栄通記

sakaidoori.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

<   2009年 06月 ( 42 )   > この月の画像一覧


2009年 06月 29日

1025) エッセ 「兵藤いずみ・個展」 終了・6月23日(火)~6月28日(日)

○ 兵藤いずみ・個展
       
 会場:ギャラリー・エッセ
     北区北9条西3丁目9-1 
       ル・ノール北9条ビル1階
     (南北に走る片側2車線道路の東側。)
     電話(011)708-0606

 会期:2009年6月23日(火)~6月28日(日)
 休み:3月30日(月)
 時間:10:00~19:00
     (最終日は、17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(6・27・土)

f0126829_215171.jpg


f0126829_21115367.jpgf0126829_21143414.jpg












f0126829_2219577.jpg



 もしかしたら「癒し系絵画」と見る向きもあるかもしれない。上の写真を見たらそう判断されても仕方が無い。
 兵藤いずみは基本的には「生命」を描きたいのだから、「癒された」という言葉を聞けば喜ぶかもしれない。誰かを「癒す」という意識で描いてはいないだろう・・・。

 ふぁーんとした「癒し系絵画」と根本的な違いがある。この絵には無数に鉄筆線が施されている。作家の情念・情動が余りにも強く投影されている。

f0126829_21312210.jpg


f0126829_21334178.jpgf0126829_21352489.jpg












 ヒトデのようなシナプスのような赤い形は、全部鉄筆で紙に刻印されている。白く掘られた線が目に焼き付く。
 まず始めに水採用の紙(支持体)に、デッサンに基ずいてびっしりと鉄筆線の模様を描く。その線を生かす形で色鉛筆やアクリルで細かく色を付けていく。とにかく細かい事をちまちまとされている。間違いなく手首は疲れ、肩はこり、神経も相当に消耗しているだろう。絵を描いているのだ。

 見た目の最終目的は発色にあると思う。
 上の中品の魅力、それは近づいて見れば、色や鉄筆線が這い回っている姿に作家の情念を感じ、離れてみれば楕円の形が生命体として膨らみ、その輝きを見れることだ。
 成功してると思う。ただ、あまりに同じ物ばかりが並んでいる。成功に満足した継続作業というよりも、次の発展の為に気持ちの繰り返しをして、何かが見えてくるのを確認しているのだろう。


f0126829_21184834.jpg


 問題は大作の方だ。
 銀河系のような宇宙の拡散をイメージしたのだろうが、定型に収まり過ぎた。変化が無さ過ぎた。絵としての動き深みに欠けた。思い半ばの絵のようだ。

 原因はいろいろあるだろう。
 大作を描く行為の経験不足とか、アトリエの広さとか。
 より大きな問題として技法の問題があるだろう。鉄筆による刻印が絵の出発だ。絵の骨格はこの段階でかなり決まってしまい、描きながらの自由度が少ない事だ。
 それ以上に根本的な問題があると思う。画家・兵藤いずみの心が充分に開ききっていないと思う。宇宙とは闇夜であり常世でもある。永久の生命体の棲家としてのあの世だ。あの世を徘徊する心になりきっていないと思う。

 だが、兵藤いずみは頼もしい女性だ。お年は僕より少し上だろう。彼女曰く、「残りの人生を考えると、個展のペースを速めないといけない」。素晴らしい言葉だ。
 2、3年前の個展よりも今展の方が断然面白い。互いに残りの人生を逆算する年齢ではある。だから次回の個展でもお会いして、再びいろいろ語り合いたいものだ。
 


f0126829_22201397.jpg


by sakaidoori | 2009-06-29 05:30 | エッセ | Trackback | Comments(0)
2009年 06月 28日

1024) 菊池邸予定地 「612621」 終了・6月12日(金)~6月21日(日)

○ 612621
    (4人の作家による展覧会)


 会場:旧Wander Archi建築設計事務所
     (菊池邸建設予定地)
    東区北11条東6丁目1ー23
    (駐車場無し、市立北光小学校南向い。)

 会期:2009年6月12日(金)~6月21日(日)
 時間:13:00~19:00

 企画・主催:612621プロジェクト

 【参加作家】
 小林麻美 ミウラアヤ 安藤文絵 真砂雅喜

■ オープン・スタディオ(公開制作) :6月5日(金)~6月7日(日)
■ ペイント・プロジェクト(安藤史絵) :6月13日(土) 13:00~17:00
■ オープニング・パーティー  : 持ち寄り形式。 6月13日(土) 18:00~

■ トーク・イベント :6月12日(金) 19:00~21:00 無料
             北海道大学工学部建築都市スタジオ棟・MITSUIホール
             (北13西8) 
         パネリスト・小林麻美 ミウラアヤ 安藤文絵 真砂雅喜
         協賛    ・菊池夫妻


ーーーーーーーーーーーーーー(6・20)

f0126829_1113756.jpg


 上の写真が今展の会場。

 今展は参加作家が自己表現をするだけに止まらず、「場」ということを再考しようという意図があるかもしれない。その主体は場の提供者か、参加作家か、目に見えない誰か、かもしれない。
 鑑賞時も2階では中年男性を中心に激しく意見交換をしていた。協賛夫婦を交えたトーク・イベントもある。会場には穂積利昭氏が詳細に「場」のことをパンフレットで語っている。「作家ー作品」関係だけを語っても仕方がないかもしれない。だが、たった一回きりの一会場での展覧会で、「場」をどうのこうのと言っても仕方が無い。その気があるのなら、不定期でも構わないから、こういう展覧会を開いて欲しい。開いてもらいたい。こちらもその方面に意識を高めて見に行こう。

