栄通記

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2009年 12月 27日

1145) ③茶廊法邑 「SAG INTRODUCTION ~小林麻美の場合」 終了・2008年12月20日(土)~12月29日(月)

○ 札幌アーティストギャラリー作品展 (2会場)
     SAG INTRODUCTION

① 会場:茶廊法邑
    東区本町1条1丁目8-27
    電話(011)785-3607
 期間:2008年12月20日(土)~12月29日(月)
 休み:23日(火)
 時間:10:00~18:00
     (最終日は、17:00まで)

② 会場:品品法邑(2階)

 企画:法邑芸術文化振興会

 【出品作家】
 (茶房法邑のみ) 大井敏恭 笠見康大 小林麻美 林亨 山本雄基 LESLEY-TANNAHILL 

ーーーーーーーーーーーーーーーー(12・27)

 昨年の今頃の展覧会です。
 グループ展です。小林麻美さんも参加しています。彼女のことはなるべく記録に残したいと思っています。このグループ展を含めて、今年も書いていない参加グループ展が二つあります。なるべく年内に書きます。
 (以下、敬称は省略。)


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     (↑:右側の壁面作品群が小林麻美・作。)


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     ↑:「網目の景色(よく似た家)」・1630×1300mm。

 1年前に見た絵です。非常に困惑してしまった。絵の全体印象が強くて、細かいところは忘れてしまった。忘れたというより、見なかった。その時の印象をベースにしながら、今の時点での思いつくままを書いていきます。

 困惑した理由は明快です。絵がとても上手くなっていたことです。
 主に網目のひし形の中央部です。丁寧に丁寧に画いていて、色が強く発色し、こちらの目に飛び込んでくる。画かれた一つ一つもしっかり自己主張している。こんなに細かいところを丁寧に強く描く人だったのかと、困り果てた。

 僕は小林・絵画を「異次元空間を求める作家。絵の中に異次元空間を重ね合わせて、画家自身がその中に強引に突っ込んで行って、その異次元空間が『何なのか?』を探求している画家」と把握している。
 だから、画かれた一つ一つは映画の小道具のようなもので、幾つかの小道具全体の空間・小世界が大事なことで、その小世界が幾つかあり、それを束ねるような中世界、さらに大世界とダブりあっている。それでいて小世界は小世界として独立性を保っていていて、それらをどう絵にするか。その辺の画家の探究心の軌跡も絵に重なっていて、そういう画家の悶々と重層的な空間構造を楽しく見ていたわけなのです。

 ところが、絵が上手くなっていて、空間そのもの意味合いが今までと同じなのだろうか?上手くなったのは若い画家としては当たり前のことだし、褒められるべきなのだが・・・。
 その上手さは、空間それ自体に直接向かうのではなく、一つ一つの画かれた物に対する執着という形をとっている。マクロへの恋慕がミクロへの愛情のように思えた。
 もしかしたら、マクロへの探求をいったんは棚上げし、足元の一つ一つ、記憶の隅々、未来よりも過去の再確認へと画家の心を動かしているのかもしれない。
 異次元空間という外よりも、自分という内を見つめている。その結果が細かい部分の描写の力強さとして見えたのかもしれない。
 
 

by sakaidoori | 2009-12-27 22:39 | (茶廊)法邑
2009年 12月 26日

1144) 札信 「川上直樹・展 2009」 終了・9月24日(木)~9月26日(土)


○ 川上直樹・展 2009

 会場:プラザかけはし(札信ギャラリー)
    中央区南2条西3丁目
     札幌信用金庫本店西口
     営業プラザ「かけはし店」地下1F
     (駅前通り東側)
     電話(011)241-2141

 会期:2009年9月24日(木)~9月26日(土)
 時間:10:00~17:00
     (最終日は、~16:00まで。)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(9・26)

 (3ヶ月前の個展です。以下、敬称は省略。)

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 上は展示風景で、今展の全出品作でもある。
 当館の黒い横縞壁面は、川上・風景画の横拡がりの構図とのマッチング、画家の好む世界だろう。

 川上直樹は、大作では風景画オンリーだったと思う。それらを、公募展に出品することによって、画量を高めていた。公募展出品とはいっても、つい最近のことではるが。

 さて、今展では道展出品予定の2点の大作が静物画・構図画になっていた。氏の過去の流れから見たら、新たな出発のような感じで見てきた。

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     ↑:「静かなとき Ⅰ」・100F。

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     ↑:「静かなとき Ⅱ」・100F。


 氏は風景画を画いていたが、それをリアルに画くとか、対象の存在に迫るという感じではなかった。いささか几帳面過ぎるくらいに構図にこだわり、画面全体からある種のムード・思想を主張する感じだ。つまり、画家にとっての「風景」は仮の姿で、そこが「富良野の草原」であろうと、「手稲の山並」であろうと、その場の固有性を主張してはいなかった。「何を画くか」よりも、「いかに画くか」にウエイトがあった。

