栄通記

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2013年 10月 03日

2240) 「BOX ART 7」 たぴお 終了/9月23日(月)~9月28日(土)


BOX ART 7  

    

 会場:ギャラリーたぴお
      中央区北2条西2丁目・道特会館1F
      (中通りの西側の郵便局のあるビル。)
      電話・林(090)7050-3753

 会期:2013年9月23日(月)~9月28日(土)
 休み:日曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00
     (最終日は、18:00から宴会です。)

 【参加作家】
 池田宇衣子 田中季里 中嶋夕野 能登健一 林教司  藤川弘毅

※ 注意 ⇒ 参加予定メンバーとは随分と異なっていました。その辺もしっかり確認しなかったので、詳細を記すことができません。

------------(9.28)


 たぴおらしいグループ展だった。

 シブイ!!ちょっと寂しいかな。静かに見れて良いかな。
 皆さんはどう思われるか?


普段とは逆に、左回りで会場風景を載せます。理由はすぐに分かります。




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   ↑:池田宇衣子



 今展は池田宇衣子に尽きると言ってもいい。

 らべるの貼られた箱がびっしり、ただそれだけだ。
 余った靴箱のような、でもかなり違う。
 無印良品をウリにした既製品かな?不揃い感も見え隠れしているから違う。

 あえて中身はみせない。「空かな?」オーナーの承諾を得て一つだけ開けて見る。


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 おー、箱の正体はミネラル・ウォーターのボトル箱だった。
 他の箱もボトルが入っているのかどうかは知らないが・・・おそらく違うだろう・・・不要になって捨てきれないもの達を、綺麗に整理整頓しているのだろう。いや、中が見えないのだ。何の整理だかは分からない。分からないが、整理整頓された容器だ。いささか妖気も漂っている。

 これを美学というべきか?
 女の優しさというべきか?
 もったいない精神とうべきか?
 表現者魂であることは間違いない。

 様在るパターンではあるが、洋式便器がある。レディーメイドということならば、もっと和らいだものでも良いと思う。しかし、あえてパクリ根性を丸出しにして、「美術行為、美術作品としてこれらを見ろ」と、池田宇衣子は宣言している。


 おそらく、今作はシリーズ第一弾あるいはプロローグだろう。
 中身を見せながら第2弾、第3弾と続くだろう。期待しよう。





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   ↑:林教司


 この人にほんの少しの時間を与えれたら、といつも思う。が、今は当館の運営と何やかやで込み入った作品を望むべきではないだろう。
 だが、いつもいつも芸術のことを考えている人だ。ハズレる時もあるが、大当たりの時喜びも倍々に飛び込んでくる。

 こんなことを書いたから、今作が悪いと行っているのではない。私は氏のファンだ。
 ただ、今回は池田宇衣子に圧倒されたのは間違いない。




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   ↑:田中季里






 田中季里は当ギャラリーで修行をしている。
 今回は黒箱の世界にチャレンジした。
 彼女の制作原風景は決まっている。「海」であり、そこから生まれる、「波、青、空、漂着物、エトセトラ」、そして物語が全てを繋ぐ。

 制作動機に「ボックス・アート」という必然性があるのか?物語を詰め込めやすいから、無いとはいえないだろうが、強い動機まで在るだろうか?それに、思考が「箱」的なのかも定かではない。
 が、只今、田中季里は修行をしている。しかも社会に作品を見せながら。作品そのものを越えて、素材に様式に空間作りに関係性と、研究テーマは無数だ。
 今展もその一里塚だ。





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   ↑:東影美紀子



 当館の収蔵品でしょう。
 今展にオーナー好みの華を添えている。





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   ↑:祓川サヲリ



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 先週の展覧会からの継続出品。
 前回は全体を小さく纏めていたが、今回は横一列に伸び伸び展示だ。

 狭い世界にびっしり詰め込むタイプか?
 前回の展覧会でも真っ先に取り上げたが、面白いと思う。できれば適時、当館のテーマ展でも見たいものだ。
 グループ展でも相当量を出品できる。一杯作って、一杯見せて下さい。
  



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   ↑:


 タカダヨウと思い込んで見てしまった。キャプションを見なかったので、現段階では「作者 ?」にしておきます。


 箱が覆われていて、箱の中身なり箱を見せないのが特徴。糸が地上すれすれに垂れ流れているのもセールスポイントか。大地から生き血を吸い、箱(卵)を育てている、そんなイメージ。




