栄通記

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2010年 08月 31日

1360) 今週は休みます。


 明日から旅行のために休みます。

 白滝、遠軽経由でまずは紋別へ。
 それから稚内へとドライブ。枝幸・宗谷岬間は人家もまばらでお勧めコースです。一度だけ北から網走まで仕事で通ったことがあります。やはり秋近い夏だった。日頃から、このコースの魅力を妻に語っているのに、約束破りの夏の連続でした。ようやくの実現です。これで人生の宿題が一つ減って、以後の暮らしが楽になるでしょう。
 さて、稚内からは・・・。利尻富士の見える天気だったら、良き場所を選んで終日(ひねもす)眺めていましょう。

 というわけで今週は休みます。月曜か火曜頃から再開です。
 便利なもので、コメント着信を携帯が教えてくれます。返信方法がわからないので着信文を読むだけです。


 それでは皆さん、残り少ない夏です。最後の暴飲暴食に励みましょう。


 

by sakaidoori | 2010-08-31 12:21 | Trackback | Comments(0)
2010年 08月 31日

1359) CAI02 「高橋喜代史・個展 ハイブリッドアートⅢ そして伝説へ」 8月20日(金)~9月4日(土)


○ 高橋喜代史・個展

   ハイブリッドアートⅢ そして伝説へ・・・



 会場:CAI02・raum1・2・3
    中央区大通西5丁目 昭和ビル・B2 
    (地下鉄大通駅1番出口。
    注意⇒駅の階段を下りてはいけません。
        昭和ビルの地下2階です。)
    電話(011)802-6438

 会期:2010年8月20日(金)~9月4日(土)
 休み:日曜日・祝日(定休日)
 時間:13:00~23:00

※ オープニング・パーティー ⇒ 初日 19:30~
※ ライブ・パフォーマンス ⇒ 初日 21:00~(約10分)

※ アート・トーク・バトル ⇒ 8月23日(月) 19:30~
                   鎌田亨 vs 高橋喜代史
 主催:当館

ーーーーーーーーーーーーーーー(8.27)

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 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


 メインの外壁むき出し暗がりの部屋に、高橋喜代史・新作が厳かに鎮座している。黒光りが眩しい。何かは知らないが、高橋喜代史流「超ド級戦艦」だ。作品名は「ギューン」だ。

 何はともあれ動かしてもらった、女性スタッフでは手に負えぬとみえて、オーナー端聡氏の登場だ。
 「ガチャガチャ、ガチャガチャ・・」と力んでハンドルを回し、バネを引っ張る。豪放な黒光り姿に反して、やや壊れそうなバネのきしみ音だ。そこをグッと踏ん張って引っ張る!用意完了、発射!!取り付けられた黒鉄板は放たれ、豪快な「ゴロゴロ音」を弾きづり、天空目指して一目さん!!!と思いきや、弓なりのレール先端を目指した「鉄板弾」は、すこしばかりよじ登っては、寂しき「ゴロゴロ音」を友にして戻ってきた。

 端さん曰く、「かなり使ったので、バネが弱くなったみたいですね。ぎゅ~ぅ~ぅ~んと行くんですよ、ギュ~ゥ~ゥ~ンと」。語尾を上げての説明だが、鉄板は語尾が下がっていた。
 実に楽しげに語る。細身の体からポーズを交え、更に目を細めて、CAI若仙人の風貌である。どうでも良い作品を、どうでも良く楽んでいる、実に良い人である。つかの間の微笑ましい一時でもあった。


 さて、今作「ギューン」は高橋喜代史の体質が良く出ている。いつもの張りぼて細工とは違い、「鉄」という実体を使いこなしている。一切の無駄を廃した重厚長大さだ。軽薄短小当世若者気質とは一線を画している。そこが良い。
 小説家・坂口安吾は合理的なものは美しいと言い、帝国海軍戦艦の勇姿を賞賛した。間違いなくその美しさの片鱗が「ギューン」にはある。
 だが、戦艦はその大口径から弾丸を吹っ飛ばして、遠い所からでも敵戦艦を破壊するという目的があった。「目的の明確な物、その無駄を廃した合理的な姿は美しい」、と置き換えなければいけない。見る方は、その目的を暗黙に認知しているから、美しく見えるのだ。暗黙知を前提にした共感美だ。

 それでは高橋喜代史の目的は何だろう?「ギューン」の目的はなんだろう?他者に関係ない個人的なものだろう。
 そして、現代の美術一般、芸術一般を「目的」から語り始めると話がおかしくなる。
 特にインスタレーション作品は「目的」を強く内包している。非言語が肝要な美術に、その目的がストレートに観者に伝わるはずはない。だから分からない。「現代美術はわかりづらい」と言われる。当たり前のことなのだ。そうそう作家の目的が安易に確実に的確に伝わるわけがない。それでは困ると美術関係者は思い、「楽しく感じて下さい」とニッコと娘顔でほほ笑む。詭弁もはなはだしい。本当に「感じる」ことがメインなら、何であんなに難解な解説文が必要なのだろう?「知って欲しい」jから、作品だけでは「説明不十分」と思っているから、あくまでもあの手この手で説明するのだろう。

 今展の高橋「ギューン」鉄板には何も載っていない。夢が載っているのだ。その夢が勢いよく発射されながら、もの悲しい音と一緒に帰還した。それで良いと思う。その喜びや哀れっぽさが今後に華咲けばと思う。

 イマイチ、自分の美術行為に自信がない人だとも思っている。なぜなら、会場には説明キャプションも用意されている。いつになく簡明で正直ではあるが自己説明で、見る人の夢を考慮していない。「オレの気持ちを分かってくれよ!」とつぶやいている。誤解を恐れずに言えば、「高橋喜代史の夢はどうでもいいのだ。高橋喜代史作品の夢を見たいのだ」。
 こぢんまり感が、会場全体を小さくコンパクトにしている。

 正直な「美術展」だった。大きな自信と大きな衒(てら)いに満ちた「喜代史・展」を期待しよう。


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 次室は「ド」の展示と、おそらくオープニング・パーティー時でのパフォーマンスの紹介。