 その「いかに画くか」に的を絞った時に、「風景画」の制約が邪魔になったのだろう。
 氏にとっての「いかに画くか」の大きな入り口は「構図をつくる」にあるわけで、「構図絵」で、今の自分を試す。それに専念して、画力を高める。そのことによって、「何を画くのか、何を画きたいのか?」という絵のテーマもきっちりと自己確認していきたいのだろう。

 それでは「何のための構図か?」ということになるが、それは出来上がった絵を見て判断するほかはない。
 今展の2作に関しては、絵そのものよりも「川上直樹は自分自身を画家として見つめ始めたな」という印象が全てであった。

 こういう「構図画」は抽象画を目指すのでなければ、どうしても「何か」を画かねばならない。「構図そのものの力を引き出したい」とするならば、画題に引っ張られすぎは画家にとっては失敗作であろう。そして、「犬の絵」は画家にとっては失敗作だと思う。やさしい表情で、どこか「挽歌」の匂いがする。それを引き出すのを目的に画かれた絵ではなかったのに。
 だが絵とは不思議なもので、僕などは時に画家の主張などを無視して絵を見る。だから、「どういう意味で犬を画いたか?」よりも、「犬をやさしく画いた」事の方が好ましい。

 「構図画に専念して自己主張を全面に出す」が今個展の命題であったと思う。僕にはその自己主張よりも、「門立ち展に、大事な事柄(犬)」を画いた、その川上直樹という人間性が垣間見えたのが嬉しかった。それはあまりにも正直すぎるが。
 僕には川上絵画を語る基準がある。氏の課題である構図力、その構図からのっぴきならない緊張感が生まれる。氏の持つ人間を見つめるヒューマンな眼差し。、構図の緊張感と物・人・時・記憶を見つめる眼差しが絡み合い始める。その時が本当の川上・絵画の出発だと勝手に思っている。
 そういう意味では今展はまだまだだ。だが、「いかに画くか?」と「何を画くか?」がようやく絡み合い始めた。


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     ↑:「冬近い望来の丘」・30F。


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     ↑:左、「木枯らし」・SM。右、「サクロと枯れたハス」・8F。

by sakaidoori | 2009-12-26 10:58 | 札信ギャラリー 
2009年 12月 24日

1143) ②テンポラリー 「森本めぐみ・展 『くものお』」 12月15日(火)~2010年1月13日(水)

○ 森本めぐみ・
   「くものお」


 会場:テンポラリー・スペース
     北区北16条西5丁目1-8
     (北大斜め通りの東側。
      隣はテーラー岩澤。)
     電話(011)737-5503

 会期:2009年12月15日(火)~2010年1月13日(水)
 休み:月曜日(定休日) 年末年始 12月31日~1月4日
 時間:11:00~19:00

ーーーーーーーーーーーーーー(12・23)

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 (予期せぬ展開での②になりました。おそらく③にもなるかもしれない。)
 
 北大探鳥会に行った妻の迎えにテンポラリーで落ち合った。時には妻との待ち合わせもいいものだ。①で今展を紹介している。冬の閑散とした空間をもう一度見るのも悪くはない。

 ところが、会場は公開制作場に変わっていた。
 赤い水玉に埋もれて、同じ色の繋ぎ服姿の画家がいるではないか。
 挨拶そこそこに出た彼女の言葉は、「禁じ手をしてしまいました・・・」

 展覧会期が長い場合には、予告無しで会場の様子がいろいろと変化する場合がある。だが、それは空間をより生かす為の行為で、たとえ初めの展示の様子を残さなくても、あくまでも発展・深化を目論んだものだろう。

 だが、今展の画家の行為は、全然違う。それは、初期の展示のムード・意志を否定したところでの公開制作だ。もう、あの隙間風が流れる世界、ネズミの通う穴に置かれたアイテムを探して、あれこれと妄想することはできない。

 だが仕方がない。そもそもが、ここは画家のプライベート空間だったのだ。許されざる約束破りだが、その私的行為にオープンに付き合えるのも芸術世界というものだ。たとえ彼女が「芸術家」と呼ぶには若すぎても、心はそれだ。初期の展示は「芸術家以前」だと思っている。今は「芸術家直前」だ。

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 このビニールに巡らされた空間、形は寒さ防止だが、きっと違うだろう。
 テンポラリーのネズミの巣穴を大きくした、森本めぐみ・ルームだ。小さなネズミ部屋を拡大して見せている。もしこのシートが寒さ除けならば、全部を覆う必要はない。会場入り口を二重にしかっりふさげば事足りる。床もふさがれたこの姿は、訪問者との会話をも否定している。上からの「見るー見られる」演劇空間に転化している。他者を排除している。自分だけに埋没したいのだ、見られながら・・・。