 最後に改めて--




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f0126829_11391988.jpg   →↑:池田宇衣子

  
  

by sakaidoori | 2013-10-03 13:03 |    (たぴお) | Trackback | Comments(0)
2013年 08月 19日

2156)「日本美術家連盟北海道地区 アーティストによる拡げる表現展」スカイ. 終了8月13日(火)~8月18日(日)

   
  


日本美術家連盟北海道地区企画 

   アーティストによる拡げる表現展
  



 会場:大丸藤井セントラル・7Fスカイホール
      中央区南1条西3丁目
       (東西に走る道路の南側)
      電話(011)231-1131

 会期:2013年8月13日(火)~8月18日(日)
 時間:10:00~19:00
      (最終日は、~17:00まで。)  

ーーーーーーーーーーーーーーーー(8.17)


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 ボックス・アート作品が沢山あって、それ以外の壁面作品との2部構成という感じの展覧会。

 それで、ボックスアートのみの掲載です。深い意味はありません。阿部典英風にまとまったボックス・アートに触れることができたからです。おそらく、阿部典英氏が「ボックス・アート」の手ほどきをされたのでしょう。

 それぞれの作家は自分自身の表現様式を既に持っています。「慣れない?ボックス・アート、でも面白そう。チャレンジしようかな」、典英氏を導きの糸にして楽しんだのでしょう。その姿を掲載したいと思います。


 ボックスが並んでいます。なんだか夏気分から始まり、だんだんと秋深しという展示です。

 だらだらと写真が続きますが、お気に入り作品に出会いますように。爽やかな夏の影が気に入って、ついつい多めの写真掲載になりました。




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   ↑:清水淑枝、「砂漠のバラ」。


 箱の中のバラのような塊、サハラの砂が生んだ石です。「砂漠のバラ」と言われているかもしれない。
 ググッと重たく感じる作品だ。



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   ↑:石森迪恭、「やさい」。


 リアルな野菜だ。ブロンズ?重たい野菜だ。きっと高い野菜だろう。



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   ↑:小林さと枝、「シンメトリーからの脱出」。


 楽しみの一環としてのボックス・アートなのに、作家自身の制作上の課題をテーマにしているみたいです。そうなんです。作家は一所に留まってはいられない。脱出、飛躍、跳躍です。



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   ↑:亀井由利、「生きる」。


 遠くから見たら、「何だろう?」。そして近づけば注射器です。作品の全体印象は病まっただ中には見えません。きっと注射器さんにお世話になったのでしょう。それも随分と。ついつい「さん」付けして呼びたくなります。



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   ↑:伊藤光悦、「hot spot」。


 海への鎮魂でしょう。何に対する?
 沈んでいく・・積もっていく・・・黒の世界・・・それでも・・・。



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   ↑:宮地明人、「母子像」。


 綺麗な作品なんですが、綺麗さに反して変な作品です。ちょっとエロチックに感じますが・・・そして、「母子像」。さて何を表現しているのでしょう?




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   ↑:渡辺貞之、「明日の独裁者の頭脳」。


 これはもう、タイトルの通りに楽しみましょう。皮肉と冗談と告発として。




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   ↑:鈴木秀明。左から、「貝の夢」、「コンポジション」。


 「破壊」と「蓄積」をテーマにしている作家です。ですが、何て可愛くてあどけないのでしょう。きっと、心地良い気晴らしになったことでしょう。




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   ↑:、鉾井直作「振れ愛(B)」。


 普通なんですが、単純素朴な主張にハッとします。



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   ↑:松木眞智子、「Memory」。



 バラと想い出はよく似合う。




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by sakaidoori | 2013-08-19 16:01 | 大丸藤井スカイホール | Trackback | Comments(0)
2012年 10月 21日

1837) 「野又圭司 展 -生きるためにすべてを放棄-」 レタラ 10月6日(土)~10月29日(月)

 
野又圭司

     -生きるためにすべてを放棄
        


 会場:ギャラリー レタラ 
      中央北1条西28丁目2-35 MOMA place 3F
      (アメリカ領事館の斜め向かいの白いビル。)
     電話(011)621-5600

 会期:2012年10月6日(土)~10月29日(月)
 休み:火曜日(定休日)
 時間:12:00~18:00 

ーーーーーーーーーーーーー(10.21)

