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タグ:下沢敏也 ( 6 ) タグの人気記事


2013年 09月 21日

2215)①「folding cosmos2013 松浦武史郎をめぐる10人の作家達」モエレ沼公園 9月18日(金)~9月23日(月・祝

  

  
ガラスのピラミッド開館10周年記念協賛企画

folding cosmos 2013  Berlin Sappor Kanazawa Takamaysu
  


松浦武史郎をめぐる10人の作家達 

 

 会場:モエレ沼公園・ガラスのピラミッド
      東区モエレ沼公園1-1
     電話(011)790-1231

 会期:2013年9月18日(金)~9月23日(月・祝)
 時間:10:00~18:00
 料金:無料

 【参加作家】
 安藤文絵 梅田マサノリ 兼藤忍 川上りえ 国松希根太 下沢敏也 冨田哲司 マコト フジムラ 細谷多聞 倉島美和子  

 【ゲスト作家】
 北原愛 マリア エスティヴァオ ポーラ テウ 内田鋼一     

 主催:当展実行委員会

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(9.20)

 
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 モエレ沼公園。
 この日は札幌市立某小学校のふれあい遠足にぶっつかった。
 人っ子一人いない公園も魅力的だが、普通に沢山の子供の声を聞けるのもいい。
 
 私はモエレ山が大好きだ。たかだか50mほどだが、立派な山だ。登っての景観も良いが、こうして眺めるのも楽しい。



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 昼食も公園で済ませた。目的の「10人展」を見に行こう。



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 会場は2階。



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   ↑:梅田まさのり、「細胞の風景」・2008年 ポリ塩化ビニール。



 展示はこのガラスの空間と思っていたが、早とちり。まん丸なプラスチック球体が浮かんでいるだけ。
 今展のテーマというかお題は「一畳敷きの茶室」。狭さを連想させる前に、ただの球体の前で心を無にせよ、ということか。



 入り口での全体風景を載せます。

 (以下、敬称は省略させていただきます。
 また、会場は撮影OKです。ただし、しっかりと個別作品の作品名、作家名は記すようにと指示されました。全体風景はともかくとして、指示の意向に沿うつもりです。)



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 ほぼこれで全作品です。右側の壁の裏に、一人だけの作品ルームがあります。



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   ↑:(左側の鉄組作品)川上りえ、「Extending Light」・2013年 ステンレス。



 今展、テーマに即していえば、茶室という空間や小道具を象徴的に扱い、中庭、外庭、茶室の外壁などを連想させて、入れ子状の茶室になっていた。
 もっとも、個々の作家はそれぞれのイメージで制作したのだ。また、梅田マサノリのように、この企画が始まる前の既発表作品を展示して場合もある。個別作家の一々を全体の中で統一的に見る必要はないでしょう。
 しかし、個々の作品を離れて何かの+αが全体で生まれたかどうか?そこが企画の企画たる意義であり、企画者の主張が問われるところだ。


 さて、会場は奥に行けば行くほど作家もひしめき合い、濃密な茶室空間になっている。
 その奥に行く前に、手前でもう一回心の準備を高めよう。



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   ↑:下沢敏也、「蹲い (3点組)」・2013年 陶。


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 茶室3点セットのような組作品。花器、茶釜、もう一つは何だろう。茶人の自慢の1点?

 陶の表面や形態はグロテスクで、既存の茶道具とは無縁だ。バサラ風流人の「濁」だ。
 世間の「濁」を離れて一期一会の「倫理」と、その人ならではの「清」を茶室では楽しむ。「虚」かもしれないが、一つの「倫理的理想郷」だ。その意味では茶人に却下される道具かもしれない。

 「再生」をテーマにする下沢敏也だ。この展示の静寂に浸って欲しい、その中での「濁」は「清濁」併せ持つ人生の縮図、原点ではないか。濁の容器の中の神秘を感じて欲しい、新たな誕生を感じませんか?そんな主張があるのかもしれない。





