(0)