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 ボックス・アート14作品が一列に並んでいる。1作品のみが光が好きなのだろう、離れて一人でいる。何とも可愛らしくたたずんでいる。その全体が愛おしい。それ以上に、学生時代から一貫した制作態度に、驚きもし、さすがだとも感じ入った。


  1963年  函館市出身
  1989年  北海道大学文学部哲学科卒
  2007年  第16回道銀芸術文化奨励賞 (道銀文化財団)
    現在   北海道岩見沢市在住


 ユーモア、皮肉、風刺、怒りのオン・パレードだ。社会現象に対する意義申し立てであり、衝撃を受けた事件に対する覚え書き(記念作)だ。その精神は「生きることの意味」の問いかけだろう。さすがは哲学を修めた学徒だ。衰えることなく現在に至っている。

 しかし、今展の意義は作家の制作意図以上に、その制作性癖が赤裸々に垣間見れることだ。木作りを中心にしたマニアック的拘りで満ち満ちている。芸術家的破天荒よりも、物作り大好き少年が手抜かりなく大事に大事に作っているのがヒシヒシと伝わる。
 実は、氏は多くの大作を手がけている。「美」や「技」が目的ではなく、「社会批判」や少数者への感情移入を目的にしている。作品は決して未完成的な部分や荒々しさを残してはいない。綺麗に磨き上げ、コンパクト感をともなって、「完成形」として僕たちの前に鎮座している。どんなに大きな作品を提示しても、雄大な気分や、怒り天に達するという気分にならない。あまりに作品の一つ一つが可愛く綺麗に処理されているからだ。それは氏の優しさかもしれない。「虐げられし人々」への眼差し、その生活臭を汚く見せることに氏の美学が許さないのだろう。だから、静かな怒りとしてつねにそこにある。
 
 そのことは僕には氏の弱点、あるいは作品の弱さの原因ではと思っている。
 今、小品の中に、手作り少年の初々しさを見る。あるいは完結美を思う。

 学生時代の最初期に「体内回帰」、「旅行鞄」、「天動説」という作品がある。そのタイトルに注意したい。「自分が自分であること」、「放浪者」、「自分とは無関係に世界は動くという自他性(自他の区別)と他者の有り様」と僕は読み替えた。社会性を深めながらも弁証法的にグルグルと廻っている作家なのだろう。

 個々の作品感想および解説は限りなく省略します。タイトルを楽しんで下さい。



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     ↑:左側、「体内回帰」・1988年。
     ↑:右側、「旅行鞄」・1988年。


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     ↑:左側、「天動説」・1988年。
     ↑:右側、「鳥人」・1991年。

 鳥人は超人でもあり、ニーチェになりたかったのかもしれない。「神は死んだ」(ニーチェの言葉)、そして人だらけだ。


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      ↑:「昇天」。


 ニーチェ的に神のことを考える一方、生きることを神的比喩で思考したかったのだろう。所詮、欧米的神観念はいずれは払拭せねばならないだろう。



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     ↑:「20世紀の保存 (破壊されたレーニン像の右手の薬指)」・1992年。


 1991年、ソビエト連邦は崩壊した。その衝撃を受けての作品。


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     ↑:左側、「魚からダイオキシン」・1995年。     ↑:、右側、「終末論の安息 (携帯用サリン噴霧器)」・1995年。


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     ↑:左側、玩具の生命」・1998年。
     ↑:右側、「死ぬのはいつも他人ばかり」・1999年。


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     ↑:左側、「携帯電話」・199年。
     ↑:右側、「自販機作品」・2005年。


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     ↑:左側、「オンカロ」・2011年。
     ↑:右側、「生きるためにすべてを放棄」・2012年。


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     ↑:「20××年 日本再鎖国」・2009年。



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by sakaidoori | 2012-10-21 20:30 | レタラ | Trackback | Comments(4)
2012年 05月 10日

1741)「BOX ART 6 」 たぴお 5月7日(月)~5月12日(土)

   
○ BOX ART 6       

   
 会場:ギャラリーたぴお
      中央区北2条西2丁目・道特会館1F
      (中通りの西側の郵便局のあるビル。)
      電話・林(090)7050-3753