 それはネズミの巣穴ではあるが、雲の中のようでもある。浮かれながら物語が進んでいるのだろう。
 「蜘蛛の緒」から、「雲のオ・ハ・ナ・シ」になったのだろう。絵のように大きく叫びたいのだろう。何を叫んでいるかは知らないが、大きくなってもらいたい。


 いずれにせよ、宜しからざる行為だ。上から彼女に「モンク」を言おう。そして、去る年、新しき年を祝うことにしよう。


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by sakaidoori | 2009-12-24 10:30 | テンポラリー
2009年 12月 23日

1142) 市民ギャラリー 「平成21年度・札幌西高書道部 校外展」 終了・12月18日(金)~12月20日(日)

○ 平成21年度 
   札幌西高等学校書道部・校外展

    

会場:札幌市民ギャラリー 2階ホール
     南2条東6丁目
      (北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2009年12月18日(金)~12月20日(日)
 時間:10:00~17:00
     (最終日は、~16:00まで)

ーーーーーーーーーーーー(12・19)

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 ↑:左から、① 3年・中野雄太、「臨 温泉銘」。
        ② 3年・皆上翔太郎、「臨 顔勤礼碑」・道高文連賞。
        ③ 2年・後藤加奈、「臨 史○後碑」。
        ④ 2年・平田麻衣子、「西狭斯○」。       

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 ↑:左から、⑤ 3年・青木結香、「臨 蘭亭序」。
       ⑥ 3年・中野雄太、「臨 蘭亭序」。
       ⑦ 3年・皆上翔太郎、「臨 蘭亭序」。
       ⑧ 2年・平田麻衣子、「臨 ○○表紀」。

 (注意⇒○印は、後で書きます。)


 とにかく元気がいい。

 決して、一個一個の字が上手いとは思わない。字に忠実に迫ろうという学生の真摯な態度が、かえって未熟さを爆発さていている。
 「上手く書けない、それでも書く。・・・おっ、だんだん筆が進んでいく。・・・いいぞいいぞ・・・どうだ、書いたぞ!」と顔を赤らめて、作品も学生もそこに立っているのが見える。半折りの書が立っている。

 一個一個の字は、学生が書きたくて選ばれた字ではない。好き嫌い以前に、名筆といわれる古典があるわけだ。そこに書かれた意味も全然関係ないし、その意味を調べることもないだろう。僕自身わからない。
 臨書は字の意味を問わないで、字の美しさ、その字全体を貫く精神を学ぶものだと思っている。

 選んだ好きな字を書くわけでなく、意味も分からず、「漢字」・「書」という約束に埋没して、筆先に根性と気合いを入れていく。そして、一つ美が生まれた。上手くはないが清々しく、顔をほころばせて見ることができた。


 上の写真作品群は全て高文連全道大会に出品されたもので、確かに良い。
 個人的には②が一番好きだ。大きく太く綺麗だ。はみ出す勢いもある。
 ③は「顔真卿」の作品。彼の力強い破調に迫ろうとして、あまりに上手くまとめすぎたみたいだ。
 下の作品は「王羲之の欄亭序」に取り組んでいる。名筆の流れる自然体にたいして、学生の無手勝流のくねくねさが微笑ましい。

by sakaidoori | 2009-12-23 11:34 | 市民ギャラリー
2009年 12月 22日

1141) ①テンポラリー 「森本めぐみ・展 『くものお』」 12月15日(火)~2010年1月13日(水)


○ 森本めぐみ・
   「くものお」


 会場:テンポラリー・スペース
     北区北16条西5丁目1-8
     (北大斜め通りの東側。
      隣はテーラー岩澤。)
     電話(011)737-5503

 会期:2009年12月15日(火)~2010年1月13日(水)
 休み:月曜日(定休日) 年末年始 12月31日~1月4日
 時間:11:00~19:00

ーーーーーーーーーーーーーー(12・17)

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     (↑:会場の左壁面。会場展示物のイラスト風見取り図が貼ってある。)

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     (↑:会場正面。手作りの糸?の糸巻きが並んだいる。)


 非常に線の細い展覧会だ。
 森本・絵画に特徴的な華も無かった。彼女の絵画の「目」がいかにキツクとも、画面全体に青年特有の「華」があり、「生」があるのに。
 そして、プライベート性の強さ。それでいて、私小説的な自己耽溺の情念が、部屋を覆っているわけではない。
 将来羽ばたく為の自分の位置の確認、それを今の自分を知っている人に見てもらいたい、そんな印象だ。展覧会以前の「頭の中の森本・ルーム」のお披露目展ともいえる。

