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栄通記

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2008年 07月 26日

704) コンチネンタル 「vol.2 交差する視点とかたち」 7月19日(土)~7月27日(日)

○ vol.2 交差する視点とかたち
    艾沢詳子 下沢敏也 阿部典英 鯉江良二 

 会場:コンチネンタル・ギャラリー
    南1西11 コンチネンタルビルB1F (東向き)
    電話(011)221-0488
 会期:2008年7月19日(土)~7月27日(日)
 時間:10:お0~18:00 (最終日は、~17:00まで)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(7・19)

 まずは会場風景から。それぞれがそれぞれの領域を侵さないシンプルな展示です。昨年と同様です。
 それぞれのテリトリーからの他者への眼差し、それを交差と交響と企画者は位置づけています。

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 阿部典英は絵画から出発して、何でもありの幅広いオブジェを制作している。下沢敏也は北海道にあっては未熟な陶芸をベースにして、陶を武器にして異分野との交流を図り、工芸と美術を模索している。この二人を核にしての企画・グループ展と理解している。
 参加作家が一つのカテゴリーに納まりきれないのがセールス・ポイントのようだ。
 何でもありの現在の美術表現で、少人数での多用な素材や表現方法を披露することによって、僕達に他とは違った楽しみを披露しようというのだ。

 そういう美術概論的な挨拶とは別に、彼/彼女の具体的表現感覚があまりに一致しているのはどういうわけだろう?いわゆる「死へのオマージュ」である。「生と死」を見詰めたそれらの表現が、見るものの心に何かしらの喚起をもたらせることができたならば、ひとまずは成功だろう。


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 ↑:下沢敏也、
 飽きることなく、柱状物を寝かせたり立たせたりしている。それは棺桶や墓標を連想させる。生死感の反映というよりも、「自分にとっての土とは、陶芸とは、陶が立つとは、陶が寝るとは」と云うことを反問しているのではないだろうか。
 今作、とても綺麗だ。白地を増やしたのが原因と思うが、本人の満足度が伝わってくる。四角柱を止めて、細い三角柱だ。背中の部分は重ね合わせて、優しさを表現しているようだ。自然体になれたという作品だ。「何かと闘う」というよりも、「一つの安心の居住まい」という心境だろう。個人的には今までで一番好ましい。

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 ↑:阿部典英、「ネェダンナサンあるいは木花(米谷雄平に捧ぐ)」2008。
 あきらかに祭壇である。昨年と同様である。しかし、ムードは全然違う。昨年のそれは、内向きの度合いが強かったと思う。今作は具体的な人の名を冠しながらも非常に開放的、外向きさを感じる。しかも綺麗だ。ペンキで塗ったようなデザイン性は全然無い。色を塗った後にペーパーをかけて、薄塗りの中に深みを増している。鏡に包まれた箱の中の持念物は鉛筆を思わせて、エンクー仏ならぬテンエー仏だ。
 昨年の宮の森美術館以来、軽く大きくなった典英を見る思いだ。今年で69歳。札幌の美術重鎮の充実さに、若手中堅も負けては居れないだろう。


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 ↑:艾沢詳子、「無辜の民 ’08」。
 艾沢版棺桶と理解している。
 僕は最近の女史の「無辜の民・シリーズ」は好きでは無い。
 ティッシュに蝋で固めたようなシリーズがいつからかは知らないが、4年前の芸森・有島邸、「夏のオライオン」がピークだと思っている。目に見えないものに立ち向かう作家の凄みがあった。闇夜の不気味さ怪しげさを激情の世界に置き換える作家の強い意思があった。作家中心の創作姿勢が僕を圧倒した。
 「無辜の民・シリーズ」は同じ素材を使っている。以前の「見えない」対象が、ここでは「無辜」という倫理的な涙の対象に置き換えられている。今の日本で「無辜」とは誰を指すのだろう?僕はこの言葉に倫理的な真摯な姿勢を見るが、創作家の悶え苦しむ姿を感じない。当然、作品からは緊張感は伝わらない。不可知なるものを追い求める者が、それを止めた姿に思える。

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 ↑:鯉江良二、「チェルノブイリ・シリーズ×森を歩く」。
 図録には上掲の作品を2008年制作となっている。この作品の全部がそうなのかは定かではない。このシリーズが氏の出世作と伺った。それがいつなのかを聞き忘れた。1987年9月14日から21日までに、「札幌・器のギャラリー中森」で個展をされている。事故そのものは1986年4月26日未明である。おそらくその間であろう。
 画歴を簡単に流し読みしたが、陶芸と美術、伝統と現代にアグッレシブルに活動されている。1938年に愛知県常滑市生まれだから、70歳だ。

 自分自身の鑑賞の無さを暴露するようだが、何ら心が揺さぶられなかった。
 現在、門馬ギャラリーで氏の陶芸作品を見ることが出来る。20点ほどの抹茶茶碗が素晴らしい。何度見ても飽きない。幸いにも触って感触を楽しむことが出来る。後日、写真掲載したいと思う。
 おそらく門馬邸には鯉江さんが居られるだろう。全くの自由人だ。発言・行動はプラス志向だ。その元気さは何とも素晴らしい。作品と同時に作家自身を垣間見るのも有益だと思う。

by sakaidoori | 2008-07-26 00:09 | コンチネンタル


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