栄通記

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2007年 11月 30日

419) ②大通美術館 「風 ー(10人の)いけばなからのメッセージ」 11月27日(火)~12月2日(日)

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 ↑:沼部理汀
 力強い作品です。大型盆栽です。作品の下に鏡を敷き詰めているのが工夫ですね。強さ以上の感動がありません。何故でしょう?書で言えば、一文字書に近く、ほとばしるエネルギーは感じるのですが、内面のドラマがないのです。鏡を置くことによって、より美しく、しかも天地創造の理を表現したいのでしょう。

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 ↑:藤谷道代
 最初に載せた斉藤道子と同じく、材料としての植物を使っていない作品。花の包装材を細くまるめて円形に立てています。小さな花柄の飾りが付けられています。現代美術というよりも、フラワー・アレンジメントといった感じ。赤と青の照明に当てられていますが、僕にはそんなに効果的とは思えませんでした。ハッとする要素が少ないのです。もっと周りを暗くして、斜めから一点の照明で、光と影を作ったほうが良かったのでは。要するに意外性が少なくて残念でした。

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 ↑:増川佳ず栄
 とうとう最後の作品になりました。今までの作品は会場周囲を右から紹介してきました。この作品は本当に正面にあるのです。本来真っ先に載せるべきでしたが、写真を撮った順番に載せました。他意はありません。意欲作だと思うのですが、僕にはよく分からないというか、ピンときませんでした。
 和紙でできた立方体、中には枝が満たされ溢れています。壊れたトーチカから植物が育っている感じ。どんな大地でも生命が育む、城春にして草木深しでしょうか?間違いなく作家の意図はその辺には無いでしょう。


 「いけばな」「現代美術」「インスタレーション」「伝統」とは何だろうということを作品紹介の動機としました。
 いけばなの始まりは勉強不足で書くことはできません。以下推論。
 中国帰りの僧侶が「茶」を持ってきた。室町時代に「床の間」が成立した。その空間で「茶」を点て、「書」を飾り、一輪の路傍の花を「活けて」、文化人のサロンが出来上がった。その茶室から、「花を活ける」という行為が独立した。江戸文化の一つの華にもなった。茶心と軌を同じゅうしているのでは。サロンの道具・飾りであること、人と人との関係を支える演出、更に進んで、「活ける」という行為が山川草木の自然への窓になり、日本人の自然観の象徴にもなっていったのでは。
 そこに優勢な文化としての西洋美術を半強制的に移入することになった。西洋美術のエッセンスは神との関係であり、ドラマを視覚化することだと思う。近代では「神は死に」、個人の内面的ドラマの表出がキーになっている。それを観る者も、ドラマ・物語を作り、個人主義の支えにした。

 個人主義やドラマと無縁な「いけばな」は、それでも現代を生き抜いていかねばならない。書や短歌がそうであったように。今展もそうだが、安易な現代美術化は不可能とつくづく思った。伝統的精神性を「いけばな」に託し、作家個人の精神性・近代人としての個人主義といかに調和していくか。現代日本人が伝統に対して直接的でないのは不幸なことだ。しかも、あまりに自然が豊かであったのと、濃密な人間関係から離脱できない為に日本人的個人主義?に発展してしまった。だがあせることは無い。「いけばな」人のドラマは始まったばかりだ。気を長くして付き合っていこう。

 (以上はあくまでも僕の文化論です。賢明な助言、ご批判を請うものです。)

by sakaidoori | 2007-11-30 17:42 | 大通美術館 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 30日

418) ①大通美術館 「風 ー(10人の)いけばなからのメッセージ」 11月27日(火)~12月2日(日)

○ 風 ー(10人の)いけばなからのメッセージ
    「颯(かぜのおと)」

 会場:大通美術館  
    大通西5丁目11 大五ビル・東向き
    電話(011)231-1071
 会期:2007年11月27日(火)~12月2日(日)
 時間:10:00~19:00 (最終日は18:00まで)

 【参加作家】
 池上理圃 藤谷道代 斎藤道子 増川佳ず子 島田晴風 村中道子 中川和萩 山本美翠 沼部理汀 横井景・・・以上、10名。
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 「現代空間の中でいけばなはどのように人々とかかわりを持ち、さらなる共感を得ることができるのか、流派を超えた10人の作家による新たないけばなの追求です」・・・DMより

