短歌 菱川善夫選「物のある歌」
(北海道新聞2007年9月30日朝刊、日曜文芸・P29より)
・わが父祖の吾から数えて五人目に斬り殺されし男ありけり(冒頭歌)
・正しきを正しいと言う容易(たやす)さをひょろひょろ生きて逆賊の裔
・ほめられてぺろぺろ舐めて舐められてひとりになれてやっとさびしい
・自転車を燃やせば秋の青空にぱーんぱーんと音がするなり
奥田 亡羊。
「亡羊(2007年、短歌研究社)。1967年京都府生まれ。東京都在住。
家系図をさかのぼること、5代前に殺された先祖を持つと作家・奥田氏は叫ぶ。次の歌から解釈するに、正しき主張が時の為政者の咎に合い、誅されたと言う。自分を逆賊の末裔と規定している。立派な血を引く自分の生き様に対して、自嘲的な歌が続き、何やら囚われの心を払拭したいのだろう、自転車を焼くのだ。「パーン」という音を聞いて安心感を得たのだろうか?
僕はこうい歌は、歌人は好きではない。5代前の先祖をどうの、こうの言って、今の自分に引き寄せるとは何事だろう。しかも、愚痴っぽい。日本人で、古き家系図を持っている人など、どれ位いるというのか。武士階級と、それに連なる為政者組(名主・寺社関係など)、京都を中心にして、地方の数少ない商家ぐらいだ。「逆賊の末裔」?そんなことはどうでもいい。歌でもって、自分を初代にして「逆賊の奔り」と大きな叫び声を聞きたい。「さびしい」、生きることはさびしいものだ。それを歌でストレートに表現したら、文芸の女神は逃げていってしまう。短歌は「ラブレター」とは違うのだ。