2013年 04月 01日
3月29日(金)に帰省する。福岡県北九州市八幡西区三頭(ミツガシラ)が住所で、北九州市、芦屋町、水巻町の境界付近。 北九州市は八幡製鉄という鉄の街、水巻町は日炭若松という石炭の町、芦屋は海と自衛隊の町というのがかつての姿だった。 鉄の全盛期は終わり、石炭はすでにない。自衛隊は健在で町の財政を潤っている。鉄の力はなくなり北九州市は繁栄という名称からは程遠いが、それなりの地方都市として存在している。水巻町は北九州市の郊外住宅地として、人口は炭鉱時代をはるかに超えて、それなりに町の勢いがある。芦屋町は自衛隊と競艇という有力財源に支えられて「福祉、住みよい街」をキャッチ・フレーズにしている。そんな感じでしょうか、わが故郷は。 桜満開には驚いた。帰省日に福岡市の大濠公園に行ったが、桜祭りで満開、実家付近もあちこちに花開いている。 昨日は日曜日ということで、妹、私、母で、中間市の埴生公園に花見に出かける。やや曇り気味で風は冷たい。 何ということはないのですが、その様子を紹介します。パソコンの関係で画像処理をしていません。見にくい画面になっているかもしれませんが適当に楽しんでください。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 埴生公園には埴生神社があります。その神社はそれなりに由緒があるのですが、残念ながら神社の様子はお伝えできませんでした。 4月5日(土)には札幌にいると思います。その間、適当にこちらの様子を載せるかもしれません。本格的栄通記?は週末からです。よろしく。 ▲
by sakaidoori
| 2013-04-01 10:44
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2011年 11月 17日
![]() ![]() とうとう札幌も雪が積もりました。この雪はそのうちに消えるでしょう。そして雪が降るでしょう。また消えて、振って、雪の世界が来るのでしょう。 今日は砂川に行こうとタイヤも交換したのですが、止める事にしました。まさかこんなに降るとは。 皆さんも、雪の降り始めは何かと気をつけて下さい。 写真は我が家の裏側と、猫の額の畑模様です。 ▲
by sakaidoori
| 2011-11-17 09:19
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2009年 01月 02日
新年、明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 昨年のある時期からテレビが壊れて見ていない。新しく買うかどうかを考えているうちに一月が経ってしまった。J-Comを利用していたのだが、その利用料ももったいないし、NHKの受信料もかかるし、我が家の支出削減の大波をかぶって一切合切止めにした。 息子が江別から正月のために二泊ほど帰省した。テレビが無くては寂しいということで、持ってきた。おかげで紅白の歌番組を見ることができた。 晦日に呑み過ぎて、元旦は少し自粛。とりたてて変わりはないが、家族3人でそれなりの年越しと年初めを終えることができた。 時系列で元旦の写真を載せます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() (↑・左、小さなヒマワリもフェンスの傍にある。そのヒマワリの種の部分がゴソッと雪の上に落ちた。右側は残った部分。まるで胎盤のよう。) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 白石神社は大盛況だ。並ぶのが大儀だから、脇からの参拝。軽く一礼して、二礼二拍一礼、最後に軽く一礼。お賽銭もあげれなかったので、また来ることにしよう。 ![]() 明日から再び美術作品の感想を中心に書き続けていきたいと思います。 ▲
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| 2009-01-02 12:48