 昨日、「500m美術館」の森本作品の感想を書いた。とても良い作品展だった。他者を見る目と、作者自身の感性が程好くマッチしていた。表現されたヒューマンな暖かさは、他者に流れず、過剰な自己発露も抑制していて、その若者らしさが心地良かった。

 今展は他者は省みず、見る人がどう見るかも関知せず、しかも自分自身も省みずにしたいことに徹する。「美学・美的空間、空間作り」、そんな「美術」も不問にして、してみたかったことを実現する。そんな夢というか空想の現実化・視覚化に目的があるようだ。自分に正直な展覧会ともいえる。こういうことをしないと次に進めないのだろう。だからと言って、過去との決別なのか、再生産なのか、新たな構築なのかはわからない。最後は自己を見つめる厳しさが、方向を定めるのだろう。

 作家は「祈り」をインスタレーションで織りなしている。
 過去の彼女のインスタレーションを幾つか見たが、凡長な時もあった。若い表現者だから、いろいろ試みてインパクトが弱くても構わない。問題は「祈り」が強すぎる時はあまり面白くなかった。「祈り」を愛し過ぎていて、「祈り」に頼って作品化しているようで、綺麗事を主張しているみたいで面白くなかった。
 今展は殊更「祈り」は表にでていない。だが、糸をより合わせて・森本糸を作る行為、細くとも綺麗な蜘蛛の巣の世界、その糸の緒が何かに優しく絡むことを期待しているみたい。

 たゆたゆしくユルリとした感性、そこに細さ、弱さも同居しているみたい。何より、会場の空間に甘えている、頼りきっているようだ。
 鑑賞者が「何かを見る」、「作品と何かを対話する」というよりも、「森本めぐみの感性を見よ」と、赤裸々に言っている。そこが今展の魅力だ。
 しかし苦悩薄く、「自愛」と「自足」の多き展覧会として見た。


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     (↑:クリックすれば、かなり大きく見れます。)


 (展示は全体の会場風景が示すように、個々の作品を一生懸命にみてもどうしようもないところがあります。
 僕は説明能力が低いので、多くの写真で代用しがちです。今展は写真でも伝えがたい。なぜかというと、手作りの小物が、部屋の目立たなくて約束された場所にこっそりと置かれているからです。穴や隙間の出入口に置かれています。テンポラリーを空き家か屋根裏に見立てて、ネズミさんが暮らしている。ネコヤナギがあったりしてネズミの糞のよう。
 若い女性には。「可愛い~」、「素敵~」、「不思議~」、「おもしろい~」という声が弾むかもしれない。
 消去法的展示で、その極端さには感心させられます。)





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  ←:1階の左壁に貼られてある1枚のスケッチ(作品配置図)。
    作品名は「あ・い・う・え・・・」。











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     (↑:左、垂れた「森本・いと」、あるいは「くものお(蜘蛛の緒)」。
     ↑:右、床の穴を埋めている真鍮色の飾り物。)


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by sakaidoori | 2009-12-22 13:23 | テンポラリー
2009年 12月 21日

1140) CAI02 「酒井広司・写真展 『Sight Seeing』」 終了・12月5日(土)~12月19日(土)

○ 酒井広司・写真展
   『Sight Seeing』

 会場:CAI02・raum1
    中央区大通西5丁目 昭和ビル・B2 
    (地下鉄大通駅1番出口。
    注意⇒駅の階段を下りてはいけません。
        昭和ビルの地下2階です。)
    電話(011)802-6438

 会期:2009年12月5日(土)~12月19日(土)
 休み:日曜日(定休日)
 時間:13:00~23:00 

※ ギャラリー・トーク  ⇒ 12月12日(土) 18:30~ 
                 ゲスト・佐藤友哉氏(道立近代美術館副学芸員) 

ーーーーーーーーーーーーーーー(12・19)

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・ 見事な中央写真!!

 「撮りたい物、描きたい事を真ん中にすえるのを避けや!」、構図において、中央にドーンと物を置くのを避けたほうがいいといわれる。
 それは決して悪いことではないのだが、経験則として、中央からずらしたほうが動きがでたり、間が生じたり、見る人の目を画面全体に誘導させたり、テクニックの一つのようだ。
 写真の場合、そういう作品を「日の丸写真」といって、戒めの言葉としている。

 だが、酒井広司・写真は見事に被写体が真ん中にある。しかも、水平線も多くは中央ラインを描いている。
 ということは、顔を上下せずに目を真正面にすえて、撮りたい被写体をにらんでシャッターを押す、ということだ。


f0126829_1921569.jpg 作品内容は風景写真オンリーだ。街は無い、人も居ない、家も無い、アスフアルト道路も標識も無い。わずかに船の群れを小さく撮っているのが一枚あるだけだ。
 そして、場所を特定できる被写体を見つけるのはとても大変だ。
 個々の写真はボケを利用したり、岩をどっかりと撮って特徴的なのだが、全体は似た作品とも受け取れるし、作品と「会話・対話」するのを拒否しているような冷たさを感じる。