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   ↑:(中央の四角い立体)安藤文絵、「Nallow gate-new birth-」、2013年 木パネル アクリル絵の具 銀箔。



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 茶室に入るのに、にじり口という入り口から入る。身を屈めなければ入れない狭い障子戸だ。キリスト教の「狭き門より入れ」だ。
 おそらく、それがモチーフだろう。

 茶室の場合、この狭き入り口に、二つの意味を考えている。入る人は刀や分厚い服など余計なものを室内に入れるな。あるがままの自分の姿、平等精神で入れ。
 もう一つは、その逆に意味になりかねないが、茶室の主人に頭を下げて入れ。それは礼儀かもしれないが、心理的上下感覚を入室者に埋め込むだろう。そこで、主人の自慢の品々を客人として心を虚にして楽しむ。そういう主客の明確な基準を設けて、「おもてなし精神」で茶室物語は始まる。いつしか主客転倒、主客融和が実現できるのかどうか?そこが主人の感覚の見せ所だ。
 いずれにせよ、微に入った日本人感覚の入り口だ。


 安藤文絵の入り口近くの赤色は特異だ。とても自然な気持ちでは入れない。それは「血であがなう決意」を客人に強要している。安易な気持ちでは入るな!・・か?あるいは、象徴性をひけらかす作品達、それらに血のある人間性を感じよ!ということか。
 いずれにせ、厳しき入り口だ。あえて茶室にそぐわない行為に現代作家の心意気を感じた。



 何となく会場の様子は伝わったと思います。②に続きますが、会期後になるでしょう。




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by sakaidoori | 2013-09-21 11:22 | ☆モエレ沼公園
2010年 12月 29日

1411) 終了「下沢敏也・陶展 『Re-birth.2010 ー起源ー』」 茶廊法邑  11月27日(土)~12月5日(日)

○ 下沢敏也・陶展

     「Re-birth.2010 ー起源ー」

    
    
 ・会場:茶廊法邑
    東区本町1条1丁目8-27
    電話(011)785-3607

 期間:2010年11月27日(土)~12月5日(日)
 休み:火曜日(定休日)
 時間:10:00~18:00
     (最終日は、~17:00まで) 

 協力:法邑芸術文化振興会

ーーーーーーーーーーーーーーーー(12.4)

 相変わらずイマイチの写真紹介です。作品そのものの味わいも、場の拡がりやヒンヤリした空気感も伝えていません。情けないやら申し訳ないないやら・・・以下、敬称は省略させて頂きます。


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          ↑:(入り口からの風景。)


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          ↑:(会場奥からの風景。)


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 聖柱、依代、男そのものとしての屹立する直立物。
 オカイコが土から涌きだし、うずくまる女になり、マリアに生まれ変わった祈りの造形物。

 あきらかに此処は作家にとっての祈りの場であろう。聖なる空間だ。
 あまりにも真摯にして、あまりにも直截な場だ。
 象徴性を醸し出してはいるが親しみやすく愛すべき存在だ。それは作家の優しさかもしれない。
 男性性、女性性が心地良いリズムを生んいる。だが、男女の美醜漂うエロスからは遠く、それは作家のロマンティシズムかもしれない。

 下沢敏也、直裁で実直な作品だと思う、正直な表現者だと思う。
 なぜ、彼が「生と死」、「再生」にこだわるか?それは知らない。
 僕らにとっての関心は、その動機よりも、結果としての作品の迫力だ。それはテーマの真摯さや深さとは無縁だ。むしろ、テーマが普遍的であったり、強い社会性を帯びれば帯びるほど、表現は難しいものになるだろう。作家自身の心の襞と社会との間に安直な約束事が生まれ、美辞で作品を語る道を作る。

