栄通記

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2010年 01月 30日 ( 1 )


2010年 01月 30日

1177) 大同 「New Point  vol.7」 終了・1月14日(木)~1月19日(火)

○ New Point  vol.7

 会場:大同ギャラリー 
    中央区北3条西3丁目1
     大同生命ビル3階 4階
    (札幌駅前通りの東側のビル。南西角地 。)
    電話(011)241-8223

 会期:2010年1月14日(木)~1月19日(火)
 時間:10:00~18:00
    (最終日は、~17:00まで)

※ オープニング・パーティー ⇒ 1月16日(土)、18:00~


 【参加作家】
 30名強という多数。

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 毎年、適当にメンバーの入れ替えがあるようですが、今年はいつもよりも多いみたい。
 「新年の顔見せ展」、そんな感じで見ています。「ニュー・ポイント」、ネーミングも新年らしくてすがすがしい。
 「あー、今年もこの人に出会えたな。オッ、この変化は良い感じ」、そんなことを一人つぶやいての鑑賞です。

 一つ一つの1行感想を書くと良いのでしょうが、能力的に無理なので、若干の写真を載せます。その範囲で適当に感想を書くことにします。幾ばくかの参考と記録にはなるでしょう。
 (以下、敬称は省略させて頂きます。)

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 3階の正面。日の光をまともに受けて、会場風景撮影は見事に失敗。その替わりに、入り口の伴翼・作品が屹立しています。

f0126829_10131084.jpg ←:伴翼、「TUBE #2」。

 具象の面白さと、その造形の可能性に果敢に挑戦している伴翼。しかも、鑑賞者と積極的に関係を持とうとしている。彼の作品は、ほとんど触ることができる。作品が具象だし、触らせようと工夫もしているし、表面の質感も何とも言えないから、一層触りたくなる。そういう、鑑賞者と作品と作家を強く結びつけようとする作家は札幌でも少ない。
 今作は、触りたいと言うよりも、そのたくましい立ち姿に、勘違いをして拝みたくなった。「伴翼・神」だ。それも形を変えた「タッチ」行為だ。

 彼の作品は、もっともっと公共空間に展示されたらと思う。素材が木だから、屋内ということになるのか。触れ合って感じるおかしさや不思議さ、心地よい違和感は大衆心理をくすぐると思う。かしこまって見るだけでは、作家の可能性が拡がらないだろう。そういう作品であり、作家だと思っている。

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     ↑:上嶋秀俊、「birth」。

 グループ展とは不思議な効果を発揮する。独立的な1m位の幅の壁に並んでいるのだが、その白壁をキャンバスのようにして作品が有る。作品はマーブリング風でアメーバー状態の色生命体が、子連れなのか滴なのか、仲間を連れて遊んでいる。壁で楽しんで動いている。
 「もっと変化を、もっと動きを」、という作家の最近の心境かもしれない。その心境とグループ展とが期せずして一致したようだ。

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     ↑:高野理栄子、「無題 01-02」。

 昨年、小樽のグループ展で初めて見た版画家・高野理栄子。
 その時と同じ趣向で、腐食が変化し、流れている。多数の小品展示を得意としているようだ。一つ一つのアナログ的変化、その積み重ねの映像的なデジタル的変化は、心象とも、模様を楽しんでいるとも取れる。作家自身が何かをつかむ為の経過かもしれない。


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     ↑:宮崎亨、「なぜ生きる」。

 無骨なまでに「人間」を問う宮崎亨。

 「なぜ生きる?」
 僕は中学時代の通学中に、そのことばかりを考えた時期があった。別に哲学的な少年ではなかった。毎日毎日、片道40分の通学路を歩くのだ。それなりの重さのカバンを下げて、何も考えないで歩いていると、かえって禅僧のようなどうでもいい疑問が湧いてくる。「なぜ生まれたか?」長きにわたって歩きながら考えていると、フトいろんな事が理由なく思いつく。そんな中で得た結論、「理由無くして生まれた」。
 ならば、次の疑問は「なぜ生きる?」。同じようにして得た結論は、「生きることの意味をみつけることが、生きること」。
 それなりの結論を得れば、少年とは安心するものだ。その後、これらの疑問は路傍においてきぼり。それから、年月は経った。あの結論はどうだったのか?