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2008年 04月 18日
○ 西洋美術雑感 芸術の森美術館に行った。 目的は「イタリア美術とナポレオン・展」だ。もう終わったが、大丸ミュージアムでロココからバルビゾン派の絵画展を見た。西洋絵画史の勉強という意味合いで続けて見ることにした。 ルネサンス絵画ー遠近法などによる写実描写は人類の視覚表現としては例外中の例外であろう。人体を切り刻んで、人の秘密を探ろうとした文明は古代エジプトや中国など幾多もある。だが、それらを詳しくありのままに描こうという動機は、いままでの「人類」にはなかった。ルネサンス絵画に現代人を重ねるのももっともな話だ。 そして、短期間に「リアルに描き上げる技」を身につけてしまった。人にとって技術とは驚嘆すべきことだが、きっかけとその気になれば何でもできるということか。その証拠をラファエルやダ・ヴィンチに見る。ミケランジェロは長生きしすぎたが故に、完結した古典美だけで終われない悲劇を背負ってしまった。 西洋人にとってもルネサンス的古典美は郷愁のようなものなのだろう。あまりに高みを成就したが故に、個人主義という病に犯されている彼らには満足できない大きな穴を作ってしまった。完結された集団的理想美からの逸脱が画家の使命になったのではないか。 ルネサンスの古典主義を通奏低音のようにして、マニエリスム、バロック、ロココ、ロマン主義と続く。クールベなどのリアリズムは近代という衣を着た古典主義の再来だろう。印象主義とその前後は現代の出発と言われている。僕はルネサンスの現代人による再生と認識している。キリストという一人の神から、表現者一人一人が小世界の神になった。手の技は現代の機械や化学の技を取り入れてリアリティーの幅をもたらせた。 西洋人のことをあれこれ行っても仕方が無い。 地理的にふきだまり日本は外の知識・知恵を良しとして取り入れた。そんな伝統を遺伝子に組み込んでいる。ヨーロッパ文明は我々には半強制的ではあった。相手に飲み込まれるという危機感が、諸々のエネルギーを結集して逆に積極的に取り込んだ。このツケからいつになったら自由になれるのだろう? 二つの美術展はあまりに僕等からは遠いはずだ。なのに、僕には親近感と違和感が残る。絵を見れば見るほど西洋知が無縁でなくなっていく。 ▲
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| 2008-04-18 11:35
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2007年 11月 28日
![]() おもむろに手にとってめくってみれば、何と印象記を書かねばならない人、書家・樋口雅山房が特集の巻頭を飾っているではありませんか。 ![]() ![]() 場所はカルルス温泉で有名な新登別だ。奥さん同伴で、夫婦で屋外の温泉に足を遊ばせている。温泉の力か、夫婦旅行だからか、なんとも御夫婦の笑顔が微笑ましい。雅山房は1941年生まれだから66歳くらい。ご自身の書作の「書楽」のプロフィール写真はこわばっていて、いかにも「書家」という感じである。この写真は実に良い。自然体で、それなりに「やらせ」だと思うが、「人間」の魅了を引き出している。 温泉地での書作ということでの紹介だ。温泉紹介もいろいろと手の込んだことをするものだ。今度は知り合いの画家に登場してもらいたい。例えば・・・。 巻末には無料・半額日替わり温泉ー48軒の優待券が付いている。迷うことなく買ってしまった。財界さっぽろ出版、「HO」・2008年1月号・580円。 早速、氏の下を訪れた。家が近いので行きやすいところではあるが、何かきっかけが無いと行きにくいものだ。幸か不幸かその日は奥さんがお留守で、長い長い時間、お邪魔をすることになった。 話は雑誌のことから始まり、最近亡くなられた父上のこと、「お世話になった病院に作品を寄贈しようと思うのだが、小さいのと大きいのと、どちらがいいのだろう」、などなど話は尽きない。 