 10人のいけばな作家が、それぞれのあてがわれた範囲内で、立体造形として「いけばな作品」を出品している。際立って個性的な作品は少ない。静に、「いけばな」とは、「現代美術」とは、「インスタレーション」とは、「伝統」とは、そんなことを考える良い機会です。個別作品を何点か紹介します。

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 ↑:斎藤道子。素材としての植物は使わず、花のデザインを壁紙のようにしつらえている。白いものは薄いプラスチックの細かい破片。

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 ↑:横井景、「埋もれゆく記憶」。唯一タイトルを持つ作品。花の栄養分の大地を地層風に表現したもの。目に見えない花の根の世界、その悠久の歴史性に迫ろうとするもの。シンプルで明快な主張に好感を持つ。1番好きな作品。

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 ↑:島田晴風。庭園の再現。とりたてて前衛性は無いが、いけばなが現代美術に関係しようとする以前の古式原点のような作品。

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 ↑:山本美翠。下に並べられているのは鉛板。面と方形により、現代美術に迫ろうとしている。並び替えや置き換えが自由に出来そうだ。「いけばな」に付随する装飾性が、リズム感へと置き換えられて、それ以上のものがこちらに伝わってこない。「遊び心」「自由度」は高いが、精神性が欠けている。いけばなの現代的精神性を考えてしまった。2番目に好きな作品。

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 ↑:村中道子。イメージの視覚化。清らか川の中の石に、笹の葉が舞い落ち、しばしたたずんでいる一瞬。

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 ↑:池上理圃。絵画的作品。西村計雄を連想した。特に、斜めに張られた糸は東洋的美や風韻を現しているのだろう。

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 ↑:中川和萩。明るく楽しい作品。もうすぐ正月だし、松竹梅に見えてしまった。どうということは無いが、「いけばな」展だから、これも在りですね。

 他の方の作品と、いろいろ考えたことは②に続くということで

by sakaidoori | 2007-11-30 17:33 | 大通美術館 | Trackback | Comments(2)
2007年 11月 30日

417)②時計台 「2007 春陽会道作家展(絵画部)」 11月26日(月)~12月1日(土)

 昨日続きを書こうと思ったのですが、サボってしまいました。
 好みに任せて、以下何点か載せます。今週の土曜日までですので、立ち寄ってください。落ち着いたムードでお気に入りを見つけれるといいですね。


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 ↑:左側、会友(函館)・小黒雅子、「景」・S100。
 一番大きい部屋の入って直ぐの処にあります。朱というのか赤が爽やかに、鮮明に迫ってきます。気持ちの良い作品です。

 右側、会友・川真田美智子(網走)、「CLOSE Ⅱ」・F100。
 壁を青味がっかて描く方です。この写真は少し青すぎたかなって思うのですが、こんな印象です。「クローズ」、これが壁に対するイメージなんですね。彼女は新道展にも参加していて、新道展は中年女性のムードを反映していると思うのです。彼女の絵心もその代表ではないでしょうか。僕は川真田さんの健康的な「壁」が好きで、いつも楽しみに観ています。「クローズ」というタイトルにはちょっと違和感があるのですが、彼女にとっては「クローズ」なんですね。話す機会があったら、その辺を伺いたいですね。

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 ↑:左側、みずきひろこ(札幌)、「シンデレラになれなくて」・F100。
 右側、会友・平間文子(旭川)、「風に舞う花たち」・S100。
 お二人とも、あっけらかんとした迫り方が面白いですね。


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 ↑:左側、会友・佐藤史奈(札幌)、「氷が遊ぶ」・F100。
 こうして写真で見ると流氷とはっきりと分かります。絵は大きくて、抽象画にみえて捉えどころがありません。難しい絵だと思います。気になる絵です。

 右側、会員・崎山かづこ(札幌)、「残照」・S100。
古い時代の着物の柄を連想しました。この色合い、おそらくベテラン画家でしょう。古式の中にある爛熟、派手さを思いました。


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 ↑:会員・八木伸子(札幌)、「高原にて」・S60。
 北海道春陽会といったら八木さんでしょう。谷口一芳さんが怒るかな?彼女を載せないわけにはいかないでしょう。