 (展覧会はミウラアヤの文学作品、真砂雅喜の映像作品、安藤文絵の鑑賞者参加型のペインティング作品と刺激的であった。
 それらを無視して、小林麻美作品を語ることにしよう。
 作家とも会話したが、作品理解のためというよりも、久しぶりに小林麻美という人の肉声と向かい合いたかった。)

○ 小林麻美の場合。

f0126829_11404858.jpg
     (↑:小林麻美が見ていたであろう、会場向かいの風景。暗がりの撮影だったので、かなり修正しています。)

f0126829_11454042.jpg
     (↑:1階の窓。住宅の玄関横ににこんなに大きな閉め切りの窓は作らない。店舗用の改造でもしたのだろう。画家はここから覗いて風景を描いたのだろう。)


f0126829_11522413.jpg

f0126829_11551343.jpg

f0126829_11571161.jpg



 垂れ流しの部分もある、半分はマスキングを利用したすだれ模様の画面だ。技巧性は確かに強いのだが、あまり作為を感じさせない。絵そのものを静かに濃密に描いている印象を受けるからだろう。それと、画家には失礼だが、絵が上手くなったと思う。特に色の出し方というのか、色そのものや色と色と隙間を魅入らせる表現力が格段に良くなったと思う。
 問題は上手くなったことと表現したいこととの相関関係だろう。表現したいことの延長上の上手さというよりも、画家を続けている事からの上手さではないかと思っている。だから、その上手さに彼女の主張が意図的に含蓄されているかは少し疑問である。

 小林麻美はある種の風景に体質的な違和感を持ち、その原因を見定めようとする人だと思っている。おそらく、自分の中の制御出来ない異質なものを抱えていて、その反映として風景が眼前にあるのだろう。負けじ根性の強い人だ。自己探求の強い人だ。正体を見定めたいために、異空間とも思える世界と格闘し、見定めようとしている。その行為が彼女特有の「窃視的」覗き見として語られる。

 もしかしたら本当に異次元・異空間を感知しているのかもしれない。だがその前に自分自身のブラックホールを見つめなければならない。
 自分自身を見ること、それはほとんど「過去」への探求と同義だろう。苦しい過去もあれば、懐かしき過去もあるだろう。探求を伴わない時、人はそれらを「思い出」と語る。

 会場備え付けの穂積利昭氏の文章によると、今展は祖父を中心にした家族の思い出が重要なモチーフとのことだ。
 確かに、画面に漂う淡々とした静けさや、すだれ画面は思い出の反映なのかもしれない。それに絵の巧が加わった。

 だが、もし思い出のみを描いている小林麻美ならば、これほど面白くない事は無い。
 もし本当に「思い出」のみが重要な要素ならば、今の彼女は画家の踊り場にいるのだろう。溜め込んでいるのだろう。

f0126829_13512222.jpg


f0126829_13515124.jpgf0126829_1352685.jpg













  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

f0126829_1353876.jpg 会場に備え付けの評者・穂積利昭氏の文章を左に載せます。拡大して読んで下さい。


 具体的で詳細な言葉です。
 単なる展覧会の一つという認識でしたが、表現者の作品以上のメッセージが今展にはあったのでしょう。


 ところで、穂積氏の文章に一つだけ疑問があります。
 
 今展のような、建築物などを含めた場所特有の記憶の掘り起こしとしての「場」、それにからむ他の団体の活動一般に対して、「ある種の欺瞞性を感じる」と看破されています。
 明快な主張でとても良いと思う。

 ひるがえって、今展に対して、「そうした欺瞞からはかろうじて免れている」と語って筆を置いています。

f0126829_1426302.jpg 唐突に「場」の美術専門用語を語りだして、何となく言いたいことは分かるのですが、しかし、「欺瞞から逃れている」と何をもって言い切れるのでしょう?自己肯定のための安易な他者批判の域をでない結論だと思います。
 面白い展覧会でしたが、他者の批判をせねば成り立たない展覧会とも思えません。
 それに、「意欲的な」グループ展というものは必ず欺瞞性がつきものです。今は個人の行動様式が多様化した時代です。そこに多数が集まれば必ず欺瞞・温度差・力関係が発生するものです。今展も参加作家の個々の意識を離れて集団としての「欺瞞」は必ずあるはずです。集団としての今展の欺瞞性の指摘が始めにあって、その後に他者の批判があるべきだと思います。

 穂積さんはきっといい人なのだろう。それで、ついつい必要以上のリップ・サービスをしたのだろう。

by sakaidoori | 2009-06-28 14:35 | ★その他 | Trackback | Comments(0)
2009年 06月 27日

1023) テンポラリー 「中嶋幸治・展 『エンヴェロープの風の鱗(うろこ)』」 6月23日(火)~7月5日(日)

○ 中嶋幸治・展
    「エンヴェロープの風の鱗(うろこ)」

 会場:テンポラリー・スペース
     北区北16条西5丁目1-8
     (北大斜め通りの東側、隣はテーラー岩澤)
     電話(011)737-5503

 会期:2009年6月23日(火)~7月5日(日)
 休み:月曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00

ーーーーーーーーーーーーーー(6・25・木)