氏と付き合い始めてから少しは書家の名前やら、書のことを考えていたので、わからないことは分かった風に相槌を打ちながら書談義をしてしまった。雅山房の最大の長所は絶対に相手の意見を否定しないことだ。書家同志ならばともかくとして、素人を相手にして素人の感覚の長所を聞き取ろうとしたならば、否定していては話が進まない。「さいでござんすか」という口癖で、次から次へと話が進むのだ。こちらはいい気になって、書の勉強したことを、自分の文化文明史観を語るのである。もう細かい話は忘れてしまった。この刺激がもっともっと書を理解する肥やしになるのだ。 その日の最大の収穫は上田桑鳩の臨書の案内書を教わったことだ。 実に感心な本である。実作をしなくても、読書人ならば知っていて損はない。千円程度だから注文した。その本が到着した時に案内したいと思う。現代の「書」を考える上で肯定・否定に関係なく語られるべき本だ。おそらく理論家は否定的であろう、実践家は肯定せずともその魅力の虜になるだろう。デザイン学校のテキストにもなると思う。ということはデザイン関係の専門家も知っていて損のない本だ。理論の何たるかは無視して、ビジュアル的に読めるのだ。 ▲
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| 2007-11-28 23:51
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2007年 10月 05日
![]() (樋口雅山房 「2007年秋・平成19年9月号」より全文掲載) 私事であるが八月三日、老父一郎が亡くなった。享年百四歳であった。東京の兄や、当地の姉や妻に任せて私は字ばかり書いていた。私は父の四十歳の時の子で、書の遺伝も私が最も継いだかもしれない。だがアバウトな性格も似ていると母似の姉は私を責める。仕方ない。 この一年、雅山房書道塾々生が増えて、金曜に水曜教室を加えた。奮張らねばと思う。七月家の前に大きなそば屋が出来た。そこの大看板に『蕎傳(そばでん)』と書かされた。9月十八日から北の墨人展である。 「字と書」 文字生活に筆を失ってゆく世に今日の我々の字と書がある。しかし、かろじてペンなどの硬筆が現代までの文字生活を支えてきた。高村光太郎や会津八一などのペン字はさすがである。 しかし富岡鉄斎は毛筆に徹して文字を書いている。特に古法を古典に学んでいないが近代書人にない古法を表現の底に蔵している。不易の力を蔵している。鉄斎を尊んだ小川芉銭の書には既にうすい。個性という流行相がつよい。毛筆に徹した鉄斎に学ぶべきものが大きい。不易流行をひとつにした表現が次代の「書」に深くもとめられていると思う。 樋口雅山房 初めて雅山房から通信を頂いた。通し番号は付いていないが、既に何号か出されていて、不定期発行のようである。近況と書に対する思いを綴っている。本人のHPにも出ていないので、紹介します。 掲載した写真は来年の年賀状の予約も兼ねている。興味のある方は「伊東屋、東急ハンズ、札幌セントラル、他」に問い合わせてください。 参考サイト⇒樋口雅山房「書 syo art」 ![]() ![]() ▲
by sakaidoori
| 2007-10-05 09:40
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2007年 08月 28日
![]() 佐々木徹さんからバースデー・カードを頂いた。二通頂いた。 「お誕生日おめでとうございます。 FIXMIXMAX展のTAKEDA SYSTEM vol,007における「佐々木徹個展」、 ご高覧ありがとうございました。 この度、佐々木徹はかねてより闘病中でしたが、平成19年5月21日永眠致しました。 故人の意思を受け継ぎ、このBIRTHDAY CARDを遅らせて頂きます。 家族一同」 同様の内容で「水脈の肖像06ー日本・韓国・ドイツの今日」展の時のカードも届けられた。 初めて佐々木さんの作品を見たのは「札幌の美術2004 20人の試み展」の時だった。キンキラキンの自転車の前にポップな写真?を沢山貼ってあった。