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 ↑:会員・折登朱実(札幌)、「春を満たしに」・F40。
 最後です。エントランス・ホールでも語った折登さんです。とても分かりやすくて親しみのもてる絵です。大人の童話を読んでいる気持ちです。「春を満たしに」、春近く雪の残る時期でしょう。黒い人影は向こうを向いて、俯き加減。それでもせわしそうに歩いています。春、春遠からじ・・・。古くて新しい過去を聞く思いです。


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by sakaidoori | 2007-11-30 10:58 |    (時計台) | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 29日

416)①時計台 「2007 春陽会道作家展(絵画部)」 11月26日(月)~12月1日(土)

○ 2007 春陽会道作家展(絵画部)

 会場:時計台ギャラリー 2階A・B・C室
    北1西3 札幌時計台文化会館・中通り南向き
    電話(011)241-1831
 会期:2007年11月26日(月)~12月1日(土)
 時間:10:00~18:00 (最終日17:00まで)

 三岸好太郎でおなじみの、全国公募展・春陽会に参加されている道内作家展です。会員・6名、会友・14名、一般・7名の総勢27名です。
 以前は年初めに開かれていましたが、昨年からこの時期になったようです。個人的にはおとそ気分の抜けきらない初春の方が好きなのですが、仕方がありません。いろいろと都合があるのでしょう。とても全作家を紹介できません。関心の趣くままに写真を載せていきましょう。(11・27)

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 ↑:会友・佐藤愛子(函館)、「たまわる」・F130。

 僕はこの佐藤さんと、次に載せる新出さん、居島さんを勝手に『三羽カラス』と称しています。全く個人的な関心で、最初にこの展覧会を見た時に、深くあれやこれや考えたからです。そういう人がグループ展に一人でも居ると、頑張って見に行こうと気合が入ります。良いことだとは思うのですが、致命的な欠点があって、他の方の作品に力点が置けなくなるのです。他の作品の魅力を見落としがちになるのです。

 それはともかくとして、佐藤愛子さん、期待に違わず魅力的な作品です。彼女の魅力は何と言っても、「ハチャメチャさ」です。それが勢いがちになったり、汚くなったりすることがあります。そんな少々の欠点は無視して見なければなりません。彼女に「上手になりましたね」とか、「自由な表現ですね」などと褒めても仕方がありません。「これで本当に満足していますか?まだまだ描き足らないのではないですか?」と、叱咤激励しましょう。是非、個展を観たいものです。

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 ↑:会友・新出リエ子(札幌)、左から「有刻」・F130、「躍」S100。

 新出さんはヒマワリと勢いを身上としています。最近は画質感にも目覚めて、著しく成長していす。単なる勢いだけでなく、パワーと深みが出てきたと思います。更に良いことは、身に付けた技術に安住することなく、前へ前へと進んでいく姿勢です。今回の作品を初めて見る人は、力で勝負しているだけに見えるかも知れません。僕は相当に我意を抑えた作品だと捕えています。二双一対の組み合わせで、装飾的華やかさを提示したのでしょう。最近、白黒を強調した作品が多いので、その反動かもしれません。元々華やかさには敏感な人ですから、楽しく描かれたのでしょう。画題はヒマワリの抽象化として見れますが、彼女にとってのヒマワリは方便です。ヒマワリに捉われないで、風景とも心象とも、自由な女心とも解釈したらいいと思います。発展途上の人です。

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 ↑:会友・居島恵美子、「久遠」・F130。

 渋い色合いです。あまり良い写真ではなくて、すいません。当方の拙さもありますが、なかなか彼女の魅力を再生するのは大変でしょう。淡い画質感と色合い、色の組み合わせを得意としています。
 茶系を主体にした色合い、抜けるような色面構成と華やかな部分とのバランス。数年前はちょっとしたスランプではと勝手に憶測しています。居島さんの絵は心のドラマの絵画化では無く、描かれた絵からドラマが生まれるというものです。ドラマといっても説明的激情的なものではありません。描き上げることが大変でしょう。人にはわかりかねる成長、停滞の螺旋階段の繰り返しでしょう。その軌跡が絵に反映されるのでしょう。その辺を見るのが僕の楽しみです。


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 ↑:一般・奥山哲三(札幌)、「日々Ⅰ・Ⅱ」・F130。