 会期:2012年5月7日(月)~5月12日(土)
 休み:日曜日(定休日)
 時間:11:00~17:00

※ オープニング・パーティー ⇒ 初日 18:00~ 

 【参加作家】
 糸原ムギ 田中季里 能登健一 林教司 藤川弘毅 宮森くみ  
      
ーーーーーーーーーーーー(5.9)

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 持ち寄りグループ展ということで、全体のワイルド感には欠けるが、一つ一つの作品はキュッと引き締まって個を感じる。

 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


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     ↑:藤川弘毅


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 写真家・藤川弘毅から写真が消えた。廃品を利用した立体造形作家になった。
 廃品は写真の額縁として使われていた。確かにその始まりから、写真を生かすというよりも、廃品の額縁への応用を楽しんでいた。そして額縁という特定の役割を廃品は越えていった。いや、藤川氏自身の意欲・意識が高まったのだろう。作品を通して、「藤川弘毅」はいつも「たぴお」にいるんだ、という存在証明に転化した。作家の誕生だ。
 氏の作品の特徴は「存在感」にある。それは廃品という殻を持つ以上、宿命のようなものかもしれない。今展ではしなやかさや感情線も出てきた。さらに、針金の束や残骸は「過剰」という方向をも伺わせる。
 ただ、現時点では立体作品に留まっている。確かにインスタレーション的な場との繋がりや関係性の雰囲気はある。が、単体一個で完結させる作家スタイルに留まっている。ギャラリーたぴおという空間全体との語らいを見たいものだ。
 いやいや、そんなに焦って藤川弘毅を見る必要はないだろう。ここまで来るのにも時間を必要としたのだから。作品は大きくなりたいとつぶやいているのだ。じき見れるだろう。



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          ↑:田中季里


 浮遊感がテーマだ。「ボックス」なのに軽やかさや空間を見つめる感覚が新鮮だ。若い女性特有の「かわいさぶりっこ」からは遠い。浮遊感といっても安定している。不安感をそそる所在なさとは無縁だ。「ぶりっこ」とは違った若さ・・・、青、この作家にとっての春と宙(そら)なのだろう。
 真ん中の箱を描いた絵画、絵で「箱」のありようを表現している。何があるんだろうと覗きたくなるような、そして華が咲きそうな青い箱空間だ。


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     ↑:糸原ムギ、「J.C 『ミシンと女』より 『WORD・・・』」。


 糸原ムギ、どこか場違いな違和感を表現する人だ。作品の持っている本質的なキツサが違和感の原因だ。スローカーブ感覚で展示空間を楽しむのだが、ボールはいつもキャッチャーには届かない、消えてなくなっている。探せば変な処でボールは揺れている。


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 今展のミシンのありよう、ズバリ、という作品だ。
 ミシンが凶器になった。まるで「ミシンが女をダメにした」と言わんばかりだ。それはミシンへの怨念でもあろう。つまり、性としての女ではなく、社会的ありようとしての女の表現だ。ミシンに託して、社会や男へ叛旗をひるがえすのか。「違和感の人・糸原ムギ」が、「闘う女・糸原ムギ」を垣間見せている。



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     ↑:能登健一


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 何なんだろう、この優しさは。もうこれはヤク(薬)だ。「やさしさ教」というヤクだ。
 能登健一、その爪のアカを煎じて飲めば、傲慢栄通も少しは変わるかもしれない。あー、「やさしさ教」。



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     ↑:宮森くみ


 ポッキーには夢があったのか。
 僕らの時代はグリコだった、マーブルチョコレートだった。中に入ったオマケに夢があった。宮森くみはお菓子は放り投げて、空箱に夢を見るのだろう。ポッキーを食べながら。


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          ↑:林教司


 写真を拡大して楽しんで下さい。重厚に行儀良く収まっています。




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     ↑:竹田博



 誰かさんの仮の姿みたいだ。竹田版、泣き笑い狂言師だ。

by sakaidoori | 2012-05-10 10:30 |    (たぴお) | Trackback | Comments(0)
2010年 08月 23日

1349) たぴお 「EXBITION of BOX ART 4 (ボックス・アート展)」 8月23日(月)~8月28日(土)


○ EXBITION of BOX ART 4
   (ボックス・アート展)


 会場:ギャラリーたぴお
    中央区北2条西2丁目・道特会館1F
    (中通りの西側の郵便局のあるビル。)
    電話・林(090)7050-3753

 会期:2010年8月23日(月)~8月28日(土)
 休み:日曜日
 時間:11:00~19:00

※ オープニング・パーティー  ⇒ 初日 18:00~

 【参加作家】
 池田宇衣子  佐藤美紀子 能登健一 林教司 藤川弘毅 (神野茜)                   

