栄通記

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2007年 02月 04日

39) さいとう 「多摩美術大学版画OB展 2007」 ~4日(日)明日まで

○ 多摩美術大学版画OB展 2007

 場所:さいとうギャラリー
     南1西3 ラ・ガレリア5F
     電話(011)222-3698
 期間:1月30日~2月4日(日)
 時間10:30~19:00(最終日は17:00)

 めったに見られない道外若手の版画展です。力を感じます。40名以上います。面白いです。(遅いので続きは明日)
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(写真は友野直美さん)

 毎年、といっても4,5回くらいだが、その年によってムードが違っている。ある年から小品販売壁ができて全体のムードが親しくなった。今年は参加者が多いということでテーブルを用意して小品を販売している。10周年記念で2割が札幌福祉関係に寄付されるということだ。今年の全体のイメージは参加者が多くてボリューム感があるということと、極端な心象・抽象が少なくて華やかな感じがした。楽しみにしていた3人、宮井麻奈、f0126829_10515679.jpg押切舞(写真の作家。「掌握」昨年購入した商品)、鈴木康生がいなくて残念だった。地元在住は3人ほどで、その人たちが受け入れ準備をして後輩、同輩を札幌に呼んでいる。その1人の友野直美さんはおそらく最年長者で40歳にまだなっていない。僕は彼の薄塗りの球体の版画が好きなのだ。ふんわり感よりも円く立体に見えて思わず画面に手を入れたくなる。視覚トリックなのだがトリックそれ自体を追求したものではない。その人に会ってしまった。話してしまった。彼のことはそのうちに話す機会があるだろう。

 札幌で発表するメリットがどれほどかは知らないが、作品のみならず出品者も入れ替わりで何人か來道している。明瞭に顔を知っている一人の小川了子さんが居て話ができた。小柄な人だが毎年大作を持ってくる。モノトーン、抽象、構成で人に見せるというより、他者関知せず、版木に版画に立ち向かってカリカリキリキリしている姿が思い浮かばれた。今展も大きいのだが事情は一変した。題は「水無月」。水の無い月が空に浮かんで花のような流動体が月の前でうごめいてるというもの。コラージュ、手彩色といろいろ工夫している。3回目にしてやっと見せる絵に出合った。本人はいろいろやってますと言う。実際インターネットで彼女の作品を調べると今展の作風ばかりで、今までの僕のイメージは間違ったのかなと思ったりするが我が目を信じることにしよう。来年は安い小品を待っています。1時間前に札幌に着いたという。やや疲れ気味だった。今日は吹雪だ。雪と踊って地元に帰り、また来年会いましょう。
f0126829_10501511.jpg 写真に載せたのが購入した川田隆輔君の作品。彼は毎年優しくなっていく。定番のコタツはいいのだが、小さな可愛いお家まで登場してきた。恋でもしているのだろうか。自分に素直になったのだろうか。来年も楽しみにしています。

 熊崎阿樹子さんも印象に残りました。猫の毛のような大胆な黒の造型。

# by sakaidoori | 2007-02-04 01:16 | さいとう | Trackback | Comments(0)
2007年 02月 03日

38) コンチネンタル 「曇天模様」(教育大生3年5人展) ~4日(日)まで

○ 曇天模様
    道教育大油彩研究室3年生5人による展覧会

 場所:コンチネンタル・ギャラリー
    南1西11 コンチネンタルビルB1F・東向き
    電話(011)221-0488
 期間:1月30日~2月4日(日)
 時間:10:00~18:00(明日4日は17:00まで

 学生展を2展、紹介します。始めにまだ見れるほうから。

 地下ギャラリーを3分の2ほど使っている。僕が行った時は女子学生が沢山いて華やいでいた。凸凹の壁を左から順番に5人が割り振って展示されている。

f0126829_2347521.jpg 左から吉田倫子、齊藤由以奈、山本育美、坂本健一、玉川桜。5人の画風が違うのでなるほどという感じ。なにより3年生というたゆたゆしい若さをまとめて見れるのがいい。
 男性は1人だ(左の写真)。男一点の坂本君はは女性と若干違っている。無言劇を連作のようにしている。漫画的ではあるがちょっぴりニヒル、ちょっぴりユーモア、ちょっぴり社会性の青春群像劇。

f0126829_23535867.jpg 入って左側すぐのところに吉田倫子さんの「にじのゆがみ」(左の写真、49×63 カラーインクにアクリル絵の具)。うす淡く、いかにもピンクの似合いそうな色調。他の作品を含めて学生達が「かわいい~」といいたくなるのが多い。