 「ド迫力」の「ド」が好きなんだと作家は言っている。
 今回は「ド迫力」ならぬ「ド可愛い」展示でした。その可愛さやこぢんまり感が、メイン会場に対して、「グリコのオマケ編」的会場にしている。


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 二本の噴射ノズルから墨を発射してできた作品。
 そのパフォーマンス・シーンの映像が流れている。噴射装置もある。

 作家は二刀流の「書」と説明している。僕自身は書ではないと思っている。墨の現代的、あるいはパフォーマンス的表現、絵とは言えると思う。小手先、腕力、体全体を使った書の肉筆性がないから。

by sakaidoori | 2010-08-31 12:01 | CAI02(昭和ビル) | Trackback | Comments(2)
2010年 08月 30日

1358) 開拓記念館 「第66回 特別展 『どんぐりコロコロ』」 8月6日(金)~11月3日(祝)


○ 第66回 特別展
 
   どんぐりコロコロ
      ーどんぐりからつながる

     

 会場:北海道開拓記念館
     札幌市厚別区厚別町小野幌53-2
     電話(011)898-0456
     ファクス(011)898-2657

 会期:2010年8月6日(金)~11月3日(祝)
 休み:平日の月曜日(定休日)、祝日の翌日  
 時間:9:30~16:30
 料金:大人・500円 高大生・170円 小中生・80円 他・無料

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(8.20)

 (当展の撮影は、ほんの一部を除いて可能です。それらのブログ等への利用に関しては、当館の許可を得て下さい。)

 入場したとたんに、ダンボール昆虫たちがお出迎えだ。これが抜群に面白い。「どんぐりコロコロ」など吹っ飛んで、「ネイチャー・ダンボールアート・フェスティバル」っと呼ぶべき博物展の始まりだった。

 
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 展覧会はどんぐりの生る木であるコナラ、ミズナラ、カシワなどを森の主人公にして、森の土の中、森に住む昆虫や動物達、森から外に延びる川そして海、そこに住む魚たちの動き、そして森と人の関わり・・・話は限りなく膨れるのですが、地球の生態系の一紹介であり、「どんぐり」から森と暮らしを見つめようとするものだ。

 話が総花的なだけにどうしても博物誌的になりがちです。実際そうなのですが、大きな目玉を持ってきた。それが会場中央雛壇に展示されたダンボール・アートだ。(それらは「TVチャンピオンのダンボール王・篠崎均氏の制作。『巨大ダンボール 土壌動物』・ミュージアムパーク茨城県自然博物館所蔵」です。)

 ただ単に並べられているのではなく、チャンとした物語があるのです。作品の下を這い回り、半円球のカプセルから昆虫たちを下から覗けるようになっている。つまり、展示物語は「どんぐり」そのものを紹介した後に、会場入り口とは反対側で、「森の土の中に入ってみよう!!」となるのです。

 以下、途中の順番経路を省略して、その出入り口から入って見ます。圧巻のダンボール・アートのやぶにらみだ。


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 中からお母さんの声がする。「○○ちゃ~ん、入ってきなよ~」
 期待に反した大きな返事で、「いや~だ。こわいぃぃぃぃぃ~~」
 仕方なくお母さんは戻ってきて、だっこして再び中に入っていった。

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 そして、このまま帰らせたのでは知恵がないと、出口にはミクロ巨大写真となるわけだ。
 出た所には「キノコ」が待っている。


 あらためて段ボール全景です。


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 最近、僕は博物館にはまっている。その一環として当館を利用している。
 だが、今展は「博物」にこだわらなくても充分に楽しめるでしょう。それがこのダンボール・アートだ。一見の価値はあるのでは。
 特にアベックさん、2人で遊ぶにはなかなかの穴場です。見終わった後の、博物館を取り巻く自然が妙に親しく見れる。何か、「2人のために世界がある」、そんな誤解が生まれそうです。

 というわけで、今回はこれのみの紹介で終わります。今展は長い。日を改めて展覧会の全貌の紹介、そして感想を書きます。
 展示は子供言葉中心のようですが、そこは学芸員の見せ所、子供にこびることなく大人から子供まで配慮しています。


 ヤッパリ、段ボールの紹介だけでは怒られそうなので、会場風景を今回は載せておきます。感想もついでに。


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 手前左に、プラスチックに入った鳥(カケス)とドングリが見える。カケスは年間4,000個以上のドングリを秘蔵するそうです。そこで学芸員も4,000個確保にチャレンジ。残念ながら学芸員の敗北、3,000個も満たないそうです。


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 やっぱり博物館には剥製のジオラマだ。
 こういう動物の複製とジオラマはどこの国でも同じと思っていた。最近、ハバロフスクとウラジオストックの博物館でやはり同じようなジオラマを見た。あちらの方が動物の迫真性が強い。日本は優しい。僕の目にはロシアの勝ちです。


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 やはり定番のチョウチョの標本。


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 話はドングリ、土、森からいよいよ水辺編です。お魚さんの登場です。

 生態系の見取り図がある。ここは学芸員の自慢のコーナーだと思う。実際、それなりの迫力がある。ビジュアル的にも上手いと思う。上手いのだが、網羅的過ぎて「あっ、そうですか」となってしまいそう。余りに関係者の思い込みが強くて、地球への愛が強くて、説明過剰だ。どこまで見られて、話題の一つになるのかは疑問なところ。中味よりも、こういうのがあるということが大事なのかもしれない。それでは「労多くして・・」でもったいない気がする。


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 いよいよ最後に近くなる。そして人間の登場です。
 どこか展示が「開拓記念館」的だ。良し悪しを離れて北海道らしい。土着臭い、郷土愛だ。時には道内に目配せしながら、全然違う切り込みもあっても良いのでは。例えば・・・その言葉は次回までの僕の宿題にします。


 そして最後は植物写真家&道内夏山紹介者の梅沢俊氏の春の森の写真展です。

by sakaidoori | 2010-08-30 11:48 | ☆北海道開拓記念館 | Trackback | Comments(0)
2010年 08月 28日