他の作家とはちょっとずれた視点からの作品で、なんということもなく記憶にしまいこんだ。日めくりカレンダーが用意されていて、誕生日のところに連絡先を記載すれば、その日にお礼状を贈るというのである。これまた、なんという思いも無く記載した。 2004年7月31日に送られてきた。実に何の興も湧かないで受け取った。「面白いことをされる人だ。何人送られたかは知らないが、ピンポイントでその日に着くようにするのって、結構大変だろうな」 その後、間違いなくもう一度頂いた。何の発表時の礼状だかははっきりとは覚えていない。覚えているのは、最初の時とは違ってその日を期待して郵便物を調べ、カードを確認した時にニンヤリと笑ったことだ。こういう遣り方で「作家ー作品ー鑑賞家」を繋いでいることに「現代美術も悪くはないな」と一人満足したものだ。 今年の5月に佐々木さんが亡くなられたのは知っていた。「FIXMIXMAX展のカードはどうなるのかな。もしかしたら家族の方が送ってくれるかもしれないな」と、軽い期待を持っていた。誕生日ではないが間違いなく贈られてきた。有難うございます。 以下、三つの図録から写真紹介をします。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 近作は全て「対話する0と1」のシリーズである。試み展の図録によると1998年から始まったようだ。犬や自転車が佐々木さんの分身と理解している。目の前に意味もなく膨らんでいく陳腐な景色。繁華街の文化と言えばいいのか、性・商品・日常品・写真・記号・数字などなど。しかも成金趣味のような七色の世界。資本主義、消費社会の負の面ともいえるが、だからと言って我らを包んでいる風景を弾劾しようとか、乗り越えようなどという思想性は作品にはないと思う。映像のように留まることなく、垂れ流しの目の前の現象を、まるで自分とは関係なく、たまたまそこに居るかのごとく振舞っているように見える。「賑々しさ」と「傍観者」。この目くるめく世界にどっぷりつかって、体全体を汚濁にまみれようとはしない。徹底した傍観者にもなろうとはしていない。自転車は逃げる道具にもなれれる。なんと犬の表情の物憂いことか。体の人にも、目の人にもなりきれない。(続く) 佐々木さんの立脚点はどこなのだろう? 最後の発表が象徴的である。若い武田浩志君とのコラボレーションである。武田君も隠微な裸婦の写真を多用し、エロスをもてあそぶように画題に取り入れている。しかし、「性の(男にとっての)消費」は佐々木さんと同様に重さよりも軽いウォーミング・アップのようにして視覚からすり抜けていく。佐々木さん、武田君は同じように他人との絡みでの自己表現を好んでいるようだ。佐々木さんは武田君に自分の若き影を見ていたのかもしれない。二人とももう一つ、装置を持っている。武田君は音楽を、佐々木さんは時をデジタル風に分節化し、無意味に繋ぎ合わせていく。万華鏡のような色と形の組み合わせ、一枚一枚の写真は日めくりのように時を告げ、最後に生身の人間にひょこりと挨拶に来るのだ。「お誕生日おめでとう」と。一期一絵の展覧会の出会いは、デジタル的時の経過の後、何かを鑑賞者に語らずにはいられないのだ。だが何を語ればいいのか。無縁なる他人に対して。間違いなく許される言葉がある。「お誕生日おめでとう」。 美術表現は自己表現でもあるのだが、佐々木さんの場合は他者との交流ということが大きく頭をもたげてきていたのではないだろうか。その確認の途上で向こうの世界に逝ってしまわれた。佐々木ワールドに漂う甘さと優しさ。作品と葉書が思い出として私に残されてしまった。 ![]() 写真①:「札幌の美術2004 20人の試み」展の図録より。 写真②:「水脈の肖像06ー日本・韓国・ドイツの今日」展の図録より。 写真③④⑤⑥:「FIXMIXMAX」展の図録より。 ▲
by sakaidoori
| 2007-08-28 16:03
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2007年 05月 24日