 無名性の作品群ではあるが、その作品の多いことには驚かされる。
 つまり、写真家は冗舌なのだ。これでもか、これでもかと、自分の思いを伝えたくて仕方ないのだ。サービス精神旺盛とも受け取れる。人を拒絶したような作品とは裏腹に、「作品集」あるいは「作品展」として、多くの目をほっしているのではないだろうか?禁欲さと人恋しさが埋まった展覧会だ。

 「真ん中撮りとして儀式のような撮影行為」、「一点を見つめる強制的視座」、「不特定性・無名性としての風景作品」、「あらん限りのサービス精神」・・・これらで写真家は何を撮りたいのだろう?

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 (↑:作品は全て“年・月・日・時・分・緯度・経度”の数字が並んでいる。
 どこにでもある風景だが、それでは見る人には不親切と思ったかどうか?単に自分の日記という意味かもしれない。
 無味乾燥的にして、サービス満点。)




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 会場には30年前に発表された作品の作品集が売られていた。
 「夏の消失点 1979」。30枚の写真をカバーに挟んだだけなのだが、立派な写真集だ。作品自体は在学中のもので、賞を確保した記念すべきものだ。それらを今年の3月に製本し、1,000円で販売している。安い!すぐに買った。ここにも彼のサービス精神一杯だ。(今展の無料パンフも用意されている。屏風仕様で10枚の写真が載り、小さいながらも手に優しく、中味は濃い。)

 間違いなく、そこには氏の原点がある。
 被写体に半歩近づき、風景、人物、人工物を撮っている。
 やはり水平線のある作品もあるが、不安定で揺れている。写す青年写真家の情熱・ブレと同時に「空間に何かを感じる、それを見たい」という喜び苦しみという情感が充満している。
 (今展に多くある前景の被写体のブレはこの写真が原点だろう。ブレるのは人でなく植物になり、中央にいたり四隅に居たりと主役から脇役になり、空間に働きかけている。)

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 上の写真が今展を最もわかりやすく語っていると思う。
 ピントを後ろの岩に当てて、中央の青年はボケている。まるで心霊写真のようだ。
 このブレた青年の位置に撮影家は何かを見つめていると思う。この青年がいないとどうなるか?そこを見たいのだ。
 半歩被写体に近づいていた写真は、30年後には1歩下がった写真になった。この広がった空間に、具体的な何かを見つめているのではないか。まさに、タイトルの「消失点」の追及・追体験が、以後の撮影者の道になったのではないか。
 
 30年前のこの岩はスクリーンのような物だった。岩までの空間体験の月日が、岩それ自体を見る目を養った。岩(被写体)は空間の影であり、実にもなった。
 水平線は心象ムードをかきたてる小道具だったが、酒井・写真儀式の神主のような物になった。


 作品に比喩・象徴・暗喩を読み取れるかもしれない。
 だが、僕は「消失点」という具体的な物を撮られる撮影家だと感じた。
 「消失点」、それは「確保点」かもしれない。


 

by sakaidoori | 2009-12-21 19:38 | CAI02(昭和ビル)
2009年 12月 21日

1139) 地下鉄コンコース 「500m美術館 '09 ~森本めぐみ の場合」 終了・11月1日(日)~11月30日(月)

○ 500m美術館 '09

 会場:地下鉄東西線コンコース
「大通駅」から「バスセンター前駅」間
 会期:2009年11月1日(日)~11月30日(月)
 時間:おそらく地下鉄が利用できる時間帯

 【参加作家】
 18人のメイン・アーティスト
 札幌市立大学美術部・ノイメン
 若手アーティスト・200人展
 
ーーーーーーーーーーーーーーーー(11・23)

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 「第5回 さっぽろアートステージ」美術部門のイベントが、この「500m美術館」だ。
 本体はかなり大がかりな市民芸術祭で、演劇・音楽・美術と色々と組み合わせて、「アートを楽しもう」ということである。行政もからんだイベントだから、いろいろと批判もあるだろう。中味の批判はいいことだ。批判に値するイベントに成長してもらいたいものだ。

 いい機会だから、何か一つでも美術以外のイベントに触れたかったが、結局は見知らぬイベントになってしまった。
 そして、この「500m・展」も一度しか見なかった。一度だけだったのだが、この時期は貸しギャラリーを訪問する元気がわかなくて、ただただ映像のように、路傍の石のように流れるこの展覧会を、かなりゆっくりと見ていった。幸か不幸か、誰一人として美術で知り合った人たちとも出会わずに、500mを歩いた。

f0126829_10303675.jpg (←:田中裕子、「それ と そこ」)