1357) 「狩野悠佳子の場合 ~旭丘高校OG」

 狩野悠佳子君は今春旭丘高校を卒業され、東京の私立大学に入学された。文学、それも詩を志す人で、絵画は趣味というか余芸のような存在だ。
 ささやかな縁があり、一昨年の夏から彼女の絵を見ている。
 初めて見た絵は楽しみの範囲を抜けきれないもので、微笑ましいものだった。

 その翌年の2月、ここから見れる絵を発表することになった。
 旭丘高校の近くに奥井理ギャラリーがある。美術部校外展をそこで開催した。その時の彼女の絵を本編のアバウトの欄に利用させてもらった。再掲になるが、また載せることにしよう。


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 彼女は詩を書く。詩の文芸雑誌にも投稿している。
 2008年5月、第46回現代詩手帖賞を授与された。高校生の受賞ということで、注目度は高まったことだろう。
 絵の成長を見る前に、詩の方で全国の注目するところとなった。そういう中で詩の個人誌「月光」を発刊した。コピーを利用した100%手作り本だ。創刊号は散文と詩のみでほとんど絵はない。ようやく余裕ができたのか、2号(’08.11)の表紙に絵が登場した。


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 以下数点ですが、昨年の高文連後に見た作品を載せます。ゆるりと女子高校生の作品を楽しんで下さい。


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     ↑:「MIDORI」、30号?・第55回高文連石狩支部展・市民ギャラリー・2009年8月6日撮影。

 人間を緑で仕上げた。緑の色調効果は抜群で、幸せのポーズともとれるが本当にそうなのか?求愛とも挽歌ともとれる。悩ましい作品だ。悩ましいが、人間はスーッとしっかり直立して見果てぬ何かを真剣に見つめている。


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     ↑:奨励賞「I,my,me,mine」、2009年度「U-21」・市民ギャラリー・2010年2月13日撮影。

 将来に対する強い意志を表現している。彼女の絵の人物は頬が丸くて可愛い。それが今までの特徴だが、今作はこけている。進路決定という、この時期の緊張感がそうさせたのか。強い気持ちが伝わる。
 進学を決める過程での制作かもしれない。この作品の発表の時期には既に大学入学が決まっていた。


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     ↑:今春の奥井理ギャラリーでの旭丘美術部校外展から。

 卒業年の記念作品は「U-21」に提出した。そして卒業間近だから時間がない。だから、時間のかかる絵画ではなく、知恵による短時間制作の美術品でまかなった。こういう構想はその場しのぎというよりも、いつも何かしら妊んでいるのだろう。詩人の言葉巧みさが小粋に憎い。

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     ↑:(キャプションを拡大して、作品の遊び方を味わって下さい。)

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          ↑:「万華鏡」。

 作品はそれ程でもないが、添えられた散文が興味をつのらせる。
 以下、書き記しておきます。

    一時間一七分遅れた罪滅ぼしとして、あ
    の人がくれた花束をやさしく手折っ
    て、万華鏡の中に押し込みました。花は
    花でうつくしいということが、あのひと
    のずるいところでした。わたしの目から
    花と光があふれます。まっしろなまぶしさ
    の遠くで、あのひとが散っていきます。



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     ↑:今夏の奥井理ギャラリーでの「旭丘高校美術部在校生と卒業生・展」から。2010年8月21日撮影。


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     ↑:「ひととき、ゆるゆる」。

 空(宙)を見つめている。ゆるゆる気分で、ゆるゆると首をもたげ、ゆるゆるとした存在をおっかけている。
 卒業時の頬のこけた真剣さは、ここでは「明日を向かって撃て」と言わんばかりの心の余裕に変化している。彼女の画風であるマ~ルイ肉体表現も戻った。詩人は何にねらいを定めるのか?
 (他は著名な団体による詩作品に対する受賞宣伝パンフ類。)



 長々と10代後半女性の思春画を紹介した。
 彼女の絵は詩と共に理解すべきかもしれない。この場合の理解とは、詩表現の裏の意味を絵画で探索するということではない。

 言葉とは絶対に正直なものではない。正直ではないが、人の心を惹きつけたり、もてあそんだり、傷つけたりする力がある。摩訶不思議な存在だ。詩人の言葉とはその極みである。言葉の魔術師、錬金術師であり、ペテン師でもある。
 狩野悠佳子の詩人ネーム・文月悠光も、未成年だがマジシャンであることには違いない。
 彼女の詩は、象徴言語を駆使して、読む者を煙に巻いたりはしない。誰でもが過ごす日常生活に、等身大で入り込み、詩人の感性で日常の影なり隅を撃つというスタイルだ。分かりやすく常識的な言葉の羅列だ。若いから自虐的な言葉もあるが、それは本質ではない。本質は言葉の遊び人だ。遊び人と僕に決めつけられるのが、彼女の未熟なところで、この未熟さがどう大成するかが大いなる興味だ。その時に、今画いている絵画の感性が、詩の裏側の秘密の部屋の役目を果たすかもしれない。
 絵画は正直だ。絵画は自己の感性と正直に向き合わないと相手に魅力が伝わらない。
 詩人の言葉は「虚」に満ちているが、感性を研ぎ澄まさないと単なる「ウソ」でしかない。その感性の一端を絵は正直に現すことだろう。

 
 
 

by sakaidoori | 2010-08-28 21:25 | ▲個人特集 | Trackback | Comments(2)
2010年 08月 28日

1356) 時計台 「85周年企画 道展新鋭展」 終了・8月16日(月)~8月21日(土)


○ 85周年企画
    道展新鋭展


 会場:札幌時計台ギャラリー 2階全室
      中央区北1条西3丁目
       札幌時計台文化会館
      (東西の中通りの北側にあるビル)
     電話(011)241ー1831

 会期:2010年8月16日(月)~8月21日(土)
 時間:10:00~18:00 
     (最終日は、~17:00まで)

 【参加作家】
 多数。
 (DMを拡大して確認してください。)

ーーーーーーーーーーーーー(8.21)

 2階全室を使った公募団体選抜展です。
 まず、3部屋の会場風景を載せます。
 というか、僕にとっては会場風景が大きな意味を持っているので、やや多めの掲載です。
 個別作品が基本なのですが、全体のムードが今展では一番大事なのではと思っています。そういう意味ではまさに企画展です。個別作品を離れた全体意思が良くうかがわれます。