ーーーーーーーーーーーーー(8.22)

 今日の月曜日からの展覧会です。
 ところが、何とはなしに昨日ギャラリーに立ち寄ってしまった。ほぼ展示は終了していて、全容を見ることができた。会期前のフライング的な掲載ですが、楽屋的な雰囲気のある展覧会場を載せます。
 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


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 日本のお盆は終わったというのに、ギャラリーたぴおではまだまだ常世との儀式が続いている。いや、常世という和風ならぬ洋風だ。大バッハのピアノ曲が会場に流れていて、葬送の儀式を楽しむ風情の会場だ。

 圧巻は15個の黒箱の横並ぶ姿だ。一切の間合いを拒否して、横に横に拡がる。緊張感と静けさによる、互いの語らいだ。


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     ↑:池田宇衣子


 これらの作品は一度当館で披露済みだ。コーナーのある場所での縦並びだった。
 今回は実に贅沢な展示だ。グループ展だが、この作品を盛り立てるようにして他の作品がある。良き友人(ともびと)たちだ。
 池田作品が大きく手を広げて立ちすくんでいる。僕らもそれを見て、同じように手を広げ大きく深呼吸しよう。美味き空気はノドを通り、胸を膨らませる。そしてゆっくりと静かに吐き出そう。五体を巡り巡った空気は、汚れをつれて体内から去っていくだろう。儀式とは目に見えぬものとの交歓だ。たとえそれが「錯覚」であっても構わない。たぴおは甘い錯覚を作った。


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     ↑:佐藤美紀子。


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 この作品も今春のグループ展「ループ」に出品されていた。
 ひからびた仕上げだが、箱に詰まった若さがいじらしい華を添えている。この作品を明るく見るか暗く見るか、見る人の心理が素直に反映されるだろう。

 池田ルネサンス風作品に天使のように寄り添っている。愛すべき小悪魔だ。


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     ↑:林教司


 何を作っても上手い人だ。
 人は林教司の器用さに、「器用貧乏」とあだ名する場合がある。一本に絞ればもっと大成するのに、という思を込めた憧れと皮肉である。
 僕は偉大なる芸術家は偉大なる器用人と思っている。要するにそれなりに何でもできるのだ。だから、氏が偉大なる芸術家になる可能性はある。実際、氏のレベルがどれほどかは知らないが、北海道を代表する一人である。
 60歳を超えられた。いよいよベテランの域に入ってきた。大きな男華、期待しよう。「鉄の人・林」、「「愛と闘いの人・林」でもある。

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 作品にはいろんな個人史が重なっているのだろう。絵解きができれば面白いのだが、ただ作品として眺めて満足してしまった。
 特に左側の作品が分かりづらかったので、作家に伺った。横文字はジョン・バチュラーの「アイヌ語辞典」とのこと。スプレー缶は赤い菊模様、それだけ聞けばあとは想像の花が咲く。


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     ↑:能登健一


 確かにデザインです。が、この赤さ加減が良い。赤と黒、赤赤赤赤・・・。
 一人機械的な箱の線なのだが、描き手の優しさかからくるものか、描かれた箱の一つ一つが蓋を開けて揺れ動いているよう。



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     ↑:藤川弘毅


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 写真を立体造形で再構成する藤川弘毅。
 ジュラルミンの演説台、てっきり裏側には美女の写真ありきと思いきや、マネキンだった。このマネキンがすこぶる美人で困った。乳房も精巧で限りなく困った。
 さて、その心は?意味不明ながら、とりあえずは美人を檻の箱に詰めよう。ちょっとサデスティックな良い気分。

by sakaidoori | 2010-08-23 16:33 |    (たぴお) | Trackback | Comments(0)
2009年 06月 11日

1002) たぴお 「BOX ART 『3』・展」 6月8日(月)~6月13日(土)


○ BOX ART 「3」・展  

 会場:ギャラリーたぴお
    中央区北2条西2丁目・道特会館1F
    (中通りの西側の郵便局のあるビル。)
    電話・林(090)7050-3753
 会期:2009年6月8日(月)~6月13日(土)
 時間:11:00~19:00
     (最終日は、~18:00まで)