 (派手さはなく非常に地味な個展です。若い人を中心に是非見てもらいたい。)

f0126829_91224100.jpg


 会場には幾つかの小物がある。面積を多くとった赤と黒の作品もある。が、メインは一面に並べられた10枚の封筒だ。今回はこの壁に全神経を傾けよう。それだけで充分だろう。それほど密度の濃い封筒だ。
 余韻を醒ますようにして、残りの作品に触れよう。


 封筒は青みがかった白さで、いかにも手作り風という感じだ。口を開けて並んでいる。白木のような視感で目に優しい。艶の鋭さを落とすために砥(と)の粉でもまぶしているようだ。
 が、何かを塗ったのではなかった。紙やすりで表面を磨いて浮き出てきた紙の地肌なのだ。それが目に優しいのだ。その優しさが包容力となって壁全体をたゆたうしい美学にしている。

 「美学」、もしこの封筒を「優しき美学」で言い終えれるならば、何と素敵だろう。作家に磨きの手ほどきを受け、自身の癒しのために追体験するに越したことはない。


f0126829_9353749.jpg
 封筒表面には細い紙が何かの約束に従うようにして貼られている。貼られた物が封筒と一体化したようにして磨かれている。貼られた紙の輪郭線や地肌の色艶が何ともいえないムードがあり綺麗だ。
 同時に、キャンバスに描かれたような線や色が研磨によってあまりに淡いが故に、鋭く目に襲い掛かる。軽い封筒が、異質な物へと重なってしまう。
 淡く消し去り柔らかくするための美術家の「研磨」という行為が、逆に封筒の表面を貼られた時の姿以上に増殖させてしまった。見る人の刺激を想像力を呼び覚ましたのだ。
 その表面を中嶋幸治は「鱗」と呼んでいる。

 磨くという美術家の行為によって、省略・消去と増殖・構築を同時に表現している。
 ここには年月によって養われた巧みな技など何一つ無い。封筒も張られた物もありふれた紙くずだ。実際、末代まで残る和紙のような工芸品を作家は好まない。素晴らしき和紙は美術家の技を幾歳月まで残す事が可能だ。今展の紙は中嶋幸治が磨いたことによって、さらにその命を短くしたことだろう。作家は自らの行為と同時にそれらの紙片が大地に還る事を望むべく美術行為を進めている。

 具体的に何を消去し、何を増殖しようとしているのだろう?
 封筒の鱗模様は僕には都会の林立したビルの風景に見える。市街図に見える。以前の作品に地図を現した線描画があった。「地図」に作家が並々ならぬ関心があるのは間違いない。「地図」に彼は何を見ているのだろう?
 彼の「何を」、に拘るのを今回は停止しよう。消去と増殖という人間の激しきエネルギーに向き合おう。中嶋幸治は「優しさ」というオブラードに包んで見せてくれた。その感性に素直に驚こう。彼こそがその激しきエネルギーの持ち主なのかもしれない。


 今展は「封筒・展」だ。それは人と人とを結ぶ物だ。会場には白い土もある、鳩の絵もある、日射しを浴びる双葉もある。全ての作品は綺麗で暖かい。愛に満ちている。その美には表現者としての嘘はない。

 唯一赤裸々な作品が入り口にある。枯れた植物の枝を逆さ吊りにしている。そのコーナーは2年前のテンポラリー個展のダイジェストのようなもので、「中嶋幸治・展」への導入部である。テンポラリーへの賛歌でもあろう。
 表現者とは、その枯れ枝の「逆さ吊り」と同じだ。
 若き表現者の「愛」、嘘の無い「逆さ吊りの愛」だ。


  

by sakaidoori | 2009-06-27 11:37 | テンポラリー | Trackback | Comments(0)
2009年 06月 26日

1022) ミヤシタ 「安住公美子・展  秩序のない法則」 6月24日(水)~7月12日(日)

○ 安住公美子・展
    秩序のない法則

 会場:ギャラリー ミヤシタ
    中央区南5条西20丁目1-38 
    (南北に走る道路の東側の民家)  
    電話(011)562-6977

 会期:2009年6月24日(水)~7月12日(日)
 休み:月曜日(休廊日)
 時間:12:00~19:00 
     (最終日は ~17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(6・25)

f0126829_20521022.jpg
     (↑:①)
f0126829_20553974.jpg
     (↑:②)
f0126829_20573552.jpg
     (↑:③)

 ばんばんばん、ばんばんばんと押し倒し張り倒しで攻めてくる。実に頼もしい。それも、比較的小品の展示の多いミヤシタでの作品群だ。堂々とピンクピンクが押し寄せてくる。色に勢いに気持ちがすっきりしてしまった。


f0126829_21104414.jpg


 壁画展では無いわけだから、一つ一つを見ないといけない。絵の勢いの好ましさを念頭に置きながら、絵がどこに行こうとしているのかに関心が趣く。幸い作家が居られた。彼女の言葉を交えて書き進めよう。