 一般ですが、直ぐに会友になるでしょう。
いかにも若い感性です。時代の流行にも合致しています。全国版の小林孝亘とも通低しています。小林は47歳ですが奥山さんはお幾つでしょう。この会派でも期待をされているのではないでしょうか。奥山哲三ー名前を覚えておかなければなりません。

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 ↑:会友・豊嶋章子、「冬・夕」・F100。

 豊嶋さんは八木伸子さんの影響が強いと思うのですが、この絵は良い絵だと思います。どこが良いかというと、右側半分の白い壁です。左側の窓からの景色に呼応して、何にも描いていない壁が語っているのです。透けるような感じで向こうの世界が連想されるのです。二次平面として何ともいえない物語を醸し出しています。当然、水平ラインと垂直ラインが功を奏しているのでしょう。
 これからの課題は八木絵画との関係でしょう。どれだけ女史の世界を相対化できるか、自分の世界を開花させるかでしょう。今作が機転になればと思います。


 なぜだか、だらだらと書き進んでしまいました。あくまでも一愛好家の言葉ですから、真偽など無視して、「栄通はこんな感じで絵を見ているのか」と思って下さい。長くなったので一旦切ります。折り返し、何点か載せます。

by sakaidoori | 2007-11-29 17:21 |    (時計台) | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 28日

415) 雑誌「HO」と書家・樋口雅山房

f0126829_231279.jpg 地下街の紀伊國屋で雑誌を探していた。学研の「歴史群像」だ。うず高く積まれた雑誌が目に入ってきた。いかにも、「これを見てくれ」と言わんばかりの高さだ。ちょっと分かりづらいが、銭湯の黄色い洗面器「ケロリン」を横にして、不思議なデザインだ。特集名は「温泉でごろん」。僕はかなり道内の温泉地に行っている。外泊を伴った夏山登山をするからで、なかなかの知識の持ち主であります。





 おもむろに手にとってめくってみれば、何と印象記を書かねばならない人、書家・樋口雅山房が特集の巻頭を飾っているではありませんか。

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 場所はカルルス温泉で有名な新登別だ。奥さん同伴で、夫婦で屋外の温泉に足を遊ばせている。温泉の力か、夫婦旅行だからか、なんとも御夫婦の笑顔が微笑ましい。雅山房は1941年生まれだから66歳くらい。ご自身の書作の「書楽」のプロフィール写真はこわばっていて、いかにも「書家」という感じである。この写真は実に良い。自然体で、それなりに「やらせ」だと思うが、「人間」の魅了を引き出している。
 温泉地での書作ということでの紹介だ。温泉紹介もいろいろと手の込んだことをするものだ。今度は知り合いの画家に登場してもらいたい。例えば・・・。
 巻末には無料・半額日替わり温泉ー48軒の優待券が付いている。迷うことなく買ってしまった。財界さっぽろ出版、「HO」・2008年1月号・580円。

 早速、氏の下を訪れた。家が近いので行きやすいところではあるが、何かきっかけが無いと行きにくいものだ。幸か不幸かその日は奥さんがお留守で、長い長い時間、お邪魔をすることになった。
 話は雑誌のことから始まり、最近亡くなられた父上のこと、「お世話になった病院に作品を寄贈しようと思うのだが、小さいのと大きいのと、どちらがいいのだろう」、などなど話は尽きない。
 氏と付き合い始めてから少しは書家の名前やら、書のことを考えていたので、わからないことは分かった風に相槌を打ちながら書談義をしてしまった。雅山房の最大の長所は絶対に相手の意見を否定しないことだ。書家同志ならばともかくとして、素人を相手にして素人の感覚の長所を聞き取ろうとしたならば、否定していては話が進まない。「さいでござんすか」という口癖で、次から次へと話が進むのだ。こちらはいい気になって、書の勉強したことを、自分の文化文明史観を語るのである。もう細かい話は忘れてしまった。この刺激がもっともっと書を理解する肥やしになるのだ。

 その日の最大の収穫は上田桑鳩の臨書の案内書を教わったことだ。
 実に感心な本である。実作をしなくても、読書人ならば知っていて損はない。千円程度だから注文した。その本が到着した時に案内したいと思う。現代の「書」を考える上で肯定・否定に関係なく語られるべき本だ。おそらく理論家は否定的であろう、実践家は肯定せずともその魅力の虜になるだろう。デザイン学校のテキストにもなると思う。ということはデザイン関係の専門家も知っていて損のない本だ。理論の何たるかは無視して、ビジュアル的に読めるのだ。

