栄通記

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2008年 05月 14日

622)テンポラリー「小林麻美・個展」  5月9日(金)~5月15日(木)

○ 小林麻美・個展
    「風景がわたしをみている気がする」

 会場:テンポラリー スペース
     北区北16西5 (北大斜め通り・西向き 隣はテーラー岩澤)
     電話(011)737-5503
 会期:2008年5月9日(金)~5月15日(木)
 時間:11:00~19:00

 ※オープニング・パーティ:5月10日(土) 17:00~
    当日は川村亜水さんが作る「展覧会にちなんだお菓子」をご用意しております。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(5・10)

 (写真をクリックすれば大きくなります。)
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 絵を一目見た瞬間の印象は、「薄塗りで平板的だな、強烈なインパクトが無いな」ということだ。
 昨年のポルト会館での印象は(⇒こちら)、ぐらぐらするようなよじれた風景(空間)に画家・小林麻美が挑みかかっているというものだった。予告を兼ねたDMの絵ーそれはポルト会館で発表した作品を下敷きにしてのプランではあるのだが、それを見ているので、前作からどういう変化があるかを期待していた。意に反して、画家は自身の体質的な我執なようなものが絵に反映されるのを避けているようだ。それはタイトルに現れている。「風景がわたしをみているような気がする」、どこか間延びしたような言葉の響きだ。「風景が私を見ている、私を離さない、私に襲いかかる・・、私もあなたを見る、できるこたならば合体したい」、これが僕の小林麻美風景体験と理解している。

 それでは絵が面白くないのかといえば、そんなことはない。写真を見て分かるように、大胆なことをしている。
 絵巻物のようにしている。しかも狭い部屋に並べているので遠望させることを嫌っている。狭い空間で大きな絵を見せるだけで圧迫感を与えるから、激しい絵にすることを避けたのかもしれない。絵の最後は巻かれたままになっている。おそらく絵はぐるぐると一周されて円として繫がり、その真ん中で鑑賞するのだ。まさしく風景の中に鑑賞者が居て、やや圧迫感をともないながら風景に見られているという構図なのだろう。


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 強いインパクトの無さは画家自身の揺れ戻しかもしれない。
 2004年3月に「札幌の美術・20人の試み展」に大作を出品していた。(上の写真がその時の図録。その2年前にテンポラリーで個展をしている。僕は見ていない。)表現主義的要素は希薄で、主に二つのテーマがある。女の子の部屋(秘密の部屋)を僕達が覗くというテーマ、覗き穴から向こう側の世界を覗くというテーマ。それらの絵の幾つかは四角な枠という美術規範からははみ出していて、そういう考え方が今回の絵巻物に変化・発展したのかもしれない。覗き穴は間違いなく網目模様に深化されている。内と外を安全に仕切る単なる覗き穴が、複合的な意味と表現手段に置き換えられた。何より、激しく絵が訴えかけるという姿勢からあまりに遠い。画家の位置に今回との共通性を感じる。
 彼女は小林的異次元空間を表現したい画家だと思う。それは彼女自身が造りだした幻想世界かもしれない。しかし、個的感覚が集団感覚に共有されようとし場合に、「小林麻美自身の個我はどこまで許容されるか?」という問題意識を持っているのではないのか。そういう意識が絵の激しさを奪い、「風景がわたしを見ている」というだれにでも注ぐ客観風景に還元されたのではないか。要するに自分の目や感覚を一般真理とすることに悩んでいるのだ。あからさまな表現主義的異次元空間描写からの脱皮をはかっているのかもしれない。それはそれでいいだろう。だが、「強い小林麻美」はそれで落ち着くのかしら?
 前回のポルトで無我夢中の強い絵を描いたので、計算された平面的な絵に拘ったのだろう。自分の絵画スタイルの幅の中で、強く左にふれた振り子が一気に右にふれた感じがする。行きつ戻りつ、右に左にと揺れながら絵画道を進むのだろう。その辺を鑑賞者は絵と同時に楽しもうではないか。


 ポルト作品との違いを語ることで今展を語った。
 ①インパクトの強弱。外に、幾つかの違いに気が付く。
 ②網の陰が今展ではなくなった。網目模様の重層化を避けているのだろう。シンプルな絵にしたいのだ。
 ③網が中央で破れている。境界が不鮮明で自他の峻別不能なところが、この絵の本来の魅力かもしれない。ブラック・ホール的でシュールな要素が不思議な空間にはなっている。そこを語ることが、この絵を語る事だと思う。残念だが今回の僕の意識はそこだけに集中できなかった。
 ところでこの破れた黒い部分。現場では分からなかったのだが、写真で見ると大きな人の顔に見える。しかも三つも顔がある。単なる偶然か?もう一度行って確認したいものだ。

 (会場には小品もありました。後で載せます)

by sakaidoori | 2008-05-14 11:27 | テンポラリー


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