 上に掲げた作品、これが今展では一番の主張があると思う。
 「顕微鏡で覗いた細胞のミクロの世界」、ということを画家は語っていた。言われてみれば特にこの絵はその意識が強い。確かにそうだが、こんなに大きく描く度量は清々しい。小さいミクロの姿を大きくすることによってマクロに迫りたいのだろう。激しい動きは生命体の躍動感だろう。説明から導かれる解釈はここまでだ。後は絵がどう語るかだ。
 上の絵、何より良いのは下の方のゴチャゴチャしてない濃い紫部分だ。ここが全体をどれだけ吸引し、しかもどれだけ発散しているか、この絵の命があると思う。作家の言う、ミクロとマクロの誤解の世界への入り口だ。


f0126829_21481637.jpg


 絵に前後の動きを追求しているのだろう。黄色い部分が「いかにも」という感じだ。安住久美子という画家は意図的に取り組むと、その意図性が強く絵に反映されて面白味を減らしている面がある。もちろん絵は意図的産物だ、作為の産物だ。作為でありつつ作為を問わない存在として「絵」が見られる、そこが絵の魅力だ。
 上の絵の何よりの良さは自由にピンクを使っている事だ。ピンクという色は非常に限定された個性の持ち主だ。誤解多き色だ。自由爛漫なピンクの動きが羨ましい。ピンクに特別の感情を持たない女性だからできるのだろう。


f0126829_223370.jpg


 どう見ても植物に見える。緑は水面から顔を出す芭蕉のような葉っぱで、真ん中のは紫色した菊の花。何に見えるかは人それぞれだが、決して植物などを意識した絵ではないとの事だ。だが、安住風・極楽涅槃図だ。
 この絵は一種の日の丸絵画になっている。紫の菊が満々中に描かれている。描き手の意図ではないだろうが、見る者の視線を中央に惹きつける。

 描きたい事を真ん中にすえる、悪びれずに力強い。他の絵も動きが溢れている。物事をしっかり見つめて、ストレートに迫る、そういう作家だろう。
 お話ししていても、正面を見据えた目には雲が無く大きく見えた。



 

by sakaidoori | 2009-06-26 22:30 | ミヤシタ | Trackback | Comments(0)
2009年 06月 26日

1021) 門馬 「門馬よ宇子・作、「コレクション展よりー 『薬莢の入った容器』(筆者の仮題)。」 

○ コレクション展より
   門馬よ宇子・作、「薬莢の入った容器、」あるいは「容器の中に入った薬莢」(筆者の仮題)。

 会場:ギャラリー・門馬 自宅玄関
     中央区旭ヶ丘2丁目3-38
      (バス停旭ヶ丘高校前近く) 
     電話(011)562ー1055

 会期:2009年
 時間:
     (玄関が空いていれば、恐れること無く入りましょう。いつでも何かがみれます。いつ展示替えになるかは不明。)

ーーーーーーーーーーーーーー(6・25・木)

f0126829_1139474.jpg


f0126829_11461433.jpg


f0126829_11453645.jpg


f0126829_1153155.jpg


f0126829_11501545.jpg

f0126829_11513845.jpg



 余りにも美しく恐ろしい作品だ。

 故・門馬よ宇子女史がご主人との沖縄旅行中に採集した薬莢(やっきょう)、それらが標本のようにプラスチックの容器に入れられているだけだ。

 女史はキャプションにこう語っているー
 「・・・。作品につけてある薬莢は実際に第二次世界大戦で使われていたもので、30年前に夫と二人で沖縄に旅行した時に持ち帰ったものです。
 過去の歴史にこだわれば大変な悲劇そのものなのですが、純粋にそのものだけを見ていると表面的には美しく見え、美術と事実の関係が私の中で宙ずりになってしまうのです。・・・」

 戦争を刻印した美しき薬莢だから恐ろしいのではない。表現者・門馬よ宇子の行為が恐ろしい。単純明快に作品を言い切った姿勢が恐ろしい。


 確かに沖縄のある地点を捜し求めれば、今でも戦争遺品は見つかるだろう。薬莢も入手可能だろう。だからといって当地をただ歩いていては薬莢を拾う事はありえない。
 女史は何らかの目的で夫と二人で戦争跡地に行き、意図的にそれらを拾い集めたのだ。美術の為かどうか?ー美術表現者という自覚の持ち主ならば、その人に関わる事すべてが美術行為だろう。「美術」とは「生きる」ことでもあろう。「物」はその行為の証であり、その人の分身へと昇華されるかもしれない。

 更に言えば、門馬よ宇子は家族に拘った表現者でもあった。「戦争」ということに鑑賞者の意識がいきがちだ。もしかしたら、「美術と事実」ということは後から大きくなった問題かもしれない。夫との旅行そのものが、かけがえの無い「何か」であったのかもしれない。門馬よ宇子夫妻の愛の記録かもしれない。

 大いなる私的秘め事を抱えて、「美術行為」を問うている。「宙ずり」という文学的言葉を自身に我々に投げかけている。そこには解などはない。美術はクイズ問答ではない。禅問答の修行でもない。

 僕は門馬よ宇子の投げた薬莢を見ている。受け取る事は出来るかもしれない。投げ返す力があるのか?その事が恐ろしい。彼女のようにあっさりと空に投げ返せばいいのに。
 

by sakaidoori | 2009-06-26 13:07 | 門馬・ANNEX | Trackback | Comments(0)
2009年 06月 25日

1020) ①4プラ 「佐野妙子 富樫はるか・2人展  vol.4」 終了・4月11日(土)~4月19日(日)

○ 佐野妙子 富樫はるか・2人展  vol.4

 会場:4丁目プラザ 7階4プラホール
    中央区南1条西4丁目
    電話(011)261-0221
 期間:2009年4月11日(土)~4月19日(日)
 時間:10:00~20:30
    (最終日は~19:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(4・19)