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     ↑:以上、A室


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     ↑:以上、B室



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     ↑:以上、C室


 (以下、敬称は省略させて頂きます。)

 作家が力(りき)んで制作しているのが良く伝わる展覧会だ。そういう意味では良い展覧会だ。一方で、レパートリーの少なさ、幅の無さという点では考えさせられる。
 「Uー21」という展覧会がある。今回の主催者と同じ団体が、「21歳以下」という年齢制限での一般公募展だ。そのネーミングにあやかれば、今展は「選抜O-21、そしてU-?(35)」と言いたくなる。質の高さという点では今展のほうが良いに決まっている。だが、あまりに均質なのには困ってしまった。
 もっとも、今展の中には35歳以上の方も選ばれている。例えば竹津昇だ。困ったことに、氏の作品の力の方向性が他とは違って見える。今展は概ね、外の外に拡散する自己主張だ。竹津作品は、力が中にこもっていて、それから外に発散する感じだ。中とは、まさしく具象画家としての対象そのものへの近接と、塗り込める粘着力だ。惜しみなく絵画制作時間を注ぎ、そこから立ち上がってくるものを確かめる感じだ。他との印象度が違いすぎて、当然の如く受賞対象外だった。


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     ↑:札幌時計台ギャラリー賞・金吉恵里、「バスルーム」・油彩 札幌市。 


 今展での一番のお気に入り。
 お気に入りなのだが、この作家はこんなに輪郭線もなにもかも強く描く作家なのかと考えてしまった。どこか抜けたいい加減さと、それでもちゃんと存在感なり臨場感を保とうとする画風と思っていた。



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     ↑:札幌時計台ギャラリー賞・石井 誠、「フェルマータ」・版画 札幌市。

 今年道都大学を卒業された方です。
 技法は基本的にシルクスクリーンが中心。そのシルクスクリーンの可能性と、作家自身のロマンを正直に重ねた作品。直向きな努力・試みと、作家自身の情緒を両立したい気持ちが良く伝わる。


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     ↑:水戸麻記子、「赤唐辛子」・油彩 札幌市。

 一人我が道を行く水戸麻記子、そんな画題だ。画題は面白いが、絵としての個性が少し弱かった。水戸ラン丸全開!!には少し遠かった。


 以上が、今展お気に入りの3点です。以下、印象に残った作品を載せます。


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     ↑:道展賞・沼田彩子、「偏光」・油彩 札幌市。

 「波動の人・沼田彩子」だ。
 おそらく手で大事な宝物を持っているというのがイメージなのだろう。僕にはどうしても縦長の作品に見える。右側が上になり、何かの塊が強く揺れながら浮遊形でドーンと存在している。
 画家にはタフな画風もあると思う。さわやかな波動だけではこの人の画風には似合わない。「にじみ出るタフさと粘っこさ、それでいてサラッと揺れている」、そんな希望値に近い絵だ。


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     ↑:札幌時計台ギャラリー賞・斉藤由貴、「浮かぶ夢」・油彩 札幌市。

 「青の人・斉藤由貴」だ。
 けれんもなく画きたいことを真ん中に画いている。その姿勢の強さに好感を持てる。問題はこれからだ。浮かんでばかりでは物足りない。夢は開かないと!!斉藤・夢物語だ。



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     ↑:石川潤、「micro cosmos」・油彩 七飯町。

 最近の石川潤は二つの画題に取り組んでいる。一つは、今までの流れと同じで、花弁のような装飾的なもだ。一つは、虫のような形が這い回るものだ。今回、それらを一つに組み合わせた。初めて見た。花の中で這い回る虫、そんなイメージだ。要するに「男と女」だ。しかも男が中心の絵だ。
 いつになく知的な構成が目に付く。しかも、一所懸命に緻密に画いている。その分、青年の情念というか、美への憧れが薄く感じた。拡散度が少し弱い感じ。
 僕はほんの少しばかり石川青年を知っている。おそらく賞に漏れて悔しいことだろう。その悔しさを次のバネにしたらいいのだ。


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     ↑:左側、松山額縁店賞・清武昌、「秘密」・油彩 恵庭市。
     ↑:河合春香、「ふたりの朝」・油彩。

 まさに男と女の組み合わせだ。暗い情念型の清武昌、明るく踊る河合春香。正直な青春時代の自己と求愛表現なのだろう。男は自虐的なポーズをとり、女は誇らしげにすり寄ってくる。


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     ↑:大丸藤井セントラル賞・佐藤綾香、「秘密にしたいこと」・油彩 札幌市。

 画面を覆うヒモのようなものが印象的。絡んで解けないというという感じでなく、絵画的に整理されている。それでもジトッと若さを感じて好ましい。好みとしては、このヒモが画面を覆い尽くして出口無し、それでもしっかり女性が画かれている、そんなのも見たい。


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     ↑:竹津昇、「光陰(こういん)」・水彩。

 納屋の中。一個一個の農機具を並ばせて大きく描いている。それも、似たような大きさで差別を付けていない。竹津流平等主義が納屋で実践されている。器具の一つ一つのワイルド感、存在感、関係性は頼もしいが、そのことのために絵全体が小さく見える。おそらく、余りに強く一つ一つを、全体を作家は愛し過ぎたからだろう。抜ける部分が無くて、愛に息苦しさを感じる。

by sakaidoori | 2010-08-28 15:48 |    (時計台) | Trackback | Comments(0)
2010年 08月 28日

1355) コジカ 「yuya suzuki(鈴木悠哉・展) 『here』」 8月25日(水)~9月5日(土)


 yuya suzuki
       (鈴木悠哉・展)


     here


 会場:サロン・コジカ
    中央区北3条東2丁目中西ビル1F
    (東西に走る南側。)
    電話(011)522-7660

 会期:2010年8月25日(水)~9月5日(土)
 休み:月・火曜日(定休日)
 時間:平日   → 18:00~22:00 
     土日祝 → 14:00~21:00
     (最終日は、~19:00まで)