 そういう意味で下沢敏也は難しい仕事をしている。
 そもそも「祈り」という言葉が悩ましい。時空の世界に一本の縦線を引く。境界のようなその縦線を「祈り」が往き来する。日常と非日常、見える世界と見えない世界、生と死、過去と未来・・・二つの世界の道標だろう。確かにそれはかけがえのない言葉であり、行為だ。だが、何と普段の生活から離れた存在になったのだろう。「死語」ではないが、「生語」としての真実み、重み、軽みを日々脱いでいるように見える。

 それでも下沢敏也は直向きに「祈り」を作る。
 しかも最近の氏は非常に正直だ。「抽象性・造形美学」から、土としての肉感性を信じ、愛おしき形そのものを追求し始めた。それは正直さの辿り着いた今の姿だろう。
 時折、氏の中の「遊び」を思う。だが、生真面目なテーマの前で、その遊び心を枠にはめていた感じがする。「祈り」と「遊び」とは両立しないのだろうか?これからも「祈り」を作る人だろう。「何か」が付加され、深めることだろう。「遊び心」は必ず役に立つと思う。軽き時代の「遊び」と「祈り」。



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by sakaidoori | 2010-12-29 14:13 | (茶廊)法邑
2010年 07月 26日

1313) ②コンチネンタル 「交差する視点とかたちvol.4 (4名参加)」 終了・7月16日(金)~7月25日(日)


○ 交差する視点とかたち  vol.4

    
 会場:コンチネンタル・ギャラリー
    南1条西11丁目 コンチネンタルビル・B1F
    (西11丁目通の西側)
    電話(011)221-0488

 会期:2010年7月16日(金)~7月25日(日)
 時間:10:00~18:00
     (最終日は、~17:00まで)

※ イベント ⇒ ○内田鋼一ワークショップ&スライドショー
           7月18日(日) 10:00~ 13:30~

          ○伽井丹彌クロージングパフォーマンス 「傀儡」
            最終日  於・当会場   15:00~15:40

※ 同時開催 ⇒ 内田鋼一・展 於・ギャラリー門馬

 【参加作家】
 伽井丹彌 内田鋼一 下沢敏也 阿部典英  

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(7・24)

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 昨日、「伽井丹彌クロージングパフォーマンス 『傀儡』」を観劇、なかなか見応えがあった。その報告もしたいが、何はさておき、残りのお二人の話から。
 (以下、敬称は省略させて頂きます。)

○ 阿部典英の場合

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     ↑:「ネェ ダンナサンあるいは飛べない面長始祖鳥」・2010年 219×326×120㎝ 木 柾 黒鉛 酢酸ビニール 他。


 「ユーモア 宗教性 女」の三つを阿部典英の切り口にしている。最近は「土根性精神」が加わった。「もー、やるっきゃない。これしかない。これで行くんだ」、そんな開き直りとも思えるような骨っぽく太い精神だ。
 今作もそうだ。タイトルは「飛べない始祖鳥」だが、僕には「飛ばない始祖鳥、飛ぶ必要のない始祖鳥、常にここに居る始祖鳥」だ。
 それは作家自身の気構えの反映だろう。だれに対しても非難や揶揄はない。だが、美術作品とは不思議なものだ。これだけユーモア混じりで強く存在されると、「オレはこれで良い。オマエはどうなんだ?共に仁王立ちするのか?しないのか?」、阿部典英の独り言が聞こえる。

 始祖鳥というよりもカフカの「変身」のような巨大わらじムシだ。伽井人形・「精霊」たちを下僕のようにして守っている。
 

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○ 下沢敏也の場合


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     ↑:「RE-volve」・2010年 75×230×180㎝。


 下沢敏也が明快な「形」を持ってきた。明らかに「人体」だ。ミイラの「陶棺」だ。
 形は全て丸みを帯びている。当然だ。「人体」に直線は無いのだから。
 その人体が大地から生まれるのか、崩壊して還るのか・・・祈りとして循環(revolve)がテーマだ。

 氏は形をなすものと、その崩れに関心を寄せる。その形成と崩壊を循環として捉える。「土」による陶を媒介にして、循環する世界を儀式として象徴的にドラマ化する。物語作家だとも言える。