谷口顕一郎君のことを書いた記事について、やないさんから黒木さんに関するコメントを頂きました。 その文中に2年前に「どらーる掲示版」に投稿した旨、記しています。昨年の誤りでした。管理人・坂本公雄さんの主体展レポートに関するレスという形での投稿です。関係のあるところだけ全文そのままに再掲します。興味のある方はRyoさんのいーとあーと から[3963]をのぞいてください。参考写真も載せます。 ![]() ![]() ![]() [3963へのレス] 全道展・主体展の黒木孝子さん 投稿者:栄通 (丸島) 投稿日:2006/06/22(Thu) 17:34 (少し遅い投稿になりましたが、お許しください) 絵を見始めた頃、一所懸命に観て、考え続けた作家達がいた。黒木さん、全道展・小樽在住の西辻さん・・絵の持つおおらかさや優しさを学んだ、現代美術の谷口顕一郎君・・苦渋のユーモアや作家自身の哀しさを。 三年前のことだ。黒木さんが年始早々にユリイカで個展を開いた。スケッチ・ドローイング展であった(写真①)。何年もの間、折にふれ落書き風に花や動物、建物などを描き記したスケッチ帳を、一点一点葉書大程に切り抜いて展示したものだった。五百点以上あっただろうか。線描に現れた作家の脳内世界、その移り変わりを見続けて飽きなかった。近作が特に気に入った。輪郭にこだわらないで伸び伸びと大らかで、線が踊っていた。 その年の道内主体展で油彩の大作を初めて観た(写真②)。坂本さんが今展(写真③)で撮られた写真でも分かる様に、タテの直線を基調にした抽象画だった。その時はスケッチ画の延長上の中品もあった。弾けんばかりの線描だ。十色の世界が小活火山のように飛び跳ねて、島倉千代子の「人生色々」-ー女だからって慎ましいだけじゃ無いのよ、弾けて飛んで何をするのかわからないのよ、恋だって浮気だってーー黒木さんのかん高い声を更にオクターブ高めて歌っていた。なぜこの自由さが油彩に出てこないのだろうか?むしろ、なぜ自分を曝け出すようなスケッチ展をしたのだろうか?たとえ、オーナー鈴木さんのアイデア・きっかけがあったとしても。その時の油彩画に十字らしきものが中央上部に滲み出ていた。僕はこれを小谷氏の鎮魂(レクイエム)と見た。決して小谷さんは画家仲間や後輩達に強圧的影響を与えたとは思われない。彼女にとって小谷さんの死は精神的エア・ポケットと同時に自立えの契機になったのではなかろうか。彼女の中にある自由さ軽やかさと生真面目さ硬さという二面性。その後の発表作品に自由度の強い作品は消えた。何ごとも無かったかのごとく黒と黄を基調にした縦縞の世界に引きこもってしまった。確かに今展の作品(写真③)は以前のよりもリズミカルでどこか心が和む。表具のような装飾性、日常生活の中の気持ちいい壁紙とも生け花風とも言える。 どうして曲線を使って自由度を高めないのだろうか。それを持っている人だと思う。もっともっと自分をさらけ出して、かろやかな女を演じてもらいたい。 他、二人の作家のメモ書き。(以下省略。) ▲
by sakaidoori
| 2007-05-24 14:38
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2007年 05月 23日
突然ですが、凹みの谷口顕一郎君のことを書かせてください。 1976年 札幌生まれ 2000年 教育大学札幌校芸術文化過程卒業 現在、ドイツ在住。年末にテンポラリーで個展の予定。 一月ほど前に、道新で本人の写真入でドイツでの活躍が紹介されていました。ご存知の方も多いと思います。その時の記事を写真紹介できれば親しみの持てる記事になったと思うのですが、手元にないので省略です。適当に資料を載せますので参考にしてください。 ![]() ![]() 4年前の2月(?)旧テンポラリーで彼の個展を見た。彼は凹みの研究というフレーズで現在も発表している。その時は壁などの凹みをトレースして薄いプラスチックに型どったものだった。色は黄色。しかも、あまり大きくない作品を適当に切って兆番で引っ付けていた。四角い部屋の白壁に綺麗に一列になって展示されていた。20個位あったと思う。先に見ていた女性(学生?)