 



 
 角を曲がったところに齊藤由以奈さん(下の写真の左側)。始めに「洞」があるが、全て鍾乳洞の中のようなムード(下の写真には写っていません)。薄くて、白と黒の色調。洞の中を不気味さを秘めつつもサーっと沈んでいく感じ。
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  上の写真の右側が山本育美さんの「白の人」。おそらく仏をイメージしているのでしょう。「白い道」という仏話がありましたが忘れました。壁の左右に小品の手を描いたものを置いて仏全体の包容力を表現したいようです。

 下の写真が玉川桜さん。右端が「ああいああうあ」。ひとりポップ調様式。童話をもじったのもあり、わが道を行くというスタイル。
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 確かに曇天風色調でした。今日の天気のよう。明日までです。

# by sakaidoori | 2007-02-03 23:57 | コンチネンタル | Trackback | Comments(0)
2007年 02月 02日

37) テンポラリー 「高臣大介 ガラス個展」 ~4日(日)まで

○ 冬の高臣大介展 「雪とgla_gla」

 場所:テンポラリー スペース
     北16西5 斜め通・東向き
 期間:1月23日~2月4日(日)  
 時間:11:00~19:00

 
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 ユニークなガラスの器の即売を兼ねた個展。
f0126829_2259639.jpg 大介君は上の写真でもわかるように胃袋のような花器を得意としています。今回は入り口一間幅に暖簾のようにつるして、チューリップを一輪挿してあります。空いた隙間から横になってお客さんは入っていくのです。このガラス塀の向こうに小品のgla_glaガラスが棚にテーブルに綺麗に並んでいます。ガラスの内からの光で幸せな気分になります。男には目の高さの赤ピンクのチューリップが少し恥ずかしくなりますが、ハイな気分にもなります。誰が作っても同じガラスと思うのですが、やはり違う物なのですね。大介ガラスはまろやかで不思議な造型、それと発色がすっきりしていると思うのです。板床の会場がよく会っています。

f0126829_2302864.jpg 高臣大介君は工房と住まいのある洞爺に帰られたので会うことはできません。幸せを売る部屋になっています。日曜日までですので、近くによることがあったら覗いてみてください。

 追記:高臣大介君参加のイベントの案内。

○ スノースケープモエレⅡ ー冬の時間ー

上記のイベントの構成の一部として
 ★スノー・ビレッジ・プロジェクト

 場所:モエレ沼公園ガラスのピラミッド
    電話(011)790-1231
 期間:2月8日(木)~2月12日(月)
 時間:10:00~19:00(土日は20:00)
    カフェは11:00~20:00
 料金:無料

 このプロジェクトのショートプログラムに大介君は参加します。
 
 (どうも、狭義の現代美術関係のパンフはデザインなどはかっこいいのだが、文字は美辞麗句が多くて一杯書いて小さくて読みにくいし、肝心のイベントの全体像がよく見えない。柴田さん、その辺のところも考えてください。)
 

# by sakaidoori | 2007-02-02 23:04 | テンポラリー | Trackback(1) | Comments(2)
2007年 02月 02日

36) 油彩画家・小林麻美さんのこと

 突然に一個人、それも若い女性画家を紹介します。

 「栄通記」の全体の挨拶をまだしていませんが、目的の一つに作家アトリエ訪問記を考えています。伺いたい人は沢山いますが、まだ僕のほうに余裕と準備が整っていません。小林さんは旧小学校廃校を利用したあけぼの学舎を借りてアトリエとして利用しています。ご存知の方もいるかと思いますが、そこの所有者である札幌市からこの春までに全員退去の伝達がもたらされました。実質的退去命令です。その辺の事情を含めて小林アトリエ訪問をしたいと思っています。普段、僕が小林作品をどんな感じで観ているのかという感想を簡単に書いて、小林さんに対する挨拶文にしたいと思いま
す。