 だが、氏は明快な形(具象)を避けている節があった。「美術作品における具象性の忌避」というのだろう。だから、明らかに「人体」と捉えたくなる姿を「抽象的」に、あるいは「抽象化」し、インスタレーション空間の地場を利用しつつ、物語を展開していく。だが、個々の単純な形に反して、その表面は鉄錆色をふんだんに使い、あまりに具象的で生々しい。だから、肉感性というか、具体的「物」の存在から離れられないタイプだと思っている。そういう人が抽象化に取り組む姿に、時々不自然さを感じる時がある。「人体を思うのなら、一度人体を作ったら良いではないか!!」それが僕の単純な考えだった。今その創作過程を垣間見ることができた。嬉しい限りだ。

 だからと言って、具象陶作家になるべきだ、などとは思わない。もっともっといろんな事に攻撃的になったらと思うだけだ。折角、「土根性・阿部典英」と毎年コンビを組んで企画展をしているわけだ。時には「ネェ ダンナサン あるいは下沢女神」、そんな作品があっても良いのではないいだろうか。


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by sakaidoori | 2010-07-26 14:45 | コンチネンタル
2009年 07月 25日

1043) コンチネンタル 「vol.3 交差する視点とかたち (4名参加)」 7月17日(金)~7月26日(日)

○ vol.3 交差する視点とかたち

  【参加作家】    
   阿部典英 加藤委(つぶさ) 川上りえ 下沢敏也 
    
 会場:コンチネンタル・ギャラリー
    南1条西11丁目 コンチネンタルビル・B1F
    (西11丁目通の西側)
    電話(011)221-0488

 会期:2009年7月17日(金)~7月26日(日)
 時間:10:00~18:00
     (最終日は、~17:00まで)
  
※ オープニング・パーティー ⇒初日 18:30~

 ◎ 企画 : 加藤委ワークショップ&スライドショー     
        7月19日(日) 芸術の森 10:00~13:30

 ◎ 同時開催 : 加藤委・作陶展
        7月17日(金)~7月26日(日) ギャラリー門馬    

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(7・17)

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 中央の空間を広く取り、道内3人の作品が壁際に陣取る、道外の加藤委作品がやや中央にせり出すという配置。過去の展示と同じく、それぞれが自分の領域を守り、そこからの視線が交差し合うという関係だ。違う関係性もみたいのだが、これがこのグループ展の主旨だから、そのことを楽しむ事にしよう。


○ 川上りえの場合

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 奥の方にカーテンのように飾られている。壁から1m程離されていて、くぐり抜けて向こう側にもは入れる。微妙な高さだ。入り口にも塞ぐように並んでいるので、「向こうに行くぞ」と少し意を固めてから入る感じだ。
 何てことのない作品を、何てことなく行ったり来たり、実物を見たり影を見たりするわけだが、何てことなく気持ちがなごむ。作品を見つめる視界は狭いのだが、あたり全体のひんやりさが部屋の広さと重なって、森の中の木陰の下のような広がりだ。鉄材の丸みや円の形が他の男性作家の角々しさとマッチしている。

 この作品は、いわゆるコミュニケーション・アートだろう。鑑賞者が作品と戯れて成りたつものだと思う。しかし、今展の部屋全体の主旨はそこにはなので、遠慮がちな出品になっている。その遠慮感が優しい異質感を醸し出していて、僕には心地良いのだろう。

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○ 阿部典英の場合

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 最近の阿部典英は攻撃的だ。「性(女性)-宗教(死)-ユーモア」の3点が氏の作品理解の入り口だったが、異性願望が薄れて社会への攻撃性が遠慮なく発揮されている。戦車のような形に豊満な女性ラインを秘めてはいるのだが、男性的突貫精神が強い。要するに作品が直接会話をしているのだ。

