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栄通記

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2008年 01月 15日

473)③ポルト 「絵画の場合・久野志乃の場合」・油彩  10月20日(土)~11月11日(日)

○「絵画の場合」展  

 会場:ポルトギャラリー
      中央区南1西22
      電話(011)618-7711
 会期:2007年10月20日(土)~11月11日(日)
 休み:月曜休館
 時間:12:00~19:00(最終日17:00まで)

★お問合せ:北翔大学美術プロジェクト 林亨 電話(011)387-3894

 出品作家:谷口明志、小林麻美、八子直子、久野志乃、大井敏恭、安藤文絵、田畑卓也、レスリー・タナヒル、渋谷俊彦、林亨・・・以上10名。

「絵画の場合」展で賑わうといいながら、あまり書いていません。写真だけでも先に紹介します。

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 久野さんの作品は1階の展示場の中の、2階にあります。渋谷さんの作品が階段の右側に並べられています。これって何だろうと思いながら、いつしか階上に行くわけです。

 2階は久野さんの作品だけ。かなりの長さの壁一面に5点が並んでいます。偏った位置ですが、ソファーが用意されていて、ゆったりと見ることが出来ます。「癒し」の部屋とも言えるでしょう。「癒し」だけか、それを追求した作品か、そこが久野ワールドの悩ましいところです。(以上、2007・10・28記)

 小林麻美さんが全身を目にして場に立ち向かっているとしたならば、久野志野さんはむしろ目の力を後退させて体全体で場に感応しようとしているみたいです。「聞こえる」「感じる」「匂う」「味わう」、目を閉じて感応する方向に歩み進もうととしているみたい。動物としての人にとって心地良い物、人間・久野にとってかけがえの無い「何か」でしょう。久野作品を観る人は、この「何か」を色々と感じて、良い作品の時にはなんとも言えない喜びを得るし、そうでない時は同じくなんとも言えない欲求不満に包まれるのです。その成否のラインはどこかと言えば「絵」そのものの表現力に帰着すると思うのです。「目」を後退させて五官に基づく大事な「何か」を、「目で見られる物」に特化させることに成功したかどうかにあるのではと思うのです。

 今作品を見ていると、どこかひ弱さを思うのです。それは薄塗りで茫洋としている画風にあるのではありません。
 久野絵画が目指す困難さにあると思うのです。
 久野さんの絵画が心象風景の視覚化だとするならば、自分自身を見つめること、描き進むこと事によって立ち現れてくるキャンバスの世界、そこに身を投げ出して全集中力を注ぐものだと思います。内なる眼差しの鍛錬が大事になるのでしょう。
 ですが、僕は久野絵画を内向きの心象だけではないと思っています。「近代都会人」の見た「近代風景」との対話の記録として見ているのです。その風景とは田舎や山川草木に対する自然美ではないと思っているのです。極端な言い方ですが、久野志野がいつでも、どこにいても、突然五官に襲ってくる「何か」です。彼女の鍛えるべき事は、全身を鋭敏なレシーバーとして常に保つ事、更に精度を上げれる事ではないでしょうか。そういう鍛錬の奇跡がまだまだ絵を覆ってはいない。絵を描きたいし描かねばならないので、無意識的に安易なセンチメンタリズムに流れているように思えるのです。小林麻美さんがその強い「我執」をどう絵と折り合いをつけていくかにあるとしたら、久野志野さんは「我愁」を克服するかにあると思うのです。

 近代社会は非日常を排除し、全てを日常という枠組みで覆い尽くそうとしている。近代以前は時間的にも空間的にも目に見える形で両者の住み分けをしていた。そのことを憧れても仕方がない。人は前に進むしかない。そのスピードを調整することしか出来ないだろう。過去は失われた失楽園として我々に反省の機会を求める。人によっては過去に理想を求め、将来の規範にすべきだと唱える人がいる。更に進んで現在を断罪する人もいる。

 画家が文化活動や社会活動とどう関わるものだかは分からない。だが、絵という形でのその時代時代の息吹の記録者であることは間違いない。

 若い二人、小林麻美と久野志野。同じ建物で場所を違えて大きく見れて良かった。二人は場を安易に同じにしないほうが僕には好ましい。
 小林麻美・・日常の中に全身を目にしてブラック・ホールを掴もうとしている。
 久野志野・・近代風景の中にホワイト・ホールを体感しようとしている。
 (2007・10・20、11・11) 



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by sakaidoori | 2008-01-15 13:56 | ポルト


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