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栄通記

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2007年 08月 11日

290)②テンポラリー 「村岸宏昭記録展 ー木は水を運んでいる」

○ 村岸宏昭展  「木は水を運んでいる」
 
 会場:テンポラリー スペース
     北16西5 北大斜め通り・西向き 隣はテーラー岩澤
     電話(011)737-5503
 会期:2006年7月18日(火)~7月28日(金)
 時間:11:00~19:00

 (この展覧会は昨年に開かれたものです。)

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 暑い日だった。

 入り口のガラス越しに白樺が見える。1mほどの白樺の幹がぶら下げているだけ。細いワイヤーが人を逆さ吊りにしているようだ。幹に何やら引っ付いている。生命維持装置のようで人体(現代人)の病を象徴しているようだ。若い作家が笑いもせずに説明してくれる。「あの引っ付いているのはマイクです。幹に耳を当てると音が聞こえます」作家に催促され耳をあ当てる。ぶら下げられた幹、どうしても自然にそれを抱きしめる体形をしないければいけない。そっと左手で抱きしめ、左耳を当てる、「ピチッ、ピチッ・・」、木が水を運んでいる音がしている。ガラス一枚でしか隔てられてない外界の音が、車の騒音がスーッと消えてしまい、不覚にも音に魅入ってしまった。録音にともなう機械的音響感覚などは無い。余りに自然に音が伝わる。顔が緩む。それを待っていたのか、村岸君は大きなカメラで撮影している。撮られていることがわかっても、聞く耳と緩んだ笑顔をやめることが出来ない。(そのときの僕の写真は彼のブログに載っている。断りもせずに嬉しい事をしてくれた。10枚ほど載っている。皆、彼のマジックにかかったように木を抱いて生き生きとした姿をさらけだしている。女性は綺麗だ。)

 再び彼のもとに行き、しばし雑談。「木の周りの下げられた物の意味は?」「今年の作品展に使ったものです。なんだか周りが寂しいので、ぶら下げてみました」(それらは今遺作展の主要な道具だ。竹筒・銅筒で触れれば音がする。その時は幹にしか意識と動きが行かない展示だったので飾り以上の効果は無かった。飾りではあった。しかし、幹の水の音を言祝(ことほ)ぐ演出だったのだ。)北大で哲学を学んでいるという。来年は名古屋の大学?に進みたいという。現代美術を学ぶ大学のようだ。体全体から伝わるワイルド感に反して、淡々とことさら相手を年上という素振りの無い語り口。話すことも途絶え、ギターをと遊んでいる。弾くでもなく、弾かないでもない音色。


 吟遊詩人・村岸と理解した。見えない音を見せる、聞かせる詩人。音という実在を信じているのか?人はそこに祈りにも似た謙虚さを思うかもしれない。芸術家としてのにじみ出る熱い心、真摯な心。
 演出家・村岸でもある。指揮者も兼ねているかもしれない。彼は優しい。その心は指揮者という絶対者の位置に座ろうとはしないが・・。何ということか、あの若さで人に対する理解の優れていることか。演出とは非日常の世界を嘘と知りつつ、嘘に真実味を持たせる。動員される人、物、時間、空間は小道具・装置の位置しか与えられない。小道具になることによって日常の見えない世界がポッカリと姿を現す。その姿に慄くか、喜悦するか。村岸君は自分の音の世界に、鑑賞者を優しく誘い、彼・彼女を一時だけ別の人間に仕立てようとしている。僕はその演出と音に心地良く騙されてしまった。


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by sakaidoori | 2007-08-11 01:13 | テンポラリー


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