 

by sakaidoori | 2007-11-28 23:51 | ◎ 個人記 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 28日

414)エントランス・アート 「艾沢詳子・展」・版と立体  11月19日(月)~12月9日(日)

○ 艾沢詳子・展
    「無辜の民’07-冬音」

 会場:北2西2
    STV北2条ビル・東向き エントランス・アート
    電話(011)207-5062
 会期:2007年11月19日(月)~12月9日(日)
 時間:月~金 9:00~18:00
     土・日  9:00~16:00


f0126829_16413164.jpg 作品を見慣れている目には、いつもの作品との再会という感じです。それでも見たくもあり、こういう場ではどんな感じかを確認したくなります。始めて見た時の印象は、闇夜にうごめく不気味な世界、巣だとか毛の中に棲んでいる主人とは別の生き物の世界、別次元の物語を連想してしまいました。

 さて、ビルの広間では艾沢ワールドは成功したかどうか?
タイトルは「無辜の民」です。彫刻家・本郷新の本歌取りです。会場の資料集には、その点に関して彼女のコメントがあります。彼へのオマージュでもあるわけです。今回はティッシュをロウで固めているようです。白さが「何の罪も無い穢れさ」を一層深めているようです。黒い四角柱に添えられていたりして、献花のようです。大きな立体作品は幸い2階から見下ろせます。艾沢風棺桶、貝殻や女性器そのものにも見れます。本郷新に触発された、女史の死と再生でしょう。そのことがこちら側に解釈を超えて、訴えるものがあるかどうか、やはり見る以外にないでしょう。

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by sakaidoori | 2007-11-28 16:48 | STVエントランスホール | Trackback | Comments(5)
2007年 11月 26日

413)  短歌 菱川善夫選「物のある歌」-17・11月25日

 短歌 菱川善夫選「物のある歌」
 (北海道新聞2007年11月25日朝刊、日曜文芸・P27より)

孵らない卵ならばと叩き割れば百花繚乱とび出すシネマ(冒頭歌)

・待つことも来ないことにも慣れている冬の花火は苛烈に咲けよ
・へルメットわが内にあり手負いのままで決起せよ決起せよと檄とばす
・木枯らしよお前とともに耐える余はいのちのきしむ音聞こえたり


   小柴節子
  「にゅうろんの茎(2007年、楡印刷株式会社)」。1950(昭和25)年倶知安町生まれ。札幌市在住。


 情熱的であり、くっきりとした清々しさを思う。「叩き割れば」「苛烈」「決起せよ」、激しい言葉だ。

 冒頭歌は絵画的な歌だ。
 「孵らない卵」、歌人自身のことだろうか?60歳近い女性だ。孵る卵は持ってはいないだろう。あるいはそういう体であったか?卵のような形の頭か心臓か自分自身を叩き割ったら、シネマをみるように万華鏡の花の世界に替ってしまった。「百花繚乱」は常套句だし、「シネマ」は大正ロマンの匂いがして古臭いが、全体の印象は清々しい。「卵が生めなくても、私は女よ」と、叫んでいるようだ。
 女は「待つことにも来ないことにも」慣れるものだろうか?いやいや、幾つになっても求めるものがあれば、心が焦がれるものだ。それが人か歌心かはわからない。島倉千代子が歌っているではないか、「人生色々・・・女だって咲き乱れる」と。

 彼女は団塊の世代であったのだ。「ヘルメット」「決起」「檄」、学生運動の三種の神器のような言葉だ。「ワレワレは日本帝国主義と天皇制を・・・」彼・彼女等は休むことを知らない。休めば負けてしまう。同時に誰かと伴に歩みたい。「木枯らし」であっても、同志が必要な世代であろう。

 等身大の弱さと強さが色になって現れた良い歌だと思う。


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by sakaidoori | 2007-11-26 23:58 | ◎ 短歌・詩・文芸 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 26日

412)ユリイカ 「宮下章宏・個展」 11月19日(火)~12月2日(日)

○ 宮下章宏・個展

 会場:ギャラリー ユリイカ
    南3西1和田ビル2F・北向き
 会期:2007年11月19日(火)~12月2日(日)
 時間:11:00~19:00 (最終日17:00?)