 異様な物体は何かへの攻撃性の象徴だろう。一応、外向きの社会に対する異議申し立てという形をとっている。だが、長年美術活動をやっていて、創作にアクのようなものが溜まってしまって、それをかなぐり捨てようとしているみたい。美術は自由が根本精神だが、トコトン自由に創作していたか?内省を含めて、自己を奮い立たせようとしている。清々しき大ベテランである。


○ 加藤委の場合

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     ↑:「サンカクノココロ」・2007年。

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 道外からの招待作家。
 作品は磁器です。白い部分は石膏のような感じで、焼き上げの色とのことです。青い部分が釉薬です。こういうのを、青磁器というのだろうか?
 磁器色だが、感覚的には陶に近いのでは。地肌感覚をむき出しにした磁に、さーっと釉薬を垂れ流す、その垂れ具合が造形のシャープな鋭さと響きあう。叩けばキーンという金属音が尖った角々からはじき出そう。しかも、色は白地に青をこだわる。

 磁という美しさ硬さ鋭さに、陶の泥臭さで包み込んで、焼き物の可能性を追求しているようだ。
 作家自身のエネルギーや情念の吐き出しと、空間とのつばぜり合い。磁器作家としては珍しい。一方で、その形はギリシャ神の翼が連想され、造形の研究過程でもあろう。

 (会場紹介文に、氏の作品を「陶」と書かれていて、僕の理解に誤解・間違いがあるかもしれません。「磁器」というものがよくわかっていないのでしょう。今後の勉強のために、今の理解をそのまま書いておきます。)



○ 下沢敏也の場合

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     ↑:「RE-BIRTH(森)」・2009年 140×20×20cm 陶 鉄。

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 一連の「森」シリーズ。
 今回はストーン・サークル。写真では分かりづらいし、会場で外から見ていても気付きづらいのだが、中を素通りした時にそれとなくわかる。円環の儀場だということが。

 できれば中に入って誰かと会話をしたらいいと思う。
 高さは首の高さぐらいで、あまり太くはない。相手の顔を見るのに邪魔にならない高さであり存在だ。色も木の焦げた感じとか鉄錆び色とか、極力自然色を出していて、目にも会話にも優しい。とても自然な雰囲気だ。

 野原に角材を植える。直立は好きではないからやや曲げる。長く野ざらしにすれば雷に当たって焦げるだろう。角も丸くなるだろう。雨風で朽ちるだろう。夕日に当たれば赤褐色に化粧するだろう。巧みな色具合だ。
 9本の柱が助け合い、互いの電波が会話をする。
 作家にとっては祈りの場なのだろう。

by sakaidoori | 2009-07-25 09:03 | コンチネンタル
2009年 06月 18日

1012) 品品法邑 「奥村博美×下沢敏也・陶展」 終了・5月23日(土)~5月31日(日)

○ 奥村博美×下沢敏也・陶展
        
 会場:品品法邑(2階)
    (北郷13条通の北側。道路を挟んだ同じ北側に法国寺有り。)
    東区本町1条2丁目1-10
    電話(011)788-1147

 期間:2009年5月23日(土)~5月31日(日)
 休み:火曜日(定休日)
 時間:10:00~18:00 
     (最終日は、~16:00まで。)

ーーーーーーーーーーーーーーーー(5・29・金)

 初めにお断りします。
 「案内板」には奥村博美さんのことを女性と書いて紹介しました。名前から勝手に判断した早とちりで、完全な男性です。お詫びと訂正です。
 そして今回は、今後も見る機会が少ないと思われる京都在住の奥山氏の作品を中心にします。セクシャルで刺激的な作品です。

 会場風景からー。(以下、敬称は省略。)


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 下澤敏也の問題意識は「死」である。片や、今回始めて見る奥村博美は「生きる物」あるいは「生」からのアプローチと見た。
 まさに「生と死」が2人の共通テーマであり、全く逆からのアプローチだ。問題意識は共通だが、その先に果たして同じ物をみているのか?だから、2人のコラボレーション、あるいはバトルが繰り広げられたらならば、さぞかし心ワクワクするものになったであろう。
 残念なことに、並列的な2人展であった。