※ クロージング・パーティー ⇒ 9月4日(土) 19:00~

ーーーーーーーーーーーーーーー(8.27)

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     ↑:(ようやく日没後の暗闇も早く訪れる時期になった。)


 自分の小さな絵画を部屋に置くということ、飾るということ。そして空間を作るということ、自分のセンスを確かめるということ。そんなことを考えた。
 (以下、敬称は省略させて頂きます。)

 鈴木裕哉は昨年CAIを修了した。その後、精力的に個展を開いている。

 濃厚な絵画を見せる、あるいは濃密なインスタレーションで空間を構築する、そんな作風ではない。
 稚児が何となく線を引いたり色を塗って、どこにそれを置いたら気持ちが良いかな、そんな肩のこらない作風だ。美学ではなく、センスで勝負の人でもある。センスの人なのだが、空間全部を自分のものにしたいという欲張りだから、どうしても個展中心になる。しかも、展示される一つ一つは濃密な時間をかけた作品ではなさそうだから、壁面作家なのに短期間で数多くの個展開催が可能だ。

 確かにそのスタイルは「キラク・ナンジャク、ユウヤ君」的だ。だが、なかなかどうして、たいしたものだと思っている。
 発表することによって、自己のスタイルなりセンスを更に磨き上げ、可能性が拡がっていく。
 それに彼の線描はやさしい。それが独特の空間を作っている。きっと、他人(鑑賞者)とのもの言わぬ交流を計っているのだろう。
 優しすぎて気楽すぎて軟弱だ、と言う人もいるだろう。実際そうなのだから、言われても仕方がない。でも、絵画の楽しむ尺度は「軟弱度」ではないだろう。軟弱は形容詞であって、時に作風を揶揄する意味が込められたりもするが、あくまでも作風の形容だ。基準は「強弱度」だ。そして、若い時は「真剣度」が目に見えぬ力だ。そうは言っても、鈴木裕哉の場合は「強さ」や「真剣さ」が露わではダメだろう。それでは見ていて詰まらない。あくまでもどこまでも「軟弱」に。

 さて、軟弱な中に「強弱」と同時に「真剣さ」がどこまで披露されているか?長い前置きになったが、会場風景と個別作品を載せます。言葉はこれで止めておきましょう。


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by sakaidoori | 2010-08-28 09:13 |   (コジカ) | Trackback | Comments(0)
2010年 08月 27日

1354) HOKUBU記念絵画館 「①油絵常設展  三岸黄太郎の場合」 8月26日(木)~12月19日(日)


○ 油絵常設展

 会場:HOKUBU(ホクブ)記念絵画館
     豊平区旭町1丁目1-36
     (地下鉄東豊線「学園前」①番出口、徒歩7分)
     電話(011)822-0306

 会期:2010年8月26日(木)~12月19日(日)
 開館日:毎週木・金・土・日曜日
 時間:10:00~17:00
 料金:一般300円、小中生200円 幼児無料

ーーーーーーーーーーーーーーーー(8.26)

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     ↑:以上、2階の風景。


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     ↑:以上、3階の風景。


 詩情に包まれた館になっていた。

 館側の指示で2階から見ていく。
 1作家2点以上の展示で、見知らぬ画家への想像を膨らますことになる。風景をメインにしながらも、それぞれの個性と技量が程良いリズムになって、「そうなのか、そうなのか」と一人うなずきながらの歩みだ。数少ない作家である赤穴が真ん中近辺で対面だ。グッと心が引き締まる。

 3階は人の生理の問題と部屋の構造から、左回りに見ることになる。
 最後近くになって、予告された三岸節子の新収蔵作品が登場する。得意の情熱作品ではなく、絵画上の大きな窓を二つ設定して、目くるめく世界を創出している。そして、いつもの激しい「花」の絵を見た後に、今展のメイン、三岸黄太郎の3点の赤い作品に出会うことになる。

 以下、三岸息子・母の順に載せます。後は時間の許す範囲で紹介します。


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     ↑:以上、三岸黄太郎

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     ↑:左側、「薄明」。右側、「幻の城」。


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          ↑:「オークル」。


 赤黒く暗い絵だが、沈鬱になることはない。薄塗りのキャンバスから何かが立ち上がる、というよりも、画家自身のイメージが一つ一つこじ開けられ、絵画という構築物に姿を変えていった趣がある。構築の中に閉じこめられ、発散する力となったのは常に見知った風土の力だ。黄太郎が生活の中で親しむ風景の象徴が、画家の五感の関わりで黄太郎・風土となり、絵画として甦っているようだ。

 風土、そこにはその土地だけの風や匂いや太陽や草や花があるだろう。黄太郎はそれらを、風土に埋め込められながらも、互いが互いを際だたせる強い「存在」として見ている。しかも人間と同類の存在として見ている。だからどうしても、画かれた存在を擬人化して見ることになる。画家自身も人の似姿である「建物」を好んで画く。

 屹立した絵だ。それでいて他者との関係を前提にした独り立ちだ。「我」ではなく「我々」を画いている。そして詩が前面を覆っている。これは画家のみが表現できる特権だろう。色の強さであり、色同士の混じり合い、関係としての詩だ。
 孤高の厳しさではない。詩情を湛えた等身大の人間臭さがある。




 1930年 東京都中野区生まれ。
 1953年 私費留学による渡仏。翌年帰国。
 1968年 母・節子と家族と共に再渡仏。
        すぐに、南仏カーニュに居を定める。
 1974年 一時帰国。
        南仏カーニュから、北仏ブルゴーニュ地方のヴェロンに転居する。
 1989年 日本に帰国し、日本とヴェロンを制作の拠点にしている。

 上掲の3点は、そのヴェロン時代の作品だろう。1989年以前か以降かは資料が無いから分からない。
 1978年から1989年の間の個展等の発表歴は彼の生涯の大きな山とのことだ。