 新道展会員の宮下さんの色鉛筆による細密画です。黒線は細い油性のマジックで描いているように見えました。

 1954年函館生まれの函館育ち、函館在住です。1987年にユリイカで初個展をされて、ここでは15回前後の個展歴です。
オーナー鈴木葉子さんが宮下さんの初個展時のエピソードを「北方文芸」(1995年4月号)に報告されています。タイトルは「画廊にカレーの匂いが流れて」

 ・・・搬入の日、彼に「鈴木さんお昼はどうしているの」と聞かれ、「たいてい近くの店で簡単にすませるの」「ふうーんそうなの僕の時はまかせておいてよ」「まかすって?」「何か考えるから」・・・

 それから30分が過ぎて、画廊にはカレーの匂い、宮下さん持参のお子様ランチに手作りの大盛りのカレー、しかもうさぎ型に切られたりんご付きです。そのりんごのことを昨日のことのように鈴木さんは覚えていて、「決して上手なうさぎでは無いのですよ。ザクッザクッと切って、あっさりしたものです。でも、男の人がりんごを化粧してカレーに付けるのですよ・・・」円く大きな目をパチパチさせて、当時のことを懐かしんで話された。カレーはお客さんにもサ-ビスされたと書き綴られている。宮下さん、ユニークな方だ。お茶目な方だ。

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 DM等による情報が入手できず、総合タイトルは分かりません。個別作品にはタイトルは付いていません。

 木立と道と少女。今展では太陽か月のような大きな円が表現されている絵があり、大きな変化だと思いました。木のシルエットにも動きがかなり出てきたようです。人間(少女)がいない方が絵としては緊張感があるのでしょうが、あればあったで宮下さんらしくて微笑ましく夢があります。少女は願望でしょう。性を替えた自己の投影でもあるのでしょう。
 ユーモア、温かさやロマンの裏側にハッとするリアリティーを感じたりする宮下ワールド。
 木を大胆に十字架にしてしまったり、明確に十字のお墓風な意匠もあったり、「死」というものを意識しているようです。以前にもそういう絵がありました。その時は、「新道展でも知っている人の亡くなった数だけお墓を絵に入れました」と語っていました。

 細密鉛筆画、画家のムードがストレートに伝わってきますね。不思議な魅力ですね。


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by sakaidoori | 2007-11-26 21:07 |    (ユリイカ) | Trackback | Comments(2)
2007年 11月 25日

411)テンポラリー 「谷口顕一郎展」 終了・11月3日(火)~11月18日(日)

○ 谷口顕一郎展

 会場:テンポラリー スペース
     北16西5 北大斜め通り・西向き 隣はテーラー岩澤
     電話(011)737-5503
 会期:2007年11月3日(火)~11月18日(日)(月曜日は休み)
 時間:11:00~19:00

 妻が最終日前日に見に行った。それは酒井博ライブのついでであった。話を聞けば展示が様変わりしているというのだ。その姿を見たくて、見に行った。確かに展示空間は別物になっていた。以前の展示が帰郷の中でのリフレッシュ展とするならば、「これからの俺を見てくれ」、という最終展示であった。

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f0126829_1623666.jpg 旧東ベルリン地区の寂れて痛んだ路面の傷を等身大にトレースしたものだ。最初は薄く腰のない黄色いビニールにトレースし、それを厚い黄色のビニール版に写してくり抜く。そのくり抜いた部分が上半分で、ほぼ出来上がっている。谷口君は製作経過が鑑賞者に分かるように、切り抜く経過を見せている。左の写真がその拡大図で、切り易い様に電ドルで丸い穴を開け、それから線に沿って切っていくのだ。
 下半分はやや色を替え、ビニール版に写しただけのものである。
 最終的には切り抜いた作品を元の場所にはめ込んで、儀式は終わる。それらを切って兆版に付けたりして、立体として作品は完成することになる。

 この展示を見ることによって、僕等は彼の作業を追体験することが出来たわけだ。クライマックスの一齣を目にしたわけだ。何らかの理由で痛んだ路面を「凹み」という谷口・フィルター(形)で再生されたのだ。それは美しくも壮大である。人間や自然の営み、時空の変化を搾り取ったとも云える。単なる形が芸術の力で蘇生したとも云える。