 ・オープニング・パーティー ⇒初日、18:00~

 【参加作家】
 柿崎秀樹 名畑美由紀 能登健一 林教司 藤川弘毅

ーーーーーーーーーーーーー(6・10・水)

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     ↑:名畑美由紀、(タイトルなし)。

f0126829_10552568.jpg 箱を風呂敷で包んでいる。大、小、中と・・・ただそれだけの作品。
 「骨箱」だろう。


 会場は小中品の展示で数も少ないから、静かに作品間を通路のように歩く。
 柿崎秀樹のユーモア交じりの自虐的かつ攻撃的作品もあれば、能登健一のデザインによるボックス・アートの裏攻めもある。藤川弘毅は軽くリサクルを楽しんで沈溺している。林教司はいつものように過去と死を見つめている。名畑美由紀は重箱を包んでいるともいえる作品を並べている。
 だが、全体に沈鬱というか、物を自己そのものを見つめようという視点が強い、ボックスという閉ざされた空間への吸引力が強い。だから、この風呂敷包み作品も「骨箱」として見てしまう。

 「骨箱」として観るし、あれやこれやの想念が浮かぶ。だが、この作品の価値はこういう物を提出した行為と意志にあるだろう。強く作られた作品と構える必要はない。この作品自体は誰でもできる。縛り方や生地や大きさのあれこれを言っても意味はない。

 ことさらマチエールや技術などを問わなければ、誰でもが「視覚芸術(美術)」の表現者になれる。万感の思いを込めて、路傍の石を石として、その人の感覚で他人に見せる内発力と勇気があれば、それで表現者だ。今風にいえばアーチストだ。
 他人の目を気にした奇を衒う作品もあるだろう。それも可だ。だが、他人の目ばかりを気にしていては長くは続かない。

 おそらくこれは「骨箱」だろう。作家には何か物語があるのかも知れない。
 それよりも、僕でも出来る物を何食わぬ顔で作品として展示した行為が心憎い。


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     ↑:柿崎秀樹。左から、「禁欲者」、「人間は誰でも便をする」。

 「禁欲者」はお金を額に入れて作品化されている。だからお金は使用不能。だが愛でて触って持っているという一人だけの喜びはあるだろう。
 「人間は・・・」、便も作っている。もっとリアルだと困るのだが、程よい味付けだ。


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     ↑:藤川弘毅

f0126829_11432224.jpg 藤川・美学の一つに綺麗な並べ方がある。自然体とは違うのだが、極端な誇張や破綻を排する。
 今展の全部にそのことが言えるが、左の作品が良い例だ。
 「綺麗に並んだ。手で優しく触ってあげよう」。作家の呟きが聞こえそうだ。








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     ↑:林教司

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     ↑:左側、「HAYO PIRA」。
     ↑:右側、「伊藤玲児に捧げる。  -絵の具箱と筆とー   伊藤玲児」。

 「ハヨピラ」。
 救急箱の中に砂を入れ、兄妹の写真とピラミット。

 UFOに詳しい人は「ハヨピラ」と聞いただけでもピーンとくるかもしれない。平取町沙流川右岸の地域で、近くに義経神社があるところだ。今もそこのハヨピラ公園内に、このピラミッドが建っている。昭和42年に宇宙友好教会という団体がUFOと交信のために建てたそうだ。かなりの大きさがあって、一時は寄付された町が、公園内施設として管理していた。維持が難しくて、今では立ち入り禁止の危険な物件になっているとのことだ。
 (ちなみに、「ピラ」は豊平・トヨピラと同じで崖の意。かつてのサル川が浸食してできた崖かもしれない。そのサル川、今はかなり東を南下している。)

 写真の男子は林教司本人。氏は1947年室蘭生まれだから、このピラミッドの建設時期は二十歳だ。写真の実年齢とは合いそうもないので、写真の子供の頃にこの施設と関わってはいないようだ。ピラミッドは何かの暗喩・象徴かもしれない。

 「ハヨピラ」、兄妹・家族にこの辺りでの思い出があるのだろう。どこかもの悲しい作品だ。重厚さはいつもと同じだが、普段にも増して具体的メッセージがある。当然、美術というレトリックに覆われたメッセージだが。


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     ↑:能登健一。

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 (参加人数が少ないので変に頑張りすぎてしまった。)

by sakaidoori | 2009-06-11 12:10 |    (たぴお) | Trackback | Comments(0)
2009年 06月 02日