 ヴェロンは本当に何もない寒村とのことだ。ゴッホが愛した南仏は彼の生理にあっていなかっと見えて、図録にもあまり紹介されていない。東京生まれの人だが、父親好太郎の北国の血が、無意識にヴェロンを選び、「三岸黄太郎」を作ったと評論家・中野 中氏は指摘している。確かに小説的推理だが、父・好太郎の都会的ポエム、母・節子の教養と情熱が混じり合った。都会しか知らない人間を都会を越えた詩人画家にしたようだ。



 予想に反して、黄太郎を書くだけで疲れてしまった。
 他にも沢山の作品があります。期間は長い。とつおいつと紹介することにします。



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     ↑:中谷龍一。
 

by sakaidoori | 2010-08-27 23:15 | ☆北武記念絵画館 | Trackback | Comments(0)
2010年 08月 27日

1353) 市民ギャラリー 「第55回記念展 2010 新道展」 8月25日(水)~9月5日(日)


○ 第55回記念展
   2010 新道展


 会場:札幌市民ギャラリー
     中央区南2条東6丁目
     (北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2010年8月25日(水)~9月5日(日)
 時間:10:00~17:30
   (最終日は、~16:30まで。)

ーーーーーーーーーーーーーー(8.26)

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 久しぶりの公募展鑑賞。
 華やかで楽しい市民展、そういう印象だった。挑発的かつ挑戦的影はほとんど見受けられない。インスタレーション作品も、実質は立体作品がほとんどだ。いつになく楽しい気分で見歩くことができた。

 新道展は道展、全道展との違いを出すためにインスタレーションを会の個性として強く打ち出していた。今ではか細き一ジャンルの感がするのみで、残念だが成功したとは思えない。理由ははっきりしている。
 この団体は主婦なり市民的女性の美の表現の場だからだ。グループ展なり公募団体の重要役職は男性がほとんどだ。一方で、絵画人口は圧倒的に女性だ。それも、中年女性というか主婦が大半だ。女が支えて男が指導するという構図だ。これからは定年後の男性も増えるとは思うが、女性ももっと増えるだろう。その場合、強烈な自己顕示ではなく、やや説明的な楽しい美の表現だ。その象徴が新道展だと思っている。

 試みに、今年の出品目録から、そのお名前で勝手に男女比を推測した。
 女性の占める比率は、会員では110名中58%、会友では53人中75%、一般では116名中63%となる。
 会を代表する人達(会員)では男性も多い。次代の会を支える人達(会友)では圧倒的に女性だ。実力的には劣るが、現在の市民絵画気分を反映している人達(一般)では女性は多いが圧倒するほどではない。その代わり、男子を含めた中高年齢者の比率はどうなんだろう?かなり高いと思う。
 そして、展覧会を実際に見て概観すれば、市民絵画の正直な反映の場になっていると思う。

 話をインスタレーションに戻そう。インスタレーションとは空間全体と美的にかつ知的に関わる表現だ。別次元空間を創出して、腹一杯笑い転げるとか、美術でない領域までをも視野に置いて突き進む。何より経験と明確な絵画思想が必要だ。
 おそらく、市民絵画制作者はそこに自分の美学を求めてはいないのだろう。


 さて、本日はいきなり玄関ホールで伊藤みゆきさんにお会いした。
 何はともあれ、彼女の作品のある3階奥の間に行くことにした。
 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


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     ↑:一般・伊藤みゆき、「GRIMSON」・インスタレーション F10×8枚。

 黒い池から蓮ならぬバラが凝固して浮き上がり咲いている感じ。
 インスタレーションというよりも、組み合わせ自由で凹凸のある絵画作品と言ったほうが良い。インスタレーションの拡散性やビックリ性よりも、絵画的収縮性が強い。単純に言えば、床に置くにはメリハリが弱い。床から生まれると言うよりも、床に沈んでしまって消え入りそうだ。要するに空間に負けている。
 それではダメな作品かというと、絶対にそうではない。何が良いかというと、可能な範囲で沢山作品を持ってきたことだ。その根性が良い。公募展とは画家根性を研くことだと思っている。
 「クリムソン」、真っ赤になる、あるいは血なまぐさいという意味だ。まだまだ血なまぐささの表現に躊躇している。血(深紅)のオドロオドロした拡がりよりも、暖めあうこぢんまり感が強い。この作品を壁に横一列に並べたい。少女、熟女、老婆の女の七変化が見れるかもしれない。


 以下、ランダムに作品の紹介です。


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     ↑:会員・佐藤萬寿夫、「北の風」・油彩 P100。

 以前は春夏秋冬を明るく讃歌していた。笑い声が聞こえる楽しい詩であった。
 病気になり、手が不自由になられた。回復しての初めての個展の時は、慣れない手での制作ということで、その拙さが児童画的な遊びと深みを醸し出していた。建物などは人と人との交わりの慈しみでもあった。
 今作、もはや描法としての拙さの味わいなどは吹っ飛んでしまった。間違いなく詩である。暗めの色調だが、あどけない目と五感でしっかりと周囲の空気を画いている。今展一の詩である。


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 ↑:左から、会員・櫻井由紀子・「車窓から」・油彩 S60。
      会員・居島恵美子、「甦」・油彩 S100。
      会員・本間良子、「終焉」・アクリル F100。

 静かな楽しさのある組み合わせだ。特に居島恵美子が好きだ。軽さが良い。何を画くというのでもなく、ピンクに誘われて軽いそよ風が寄せてくる。以前は少し角張った感があって、「悩める居島恵美子」というムードがあった。きっと、吹っ切れたのだろう。



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     ↑:新会員・すとうえみ、「幻日」・油彩 F100。

 前回は目の下にひっかき傷があった。作品としての傷というより、輸送途中で生じた破損のようにしていた。今回は、それほど生々しくはないが、目の下の頬の部分をこだわりを持って画いている。
 単なる奇をてらっての行為か、止むに止まれぬ行為なのか?
 しなやかで綺麗な絵だ。さて、この写実力、何を目指しているのだろう?個展をして欲しい。その表現したい方向性をあれこれと楽しみたいものだ。



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     ↑:左側、会員・佐藤愛子、「探知犬」・鉛筆 F130。
     ↑:右側、会員・井手宏子、「ゆめ ~夢」・油彩 F100。