 今作、タイトルがスッキリしたのが良い。絵画の顔、なぜかしら森山誠・作品の顔を連想してしまった。


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     ↑:左側 牧野秀昭。「てっとうぼく」。
     ↑:右側 川上勉、「蓮立像」。

 「てっとうぼく」も賢治風「でくのぼう」的な所があり、「蓮立像」というネーミングと重なり、仏教的な匂いがする。そんなことは余りこだわらない方がいいのだろう。いずれにせよ、線の細身と、影を伴った立ち姿は好一対。



f0126829_11224462.jpg ←:山田恭代美、(上から)「彩」・「影」・「水の戯れ」・「想う」。


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 作品は左の写真の小品が4点と、中作が1点。中作の作品を撮り忘れてしまいました。上の写真は、その作品を横から撮ったもの。川上勉・「蓮立像」の写真に写っている華やかな作品がそれです。

 画家は「水面」を多く手がける。それは心模様でもあろう。昨年、変化し始めたと感じたと、何となく感じたのだが、間違いなく変化している。その静かな変わりようと、絵がより見応えがしたので、今展では好み度が高い作品群であった。

 中作における変わった点。
 画風はほとんど同じ。余白を意識することなく、水面の印象を強くボンボンと押し出して、元気一杯だった。元気さは良いのだが、型にはまった堅さが少し息苦しかった。思えば、版画という技法を修得過程だったのだろう。何とか色の重なりで、水面の深さを表現したかったのではないかと思う。それを、バンバンと等距離で重ねていた感じだった。
 今回は、白が随分と増えた。黄色やピンクなども、ピュアな感じの美しさだ。つまり、絵の中に画家も入れて、画中で距離感を楽しんでいるところ、ここが大きな変化だと思う。以前の、上からたたみ重ねる強引さが薄れた感じ。もっとも、以前からある画家の体質的律儀さが、絵全体を一つの枠内に収めようとしていて、スッキリし過ぎた感じもする。絵の深さが上下左右に拡がらなくて、装飾性だけが残る印象は残念な所だ。

 以前の強さがしっかり残り、いろいろと試みているのが左の4点だと思う。いわゆる、実験性の強い作品だろう。しなやかな強さと広がる美しさ、これからも楽しみに見ていこう。

 (後記。なぜ中品の作品を横から撮ったかというと、作品が枠から数ミリ飛び出ているのです。飛び出た四隅にも絵が画かれています。その辺の作家のこだわりも見て下さい。)








 3階の作品ばかりを書きました。

 4階の風景と、1・2点の紹介で終わることにしましょう。


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     ↑:阿部有未、「when there is only love」。

 四角い皮を張り付けたような図柄と色合いに、裸体が形定まらずにうねっているのでしょう。セクシャルさはそれ程感じないのですが、年々緊張感と存在感が高まってきていて、ハッとさせられます。


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     ↑:川上加奈、「12」。

 いつもお姫様的ムードの中で、痛みをかいま見せる漆立体・川上加奈。今回はエジプトの女王みたい。痛みよりも凄みがる。小さい作品だが、「強く我が道を行く」と、宣言しているみたい。


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     ↑:前川アキ。左から、「水葬」・「水面に下るー」。

 前川・ワールドは基本的に「風景」と「水葬」と見ている。それでも、そのストレートなタイトルにハッとさせられた。今作は少しユーモラスなところもあり、心象もありと、いつもながらに不思議な魅力だ。強い自分の世界を持っている画家のようだ。

by sakaidoori | 2010-01-30 15:34 |    (大同) | Trackback | Comments(0)