988) JRタワーARTBOX 「山本雄基 [みえないみえる]」 5月1日(金)~7月29日(水)

○ 山本雄基 
    [みえないみえる]

 会場:JR札幌駅東コンコース・JRタワーARTBOX
     中央区JR札幌駅構内
     (地上東コンコースの西壁面。東改札口の南側)
     問合せ・JRタワー展望室アートチーム
          電話(011)209-5075
 日程:2009年5月1日(金)~7月29日(水)
     (会期中無休)
 時間:8:00~22:00

 次回予告: 田村陽子、「記憶する足形」。
          (「アートボックス」公募受賞作品展。)

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 ある機会に山本雄基君と話しをしていたら、帯広出身だと知らされた。父親の職業上、引越しも沢山したという。

 帯広だったのか!
 大きな黒くて円い「月」の絵を見たことがある。単に、円が好きだから画いたのだろうと思っていた。闇夜に大地に寝そべって空を仰ぎ見ているとも感じたが、何かの気まぐれで遊び心で描いたと判断した。他のカラフルな絵とのマッチングが理解しがたかった。
 帯広だったのだ!
 あの月は気休めなんかではなかったのだ。彼の具体的な原風景の一つだろう。
 風土論で山本君を語る事にしよう。

 帯広は実にあっさりとした地形だ。東側のみにある山は極端に高い。西に広がる平野は果てしない。牧草地の防風林が意図的直線となり台地を切り結んでいる。地平線に落ちる夕焼けは青、黄色、朱、ピンクと七色の色をなして輝いている。本当に一日の終わりを演じている世界だ。
 内陸性の寒さは札幌の比ではない。その寒さは空気を特異な色にしているだろう。同じ内陸の旭川も寒いが、空気が帯広と違う。旭川の川の水量の多さは冬場に霧を発生させる。昼間でも一瞬にして乳白色で一寸先が闇になる。帯広も川の多い所だが、日高山脈が大雪山に比して山としての厚みは無い。春先の洪水以外は乾いた穏やかな川だ。乾燥した空気色だ。

 もしかしたら、この帯広の特異な茫洋とした姿に喜びだけではなくて、恐れおののいた体験が山本君にはあるのかもしれない。

 彼は「みえないみえる」ことに拘る。
 自己の絵の説明文に

 ・・・目の前にあるのに触れられない感覚、実体感があるようでなさそうな、何を見ているのか分からなくなってくるような不安さと、色彩と交錯のリズムの心地良さが同時に訪れるような感覚を求め、それを絵画として成り立たせる・・・

 彼の絵には似つかわしくない「不安」という言葉が突然に顔を出した。上記の文章はまるで不条理文学ともとれるが、むしろ帯広という風土の原体験を自然という言葉を排して語っているのではないだろうか。
 彼は防風林の樹頭で色や形が重なり乱舞する夕焼けを美しいとうっとりと見つめた少年だったかもしれない。一人で見ていたのだ。その光景と一体化したいと夢想したかもしれない。夢想は時が経つにつれて、かなえられない思いを自覚し、得体のしれない不安が宿り始めたかもしれない。
 彼は何度も引越しを当地で経験している。おそらく転校のある時期に自我に目覚めただろう。友達もできたこととは思うが、度重なる引越しで人一倍自然との観想体験を持ったかもしれない。自然がいつも存在する友達なのだ。

 「不安」、かれはカラフルな絵を画く事によって、自分の「不安」を思い出しているのかもしれない。その不安を「絵という形」にすることによって自信を取り戻しているのかもしれない。
 だから彼の絵は非常に個的なものだ。この個的なものが一般人の感性と直ぐに結ばれるという保障はない。


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 部分図です。
 今作はいつもとはかなり違っている。普段の平面をただ重ね合わせたような交錯の世界とは違っていた。一つ一つの円が優しい。非常に立体的に描いている。立体的に画く事によって、裏側の見えないところを「見たい見えない」という快感や不安を呼び起こそうとしている。

 道行く人はほとんど彼の絵を見ることはない。飾りのようなウインドーだ。それでいいのだ。
 絵は何時になく味わい深い。じっくり見て欲しいが、見られること少なくても構わない。それが現代芸術だ。

by sakaidoori | 2009-06-02 21:21 | JRタワーARTBOX | Trackback | Comments(0)