連れが作品に顔を引っ付けながら折ったり伸ばしたり、「かわいい」などと言い合い楽しんでいた。僕は何の感慨も無く、部屋をぐるぐる何回も何回も廻っては、彼女達の真似をして触ったりもした。作家が別室にいたので話しを聞くことにした。 開口一番、「全然わかりません」。 作家は余に正直な質問に少し赤らめながら説明し始めた。 「これは建物の傷などの凹みで・・・・なんでこんな事を始めたかというと、あるレンガ造りの倉庫でこんな風な傷があったのです。これだっと思いましたね。僕の作品は平面ですが、彫刻、立体だと思っています。限りなく厚みの無い立体作品。兆番はどうしても必要ですね・・・」。そういいながら、キッカケになったという傷の写真を僕に見せた。僕は彼が抱いた驚きとは全く違う驚きを抱いた。何かを谷口君は語っていたと思うが、虚ろな気分で時を過ごしてその場を後にした。 赤いレンガ壁に胃を細めたような形の傷であった。凹みだから黒かった。人体の傷口が赤黒く固まったように見えた。もしマチエールを追求する画家ならば、その模様をリアリティーの対象として、迫真の色合いで描くだろう。見る者も驚愕をもって応えるだろう。だが何としたことか。谷口君は歴史的象徴として、あるいは切実な擬人化の対象として捉えてもいい形を、一切の生理を剥ぎ落として作品にしてしまったのだ。それはピエロ、狂言回しあるいはトリック・スターのような行為だ。 「あっ、貴方。アナタはこの形に人間の真理を見出したのですね。おー、何と素晴らしい。僕が再生してあげましょう」。そう言ってトリック・スターはチョチョイのチョイという感じで凹みをプラスチックに置き換えて注文主に差し出すのだ。そこには凹みの中にしみこんだ歴史という時間や、他との関係性という空間概念を軽く否定しているのだ。注文主が首をかしげていると、「えっ、気に入りませんか?そうですか、それでは兆番を付けて折ったり伸ばしたり、もっと楽しくしてあげましょう」。形は更に更に注文主の気持ちから遠くなるが、「あー、確かに兆番があるほうがいいですね。プラスチックも手に親しくていいですね」。そんな会話で場面は終わり、谷口トリック・スターは次のお客さんの所に行くのである。 ここには、都会の青年の複雑な思いがある。芸術を自己表現の忠実な反映とすることに意義申し立てをしているようだ。きっと谷口青年は良い人だと思う。だが、自分に対しても他人に対しても冷めたところがある。齊藤作品のように対人関係を楽しもうという余裕が無い。それでいて、人の心に残る凹みという型を再生する感知能力に長けているのだ。「良いものを良い」と言って他者に対峙する事をかっこ悪いとおもっているのかもしれない。少なくとも自分自身が真剣と見られることを憚っているようだ。 最近の谷口君はプラスチックを止めてステンレスの世界に生きているようだ。ステンは硬くて加工し難いが、料理し終えた後のステンは輝きといい、縁取りの丸みといい美の象徴のように現れてくる。プラスチックの凹みの無機物性から、時空や肉声をを取り戻そうという行為なのだろうか?美を求めていることだけは間違いない。美のみが信じれるものとしてあるのだろうか?現代美術が「美」を不問にしようとしているのに、皮肉な対応だ。谷口君は現代美術という視点からも離れているのかもしれない。おそらく作家は美を中心にして社会性、時間性、空間性の留保と取り込みの往還をして行くのだろう。 ![]() *トリックスター:文化人類学用語。機智に富む超自然的存在。二項対立(創造ー破壊、善ー悪など)を体現する両義的・媒介的性格を持つ。文化英雄とも。「コンサイス外来語辞典」より。 絵の見始めの頃に一所懸命に考えた作家が3人います。今月紹介した西辻さん、同じ全道展会友の黒木孝子さん、それと谷口君です。黒木さんのことは二年ほど前に「どらーる」の掲示版に書きました。谷口君は書く機会がなかったのと、今秋に個展をするということですから、それ以前に記録に残す為に理由も無く今日紹介します。なぜこの3人かというと、何の理由もありません。上手、あるいは表現力が高いというわけではありません。偶然にも、一所懸命に考えたことがその後の絵画鑑賞の役に立っているので、どうしても文章化しておきたいのです。以上の谷口考は本人には語ったことなので彼にとっては目新しいことではありません。 ▲
