栄通記

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2011年 11月 16日

1615) 「公募展 Sapporo Phot Stage 2011 (前期展)」 cai02  11月4日(金)~11月11日(金)

○ 公募展 Sapporo Phot Stage 2011 

    さっぽろフォトステージ 2012  
         
 会場:CAI02 raum2&3
      中央区大通西5丁目 昭和ビル・B2 
      (地下鉄大通駅1番出口。
    ※注意⇒駅の階段を下りてはいけません。
          昭和ビルの地下2階です。)
     電話(011)802-6438

 会期
  前期:2011年11月4日(金)~11月11日(金)
  後期:2011年11月15日(火)~11月22日(金)
 休み:日曜・祝日  
 時間:13:00~23:00
      (前期の最終日は、~20:00まで) 

 【出品作家】
 公募による多数。
           
ーーーーーーーーーーーーーーー(11.8)



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 前期展は終了しましたが、現在作品入れ替えによる後期展が開催されています。

 2008年から始まって、今年で4回目です。いままでは選ばれた写真家による個性重視の作品展だった。今回はすこぶる様子が違う。「公募展」だからだ。どういう基準・方法で公募しているのかは知らない。多人数によるそれなりの傾向をともなった写真群だ。どういう傾向かを読者の方にも楽しんでもらいたいところだ。多くの作品の紹介をしたいところだが、ここは私の好みと流れでいきます。以下、適当に個別作品を載せていきます。

 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


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          ↑:kensyo、「p.m.」。

 ご存じ、美しきヌードとその現代表現で格闘しているケンショーだ。「ヌード(美)と格闘」とはミスマッチと聞こえる。実際、「戦闘的挑発的ヌード」という意味ではない。あくまでも「美しいヌード」が基本だ。よくは分からないが彼は「ヌード」とともに何かと闘っているみたいだ。
 今作、誠に美しい作品だ。「絵画のようだ」と言いたい。そして、それが撮影者のねらいのようだ。額装を水彩画張りにしたかったとの事だ。水彩画用の紙を使っている。
 撮影者の行為と意志を画家に対する挑発ともみえる。「現代美術」表現の一つである「視覚トリック」を考えているとも見える。が、それにしても綺麗だ。作品を「綺麗だ」と言い切れば文章はつまらい、お終いだ。今日はケンショー氏に「参った」ということで文を止めよう。


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          ↑:置田貴代美、Phase」。

 置田貴代美は空気感や存在感を醸し出しての心象作家だと思っている。
 最近の撮影者は風景を撮っている。その作風から言えば、心象を風景に重ねて表現している、と言えばいいのだろうが、そう言い切るには「風景」にこだわっている。一心に「風景」を見つめている置田貴代美をみる感じだ。古典的日本画家の風景へのアプローチに近いのでは。彼等は「気韻生動」ということが重要であった。己を滅しての自然美である。どこか禅的でもある。この「己を滅する」というところが少しばかり置田貴代美は違うようだ。間違いなくそこに作家の心象は投影されているからだ。ただ、何というか「自然の相に没する」態度が強くて、「自然(客体)」と「己(主体)」の微妙な関係が、見る僕の感心を呼ぶ。
 やはりこれは「置田貴代美・個展」で明快にみたいものだ。


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          ↑:高井稜、「響奏」。

 「強く対象を見つめて、強く表現する」、そういう撮影者だと思っていた。
 先日、某写真館で個展をされていた。その時は上掲の作風ばかりの展示だった。強さはヤッパリと思ったが、その遊び心に驚いた。細かい方法は分からないが、パソコンでいろいろとこねくり回しているのだろう。基本は「形と光」だ。それは撮影者の言う「響奏」を表現しているのだが、僕には「響奏」を指揮する高井稜の「遊び」が良い。しかも、「強い遊び」が良い。自然(被写体)だけでは満足できない茶目っ気と「作る意欲」に感心したものだ。
 「作る写真家」、しかも「熟女パワー」が良い。「作る熟女写真家・展」、そういう人達を集めたくなった。


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          ↑:Yuka Fujita、「wave 1 ength」。


 横長の作品を山折りにしての展示。作品の流れはドンドンバキバキと折れ、見る方の自然の流れを中断し、強引にある情景に意識を止まらせる。そういう時はやはり「人物」だ。人の目は一端そこに止まる。

