北海道新聞7月15日朝刊、日曜文芸(P19)より
菱川善夫 選、「物のある歌」。
○ すこやかにわが数式は伸びゆけり教室に生徒(こ)のおらぬ時間は
検閲にむかし残業ありしかな採点にわれは魅了されゆく
占領軍米人検閲人かつて桃を啜(すす)りて喉を濡らしき
棚木 恒寿
「天の腕」(2006年、ながらみ書房)。1974年香川生まれ。京都市在住。
作家は作歌当時32歳。検閲など体験していない。おそらく教員だろう。若い先生だ。黒板に数式を伸び伸び書いて、生徒のいない時間と言って戯れている。その先生が生徒の採点に戦時下の検閲を透かしみ、占領人・検閲人の他者を管理するものの嫌らしき喜びと、教師である自分の行為とをダブらせている。生徒のおらぬ時間=自由、検閲=管理・非自由、桃を啜る=エロス、自由と非自由の境界には灰色ゾーン・エロスが付きまとう。