 僕はこの作品の前で「版(画)」、あるいは「フロッタージュ」のことを考えた。技法的にも思想的にも近縁関係にあると思う。
 岡部昌生氏のフロッタージュとの関係は刺激的である。僕は彼の若き時代の活動は全然知らない。時折目にする近美の作品と二年前のコンチネンタル・ギャラリーでの個展が類推の原点である。

 「岡部昌生シンクロ+シティ2005」、コンチネンタル・ギャラリー。
 個展会場は作品そのものよりも、光や展示の工夫で見るものを圧倒させるというものであった。美的空間演出。
 壁にはフロッタージュ作品が並び、沖縄のある施設の館長のサインがあった。そのサインは沖縄という近代日本の負の遺産を担わされた「場と人」の象徴であろう。だが、なんとも安易過ぎる。フロッタージュという無名性に社会的地位による保証を与えているようなものだ。優れた文化活動ではあるが、創作活動ではない。
 狭い秘密めいた部屋には、膨大なフロッタージュ作品のハァイルがあった。彼は作品そのものよりも、過去の彼自身のエネルギーの総量で何を云いたいのだろう?自慢したいのだろうか?
 僕はそこにフロッタージュという技法のマンネリを思った。原点は風化し消え入りそうな人の過去の営為の外化、個人の闘うエネルギーの漂着点であったはずだ。ドロドロしたパワーが別の何かに置き換えられて、結果としての様式美しかさらけ出していないのだ。一原有徳氏のように、自身の版の様式を否定して、それでも版にこだわるという姿勢が欠如しているのだ。

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 谷口君は高い美的感覚と同時に、怜悧な遊び心を気質として持っている人と思う。その彼が歴史という血肉踊る生理的な現象に近づこうとしている。岡部氏はそこから出発して技法の硬直性によりマンネリに陥った。谷口「凹み」にはその危険性がないのだろうか?人の歴史や歴史性を揶揄するようなブラック・ユーモア、それは谷口君にとっても危険な悪性腫瘍になるかもしれない。今展は立派な直球勝負の個展だった。最終作品には「谷口トリック・スター」が隠されているのであろう。

 走って、近づいて、反転して逃げるフットワーク・・・。(11・18)



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by sakaidoori | 2007-11-25 11:30 | テンポラリー | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 23日

410)テンポラリー 「いずみなおこ・展」 11月20日(火)~11月25日(日)

○ いずみなおこ・展
     ー森の記憶ー

 会場:テンポラリー スペース
     北16西5 北大斜め通り・西向き 隣はテーラー岩澤
     電話(011)737-5503
 会期:2007年11月20日(火)~11月25日(日)
 時間:11:00~19:00

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形のないものを辿る
意識のみが覚えている
記憶だけが頼り

そして、時が流れてみんなの記憶となる(以上、DMより)


 赤茶けた枯れたイタドリが並んでいる。生け花のように。その日は雪がギャラリー前の路上にも残り、イタドリを支える白板と呼応している。

 ただイタドリだけ、ただそれだけ。
 2階には無い。もし在れば、それは山になる。山は大きな存在、森は生き物の棲み分ける不思議な世界。向こうへの入り口。

 ただイタドリだけ。
 葉の落ちた樹木の姿をさらけ出し、枝先は風の動きを伝えている。


 茶室に入ったような感覚だ。茶室は修行をした坊さんの「書」と、一輪の路傍の花と、茶道具が用意されているものだ。主人の点てる茶を、小道具のいわれを聞きながら、一期一会を楽しむわけだ。茶室は社会的身分を越えたところではあるが、主人のもてなしを楽しみ、彼の美学を認めると言う意味では主客の隔絶がある。

 いずみ茶室には命の全てに見立てられたイタドリしかない。それらを背景にして、そこにいずみ御主人があたかもいる気持ちで、場の世界を呼吸するのだ。どんな茶の味がするのだろう。おそらく若い表現者だと思う。シンプル・イズ・ビューティフル、よくぞイタドリだけにしたものだ。その勇気を讃えたい。
 何も無い空間にイタドリを背景に沈思黙考をする。作家の舞台装置を借りて、自分と対話をするしかない。雪降り冬の訪れに自然を思い、過ぎこし方を省み・・・。

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by sakaidoori | 2007-11-23 19:16 | テンポラリー | Trackback | Comments(0)