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 小林さんは恵まれた作家だと思う。

 2004年 札幌市「20人の試み展(写真:上)」
 2005年 「絵画の場合展」
  同    「第4回 具象の新世紀展(写真:中)」
 2006年 「第5回 具象の新世紀展(写真:下)」

 札幌では注目されている企画・グループ展に参加出品している。独自の目だった個展歴もなく、初招待参加が次から次への参加に繋がっている。彼女の作品の魅力なのだろうが、当時の僕には「こういう作風に関係者は注目しているのだろうな」と思うばかりだ。彼女は若い、旧来に無い何かを感じているのだろう。それよりも僕にとっては彼女の力の入った大作を定期的に見れて嬉しい。記憶に鮮明な二度の出会いがある。

f0126829_20174737.jpg 2003年2月、教育大卒業制作展が初見だった。色調、色合いは今と同じで、上半身は無く、スカートを履いた少女が太目の素足で枯葉の上を歩いているものだった。少女の視線から描かれていているから、顔は無く下向きで歩む進行方向に観者の目線が行くものだったと記憶している。卒業展でもあり、門立ちへの不安と顔の無さが文学趣味的偏向を感じた。一方で強い意志の人自信の人、頑固さも感じた。たとえ文学的であってもすぐに作風を変えないだろうと思った。
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 最近の大作、「第5回 具象の新世紀展」出品の「kalaidoscope」は実際深まってはいても極端な変化は無い。人を描いても顔の辺りはは実力に不相応な不鮮明表現。。それが現在の表現方法だと応えるかもしれないが、果たしてそうか。表現したいことと、体から出てくる食い違いがあるかもしれない。画中の物と物との距離感と装飾性は不思議な空間を演じ始めている。この近美の「具象画展」でようやく彼女の描きたい全貌を現し始めたといえるだろう。この展示会の図録に彼女はこう述べている。「・・。装飾的で映像的、その狭間を行き来するような絵画を求めて製作中」色の配置と工夫で映像世界にも見まごう視覚的異次元空間を造作しようとしているのだろう。しかし彼女の異様に発散する絵を知っている目はこれだけではないような気がする。時に絵から強い主張を発散する場合がある。彼女自身の生理的頑固さが露骨に発散する絵がある。ここにも表現したいことと出てくる物のギャップを感じる。   
 
 二つ目は本当の出会いであった。ある個展会場で作家との談話中に僕は名前を名乗った。その時居合わせた小林さんは何と僕のことを知っていて言葉をかけてくれたのである。おそらく、彼女も出品した花川でのグループ展芳名帳の記載を覚えていたのであろう。僕は不覚にも「小林」という名前と作品の一致ができなくて、話が進まなかった。人の記憶とは不思議なものだ。15分後に一切が線になって思い出した。それ以来、意外な場所で会って会釈をする関係である。だから作品鑑賞のできるのを楽しみにしている。

 小林作品に対する僕のテーマは次のことである。映像的と呼ぶ異次元空間の視覚体験はどう進むのか。そういう意図的表現はどこまで無意識に表現せざるをえないものと整合していくのか。小林さんの描く人の「顔」はどうなっていくのか。画中人物と絵はどういう関係になっていくのだろう。

 (写真は「札幌の美術 2004 20人の試み展」「第4回 具象の新世紀展」「第5回 具象の新世紀展」の各図録より借用)

# by sakaidoori | 2007-02-02 11:20 | ◎ 個人記 | Trackback | Comments(2)
2007年 02月 01日

35) 時計台 「福岡幸一版画展」 ~2月3日まで

○ 福岡幸一版画展 1979-2006

 場所:時計台ギャラリー 2階全室
    北1西3 札幌時計台文化会館・仲通南向き
    電話(011)241-1831
 期間:1月29日~2月3日(土)
 時間:10:00~18:00 最終日17:00まで