 (二月前の展覧会です。)

f0126829_644938.jpg



 左からグルッと佐野妙子、富樫はるかの順で会場風景を載せます。

f0126829_6481065.jpg


f0126829_6492557.jpg


f0126829_6511177.jpg
     (↑:中央の大作までが佐野妙子。以後、下の写真作品を含めて富樫はるか。)

f0126829_6524392.jpg


f0126829_6552483.jpg


f0126829_657722.jpg


       ~~~~~~~~~~~~~~


 ○佐野妙子の場合

f0126829_745938.jpg
     ↑:「気配と余韻」。

f0126829_748085.jpgf0126829_7492783.jpg









 見応えのある大作だ。
 大作をドーンと奥にすえての展示、これが彼女のここでの展示方法だ。小品群が大作へと導いていく。今年の小品の趣向に一気描きのポートレートがあったことだ。その小品と大作の関係が、今までとは違った佐野らしさに気付かされた。

 「気配と余韻」。
 一人の人物と背景だけという構図はいつもと同じだ。背景が良い。力を込めて丁寧に丁寧に描いている。いろんな色がしっかりと色と色の間を埋め尽くしている。タイトルの「気配と余韻」を表現しているのだろう。感心したのは、ムードに流されずに、気配の隙間隙間、余韻の隙間隙間を強く見つめていることだ。
 もともと油彩らしい厚塗りの画家だ。勢い過多のところがあったと思う。何の為の勢いかが表現しきれてなくて、一所懸命描いたという印象だけが残りがちだった。

f0126829_7544440.jpg 水性による薄塗りのポートレート作品について画家は語っていた。
 「人物が画面から立ち上がるような絵を描きたい」と。画材が水性ということで素直に画家の意を汲んだ小品だと思う。美貌という事を気にせず、その人の佇まいの印象をしっかり描いている。
 ということは、毎回見ている大作の人物画は、その人物が画面から立ち上がることを意図したのだろう。
 絵を見ていると、佐野妙子という画家は生一本で真面目過ぎるという印象を持つ。その細見の風貌に反して、力を込めてキャンバスに対峙している。一所懸命に塗りこんで塗りこんで、絵の具を重ねている。おそらく大学でも一所懸命に力強くデッサンに努めたのだろう。

 「人物が画面から立ち上がる」、それはたゆたゆした立ち上がり方なのか?他を圧する姿なのか?清々しい青年心理なのか?それでも私はいる、という叫びかつぶやきか?
 少なくとも気質的に大作の油彩画にはひ弱さはない。常に人物と背景が、格闘していた佐野・絵画であった。今作は素直にキャンバスの全画面と対話しているようだ。綺麗な綺麗な藪の中を見る思いだ。青春隙間とでも言おうか。


f0126829_826060.jpg


 

by sakaidoori | 2009-06-25 08:41 | 4プラ・華アグラ | Trackback | Comments(0)
2009年 06月 24日

1019) ②市民ギャラリー 「2009 第64回 全道展」 6月17日(水)~6月28日(日)

○ 2009 第64回 全道展

 会場:札幌市民ギャラリー・全階
     中央区南2条東6丁目
     (北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2009年6月17日(水)~6月28日(日)
 休み:22日(月) 
 時間:10:00~18:00
    (最終日は、~16:30まで。)
 料金:一般・800円 高大生・400円 中学生以下・無料

 主催:全道美術協会 北海道新聞社

ーーーーーーーーーーーーーー(6・19・金)

f0126829_22352668.jpg



f0126829_22393587.jpg
     ↑:全道美術協会賞 新会友佐藤仁敬、「paranoia Ⅱ」。

 今年の最高賞です。
 暗く地味でシンプルな絵です。個人的には、浮遊感なり所在無さをもっと追求して欲しい。引き込まれるような背景色、その色の世界で力強い佐藤仁敬・人物画とのアンバランスさ。不整合、不整脈な画面の色や形のリズムにパラノイアを見たいのだが。
 観念としてではなく作家自身のパラノイア体感が大事なのでしょう。その記憶や切実感が薄くなれば、パラノイアを描く必然性はないのでしょう。以後はパラノイア卒業の絵画の誕生でしょう。


f0126829_22455510.jpg
     ↑:北海道新聞社賞平松佳和、「AWAKE」。

 鉛筆画だと思います。絵としての面白味に欠けるが、これだけの大きさの鉛筆画を持ってきたのは偉い!残念なのは肉声としての鉛筆画になっていない事だ。画材としての鉛筆で終わっているのがもったいない。あまりに基本に忠実すぎる絵でもある。
 「なぜ鉛筆画なのか」、その辺の主張が弱いと思う。


f0126829_2383059.jpg



f0126829_23104912.jpg


f0126829_23173363.jpg
     ↑:下・宅美恭子、「春の鼓動」。
    ↑:上・荒谷真優子、「メイソ」。

 宅美恭子さんに関心があって見続けています。自然をモチーフにして大きく描く人です。


f0126829_23225234.jpg
     ↑:佐藤道子、「祭り」。

 なぜだかいつも彼女の絵を載せたくなります。今年は特にこういう絵が無かった。表現の幅が狭まったような感じがした。
 だから、ガンバレ!ガンバレ!サトウミチコ!

by sakaidoori | 2009-06-24 23:26 | 市民ギャラリー | Trackback | Comments(0)
2009年 06月 24日