 「500m美術館」を紹介するのだが、第1回目の記事は「森本めぐみ」を中心にすえます。
 なぜかというと、今展で一番気に入ったから。
 そして、現在テンポラリー・スペースで彼女の個展をしているので、その作品の頭と心の訓練を兼ねたいと思っているから。


 余裕があれば、②・③と載せたい。
 もの寂しい地下通路、最終電車は近い。ヒンヤリとした空気、淡々と見た作品を一つでも「記録と記憶」を兼ねて載せたい。どうなるかわからない。雰囲気が伝わればと、「森本めぐみ・作品」の前に、少しだけですが会場風景を載せます。

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     (↑:太田博子、「マーチ」。)


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     (↑:柱を利用した作品は、札幌市立大学美術部・ノイメン、「ぬくもり」。
     昨年のブルーシート作品は良かった。今回は木の色「さみしさ」が他と一体化し過ぎていて、小さく冷ややかな印象。)


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  ~~~~~~~~

○ 森本めぐみ の場合

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f0126829_11301056.jpg タイトルに「チャーム(おまもり)」とあるが、それを見なくても「お守り」が宝物のように並んでいる光景だ。

 作品は非常に小さい。真鍮の輝きが、小ささを誇らしげに包んでいて両の手に収めたくなってしまう。
 見知らぬ人たちとのすれ違いの一こまをスケッチし、その姿を真鍮に仕上げて「チャーム」にしたという。方眼紙のスケッチ、日時がメモされている、それにトレーシング・ペーパーが重なり、真鍮作品(お守り)がぶら下がっている。

 「見知らぬ道行く人」との一期一会的出会い。それは「道逝く人」なのかもしれない。


 僕が感心したのは、小さい世界での人の形の大らかさだ。
 確かにその形は動画やマンガで見慣れた可愛いモデルのようでもある。だが、可愛いから大らかなのではない。
 たとえいきずりの人であっても、優しく見つめる視点。その視点のボリューム感が、彼女の持つ倫理観と無理せず調和して、どこか誇らしげだ。

 作品を見た瞬間、ジャコメッティーのデッサン画を思った。
 彼の立体作品は、ひたすら消去されていき、それでも人は存在するのだという雰囲気だ。だが、同じその人のデッサン画の人物は肩幅広くまろやかで、存在の「原点」の重みと「人間」を思わしめる。平面画の「存在のどっしり感」と、立体作品の「研ぎ澄まされた存在感」、ジャコメッティーにとっては同じ存在のありようなのだろう。倫理無き存在の重み、あるいは存在への問いかけだろう。

 森本めぐみは人と人との関係をあまりに倫理的にみている。そこが若き女性らしくて眩しく思う。
 美術は倫理の表現か?文学的情緒の表現か?少なくとも、美術独自のありようとして、形(造形)そのものが何かを訴える。森本立体作品は美術的造形直前で、人間臭さと真摯に向かい合っている感じだ。

 人物のスケッチ・ラインは方眼紙に画かれている。現場でのスケッチに方眼紙を使うのだろうか?立体作品のために、あらためて方眼紙に書き換えたのだろうか?
 少なくてもそこには筆の織りなすながれよりも、正確さを求める計算の目を思う。
 倫理観を表現の根におきながら、空間を図面できるような計算好みの感性。
 今展はその両者が、若い感性に支えられてうまくかみ合っている。
 あまりに真摯な態度が、お祭り的な会場で異色だった。

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by sakaidoori | 2009-12-21 12:58 | 公共空間・地下コンコース
2009年 12月 20日

1138) 市民ギャラリー 「第百回 北大美術部黒百合会展」 終了・12月15日(火)~12月20日(日)

○ 第百回 北大美術部黒百合会 

 会場:札幌市民ギャラリー 
     南2条東6丁目
      (北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2009年12月15日(火)~12月20日(日)
 時間:10:00~18:00
     (初日は 13:00~。最終日は ~16:00まで。)

ーーーーーーーーーーー(12・19)

 伝統ある北大美術部黒百合会、昨年が創立100周年で、今年は展覧会100回記念展です。
 会場の一部と幾つか作品紹介です。
 (以下、敬称は省略。)


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 会場は3箇所の部屋に分かれていて、一番元気のあるのが上の写真の2部の会員と新人のシルクスクリーン・カレンダー。
 この勢いで全室に学生らしさがあるといいのだが、残念ながら大人しい。学生展は、まず元気・勢いが1番、2番、3番を問わず、次に「イマイチだな、これは面白い。なかなか上手いじゃん」、そんなノリで楽しみたいものだ。

