栄通記

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2010年 07月 29日

1318) ども 「大島龍・作品展 RESONANCE・海の聖母」 終了・4月22日(木)~5月9日(日)

○ 大島龍・作品展
   RESONANCE・海の聖母
 
 

 会場:ドラマシアターどもⅣ
    江別市2条2丁目7-1
      ドラマシアターども内
    (JR江別駅近く。
     駅を降りて右側へ千歳川に向かって徒歩3分ぐらい。レンガ造りの大きな二階建ての建物)
    電話(011)384-4011

 期間:2010年4月22日(木)~5月9日(日)
 休み:月曜日(定休日) + 5月4日
 時間:10:00~19:00

ーーーーーーーーーーーーー(5・1)

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     ↑:「群狼疾走」。

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 演劇会場を利用しての大島龍・版画展。「狼」と「青き海」だ。

 誰もいない会場に、いの一番に入場する。
 組み大作「群狼疾走」の中で、見事な「空白の部分」があった。剥げ落ちた作品は元通りに収まり復元された。だが、この「空白の部分・白い欠落」が気になった。


f0126829_1233817.jpg 闇夜に疾走する狼たち、怒れる獣たちだ。鋭いノミ跡といい爆発的様相を示してはいるが、動きに乱れはなく一方向を目指している。拡散志向であるべきなのに、僕には収縮的に見える。コスモス的な拡がり(闇)の中で、身近なある一点に「何か」を求めているような狼の動きだ。いかに狼の動きが激しくても、いかに多数の獣姿で群れようとも、この版画世界は感情爆発型ではない。迷いでもない。その「行き着く場・求める姿」の象徴として、この「白い欠落」があるように思えた。

 この「白い欠落」の探求が具象作品から抽象作品へ、青き海へ「海の聖母」へと受け継がれたのだろう。海、それはマクロコスモスだ。聖母、それはミクロコスモスだ。祈りにもにた男のロマンの旅路であろう。

 広い世界の中で、一点を求めて激しくのたうち回る。それが「群狼疾走」以前の画家の姿だったのだろう。以後の「海」シリーズでは、支持体の紙そのもの、紙に塗られる色そのものと対話しているようだ。「光を求めて、生命を求めて、その根源を求めて」という祈りにも似た精神行為かもしれない。
 だが、悟り安住する年齢には見えない。未だ65歳にならない。群れる狼の個としての哀しい表情、ここにも男・大島龍の姿がある。確かに「恋に恋する男のロマン」と指摘されるかもしれない。だが、見る者には愛おしくなる目だ。
 「海」の前で祈る姿は美しい。が、今は無き「狼」が「祈り」としてだけ再生されるのは寂しい。
 「海」に行かざるをえなかった精神、可能性を秘めた「海」なのだろう。


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     ↑:全て「RESONANCE・海の聖母  風紋・古代の情熱」。

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     ↑:ともに「天地交響」。


 (以下、メモ。)

 「海」シリーズは味わって見る、あるいは時間をおいて繰り返し見るという作品でしょう。その淡さに水彩を、重ねる塗り込みに油彩を連想する。
 狼作品の左側の「海」作品、大作です。本来ならば、「狼」とにらみ合うべき好一対の作品で、壮大な拡がりを展示空間に生んだことでしょう。場所の間取りや作品背景との関係で矮小化されたのが残念。この2点の対峙に作家の可能性を見る思いです。

 喫茶室の隣室にも小品が展示されていました。小品中心で、等身大の心地良さがありました。

by sakaidoori | 2010-07-29 13:22 | [江別] | Trackback(1) | Comments(0)