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 1947年、北見市生まれ。北見柏陽高校時代に神田一明・比呂子夫婦に教わる。一明氏とは共にスケッチ旅行をするほどの画家仲間になる。その後清水敦氏に銅版画を習う。1971年より札幌市在住。72年結婚。

 大版画展である。急な個展で、綿密な計画に基づいた作品構成ではないが、普段から制作に怠り無いから何の問題はない。現在はアンモナイトシリーズに励んでいる。「再びであってもそれを見てもらえればいい。常に過去と今との対話が作品に語られているから、いい機会だから整理して我が作品と一同に会しよう」福岡さんはそんな気持ちだろう。バイタリティー溢れる人だ。姓が故郷と同じなので見始めの頃から親しい気持ちだった。こういう場合、作品が自分の感性とズレると困るのだが、始めてみた木々は写真と違って優しかった。そうか、腐食技法とは輪郭が優しいのかと知った時だった。その後、今展でも販売している『福岡幸一画集1963-1997』を見て、それ以前の油彩、版画に触れてより関心が深まった。

f0126829_15301117.jpg 今展は1979年から2006年、32歳から59歳までの27年間の作品集である。Ⅰ部、濃厚な生活感と人間臭のこもった板壁・風よけ・長屋・砕石場シリーズ。Ⅱ部、一本の樹の生命に焦点をあてた樹木シリーズ。Ⅲ部、博物図鑑を見るようなアンモナイト・シリーズの3部門に明快に配置されている。普通なら何ら問題視しないのだが、仕方のないことだが図録を見た人間には残念な気持ちも沸いてくる。20代のダイナミックな明彩の油彩画、その油彩から色を落としたモノトーンの版画を一点でも見たかった。それは一目で神田一明の影響を、ゴッホが好きなのだと解る。そうであっても青年・福岡のストレートな感情移入、直裁さ、激情が伝わってきてたじろいでしまった。誇張美(表現)は50代の目には好ましく爽やかであった。以来、この作風の変遷の源とこれからの方向が福岡作品を見るテーマの一つである。

 観覧後久しぶりに図録を見直した。初期の作品を見れなかったばかりではない。なぜ1979年からの展示なのだろうと思ったからである。
 画集発刊にあたっての本人の言葉がある。その中に「・・、版画が先に認められたこともあり、油絵を描くことをやめてしまいました。そんな自分に対する甘えなどが、その後の長い低迷期を迎える大きな原因の一つだったと思います。その長いトンネルを抜けるのにおよそ10年かかりました。・・」この図録だけではこの10年の低迷期をはっきり断言できないのである。札幌在住以前の1971年までは油彩を中心に制作している。その後は年間の作品収録も平均して少なく網羅的である。特に1972年に結婚されて子供も矢継ぎ早に恵まれて生活に追われたことが原因でもあると思う。だが、画集から伝わる匂いと、今展が1979年から始まっていることを考えると、札幌転居後の早い時期が長いトンネルの始まりで、1979年頃が抜けた頃だろう。おそらく油彩に表現されていた天真爛漫な自己の直裁性への疑問、札幌という都会に本格的に家族を持って住むことになり、カルチャーショックのような状態になったのではなかろうか。地方育ちの青年が必ず一度は通る悩みだ。芸術の神に「芸術を志す人間」に「お前とは何なのか、作品とは何なのか」と詰問されたのだろう。以後、作品から誇張された激情さは消えていく。しかも間接画法である版・エッチングを選んだ。今展Ⅰ部は未だ人工物を画題に選んでいる。対象を観る・掴む真摯な態度は白黒ゆえに迫力がある。日本画のような空間美、余韻を感じる縦長の枝振りの作品の後に、Ⅱ部の人為と微妙な関係f0126829_15321520.jpgにある樹木・果樹シリーズとなる。神木としての桂、営為としてのりんごの木、北海道の日本の地位を暗示するかのような外来樹プラタナス。北海道の冬は雪に覆われるから具象・抽象の世界が生活の目になる。作品は装飾を抑えて、雪で余白美を表現し、樹そのものに迫ろうとしている。ストレートではないが、枝ぶりに幹の皺に描き手の生理を思う。f0126829_15334149.jpgⅢ部のアンモナイトにいたって対象は発掘、発見という要素を除いて人間から遠く離れていってしまった。普段使わないメゾチントも試みている。色付きである。表現主義という観点からすれば逆方向に行くところまで行った感じがする。福岡さんはあと3年は描いて区切りをつけたいと仰る。北海道は世界に自慢できるアンモナイトの宝庫と聴いたことがある。はるか昔に存在したアンモナイトの美と多様性を描ききりたいのだろう。先の『図録発刊にあたって』に「・・。今後は描きたい物にこだわり、そのこだわりを捨て、またこだわり、そんなことの繰り返しの中から作品を作りたいと考えております。・・」