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 画家・齋藤周氏の近年のシリーズを思う。見えない顔達がそこで遊んでいる。決して悲しい情景ではないだろう。だが、ノスタルジックさにともなって懐かしさと哀しみが同時に呼び覚まされる。海がある、崖がある、地層がある、男と女達が遊んでいる。声は聞こえるようで、でも聞き取れない。


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          ↑:土岐美紗貴、「同じ風景の見方」。

 僕は2点一組に強い関心を持っている。最低限の作品数で、切り取られた主義主張を表現できるからだ。


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          ↑:山岸せいじ、「はじまりのお話」。

 「ヒトムレ」を最近は演出している山岸せいじ。今回はごっつい額装にかわいい色合いの世界、ちょっとメルヘンチックな出で立ちだ。「はじまりのお話」、それは恐い恐い物語なのでしょうか?かわいく夢一杯なおとぎ話でしょうか?


f0126829_9581766.jpg ←:鳴海介、「odeur」。

 先日、同じこの場所で3人展で出品していた。強い作風は好ましい印象だったが、作品の取捨選択に難があったと思った。今回はその時の作品から、絞り込んでの出品だ。テーマは「女」でしょう。作品数はグループ展の時よりも大幅削減だが、引き締まって良いムードだ。これに、撮影者独自の体質感が加味されるかなのだろう。



















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by sakaidoori | 2011-11-16 10:10 | CAI02(昭和ビル) | Trackback | Comments(0)
2010年 12月 22日

1404) CAI02 「さっぽろフォトステージ 2010 (13名の写真家展)」 終了・10月27日(水)~11月13日(土)

○ さっぽろアートステージ2010
        特別参加事業


   さっぽろフォトステージ 2010


 会場:CAI02・raum2&3
    中央区大通西5丁目 昭和ビル・B2 
    (地下鉄大通駅1番出口。
    注意⇒駅の階段を下りてはいけません。
        昭和ビルの地下2階です。)
    電話(011)802-6438

 会期:2010年10月27日(水)~11月13日(土)
 休み:日曜日・祝日
 時間:13:00~23:00

 【参加作家】
 アキタヒデキ 浅野久男 ウリュウユウキ kensyo 小室治夫 酒井広司 佐藤史恵 菅原英二 竹本英樹 露口啓二 畠山雄豪 藤倉翼 メタ佐藤

ーーーーーーーーーーーーーーー(10.28)


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 写真という風景。写真が「何かを写す」のだから、全ての写真は「風景写真」であろう。被写体がそこにあり、その被写体に全幅の信頼をおいて写真は成り立つ。
 被写体、それは撮影者にとっては「愛と憎しみ」であろう。
 「愛と憎しみ」、固い言葉だ。相手に対する「好き嫌い」と言い換えてもいい。あるいは、「止むに止まれぬのっぴきならない関心」と言ってもいい。「相手」を目に見える物と決めつける必要はない。「宇宙」から、「心の中」まで数限りなく存在する。

 今展、それぞれの撮影者の「恋」した「風景写真」だ。ギラギラすることなく、無関心を装うこともない写真群。「写真」が縁で交じり合った人達だ。作家の組み合わせに必然性はないだろう。見る人の共感を生んだか?それはわからない。共感を欲している作家達と判断したが「共感」よりも「自感」を優先しているみたいだ。いや、確実なる自分から出発するしかないのだろう。そういう意味で、安易には共感できない作品群だ。共感はできなくても楽しむことはできる。以下、僕の楽しんだ言葉だ。


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          ↑:kensyo

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 「ロマンというエロス」作家・kensyo(ケンショー)だ。
 「エロス」は性行為を前提にしている。それは「ヒト」の性(さが)だ。
 「ロマン」とは「恋に恋する姿」だ。男の性だ。

 今展、特に上掲の2枚の作品が良い。女性がまったくの「モノ」になっている、「人形」になっているのが良い。
 生命なきモノが井戸という穴に落ちそうだ。逆に、むくっと振り返って自動運動を始めそうだ。
 徹底的に女をモノにすること。そのモノが止まっていて動き始める。そこからケンショー・ロマンが始まる。哀しき物語を奏でながら。


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          ↑:メタ佐藤

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 いつもひねった道具仕立てで小難しく語る撮影者だ。
 今回、とてもシンプルに、そして美しい写真なのでホッとした。助かりもし、安心もした。
 6枚の写真。組になっている。3枚の花が一組。3枚の人物が一組。その両者を対比して見ても良いだろう。あるいは、「人と花」の上下一組で見ても良い。
 特筆すべきは花の美しさだ。その立ち姿は、どうしても擬人化してしまう。美しき花と、物怖じしない変なおじさんの組み合わせ。キュッと引き締まった存在感を主張している。「メタ」という主張と今展の存在感がどう繋がるのかは分からない。


