栄通記

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2008年 06月 26日

675)時計台 「西村一夫・展 ー内なる風景ー」  6月23日(月)~6月28日(土)

○ 西村一夫・展
    ー内なる風景ー

 会場:時計台ギャラリー 
    中央区北1西3 札幌時計台文化会館・(中通り南向き)
    電話(011)241-1831
 会期:2008年6月23日(月)~6月28日(土)
 時間:10:00~18:00 (最終日17:00迄)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(6・25)

 山があって、空があって、山の麓があって、その辺りが湖に見えて、ただそれだけの絵です。タイトルに「内なる風景」とあるから、心象風景と理解して構わないでしょう。
 山を見れば大半がその色で、森に入ればその色だらけの緑を基調にした、どこにでもあるような、どうでもいいような風景画です。西村風山水画あるいは日本画といっても構わないでしょう。デザイン画、あるいは抽象画と言ってもいいでしょう。山並と見えるラインは、それは見る人の解釈であって、心地良いリズムを追及した結晶線と言えば、現代美術の最先端と言えなくもありません。それは少しカッコいい氏への褒め言葉でしょう。

 西村・絵画の魅力を次の2点と理解しています。

 絵を描くことの原始の動機が心地良さと言えるかもしれない。「西村一夫にとっての心地良さ」が、見る人にとっても心地良いものにしたい。それを氏は卑近な言葉で「癒し」と語っている。
 若き頃の絵画は悶々とした激しい作品であった。自分探しに海外にも行った。作品の激しさは自分自身を浄化する行為であったようだ。汚い物を吐き出して吐き出して、そのことによって自由になったのだろう。次はその自由な気持ちを写す行為が絵画制作の動機になったようだ。
 以前は「座る人」を画題にしていた。体のどこをとっても円みを帯びていて、現代修行僧が菩薩手前のような風情であった。今展では、氏の軽やかさは絵に「座る人」を必要としなくなった。絵そのものが「座る人」になり、絵を見る人が「座る人」になった錯覚を覚える。
 どこかに悟りという末法臭さと、東洋美という伝統臭を感じる。だが、バリエーション豊かな会場作品の緑は、あまりにシンプルな主張だけに魅入ってしまった。

 
 大胆な展示です。昨年の軽やかなイラスト風を一気に素通りして、絵画の本質に迫るという意気込みも感じます。
 西村氏はとにかく何でもします。油彩画家としてはマチエールや構図、省略というそぎ落とし、無に近い空間処理と日本美の装飾性の両立など、かなり理論的にされている。一方、イラスト、版画、工作的造作と軽く軽く何でもこなす。毎年の展覧会は鑑賞者を楽しませようというサービス精神旺盛だ。
 昨今、還暦という年はベテランというべきか、練達した中堅と呼ぶべきかは分からない年齢だ。まさしく中堅とベテランの境界を自由に闊歩している作家である。

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 ↑:「帰郷」・88×171.6cm。
 小品が多い中で、最大の作品。おそらく、もっとも力を入れた作品だと思う。入り口から正面の展示。

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 ↑:左から、「山と海」・4F、「月住山」・20F。
 「月住山」は可愛くお月さんが顔を出しています。それらしい雲を描いた作品は無いのですが、しっかりと空の月を描いています。
 画家は太陽や月が好きですね。丸という形、理想の象徴のようなものかもしれません。画家の心性をこそぶる存在なのでしょう。


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 ↑:左から、「雲」・8P、「山と星」・8F。
 「雲」は好きな作品です。

by sakaidoori | 2008-06-26 22:53 |    (時計台) | Trackback | Comments(0)
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