 おそらく今展は下澤氏が奥村氏を紹介するのが大きな目的だったと思う。
 下澤氏はコンチネンタルでも道外から陶芸家を招聘してグループ展を企画されている。焼き物に携わる素晴らしい作家達ばかりだった。非常に優秀な紹介者である事は間違いない。惜しむらくは彼等とのバトルが欠けていた。動的展示になっていなかった。その辺が氏の課題だと思う。
 今展も会場に会ったセッティングという問題はあったと思う。時間的な問題もあるだろう。だが、奥村氏の挑戦的な女性器群に、たじろぎながらも泥まみれになって下澤ワールドが展開されたならば・・・、何と刺激的なんだろう!そのことが、今後の下澤敏也の糧になると思うのだが。現在の「静かなる死」の造形が、妖しく揺さぶられるかもしれない。

 というわけで、真っ向から「生」と「誕生」の不可思議さを見つめる奥村博美の作品を載せます。作品は題して「皺襞器」。

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     (↑:上の2点は下澤・作品)


 (今回は奥村作品をメインにしますので下澤作品は少ないです。というか、少ない鑑賞時間だったので写真が撮れなかった。)

 奥村作品の「皺襞器」、具体的にその形を思い浮かべれば「女性器」、「植物の種」、「女性の下腹部や腰」、「お尻」ということになろう。妖しげな造形だがシンメトリーという美学もある。要するに生まれ出ずる部分を官能性を排して赤裸々に見つめている。

 一番上の作品は単純に凄いと思う。
 だが、それ以上に感心したのは空ろな造形だ。奥村・壺と言ってもいい。

 壺は局(つぼね)にも通じると思う。空(うつ)ろにして、物を蓄えもし、万物の創造所だと思っている。空(くう)が生(せい)の源だ。中ががらんどうだから、その闇の中から千差万別ないろんな種(生き物)がこの世に拡まった。
 そういう僕の局(つぼね)観を奥村・壺に見る思いだ。彼はそれを壺のようにも、女性の腰の造形にも見立てている。おそらく奥村博美という造形作家は観念的に物を見ないのだろう。あくまでも具合的な姿に物の本質を探っているのだろう。しかも近視眼的に接近して。襞の部分にも目に見えない虫が居るようだ。
 粘土をいつも触っているのだ。その艶めかしい具体的肌触りが氏にとっては生きる証だろう。粘土の隅々に生きる気配を感じているのだろう。

by sakaidoori | 2009-06-18 23:41 | (くらふと)品品法邑
2008年 07月 26日

704) コンチネンタル 「vol.2 交差する視点とかたち」 7月19日(土)~7月27日(日)

○ vol.2 交差する視点とかたち
    艾沢詳子 下沢敏也 阿部典英 鯉江良二 

 会場:コンチネンタル・ギャラリー
    南1西11 コンチネンタルビルB1F (東向き)
    電話(011)221-0488
 会期:2008年7月19日(土)~7月27日(日)
 時間:10:お0~18:00 (最終日は、~17:00まで)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(7・19)

 まずは会場風景から。それぞれがそれぞれの領域を侵さないシンプルな展示です。昨年と同様です。
 それぞれのテリトリーからの他者への眼差し、それを交差と交響と企画者は位置づけています。

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 阿部典英は絵画から出発して、何でもありの幅広いオブジェを制作している。下沢敏也は北海道にあっては未熟な陶芸をベースにして、陶を武器にして異分野との交流を図り、工芸と美術を模索している。この二人を核にしての企画・グループ展と理解している。
 参加作家が一つのカテゴリーに納まりきれないのがセールス・ポイントのようだ。
 何でもありの現在の美術表現で、少人数での多用な素材や表現方法を披露することによって、僕達に他とは違った楽しみを披露しようというのだ。