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          ↑:佐藤史恵

 当館で、何ヶ月か前に彼女のインスタレーションを見た。対象をシンプルかつストレートに見て、大きく見せる人と思った。
 今展、ボヤケて見せているので意外だった。作品は家族と自画像か?どういう意味でのボヤケだろう?何かの自分捜しの一里塚なのか。ボヤケという意図的不鮮明さと、どうしても対象をバシッと見せたいという体質と、その両者のパワーの産物のよう。闇があってカッコは良い。真一文字の力勝負写真を次は期待しよう。


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          ↑:アキタヒデキ

 無手勝流の元気良さだ。写真は分厚くニスでも塗ったような仕上げ具合だ。

 「風景」から何を奪いたいのか?このエネルギーは単に写真を撮っただけでは満足しないだろう。
 風景を見るだけでは足りない。歩くしかないだろう。写真の旅は、自家発電的な盲目の旅になるだろう。
 写真のタイトルは「北海道」とか、アイヌ地名を冠した身近な風景のようだ。「オレはチャンと足下を見ている」ということか?足下なんか見なくていい。そんな綺麗事で、そのエネルギーは満足するのか?


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     ↑:藤倉翼、左から・「Parade」 「Snow Festival」。

 優しさというオブラートに包まれた不思議な写真を撮る藤倉翼。だが、そんな僕の先入観をあざ笑うように、「戦争物」を出品した。

 陸上自衛隊のパレード写真、そこには勇壮に戦車が走り、観客は堪能している。
 一方の「雪祭り」は自衛隊の制作物か?少なくとも見る方に、そう誘導している。軍隊が作った遊技で遊ぶ子供達。
 それは反戦ではないだろう。社会批判でもないだろう。今展の藤倉翼の「風景」だ。



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          ↑:菅原英二、「VOYAGE」。

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 重たい雰囲気の作品だ。
 撮影者のコメントが優しく不気味だ。

 「いろいろな旅をしてきた。
 長い時間をかけ、沢山の街を経由して、辿り着いた日常もあれば、いつも通っている道を1本外れただけで突然現れてくる非日常もある。
 12月26日の朝、・・・ハンバーガーを買うつもりが、銃弾を買ってしまい友達を誤って撃ち殺してしまった男・・・」

 映画のような話だ。おそらく実話だろう。
 ハエに旅人の仮の姿を想像してしまった。


 例年開かれている写真展。今回は紅一点の参加もあるが、なぜだかいつも男っぽい写真展でもある。
 半分だけの紹介で終わりました。
 来年も楽しみにしています。

by sakaidoori | 2010-12-22 22:03 | CAI02(昭和ビル) | Trackback | Comments(0)
2008年 11月 13日

805) ①写真ライブラリー 「(8人の作家による)さっぽろフォトステージ」 11月3日(月)~11月16日(日)

○ さっぽろ フォトステージ
    ~この街で、写真を生み出すということ~

 会場:札幌市写真ライブラリー
    中央区北2条東4丁目 サッポロファクトリー・レンガ館3階
    電話(011)207-4445  
 会期:2008年11月3日(月)~11月16日(日)
 時間:10:00~19:00
     (最終日は~17:00まで)

 【参加写真家】
 浅野久男 ウリュウ ユウキ 黒田拓 kensyo 佐々木秀明 竹本英樹 鳴海伸一 メタ佐藤

 主催:さっぽろフォトステージ実行委員会
 共催:札幌市写真ライブラリー
  ※「FIX・MIX・MAX2」連携企画
  ※「さっぽろアートステージ2008」特別参加事業

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 会場は広いギャラリーの向かいの細長い空間。普段は札幌の風景の記録的写真を常設展示している場だ。案内板に広い会場と書いたのは間違いだ。
 その細長い通路の両側にそれなりの作品数の展示。

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 グループ展を載せるのにいつも考えてしまう。全員を載せるのが大変なのだ。それに書きたい人の軽重もあり、取捨選択に躊躇してしまう。そういう意味では今展は全員を載せたい。しかも詳しく載せたい。だがそれは能力に余る。入って右回りで載せていく。愛すべき鳴海君は最後なので載せられないかも知れない。その時はゴメン!