by sakaidoori
| 2007-05-23 15:03
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2007年 04月 20日
○ 北浦 晃 個展 「北海道の風景」 平成18年度室蘭市芸術文化功労賞受賞記念展 会場:室蘭市文化センター展示室 室蘭市幸町6-23 電話(0143)22-3156 会期:2007年5月9日(水)~5月13日(日) 時間:10:00~18:00(最終日は16:00まで) ![]() ![]() 風景画。 山容・風景という具象画の中に、抽象的造型を意識的に偲ばせ、明るくはあるがあまりに知的で構成美をかもし出す世界。見る人によっては硬いと思うかもしれない、僕はその貼り絵のような遠近感、絵画的トリックに魅入られて昨年は白老、美唄と足を運んだ。その前の年も美唄に「静物画」自選展を見に行った。 北浦氏は自身の画業を時系列を中心にしてわかりやすく展開される。自分自身の為でもあるが、鑑賞者に少しでもわかってもらいたいという気持ちである。鑑賞者には若い画学徒も想定されているであろう。 簡単に氏の画歴を紹介します。以下はあくまでも僕の理解の範囲です。 初期の版画時代。見ていないのにこういう表現は誤解を生むかもしれないが、「青春画時代」と呼びたい。 次に版画と決別し、全道展の油彩部門を主な発表舞台とする。人から静物へとテーマは動き、挫折を伴った試行錯誤時代、「競争画時代」と呼びたい。明快に2期で分けられる。前半はあまりに公募展的な構成美、後半は東洋画にある空間美の追求。あまりに空間の見えざる闇を凝視しすぎて袋小路に陥りがちになり、大きな世界、風景へと逆に開眼することになる。 90年代初頭より画題は自然、それも山を中心と定める。そして、今日に至るのである。「本格的絵画時代」と呼びたい。やはり2期に明確に分けられる。10年前の「日勝峠シリーズ」が再びの袋小路へと氏を追いやった。マクロの風景を志向しながら、ミクロにこだわりすぎるという過去の習性離れがたく、山容の木立のみの山水画のような様式美と禅問答のような形式美に陥った。10年前にこの室蘭文化センターで「日勝峠」までの回顧展をされたとある。その後、風景そのものの魅力が北浦絵画を蘇らせた。まさに、今展はそれから先の北浦絵画の代表作の展覧となるのであろう。100号以上11点を含む30点の油絵と8点の版画(複製シルクスクリーン、頒布用)。新作発表が6点ほど図録より認められる。 僕は絵が嘘だということを北浦絵画に学んだ。今展出品の画題の山名ー十勝岳、斜里岳、有珠山、美瑛岳、美唄岳、室蘭岳、旭岳、羊蹄山、夕張岳、風不死岳、ピンネシリ、熊根尻山、樽前山、大雪山、芦別岳、駒ケ岳と雄阿寒だけ以外は登っている。これほど綺麗に描かれているのに山岳美が前面に出ない絵も珍しい。更に、嘘としての絵がなぜ面白いかということも学んだ。 室蘭は遠いところです。行くことができなくても、賞を頂いたお礼としての記念展、気に留めてください。氏は昨年の6月で70歳になられたとのこと。友情エールで「古希記念展」とおっしゃる方もいます。「ごあいさつ」文に「・・・まだまだ続くライフワークの中間発表といった気持ちです」と、あります。 失礼な言辞があると思います。お許し下さい。来週中に、昨年の美唄の「山の自薦展」の写真紹介をしたいと思います。 ▲
by sakaidoori
| 2007-04-20 15:59
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![]() 丸島 均。札幌を中心に美術ギャラリーの感想記、&雑記・紹介。写真は「平間理彩(藤女子大学写真部OG) 『熱帯夜』組作品の一点」。巡回展「それぞれの海.~」出品作品。2018.8.30記。2577)に説明有り。 by sakaidoori カレンダー
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