 佐藤愛子はもっとも好きな画家だから紹介は外せない。モノトーンとカラーの二本刀の表現者だ。
 鉛筆画だ。何を画いているのかは判らないところがあるが、気にしない。画家は犬に成り代わって、何かを嗅ぎ廻っている。


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     ↑:会員・佐井秀子、「奏」・油彩 P100。

 印象深い作品。なぜ印象に残ったのか?コンパクトな詩情とでもいうのか?肩肘張らない流れとでもいうのか?下部の丸みを帯びた描写が全てを飲み込むような、そして上部の縦縞の流れがかすかな不安を暗示しているような・・・。



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     ↑:新会員・甲斐野弘幸、「跫(アシオト)-’10」・アクリル水彩 ガッシュ M150。

 正直な絵だ。色調は以前と同じなのだが、かつては妙に重々しくてムード過多だった。アシオトがかすれていた。
 今回、アシオトがステップを踏んでいる。一気に児童画的雰囲気が強まったのには驚く。こういう時期の後の数年後、より自覚的な強さの誕生になるのだろう。



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     ↑:玄関ホール風景。


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     ↑:2階の通路的展示場。



 もう少し載せたいので、②に続く。かなり後になります

by sakaidoori | 2010-08-27 15:24 | 市民ギャラリー | Trackback | Comments(20)
2010年 08月 25日

1352) 資料館 「第5回 透明水彩 六花展」 終了・8月3日(火)~8月8日(日)


○ 第5回
   透明水彩 六花展 (リッカ・テン)



 会場:札幌市資料館 2階1室
    中央区大通西13丁目 
     (旧札幌控訴院。
      大通公園の西の果て)
     電話(011)251-0731

 会期:2010年8月3日(火)~8月8日(日)
 休み:月曜日
 時間:10:00~17:00
     (最終日は、~15:00まで)

 【参加作家】
 梅田真知子 川上町子 橘田君代 小路七穂子 湯淺美恵 吉田博美

ーーーーーーーーーーーーー(8.7)

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 この日は小路七穂子さんが一人居られた。あれこれと会話に花が咲いた。というわけで、彼女中心の記事です。
 話に夢中になり、相当撮り忘れてしまった。一部の人しか紹介できません。来年の楽しみに残しておきましょう。
 (以下、敬称は省略させて頂きます。)



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     ↑:小路七穂子、「追想芙蓉はなかずら」・F60号。

 実にシンプルな絵だ。裸婦とツル植物と背景、画かれているのはこの3点だけだ。シンプルなのに、全体で何を画きたいかが伝わらない。ツルの絡み姿の妙や生命力なのか、裸婦の姿態のつややかさとか存在感なのか、背景の装飾美なのか?要するにこの3者の視覚関係が、「正ー反ー合」の三角関係なのか、協調関係なのか、主従の関係なり力点の置き所がはっきりしない。大作絵画修行中といわれればそれまでだが、そういう問題ではなさそうだ。
 要するに「何を画きたいか」を作家が強く意識し自覚し主張していないと思う。「ツルの線描」でも良いと思う、「裸婦の形」でも良いと思う、「拡がる青色世界」でも良いと思う。欲張りな作家だから、三つとも主張して、最後は上手く収めようとした。その「収める心」が絵を中途半端にした。僕には残念でならない。

 小路七穂子は小品の風景画を描く。小さいけれども、いろんなものを上手に描き込んでいて、細かい観察力や鋭い感覚が実に良く伝わる。強い気持ちが絵に反映していている。

 光の好きな画家だと思う
 実景から離れた「作る絵」に課題が一杯ありそうだ。もっともっと良くなる小路七穂子、次回も楽しみにしています。


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     ↑:小路七穂子。左から、「長沼 初夏 Ⅲ」 「愛らしきマンゴスチン」・ともにF3号。




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     ↑:川上町子、「オオウバユリ」・F20号。


 川上町子。
 この人の魅力は初々しさだ。素直に画きたい対象を見て、そこに全神経を集中して愛おしく画く。その姿勢の初々しさが絵にスッポリと収まっていて、見ていて清々しい。
 「オオウバユリ」、白く化粧したお姫様のようだ。廻りの緑が楽しくハモっている。

 僕は画家の絵画歴を知らない。だからその初々しさは、もしかしたら画歴の長さとも関係があるかもしれない。より長ずれば初々しさが消えるのか?仮にそうだとしても、かならず絵のどこかに「初々しさ」を留めているような気がする。


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     ↑:川上町子。「バラ」・SM、「コスモス}・F3号。




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     ↑:吉田博美、「もの想う女性(ひと)」・F15号。


 素直な絵だ。この絵も描きたいこと、主張したいことははっきりしている。まさしく「もの想う女性」だ。
 主役中心主義という点では川上絵画と同じだろう。だから分かりやすく楽しい。
 吉田絵画の脇役達は主役から一歩退いて、優しく暖かく見守っている。川上町子の脇役達は主役と一緒になって謳って、主役を引き立たせている。そこが吉田絵画観と川上絵画観の違いだろう。


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     ↑:吉田博美、「春まだ遠く」・SM。




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     ↑:湯淺恵美、「いつか何処かへ 玉響(たまゆら)」・F60号。


 時の流れの中で女性(ひと)を見つめる・・・湯淺恵美のいつもの表現スタイルだ。
 少しパターン化されているのが気になる所だ。今作、2点ほど、いつもとは違う感じだ。
 一つは女性の顔に現実感が漂っている。頬のあたりを濃くして生っぽい。いつもの女性像は無表情だ。良く言えば「永久の時間」に身を置く「死相」なのだろう。悪く言えば、少し観念じみていた。

 一つはグルグル廻る時計の中央をホワイト・ゾーンにして、絵画としての生っぽさがある。その白と顔が向き合っている。何か対話をしているのだろう。時計のグルグル巻きは少し説明調だが、この白さは絵画調で気持ちが良い。まだ消化過程のような感じだが、こういうのは好きだ。