 それと、カレンダーの展示は同じものばかりを並べているだけで、他が元気があれば全然問題ないのだが、張子の虎のような感じで寂しさを増徴しているみたい。批判がましいことを言って失礼。
 
 作品のジャンルは豊富だ。油彩、水彩は普通だが、鉛筆や木炭の細密画、写真、立体、きり絵に陶芸もある。もう少し一人一人の作品数が多くあればいいのに。


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     ↑:教育学部2年・平井由佳、「肖像画 Ⅷ」・F8 8枚。

 絵は静かですが、しっかり表現していた平井由佳。人物の8枚連作です。


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     ↑:理学部1年・石宮唯博、「ジブンシガラミ」・木炭 50.7×65.7cm。


○ OG・山田望鈴、「心のゆくえ」・鉛筆 97×67cm。

 モノトーンの鉛筆などの細密画は好きなので、載せて記録したくなります。「心を刻む鉛筆画・展」、そんなグループ展を見たいものです。



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     ↑:工学研究科修士2年・伊藤桜、「言葉のない国ーⅠ」・油彩 F100。

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     ↑:OB・野又圭司、「日本再鎖国」。

 イスとテーブルが見覚えのある作家と思って近づくと・・・、やはりの野又圭司(元新道展会員)だ。氏は立体&インスタレーション作家だ。
 今作は、蛍光スタンドの照明を利用したソーラーシステムだ。光を回転エネルギーに替えて、半永久的に耕運機での農作業風景。
 タイトルが「日本再鎖国」?
 函館開港150周年記念の出品作とのことである。
 もう一度、昔のように鎖国して、円環的な小世界、牧歌的な生活をしようよ、そんな意味か?そうはいっても、この装置を支えているのは近代的な道具でもある。
 主張はともかくとして、コンパクトにまとめた綺麗な作だ。「鎖国」という硬い言葉とは裏腹に、夢がある。野又氏は大きいのも作る。大きくても小さくてもこういう集約度の高いものの方が見応えがある。拡散型あるいは爆発型の作家ではないようだ。
 野又氏は北大の哲学科の出身と聞く。在学中から黒百合会で美術活動をしていたのだろう。
 

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     ↑:藤女子大学2年・森萌、「どんぐり」・水彩 F50。

 北大のサークル活動は学外学生も加入可能のようだ。
 昔、北大の人形劇サークルに知り合いがいたが、その時も札大などなど、いろんな学校の学生でにぎやかにしていた。
 目録をみると、他にもいるみたいだ。


 

by sakaidoori | 2009-12-20 20:32 | 市民ギャラリー
2009年 12月 20日

1137) 市民ギャラリー 「平成21年度・札幌西高美術部 校外展<西美展>」 12月18日(金)~12月20日(日)

○ 平成21年度 札幌西高等学校美術部
   校外展 <西美展>

会場:札幌市民ギャラリー 2階ホール
     南2条東6丁目
      (北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2009年12月18日(金)~12月20日(日)
 時間:10:00~17:00
     (最終日は、~16:00まで)

ーーーーーーーーーーーー(12・19)

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 予定にしていなかった高校生展だった。全作品は「学生全道展入選作品」と、「高文連出品作品」で、ほとんど見ているはずだ。その記憶率は低くて大半は忘れ去ったのだが、あらためて見れるのは楽しいものだ。

 この学校の特徴は、シュールに大仰にならずにしっかり対象を見つめて元気に画く、薄塗りを避けて強い色を出したい、そんな印象を受けた。
 当日は受付にいた学生の作品を中心に見たので、彼女達のピンポイント作品を載せます。


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     ↑:1年・米内麻里依、「安らぎ」・F100。

 とにかく、中央の車の明るさ元気さが目に飛び込んでくる。それと、電信柱を満々中にして、家、車、人なども中央に集中する配置が好ましい。「画きたいものをしっかり画く」、という視点だ。それでいて、彼女の筆法にはワイルド感はない。どこか内向きな、宝物を見つめる感性の人のようだ。
 屋根の左右に花とハンバーガーが浮かんでいる。中央ばかりに目がいくのは面白くない、変化が足りないと思ったのだろう。「安らぎに」に華を添えたかったのかもしれない。高校生らしいアイデアでいいのだが、花が屋根の色と重なってわかりづらいのが少し残念。

f0126829_9281276.jpg 左:同じく米内麻里依、「溢れ出す希望と迷い」・F30。

 米内さんは恥ずかしがって見せようとはしない。
 ようやく探しだした。

 本人は作の不出来を恥じていたが、そんなことはないと思う。ニギニギしさが気に入らないようだが、いろいろと画きたい思いが詰まっている。僕には好印象なのだが。
 正直、画題の「迷い」は絵からは感じられない。「希望」が小さくキラキラ輝いているという感じ。「迷い」とは絵に対する気持ちなのだろう。「上手く画きたい、上手く画けただろうか?」
 対象をリンゴのように丸く丸く元気に明るく画いている。自分の持ち味は充分に出ていると思う。