1018) 室蘭美術館 「霞 ーKasumi-2009」 終了・6月9日(火)~6月21日(日)

○ 霞 ーKasumi-2009

 会場:室蘭市民美術館オープンギャラリー
     室蘭市幸町6番23号
     電話(0143)22-1124
 会期:2009年6月9日(火)~6月21日(日)
 休み:月曜日(定休日)
 時間:10:00~19:00
     (最終日は、~17:00まで)

 【出品作家】
 陶 ・前田育子
 ドローイング・澤口紗智子
 漆工・真境名 伊久里 
 彫刻・奥山三彩 国松希根太 坂本正太郎 登尾真帆 藤沢レオ 
 絵画・曾田千夏 今泉育子 数又裕子 中野美砂子 
 写真・世羅繁宇 Dog Leg (兜森達也) (渡辺久太) 室蘭工業大学写真部
 鏡 ・諸木純 
 花 ・森直子
 

ーーーーーーーーーーーー(6・21・日)

f0126829_17271883.jpg


 会場はL字形で、交点付近が出入口。入った瞬間に窓のある明るい方向と無窓の方角と、同時にニ方向を見ることが出来る。
 上の写真は窓に向かって撮ったもの。

 以下、個別作品を何点か載せます。

f0126829_17355468.jpg
     ↑:室蘭工業大学写真部の3名の7点。

f0126829_17381412.jpg
     ↑:山川泰明、「Thailand」。

f0126829_17455241.jpg 大学3年生の山川君がタイに旅行に行っての撮影。
 当地の山岳少数民族の少年の写真と思う。
 地蔵菩薩のような少年の大きな顔が印象的だ。目の黒、背景の黒と、黒と円い形が印象的だ。遠くから見た時に、晒し首と勘違いしてた。上の石地蔵との組み合わせも良いと思う。
 他の学生作品を含めて出品数が少なかった。特に中本和樹君の3点は主張が見えにくかった。おそらく、社会人との共同参加に慣れていないのだろう。来年は遠慮せずにもっと出そうよ。




f0126829_1814996.jpg
     ↑:(吊り下げられた小品。)藤沢レオ、「今はいつ」。
     (背景の左の油彩画は、曾田千夏。)

f0126829_1852396.jpg 藤沢レオはグループ展での小品は主張が弱いと感じている。他の作家作品との整合性に会わないものがあるから、弱いと感じると言った方がいいだろう。今作もそんな第一印象だった。
 ところがです!こともあろうに鑑賞者が作品を触って、揺れを楽しんでいるのです。何でも触る僕でも出来ない事をサラリとしている。そして、軽く揺すった時の全体の動きが何とも宜しいのです。あまりにもキチッと取り澄ました美の箱が、チョッと不規則に、それでいて上品に動き合う姿は見ていて清々しい。小さなプレゼントを貰った感じだった。


f0126829_18135120.jpg
     ↑:坂本正太郎、「Star dust casket」。

 星のゴミの棺、ということだろうか?覗き窓から中を見ると、赤い液体が溜まっている。棺は軽く揺すれる。社会批判でも込めているのか?箱の白さの無機質さが、変に会場にあっていた。


f0126829_199463.jpg
     ↑:澤口紗智子、「Line of Sight”””psyche”」。 

 線描による線描そのものの作品。久しぶりに彼女の「線描壁画」を見た。とにかくドローイング作家だ。
 彼女のような画風の人は見せ方が大変だと思う。上品に額に収まっているこうした作品では、なかなか作家の魅力が伝わりにくいと思う。何かのライブ作品を見せるのがもっとも効果的だが、ライブに強い思いがあるのかどうか知らない。
 やはり、こうした額での見せ方では物足りない。線描は作家の精神性がストレートに出るものだ。しなやかでも過剰な世界、額という枠をはみ出た世界が見たい。


f0126829_2023668.jpg
     ↑:奥山三彩、「うたかたの旋律」。

 月夜の砂浜を思ってしまう。砂浜に横たわるまろやかな木塊、門柱に挟まれて胎動するその瞬間を待つ、そんな儀式の場を思っていしまう。月の光と影と潮騒と砂の波跡、何を表現したいのかは不明だが一つのモニュメント(記念碑)だ。


f0126829_2033529.jpg
     ↑:今泉東子、「渫(さら)うように」(8点)。

 この日、絵を見た後に地球岬に行った。見事な乳白色の世界だ。かすかに海の音はするが、いずこに海があるのかと問いたくなった。
 久しぶりの海の人・今泉東子の絵画だ。こんな綺麗な七色で何を渫(さら)うのだろう?

 
 こんなつもりではなかったのですが、だらだらと載せてしまいました。


 若手表現者によるそれぞれの自分という印象です。表現手段、方法とバラエティーに富んでいます。それでいて互いの領域を侵さない上品な展示、今の若者気質でしょうか?会場全体のインパクトは強くは無いのですが、耳を澄ましてそれぞれの作表現と静かに対話する、そんな面持ちでした。

 メンバー構成は変化があるのでしょう。来年も見たいものです。
 
 残りの部屋は②に続く、ということで。

by sakaidoori | 2009-06-24 21:19 | ☆(室蘭)室蘭市民美術館 | Trackback | Comments(0)
2009年 06月 24日

1017) 槌本紘子のストックホルム記  ⑩

 本当に日がおちません。北緯59度のストックホルムからお伝えします。
f0126829_10173571.jpg
     (↑:① ヘルシンランド。)