f0126829_15342995.jpg 同図録に洋画家・神田一明氏、白鳥信之氏の寄稿文があります。短いので展覧会場入り口ででも立ち読みしてみてください。短く福岡さんとの関わり、絵の特質、今後の希望が書いてあります。

 注:D.M.には「福岡幸一版画展 1979-2004」とありますが、「1979-2006」の間違いと確認できたので、訂正します。文中もそれに伴い書き改めました。

 

# by sakaidoori | 2007-02-01 13:35 |    (時計台) | Trackback | Comments(2)
2007年 01月 31日

34) 大通美術館 「楢原武正展」 ~2月4日

○ 楢原武正展 大地/開墾
    -2007今、僕は大通美術館で大地の芽を開墾す。

 場所:大通美術館  
    大通西5丁目11 大五ビル・東向き
    電話(011)231-1071
 期間:1月30日~2月4日(日)
 時間:10:00~19:00 (最終日は16:00まで)

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 今回は静かな展示だ。
 床には天空の星々のように大小の球体が配置されている。地底からぽっかり湧き出たようにも、浮いているようにも見える。右側の壁には十数本の直立物が立てかけてある。全面釘で覆われていて、腐食した錆び色が制作時期による違いでかなりの色合いの差がある。人口色に慣れた目には心地良い。壁はぐるっと小品を飾っている。びっちり釘で覆われている物、薄い鉄板に腐食色であやどり、釘穴をのぞかせているもの。「祭壇」「壁」ともいえる力作もうるさくなく並んでいる。

f0126829_018095.jpg 昭和17年生まれの64歳。若い頃の油彩画を帯広美術館で見たことがある。塗装屋さんらしく絵の具を溢れるばかりに使った女子の人物画だった。若いが故に目立つ作品という意図もあったであろう。情念をぶつける、昇華させるという作家スタイルは凄みこそ増せ、衰えることはない。鬱積した事件は多いが、時代は表現者に爆発的エネルギーを強いることはない。

 氏にとっては生地の十勝の原野・風景がバックボーンであるという。昔の色彩表現は雄大さとモノトーンに引き継がれて益々原風景を顕にしている。f0126829_0193272.jpg彼は最近の作品を大地/開墾と表現している。なんとも雄大で叙事詩的表現である。一方で、作品を見ればほほえましいくらいにセクシャル、『男のロマン』と卑小ではあるが呼びたい。母・女である大地に男である自分が男根で耕すのだ、そこから卵となって新しき命が生まれるのだ、と作品達は語っているようだ。その卵は大地・母の入れ子のような表現になり、作家の胎内回帰、永劫反復と美の象徴を担っている。美の女神に近づくにはどうするか。男は意識無意識を問わず懊悩する。言葉であっても、行為表現であっても過剰でなければならない。氏は日々何かに釘を打つことによって過剰・過激な精神を維持している。まるで苦行僧、修行僧のように思える。ある年齢に達すると肉体的にも精神的にも衰えを自覚する。ピカソは精液を流しながら裸婦を描き、己を鼓舞し衰えと死と戦った。楢原氏は日本人だ。そんな事は夢想外だ。真摯に実直に対峙することを課題にしている。

 できることなら、あの釘柱を借地の畑のある庭に一年間飾りたいものだ。雪の日、雨の日、光まぶしき日、手に触れて挨拶を日課にしたいものだ。


 

