栄通記

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2008年 03月 24日

570)ニュー・スター「ハルナデ展 JobinとPaterの二人展」 終了・3月10 日(月)~3月23日(日)

○ ハルナデ展
  JobinとPaterの二人展

 会場:ギャラリー ニュー・スター
     中央区南3西7・美容室kamiya隣、(南向き)
 期間:2008年3月10 日(月)~3月23日(日)
 休み:火曜日定休
 時間:11:00~20:00(日曜日は17:00迄)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(3・23)

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 幅半間のニュースターを熊の冬眠の穴倉に見立てたもの。いえ、その穴倉から雪深い山野に出てきて、森の動物達と一緒にたむろしている光景だ。
 見てご覧のようになんて事はない。ユーモアがあるとか、機智に跳んでいるとか、風刺が効いているという作品ではない。作られた動物達もただ「可愛いね」としか言いようがない。学芸会の一齣のような作品だ。
 だが、この徹底振りはどうだろう。北海道人は冬を雪を愛している。が、春を待ち望む気持ちは相当なものだ。そういう気持ちをストレートに代弁した作品だ。

 
 (芸術の役割に人が気が付かなかったことの指摘や人に先んじた指摘というのがある。そういう表現は他人より抜きん出た面が評価される。
 一方で大衆的というのか、不特定多数の意見やムードにべったりしていて、大半は忘れ去られるのだが、いくつかは大衆に爆発的に受け入れられたりする。大衆に受け入れられる要素を戦略的に表に出したか、無意識的に大衆と一致していたからだろう。
 そのあまりの通俗性や無批判性が識者の批判にさらされたりする。識者は高い位置からの「正否」「善悪」とか「~すべき(must )」という価値観倫理観で断じるから、現象そのもの意味を見失いがちである。

 そういう識者のように僕も多くの駄弁を「ハルナデ展」に語ってしまった。)
 

 街中で青年達が自分の感性を信じてストレートに出した作品だ。つくづく表現とは自己の信じている核を出発にせねばならないと思った。

 場所を変えながら春夏秋冬の熊の様子が見たいものだ。熊の装いをかなぐり捨てて、他の生き物も見たいものだ。


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 ↑:Jobinの作品集より。

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 ↑:Paterの作品集より。

by sakaidoori | 2008-03-24 23:44 |    (ニュー・スター) | Trackback | Comments(0)
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