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     ↑:橘田君代、「クリスマスローズ」・BM。



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     ↑:梅田真知子、「藻岩下の喫茶店」・F3号。

 会話の花咲く楽しい喫茶店、店内を画いていないのに、そんな喫茶風景が目に浮かびます。
 他の小品と合わせて青が印象的な作家。



 

by sakaidoori | 2010-08-25 19:37 | 資料館 | Trackback | Comments(0)
2010年 08月 24日

1351) ミヤシタ 「辻けい・展」 終了・7月29日(木)~8月22日(日)


○ 辻けい・

 会場:ギャラリー ミヤシタ
    中央区南5条西20丁目1-38 
    (南北の中小路の、東側にある民家)  
    電話(011)562-6977

 会期:2010年7月29日(木)~8月22日(日)
 休み:月曜日(休廊日)
 時間:12:00~19:00 
     (最終日は ~17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(8.22)

 展示は1階と2階。
 1階は、入り口に立体作品が置かれて訪問者を迎えるような展示だ。それにしては位置が微妙に変で、何か違和感を感じる。
 そして、壁には写真が並んでいる。古代遺跡の中に自作の赤い布を絡ませている。現場の芸術活動を説明した写真パネル展と勘違いしそうだ。入り口の妙な位置の立体作品と重なって納得しがたい気持ちが湧いてくる。
 その1階の会場風景を始めに紹介します。
 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


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 1階を軽く見渡した後、あれこれ考える前に2階に行くことにした。
 そこは絵画作品だけだ。素晴らしい!!。煌びやかに垂直に伸び上がっている。強い意志、激しい情念の上昇気流だ。

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 作中、ドローイング風に見える線は「糸」だ。染められた糸が和紙のな中に食い込んでいる。当館オーナーによると、旧作とのことだ。最近はこういう絵画作品からは遠ざかっているとのこと。だから旧作である。今展では、これらの糸の食い込んだ作品から糸を幾本か引き抜いているとのことだ。実は、その辺の作品模様をあまり観察していない。作品自体が強く輝いて綺麗で、その強烈な個性に魅入ってしまったからだ。とにかく強く自信にみなぎっている!!

 これほど個性ある作品を作る作家だ。今一度、1階展示を観察すべく階段を降り始めた。

 その時ようやく階下の立体作品の置かれた位置と、作品の意味が分かった。


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 1階作品展示の僕の理解するところを記す前に、資料から辻けい女史のことを簡単に紹介します。

  1953年     東京生まれ
  1979年    多摩美術大学大学院美術研究科修了
  1978~86年 舞台美術に参加
  1982年~   染めを主体に「夢中遊行」と題する空間的な作品を作り続ける
  1986年~   フィールドワーク、野外での学習作業を通して、
             自己(染織した布)と時空(自然界の原理)との関わりを探求する
  1993年~   手すき和紙の手法を取り入れた作品を制作
  2001年~   野外空間に立体作品を制作しはじめる

 「赤く染められた布」が主人公だ。それは美術表現の重要な手段であり、作家の分身でもある。
 そして辻けいは野外に出て行く。自然界を闊歩する。そこは霊感の場でもある。そこに分身である「赤い布」を絡ませ、芸術活動が始まる。いわゆる屋外インスタレーションだ。

 そして、その成果なりをギャラリー空間に再構成させるわけだ。


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     ↑:以上全て「忍路sストン・サークル」での赤い布作品との饗宴模様。


 さて、ミヤシタ・ギャラリーに戻ろう。

 赤い渦巻き状の円錐作品は頭上の吹き抜け部分を真一文字に目指している。(厳密には2階に上がる通路の確保の為に、わずかにズレている。)
 聖柱である、依代(よりしろ)でもある。全てはこの依代の為に存在している。今は夏だ。あからさまに言えば、お盆の御霊の里帰りであり、送り返しの儀式を作家はしているのだ。

 しかし、この立体作品はそれほど強く僕の目にこない。説明はできるが、インパクト少なき会場の原因にもなっている。
 おそらく、1階のインパクトの無さは、他者に自己の仕事を見せる為ではないからではないか?形は、近作の「忍路ストン・サークルでの辻けい の感応」の再現を装ってはいる。赤い円錐はメインのストーンであり、壁面作品はサークル状態で、疑似忍路ストン・サークルではある。だが、そこに並べられてある写真は他の磁場でのものもあり、辻けいの最近の仕事ぶりだ。個々の仕事を深く見せてはいない。
 おそらく、自分の近々の仕事を網羅して、依代を伝ってきた誰かと部屋の中央で何かを語らっているのだろう。肉親か家族か恋人か誰かは知らないが、具体的な黄泉の人との語らいの場だ。他者に見せるという形で、他者を無視している。それが結果として今展をインパクトのないものにしている。

 何を黄泉の人と語り合っているか?定かではないが一つだけ美術的な予想をしてみたい。

 辻けいは人間は自然からはみ出た存在だと認識している。そして、「赤」も単なる色の一種ではない。人が選び出した色だ。人は「赤」に強く感応する、それ故に「赤」を自然から抜き取って、自然でないものにしてしまった。自然でない「人」と「赤」。だが、両者は共に自然を故郷にしている。そこに「辻けい」が仲立ちになり、「赤」を自然の磁場の強い所にさらし、社会を超えた何かを確保する。
 それをギャラリーという時空で再構成し、追体験しようとする。個体験の社会化だ。だが、磁場(野外)での感応とギャラリーでの追体験は、それほど安易には結ばれない。

 もしかしたら、「原体験の磁場(野外)」と「結ばれの場=ギャラリー」という関係を見つめ直しているのかもしれない。


 確かに今展はインパクト薄き展覧会だった。写真展として見るならば、その技術はそれなりのものだろう。だが、辻けいは写真家を目指してはいない。
 あくまでも自然から引き裂かれた「人」を、同類としての「赤」を仲立ちにして、回帰を計っていると思う。
 その本格的な展覧会の場に立ち会いたいものだ。


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     ↑:「スパイラル・シリーズ」・1988 2010年。

 写真家の目には相当の秀作とのこと。実際、長く見ていると味わい深い興に襲われる。だが、上掲の僕の写真では情けないものになってしまった。

by sakaidoori | 2010-08-24 22:52 | ミヤシタ | Trackback | Comments(0)