栄通記

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2010年 03月 11日 ( 1 )


2010年 03月 11日

1224)①時計台 「2009年度道教育大学岩見沢校美術コース 第1回卒業制作展」終了・2月15日(月)~2月20日(土)

○ 2009年度 北海道教育大学岩見沢校 芸術課程・美術コース 
    「第1回 卒業制作展


 会場:札幌時計台ギャラリー
      中央区北1条西3丁目
       札幌時計台文化会館
      (東西の中通りの北側にあるビル)
     電話(011)241ー1831

 会期:2010年2月15日(月)~2月20日(土)
 時間:10:00~16:00まで)

ーーーーーーーーーーーーー(2・20)

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     ↑:1階A室。


 ゆったりした展示で、のんびり見れた。インパクトの強い作品が少なかった。全体としては例年より良い感じなので、より個性的で驚く作品を見たかった。残念なところだが仕方がない。

 以下、絵画中心の簡単な掲載です。学生数が多くてそうしきれないかもしれない。

 絵画は特に個性的な作品が少なかったと思う。皆なそれなりに仕上げているのだが、勉強の集大成といった感じだった。「絵画という様式」と「若者(学生)の志」との関係が強く強くこちらに迫ってこない。皆なおっとりと画業に努めているのだろう。気ぜわしく見るこちらが良くないのかもしれない。


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     ↑:油彩画研究室・桂下いずみ、「A fortune's favorite」(幸運児)・綿 油彩 アクリル 1800×2150㎜。

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 腐食版画を拡大して着色した感じ。
 紅いつぶつぶの塊、もし黄色だったらチョウチョが葉っぱに付けた卵とまったく同じに思ってしまう。黄色い卵は成長すると黒い薄紙のようになり葉っぱに引っ付いている。粘着膜で覆われているのでなかなか取り除けない。そして、黒さに厚みができて動き出す。やがて小さな青虫に。その糞の黒丸さはだんだんと大きくなり、体は緑も増して3,4㎝にもなる。俗に嫌われるメタボ状態で図太く葉っぱに食らいついている。その先の成長する姿は見たことがない。

 この絵もやはりドローイングと言って良いのだろう。伸縮する線というよりも、一個の生命体と呼ぶべき一筆一筆の痕跡だ。良性の腫瘍のようだ。今作の画家は若い。熟女と呼ばれる年齢になった時、その時、この好光性のドローイング世界はどういう方向と色に向きあっているのだろう。


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     ↑:油彩画研究室・湯田慶子、「物語の余白ー採掘場」・木製パネル 油彩 194×162㎝。
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装飾模様という姿で女のベッドルームから「何か」が遠慮がちに空間をうかがっている。 とにかく緑が眩しい。そして、課題として出品している人物画が大作と一体化している。大作の隠された人物の顔、それが画面から飛び出て画面をにらみ返している。まるで晒し首の怨霊のように。










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     ↑:日本画研究室・大西愛子、「ものいうかめ」・木製パネル 和紙 岩絵具 1621×2272㎜。

 新生教育大学に新たな日本画指導者が赴任された。その指導による第1号の卒業生作品群の一つ。

 とても丁寧で綺麗で上手です。大判の絵巻物の一枚を見ているみたい。竹藪の密な世界などもさらりと濃厚に仕上げている。たいしたものだ。日本昔話の「もの言う亀」が題材とのことだ。
 ただ、学生がしっかりと絵に取り組んでいる姿勢はよくわかるのだが、「描き手の生理・意図」が伝わってこない。こういう作品は注文主がいたり、飾るところがあらかじめ決まっている場合の作品のように思える。
 焦ることなく、今後を見続けることにしよう。


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     ↑:油彩画研究室・武田紗千、「デッサン」・キャンバス 油彩 1303×1621㎜。

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 小品の人物画が好きだ。厳しく人を見つめている。大作は年配者を描いている。優しく描いている。


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     ↑:油彩画研究室・山内太陽、「明日はきっと忘れている」・綿布 油彩 1606×2000㎜。

 山内太陽、この二年程不定期的に作品を見続けている。風景と遊んでいる画家だ。時にいたずらっぽく、時に心象性を高めて、時に「画家・山内太陽」として力強く「風景」を描く。彼の作品に対してとりとめなく思うのは、彼が「形」をしっかり描いたり描かなかったりするからだろう。「形」、「奥行き」、「拡がり」に対して本人の意識はどの辺にあるのだろう?試行錯誤の右左なのかもしれない。
 今作、まるで自作をうち捨てるようなタイトルだ。卒業作品だ、「描き終えたこの位置にはオレはいない」という自己宣言か?確かにこの絵は何を描いているのかが判らない。モヤモヤした気分だ。そういう意味でも忘れ去られるのだろう。
 「夜明けのこない夜はない」と、初めは見てしまった。


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     ↑:油彩研究室・高木瑛、「ある風景」・キャンバス 油彩 1800×1600㎜。

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 全体は公募展的なオーソドックスさで、部分部分に自分流を出そうとしている感じ。
 装飾模様で女の下着やベッドルームから「何か」が遠慮がちに空間をうかがっている。現代版若き入れ墨師になって、女の背中やシーツに背景に、「ある風景」を遠慮せずに迫ればいいのに。
 
 掲載した「頭の部分図」あたり、絵らしい嘘さがあってアンバランスな感じが好きなのだが、このアンバランスさが絵全体の中でより効果的になればと思う。
 足など、とてもリアルだ。リアルに迫る絵にしたいのだろうか?リアルに描けるから描いただけなのだろうか?片方の足先だけでもぞんざいに描いたらどうなるのだろう?


 (あと数名項を改めて書きます。)

by sakaidoori | 2010-03-11 16:23 |    (時計台) | Trackback | Comments(0)