 今展のテーマは「この街である札幌」、そして「フロンティアラインとしての札幌を見る出入口という視点」だ。

 ① 被写体としての札幌 ・・・ウリュウユウキ 黒田拓 浅野久夫 鳴海真一
 ② 出入口         ・・・佐々木秀明 竹本英樹
 ③ 札幌で撮るということ・・・kensyo メタ佐藤
    (今展のテーマにこだわらないマイペースの撮影家)

 以上の3分類できると思う。ウリュウユウキ以外はどこかピンボケしたり淡くもやもやとして、作品に撮影者の技巧がダブっている。白黒有り、カラー有り、風景有り、裸婦ありと被写体へのアプローチが一様でなく、それでいて極端な主張が感じられない統一感がある。しかし、好みは見る人によって相当にばらつきそうだ。


○ kensyo の場合

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 作品は全部で4点。以前、CAI02で発表済である。
 美しくモデルに迫る。まるで生娘のように、生まれたばかりの蚕のように娘に迫る。その娘を檻に入れている。コレクター的感覚というのだろうか?写真による現代の春画といえなくもない。エロスという耽美主義と社会批判の両天秤。
 来年の2月に昭和ビル・CAI02で個展を開くとのことだ。


○ ウリュウ ユウキ の場合

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 「私の写真は街の写真・旅の写真」とウリュウユウキは会場の自己紹介文で言い切っている。そして、連続してこの時期に3箇所でグループ展に参加している。すべて札幌がテーマだ。彼はこの地の生まれではない。在住6年目の札幌市民だ。その生活の月日の重なりが「札幌写真家」としての自覚を高めたようだ。

 ウリュウユウキは優しい。
 今展はその優しさが強すぎたようだ。だが、それはそれで良いことだ。ようやく「札幌」を見つめる地点に立ったのだから。都会としての「札幌」はいろいろな顔がある。旅人の目は優しくとも時には冷たい眼差しも必要であろう。優しさを前提にした冷たい写真群も見たいものだ。


○ 佐々木秀明 の場合
 
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 淡い乳白色の心象スナップのような風景。写真家の目は札幌の新川河口を見せた後に、突然積丹のトンネルを我々に見せる。それらのトンネルは全て入り口が塞がれている。そうなのだ、使われていないトンネルの入り口を撮っているのだ。今展の隠れたテーマである、「アートへの入り口」を塞がれたトンネルで応えているのだ。

 心象性と社会性、見事な写真家の目だ。トンネルはもしかしたら単なる電車愛好家の趣味かもしれない。それにしても、壊されること無く無造作に存在している「過去のトンネル」の実在に驚く。その数も相当なものだ。写真家は技術なくしては「写真家」足り得ない。だが、眼差しの鋭さなくしては多くの写真家集団の一人に埋没するだろう。
 淡くたゆたゆしい佐々木スナップ写真。過去と現在を乳白色で我々に提示する。過去の記録の為か?明日への存在証明か?


○ 竹本英樹 の場合

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 (↑:全作品を載せてしまった。4枚にすべき所を取捨選択を怠ってしまった。教訓ー載せればいいということではない。)

 今作は竹本秀樹が写真表現者になろうとしてもがいていた時期の、その方法に気付いた時の作品群だ。撮影者自身にとっての「アートへの入り口」だ。
 ニューヨークでの9・11事件の2週間前に当地のスクリーン映像を8mmフィルムに収めた。動画としてのフィルムを写真としてのネガに置き換えて再構成されたものだ。氏の作品の両端に黒い部分が見えるのは、8mmフィルムの痕跡だ。

 幾段にも人為的作業が重なっている。「8mm撮影→フィルムの点検→写真としての選択→(もしかしたら、そのネガをもう一度写真撮影しているかもしれない。)→写真作品」。どこかアメリカで発達したフォトリアリズムの手法が思い浮かぶ。今作は8mmという説明がなくても動画的だ。氏の作品はいつも明度高くてぼやけている、流れを感じていた。時間の機械的記憶である8mm撮影、一瞬の機械的切り取りであるシャッター・チャンス。そこに竹本秀樹はしなやかに入り込んでくる。


 (以下の撮影者は②で簡単に報告したいと思います。若干遅くなると思います。)

by sakaidoori | 2008-11-13 20:53 |    (写真ライブラリー) | Trackback | Comments(1)