 一年で一番日が長い、夏至の日。
 最近、本当に日が長く、一瞬暗くなったかと思えば、たちまち明るくなり、なかなか寝付けない日々が続いているのですが、この夏至の日にストックホルムより北部、ヘルシンランドに行ってきました。ヘルシンランドと言えば、夏至祭で有名なところ。色んなところで夏至を祝うイベントが行われていました。


f0126829_10191242.jpg
     (↑:イェニー。)

 さて、インタビュー後編です。

 食にはこだわりがあり、またいわゆるスローライフを実践しているイラストレーター、Jenny (イェニー)。
 まずは少し日本の印象を聞いてみることに。
 (文中の3点の写真は「Jennyが作った食べ物のミニスカルプチャー」。)


f0126829_1022075.jpg 槌本今ストックホルムでは日本食(主にSUSHI) が流行っていますが、日本食は好きですか?

 イェニー:勿論!でも、正直言って、お寿司とお味噌汁以外、本当の日本食っていうものはよく知らないの。お寿司とお味噌汁は大好きよ。だからもっと日本食について知りたいわ!私の日本食のイメージは、色鮮やかで、さっぱりした味。あと缶とか瓶とかのデザインが素敵!


 槌本ずばり、日本のイメージとは?

 イェニー:うーん、難しい質問ね。だって一度も行ったことがないんだもの。でも私が見たことがある日本の写真からイメージすると、桜、漫画、小さくて可愛いステッカー、おもちゃ、ファッション、礼儀正しくて、朝から夜まで一生懸命働く人たち....!!!!


 槌本:日本のカルチャーはスウェーデンでも人気がありますよね。私の周りでも片言の日本語を話せる人、多いですし。”カワイイ”とか!日本でも北欧ブームが続いているのですが、スウェーデンについて、少しお話してもらえますか?

 イェニー:スウェーデンは安全よ。時々、安全すぎて、ちょっと縛られすぎているところもあるかも。冬に降る雪は全然大したことないけど、暗いのはやっぱりうんざりしちゃう。でもスウェーデンは四季ごとに全然景色が違うから、それが”スウェーデン”って感じ。あとは、他の国の大きな都市に比べて、スウェーデンは凄く清潔だし、きれいよ。


f0126829_1023080.jpg 槌本:縛られすぎ...そうですね。ちゃんとルールに従って生活している感じはします。お酒も特定の酒屋さんで平日のみしか買えませんし...ところで、スウェーデンでも日本の漫画やアニメを目にすることが多いのですが、スウェーデン国内のイラストレーションについてはどう思いますか?

 イェニー:えー...面白い質問だけど、難しいわね。私が教えてほしいくらいだわ!日本のイラストレーターと、何か共通点みたいなものはあるのかしら..?あ、でも面白いわ、あなた、私に「何で写真じゃなくてイラストを選んだか」、って聞かないわよね!スウェーデンの雑誌のインタビューでは絶対聞かれるわよ。でもそれは、日本では、もっとイラストとか漫画とかが身近な存在だから、何の疑問も抱かないのが普通なのよね、きっと。


f0126829_10234374.jpg 槌本:うーん。そんな質問は思いつかなかったですね。確かに日本では、広告や商品にイラストが付いているのは当たり前ですし、知らないうちに私たちの生活の中にはイラストがあふれているのかもしれません...そんな日本でもここ最近、スローなライフスタイルが注目されています。今スウェーデン北部の地方に住んでいますよね?何故そこに住むことを選んだのですか?

 イェニー:今私の住んでいる家は、私の家族の別荘だったの。小さい頃から、毎夏そこで過ごしていて、田舎の生活に憧れも抱いていたわ。勉強のためにVisby (ヴィスビー:スウェーデンの島ゴットランドの町)で5年間、静かに平和に過ごした後、ストックホルムに帰ったんだけど、もう、なんていうの、ショックだったわ。私の近所の人がうるさくてうるさくて!それで、眠れない日が続いて、ちょっとの間だけサマーハウスで過ごそう、と思って、ここに来たんだけど、そのままここでの暮らしを気に入っちゃったの。バケツに水を汲んで手を洗って、冬にはたき火をしたり、春には自分で野菜を育てたり、もう、全てが冒険みたい!何か一昔前の暮らしに戻ったみたいで...最高よ!もう都会なんかでは暮らせないわね。


 槌本:いいですねぇ!機会があれば、是非おじゃましたいです!!自然に囲まれてイラストのお仕事なんて、素敵すぎです。
 イェニー:あのね、今、このブログのためにイラストを書いてるんだけど... 簡単なスウェーデン料理のレシピを紹介したくって!これだったら日本でも簡単に出来ると思うんだけど。もうすぐで終わるから、もう少し待ってて!


 槌本:!!!!!


 と、いうことで、私たちのためにオリジナルのイラストを書いてくれているイェニー。是非、そのスウェーデン料理に、私も挑戦してみたいです。


 彼女のブログもよくチェックしているのですが、彼女独自の世界観を垣間みることが出来ます。(そしてお腹もすいてきます...) レシピは次回紹介予定です。お楽しみに!

http://www.hejajenny.se
http://hejajenny.blogspot.com

f0126829_10145360.jpg

f0126829_10151679.jpg
     (↑: Jennyが住んでいる北部の風景。)


     ~~~~~~~~~~~~~~~~

 またまた私の近況報告ですが、只今8月にストックホルムで行われる展示に向けて制作中。今回は少し新しいことに挑戦していて、定番のフェルトの他に新聞紙、土、エアーパッキン、テグス、ホチキスなどを使って、纏えるものを作っています。次回、その作品をお見せ出来たらと思います!