 そういう美術概論的な挨拶とは別に、彼/彼女の具体的表現感覚があまりに一致しているのはどういうわけだろう?いわゆる「死へのオマージュ」である。「生と死」を見詰めたそれらの表現が、見るものの心に何かしらの喚起をもたらせることができたならば、ひとまずは成功だろう。


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 ↑:下沢敏也、
 飽きることなく、柱状物を寝かせたり立たせたりしている。それは棺桶や墓標を連想させる。生死感の反映というよりも、「自分にとっての土とは、陶芸とは、陶が立つとは、陶が寝るとは」と云うことを反問しているのではないだろうか。
 今作、とても綺麗だ。白地を増やしたのが原因と思うが、本人の満足度が伝わってくる。四角柱を止めて、細い三角柱だ。背中の部分は重ね合わせて、優しさを表現しているようだ。自然体になれたという作品だ。「何かと闘う」というよりも、「一つの安心の居住まい」という心境だろう。個人的には今までで一番好ましい。

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 ↑:阿部典英、「ネェダンナサンあるいは木花(米谷雄平に捧ぐ)」2008。
 あきらかに祭壇である。昨年と同様である。しかし、ムードは全然違う。昨年のそれは、内向きの度合いが強かったと思う。今作は具体的な人の名を冠しながらも非常に開放的、外向きさを感じる。しかも綺麗だ。ペンキで塗ったようなデザイン性は全然無い。色を塗った後にペーパーをかけて、薄塗りの中に深みを増している。鏡に包まれた箱の中の持念物は鉛筆を思わせて、エンクー仏ならぬテンエー仏だ。
 昨年の宮の森美術館以来、軽く大きくなった典英を見る思いだ。今年で69歳。札幌の美術重鎮の充実さに、若手中堅も負けては居れないだろう。


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 ↑:艾沢詳子、「無辜の民 ’08」。
 艾沢版棺桶と理解している。
 僕は最近の女史の「無辜の民・シリーズ」は好きでは無い。
 ティッシュに蝋で固めたようなシリーズがいつからかは知らないが、4年前の芸森・有島邸、「夏のオライオン」がピークだと思っている。目に見えないものに立ち向かう作家の凄みがあった。闇夜の不気味さ怪しげさを激情の世界に置き換える作家の強い意思があった。作家中心の創作姿勢が僕を圧倒した。
 「無辜の民・シリーズ」は同じ素材を使っている。以前の「見えない」対象が、ここでは「無辜」という倫理的な涙の対象に置き換えられている。今の日本で「無辜」とは誰を指すのだろう?僕はこの言葉に倫理的な真摯な姿勢を見るが、創作家の悶え苦しむ姿を感じない。当然、作品からは緊張感は伝わらない。不可知なるものを追い求める者が、それを止めた姿に思える。

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 ↑:鯉江良二、「チェルノブイリ・シリーズ×森を歩く」。
 図録には上掲の作品を2008年制作となっている。この作品の全部がそうなのかは定かではない。このシリーズが氏の出世作と伺った。それがいつなのかを聞き忘れた。1987年9月14日から21日までに、「札幌・器のギャラリー中森」で個展をされている。事故そのものは1986年4月26日未明である。おそらくその間であろう。
 画歴を簡単に流し読みしたが、陶芸と美術、伝統と現代にアグッレシブルに活動されている。1938年に愛知県常滑市生まれだから、70歳だ。

 自分自身の鑑賞の無さを暴露するようだが、何ら心が揺さぶられなかった。
 現在、門馬ギャラリーで氏の陶芸作品を見ることが出来る。20点ほどの抹茶茶碗が素晴らしい。何度見ても飽きない。幸いにも触って感触を楽しむことが出来る。後日、写真掲載したいと思う。
 おそらく門馬邸には鯉江さんが居られるだろう。全くの自由人だ。発言・行動はプラス志向だ。その元気さは何とも素晴らしい。作品と同時に作家自身を垣間見るのも有益だと思う。

by sakaidoori | 2008-07-26 00:09 | コンチネンタル