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     ↑:1年・竹山政美、「額の中の野生」・F100。

 米内さんの内に輝く筆法とは逆に、外に外へと爆発する絵だ。色も形も、絵全体に力がみなぎっている。
 この絵も赤が眩しい。ザックザックと色を重ねて、一気にナイフで削り取る。鋭利さを秘めた、燃焼だ。


f0126829_9442688.jpg ←:同じく竹山政美、「白昼夢」・F30。

 上の絵が彼女の持つ「爆発型」ならば、こちらは「鋭利型」だ。しかも紫でまとめているのが心憎い。

 「白昼夢」とは画題以上に竹山さんの絵心なのだろう。
 こういう学生には大きな壁一面を与えてみたい。「白昼夢」になって、一心不乱に画きなぐっていくだろう。慣れない大きさに少しは迷うかもしれないが、それは一瞬。決断早く、ぐいぐい色が埋まっていくだろう。







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     ↑:1年・桂元卓弥、左・「水と金属の街」・F100。右・「自転車とぼく」・F30。

 竹山政美さん推薦の学生。セールスポイントは「丁寧に画いています」とのこと。おそらく、丁寧さからくる桂元卓弥君の感性・詩情に彼女は注目しているのだろう。それは竹山さんとは違う個性なので、気になるのだろう。

 左の絵は、学生全道展でしっかり記憶している。どこか金属質で構築的な詩情のようなものを感じた。
 それと、クローズアップする手法が新鮮なのだが、単なる技法で終わって欲しくない。自分の感性を見つめ発揮させる世界になればと思った。


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 ↑:左、高文連全道優秀賞・3年・福岡千尋、「18菌」、アクリル B1。
     ↑:右、同じく優秀賞・3年・柴田玲奈、「わたしからみたわたし」・油彩 F30。

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     ↑:同じく優秀賞・3年・小林麻衣、「わたしの空間」・油彩 F30。


 後で、当展の目録を見ると、高文連での全道優秀賞作品を記していた。上の2点の写真はその時に撮影したものの編集です。
 全てよく覚えている作品です。
 個人的には小林作品には愛すべき世界で、福岡作品には技術と知的さを感じ、柴田作品にはベッタリとした大人っぽい感性を思う。
 おめでとう。

by sakaidoori | 2009-12-20 11:50 | 市民ギャラリー
2009年 12月 19日

1136) ①市民ギャラリー 「岸本裕躬・絵画自選展 1955~2009」 12月16日(水)~12月20日(日)

○ ・・・・生への限りなき哀歌 1955~2009
   岸本裕躬絵画自選展


会場:札幌市民ギャラリー 1階全室(第1・2・3室)
     南2条東6丁目
      (北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2009年12月16日(水)~12月20日(日)
 時間:10:00~18:00
     (18日・金、19日・土は ~19:00まで。)

 主催:岸本裕躬 同絵画自選展実行有志会

ーーーーーーーーーーーー(12・19)

 本日拝見。
 一気に紹介するのは時間的に無理です。明日書きたいと思います。とりあえず、会場風景の紹介です。


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     (↑:第1室。2000年代の最近作の展示。)

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     (↑:若かりし1960年代の作品群。)

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     (↑:1970年代の初期。「挽歌」シリーズと名付けたい。紫と朱が綺麗だ。)


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     ↑:「乗客 ①」・1979年。


 1955年から今年までの自選回顧展です。

 初期から人間ばかりを画き、形を変えながらも「人間」ばかり追及している。その持続する精神、粘着的精神知力に、圧倒される。
 最近は「人間」そのものをあまり画かない。森の中の薄暗がりの生き物の様子を画く。、人を画くことを放棄したともとれる。人間に魅力を感じなくなったのかもしれない。だが、多くのそれら生き物は擬人化されたもので、人と社会そのものをに画いた以外の何物でもない。そして、具体的な喜怒哀楽の顔の表情から自由になって、作者の意のままの生きる存在になった。作者の思いを超えた不可思議な存在になったとも言える。

 「人間、社会とは何か」、作家の長き画業から、解を求めるのはやめよう。氏は画家であって思想家・文化論者ではないのだ。求めた軌跡を追体験しよう、その持続する精神に共鳴しよう。


 明日、項をあらためて作品紹介をしたいと思います。
 展覧会は明日までです。

by sakaidoori | 2009-12-19 23:56 | 市民ギャラリー