 いよいよ夏休みです。スウェーデンでの初めての夏。思い切り堪能したいと思います。では、また次回も宜しくどうぞ!

ーーーーーーーーーーーーーーー

 (後ほど編集後記を書きます。)

 本当に日が長くなりました。
 明日(6月25日)の札幌の日の出は3時56分日の入りは19時18分です。そちらはもっと長いのでしょうね。もしよかったらそちらの時間を教えて下さい。概ねでいいですよ。
 ちなみに、月は上弦の細い三ヶ月です。

 イェニーのセルフ・ポートレイトを見た時に、写真も得意なんだろうとは思いました。多芸な女性なんですね。
 レシピ、待ってます。

 槌本さんの作品展ですね。遠慮せずに展示風景なり、写真をボンボン送って下さい。

 それでは次回もよろしく。

by sakaidoori | 2009-06-24 10:35 | 槌本紘子ストックホルムキ記 | Trackback | Comments(2)
2009年 06月 24日

1016) 室蘭市民美術館 「所蔵作品展 伊藤正・展」 6月2日(火)~7月12日(日)

○ 所蔵作品展 伊藤正・展
   
 会場:室蘭市民美術館
     室蘭市幸町6番23号
     電話(0143)22-1124

 会期:2009年6月2日(火)~7月12日(日)
 休み:月曜日(定休日)
 時間:10:00~19:00

ーーーーーーーーーーーー(6・21・日)

 若手中心のグループ展「霞」を見に室蘭に行った。当然、昨年出来たばかりの室蘭市民美術館を見るのも重要な予定だった。
 室蘭に美術館を!という活動は名前だけは知っていたが、その実体は全然知らない。お金のかかる美術館だ。失礼な言い方だが、その実現性には疑問を持っていた。門外漢の僕なんかの心配などは吹き飛ばして見事に実現した。心からおめでとうございます。

 さて、初訪問の展覧会は「伊藤正・展」だ。伊藤氏の遺族が2001年に室蘭市に寄贈された。機縁はわからない。
 かなり広い長方形の部屋だ。真ん中に柱が2本ある。天井はそれほど高くはない。絵画を見るには問題ない。

f0126829_2342379.jpg

f0126829_23434913.jpg


 伊藤氏の絵画は札幌の風景画でお馴染みだが、大作はあまり知らない。

 21点の作品が4つの時期区分に分かれている。

 ① 順風万藩のスタート -構図技法の探求ー。(1915年・大正4年、朝鮮に生まれる。)
 ② 渡欧 -貞子との幸せな日々ー。(1962年4月、妻貞子と伴に初渡欧。)
 ③ 家族との死別 -再び欧州へー。(1966年・昭和41年、貞子の死。享年43歳
 ④ 晩年 -衰えぬ制作意欲ー。(1989年、逝去。享年75歳。)


f0126829_015329.jpg
     ↑:①「鼓笛隊の少女」・1946年(31歳頃) 油彩 91.0×72.7cm。

 瑞々しい作品だ。少女と音楽、画題に負けないくらいの健康的な作風だ。展覧会の初めを飾るには最高だ。

f0126829_083941.jpg
     ↑:①「野草のある構図」・1949年(34歳頃) 油彩 116.5×91.0cm。

 花と女性が画家の絵のエネルギーかもしれない。それに、風景画が加わるのだろう。


f0126829_0162319.jpg
     ↑:①「二人」・1952年(37歳頃) 油彩 116.2×90.7cm。

 後ろの額装が一工夫か。人物をしっかり大きく描く、小道具を構図として利用する。氏の絵画方法のようだ。


f0126829_0263342.jpg
     ↑:②左から、「ガランド通の家“パリ」・1963年(48歳頃) 油彩 90.8×73.0cm。
       「ジャルダン・サン・ボール通りの壁“パリ」・同年。

 硬くて暗い。佐伯祐三の初期渡仏滞在時と同様に、型というか構図からパリの風景(建築物)を見つめている。がっしりとした構築物になっている。


f0126829_0373495.jpg
     ↑:③「セーターの女」・1964年(49歳頃) 油彩 116.1×90.8cm。

 初の渡欧以後の帰国作品。妻貞子が癌と判明する。モデルは癌と分かって描いた妻・貞子か?暗さと硬い線描は欧州での壁の絵と同じだ。欧州の壁は喜びで描いた作品だが、この絵の線は苦しみの反映と言う事か?


f0126829_04671.jpg
     ↑:③「埋葬・雪」・1966年(51歳頃) 油彩 145.1×112.1cm。

 妻・貞子への挽歌であろう。全出展作の中でも異色の作品。幸せな画題を描く事多き画家にとっても、数少ない哀しき絵であろう。万感の思いの伝わる作品だ。


f0126829_0525976.jpg


f0126829_0554078.jpg
     ↑:④「室内」・1978年(63歳頃) 油彩 130.2×162・0cm。

 明るく華やかな絵だ。この人には暗い絵は似合わない。堂々とししっかりした美人がよく似合う。
       

by sakaidoori | 2009-06-24 00:59 | ☆(室蘭)室蘭市民美術館 | Trackback | Comments(0)