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栄通記

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2008年 12月 17日

851) 道新ギャラリー 「掛川源一郎・遺作写真展」 終了・12月11日(木)~12月16日(火)

○ 掛川源一郎・遺作写真展

 会場:道新ギャラリー
    中央区大通西3丁目・北海道新聞社北1条館1F・道新プラザ内
    (北進一方通行のメイン道路の西側。)
    電話(011)221-2111
 会期:2008年12月11日(木)~12月16日(火)
 時間:10:00~19:00
     (最終日は ~17:00まで)

※ ギャラリー・トーク:12月14日(日) 17:00~19:00 同会場 無料
         吉増剛造(詩人、写真家)×港千尋(写真家、映像人類学、多摩美大教授)

 主催:北海道新聞社 掛川源一郎写真委員会

ーーーーーーーーーーーーーーーー(12・14、16)

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 たまたまトークの時間に訪れた。吉増剛造氏&港千尋氏(以下、敬称は省略)、二人の著名人だ。初めて見る顔、声、風貌、同じく初めてまともに見る掛川・写真・・・彼等のトークとの絡みで掛川・写真を考えた。

 二人の語りは高級な漫才師のようだった。相手の気心が知れていると見えて、互いに否定することなく話題を膨らませ、言葉を投げあい、しっかりと自分の写真観・芸術観を滲み出していた。それは都会的な知的遊戯にも似た面白さで、聞き慣れた「ヒューマニスト・掛川、社会派・掛川」というレッテルを静に壊していった。同時に「人間・掛川」を語ることを止め、「掛川の目」としての作品を語り、被写体の時代性を不問にする形で、「写真家・掛川」を賞賛することでもあった。

 語りは吉増剛造が中心であった。話術に富み熱い。
 だが、話術の巧みさに反して、作品を一歩離れて語るのが彼の特徴だ。それは全体像では無く、作品の部分を注目する。被写体の具体性を見ないふりをするのだ。「白く輝く額」、「湯気がある、白い。噴火、湯気だ。」、「揺れる顔」、「文字が切れている」・・・。

 掛川の地元・伊達の作品が沢山ある。表情は豊かではあるが貧しさがある。戦後開拓団としての長万部のそれがある。泥臭い。バチュラー八重子らもある。祈りとしての独自の雰囲気。アイヌの儀式もある。お決まりの題材とはいえ、モノトーンを更に強めた白と黒にはアイヌの野性味・力がある。掛川にとって、「アイヌとは何だったのか?」と問いたくなる。自然の力が顕わな有珠噴火もある。北海道の自然の力の象徴でもあろう。
 だが、吉増剛造は貧困とか、泥臭さとか、野性味とか、異民族とか、自然の暴力とか、そんな言葉は一切使わない。被写体への感情移入を意図的に不問にして、「見る」という作業に徹している。
 彼は1922(大正10)年生まれの76歳だ。近代化された日本は満遍なく風土の姿を一変させた。その変化を彼は知らないはずはない。だが過去を過去として語ることをしない。現代の感性が認めるところを手繰り寄せて、その現代的意味を赤裸々にしようとしている。作品の過去性・記録性に浸る鑑賞家を否定すること無く、今の感性で過去の作品をつかみ直せと言っているようだ。


 港千尋、1960(昭和35)年生まれの48歳。
 中肉中背の学者風の穏やかな語り。出しゃばって語ろうとはしない。その静かさに騙されそうだが、吉増氏とは逆に一歩入ったところで語ろうとしている。
 出足の言葉が象徴的であった。蒸気機関車の作品があるのだが、彼は線路の傍で育ったから、懐かしさを語っていた。「おんぶ」の話になった時、淡々とイヌイットの子育て話をしていた。文化人類学的知識の披露ではあるが、具体的に語ろうとしている、一歩入ろうとしている。今年の合衆国大統領選の開票時、カリフォルニアの民主党本部にスルッと入ってしまって、更に偶然の力でその場の熱気を最上等席で撮ることができたそうだ。
 だが、彼はインテリとしての節操さがあるから、語る時は吉増氏とは逆に静かな男を演じていた。


 掛川・写真、今は無き時代の息吹を見つめるか、吉増剛造のようにそれらを相対化させ写真の持つ視覚表現力に狙いを定めるか。
 僕は伊達の建物群を背景にした世界に、北九州の炭鉱の長屋を思い出した。恐いほど僕自身の子供時代と重なってしまった。雪多き作品があると、そこは違う世界なんだと安心してしまった。
 被写体の時代性に目を背けることはできない。多くの年配者はそうであろう。若い人達はどんなメッセージを受け取るのだろう?



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     ↑:「縄跳び遊び」・1967年 伊達。
 吉増氏は「ゆれ」を語っていた。その時の人の表情の不思議さも語っていた。まさにそういう作品だ。掛川・人物、特に子供は変な顔が多い。

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     ↑:「手鏡を見る少女」・1964年 伊達。
 恐い作品だ。被写体としても、カメラアングルとしても他を寄せ付けない凄みがある。

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    ↑:「開拓地の根株の山」・1956年 長万部。
 吉増氏は一歩引いて写真を撮る、ということをしきりに語っていた。そういう掛川作品をあれこれ紹介していた。僕には一歩引いたのと、踏み込んだのと、二様の世界があると判断した。熱い目と冷たい目だ。吉増氏の意見には同調し難い。
 上の作品、根株に焦点を当てれば一歩踏み込んでいる。子供に焦点を当てれば、退いている。熱き目と冷たい目の両立がこの作品の良さだと思う。

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     ↑:「往診に出掛ける高橋房次医師」・1959年 白老。
 高貴な雰囲気が立ち込めている。信念、あるいは強い意志から発する精神的敬虔さ、近寄り難くもある。

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     ↑:「モダニズムの影」・1953年 札幌。
 初公開作品。ですから、タイトルは今展企画者の名々です。具体性の中で隠れていた掛川氏の美学だけを抜き出したような作品。
 撮影地は札幌とありタイトルも「モダン」ですが、被写体は当時の北海道にはありふれたものです。洗面器一式です。古い人に聞いてみて下さい。

by sakaidoori | 2008-12-17 21:57 | 道新プラザ


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