# by sakaidoori | 2007-01-31 20:03 | 大通美術館 | Trackback | Comments(2)
2007年 01月 31日

33) 写真ライブラリー「藤田会 写真展vol.1」(終了)

○ 藤田会 写真展vol.1  加藤大輔&竹田佳祐二人展

 場所:札幌市写真ライブラリー
    北2東4 札幌ファクトリーレンガ館3F
 期間:1月23日~1月28日

 一人が大きな一部屋を使っているので、伸び伸びとした二人展だ。繋ぎ廊下に友人達が賛助出品している。

 加藤大輔。不思議な作品群だ。カラーの風景が中心だ。白黒、人物、意味不明の被写体、鮮明不鮮明な作品がちりばめてある。大きさ・額装も若干変化してリズムをつけている。
 飛び切りインパクトの強い物はない。ないのだが、僕は二度三度とぐるぐる部屋を廻った。おだやかな晴れた空、白い雲がゆっくりゆっくり流れるのをただポツネンとして眺めるようにして。そういう時には空を見ていても心は別のことでおおわれているいるものだ。まさしく『上の空』状態だ。心象的写真というには狭すぎる表現だ。視覚体験の可能性というのか、よき映像に出会えた。

 彼は以前、加藤D輔と称していたと思う。会場入り口に作家の言葉があった。22歳までの自分の撮った写真は全部廃棄したと書かれてあった。激しい性格の人だ。今展は再出発展でもあるのだろう。

 竹田佳祐。若い特定の女性のポートレート。およそ一年間ほど撮り続けているという。若い写真作家でテーマを決めてかなりの年月撮り続けた作品群にあまりお目にかからない。そういう意味では新鮮だった。残念なのは変化に乏しいことだ。それと、作家とその女性の作品上の距離感が不鮮明に感じた。その女性の彼氏もでてくる、母もでてくる、友もでてくる。人間関係の中からその女性の魅力なりを浮かび上がらせたいのだろうか。
 大変な作業だと思う。被写体は生身の人間だ。それ故に作家に高い緊張感が無ければ、甘さに流される危険がある。次回を楽しみにしています。

# by sakaidoori | 2007-01-31 14:42 |    (写真ライブラリー) | Trackback | Comments(0)
2007年 01月 29日

32) 紀伊国屋札幌本店 「書(樋口雅山房)とひな人形展」 ~2月5日まで

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○ 書のしつらえ 名称のひな展  展示即売会

 書家:樋口雅山房
 監修:人形の瀧本

 場所:紀伊国屋札幌本店・2F特設会場(大丸の西隣)
    北5西5 電話(011)231-2131
 期間:1月23日~2月5日(月)
 時間:10:00~21:00(年中無休)

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 基本的にはひな人形の出店即売会。
 瀧本は段飾りでなく、人形の床飾りを勧めている。床ばかりでなく、棚であったり、置物であったり。その日その時期の気分に合わせて飾る数や人形の変更を勧めている。小さくてもいつも身近に人形を飾って愛でて、家族やお客さんたちとの語らいや和みの品々として使ってもらいたい、店主の人形に込める愛情である。

 各ひな人形にかなり詳しく職人の紹介プレートがある。申し訳ない、一切省略して記事を進めて行きます。その人形に合わせて書が展示されている。若干大きさを変えながらも、人形に合うサイズの書だ。品があって華やかな書だ。人形はテーブルに並べられているが、書を鑑賞する視線に邪魔することのない高さだ。瀧本店主の気配りだろう。最近の雅山房は漢字の古字に思いのたけをぶつけて、新境地を開いている。今回は「楽」のみ。一字一字に運筆の違いがあり、まさしく「楽」しめる。あらためて、「雅山房はうまいな・・・」と思ってしまった。書を見ること、考えること少ない僕にとって雅山房の引き出しの多さを思い知らされた。以前、氏に「印象記を書いてよ」といわれたことがある。ようやくその端緒をきることができた。油彩は北浦晃氏のオッカケをしている。書は雅山房のオッカケをして眼力、文力を鍛えようと思っている。
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# by sakaidoori | 2007-01-29 00:37 | 紀伊國屋書店 | Trackback | Comments(0)