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栄通記

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2008年 01月 25日

495) 埋蔵文化センター 「北海道遺跡百選・展 キウス4遺跡出土品」 1月5日(土)~3月2日(日)

○ 特別展示 わかる考古学2 
「北海道遺跡百選・展」 

 会場:㈶北海道埋蔵文化センター
     江別市西野幌685番地1
     電話(011)386―3231
     ファクス(011)386―3238
 会期:2008年1月5日(土)~3月2日(日)
 休み:基本的に月曜日
 時間:9:30~16:30
 料金:無料
 ※駐車場完備
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 初めて埋蔵文化センターの記事を書きます。初めてなのですが、展覧会全般の紹介は省略させて下さい。開拓記念館の紹介ともども、少しずつ書いていきます。

 今回はただこの一点、この出土品を見てください。

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 千歳市のキウス4遺跡、盛土遺跡(もりどいせき)からの出土品です。時期は縄文後期。特別のネーミングは付いていませんが、「腰をおろした中空土偶」。漆で赤く彩色されていて、部分品を継ぎ合わせて完形に復元したものです。全体の3分の1の出土品ですが、幸いにも全貌を想像するには充分です。大きさは両の手の平にすっぽりと収まるほどです。

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 あー、何と可愛くセクシャルな土偶なのでしょう。見ても分かるように、この土偶は女性です。実は女性器の部分が小さな丸い穴が開いているのです。間違いなくこれは儀式の器です。ある時、それはきっと秋の鮭の遡上や森のめぐみの終わった頃の、集落の祭に使われたのでしょう。
 満月の夜半、村人が一同に会した場でこの土偶は使われたのです。
 円陣に組まれた中央で長老はこの土偶を両手で高くかざし、付き人の女性が器に聖水(酒?)を注ぐのです。聖水は月の光を浴びながら、女性器から弧を描いて流れ出していく。村人はかたずを飲んで、この儀式に始めは見るという行為で参加している。豊饒を祝う秋の営み。

 空想は留めも無く膨らんでいきます。この土偶が何らかの祭というか、非日常性のために造られたのはまちがいないでしょう。ですが、どういう使われ方をしたのかは、全くわかっていません。先ほど語った僕の言葉は一つの空想です。それも現代人の感覚による性と生をまぜこぜにしています。演劇空間的なものの見方です。
 もしかしたら、出産の折に安産を祈って、女性の側に置かれたりしたかもしれません。狩に行く男達の安全と収穫を祈って、村長の神所に安置されていたかもしれません。

 ふっくらとしたお尻の形と全体の安定性。座ってはいますが、つま先が立ってキュンとした緊張感。開けられた穴の可笑しさ。造形家はこの土偶を形としてどう評価するのでしょう?
 ですが、この土偶の素晴らしさは単に物そのものにあるのではありません。
 これは東北地方の舶来品なのです。これに似たより完形に近いものが既に東北で発掘されているのです。しかも意図的に割られて、遺跡の周辺にちりばめられているのです。
 そういう知識を道内の発掘関係者わは既に知っていたのです。キウス4遺跡の盛土遺跡はお墓の周りに意図的に堆積されたもので、埋葬人の副葬品としてではなくて、集落の何らかの儀式(精神生活)の遺棄物として埋められた場所なのです。
 この土偶も一箇所から見付かった物ではなく、巡らされた盛り土のあちこちから発見されたのです。東北の出土品と同じように。だからこんなに発見物が少ないのです。この土偶は腰までしか発見されませんでしたが、東北のそれは胴体部分もあると聞きました。どのような姿なのか、本当に見てみたい。
 なぜ古代人は土偶を割ったのでしょう?なぜ、遺構のぐるりに埋めたのでしょう?どのような経路でキウスにもたらされたのでしょうか?どのような意図で?もしかしたら東北からの花嫁さんの持参品だったのでしょうか?

 発掘地キウスは高速道路・道東自動車道路の千歳東インターチェンジの近くです。この道路の建設関連工事で見付かった遺跡です。
 おそらく、当時は川が付近を流れていたでしょう。「キウス」とはアイヌ語で草(葦とか蒲か?)の多い処と理解しています。この低湿地帯は苫小牧と石狩河口を結ぶ、古代の黄金回廊ではなかったでしょうか。苫小牧は海によって道南・東北に結ばれています。石狩河口は北に繋がり、遠くユーラシア大陸の窓口にもなっていたでしょう。

 井上靖の「敦煌」ではありませんが、この土偶を見ていると東北以北の広大な広がり、物と人の移動という悠久の時間、空想は集落の儀式を超えて膨らんでいきます。
(1・26記)

 (事実認識の間違いなど、指摘していただけたら嬉しく思います。)(1・17)

by sakaidoori | 2008-01-25 23:23 | ☆北海道埋蔵文化センター


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