栄通記

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2007年 07月 06日

247) 時計台 「西村一夫個展」・油彩 終了(6月30日まで)

○ 西村一夫個展

 会場:時計台ギャラリー 2階A室
    北1西3 札幌時計台文化会館・中通り南向き
    電話(011)241-1831
 会期:2007年6月23日(月)~6月30日(土)
 時間:10:00~18:00 (最終日17:00まで)


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 (文章紹介は少しお待ち下さい。)

 タイトルの大半は「内なる風景」。確かにそれは作家・西村さんの心象風景であるかもしれない。明るく心地良くリズミカルである。キャンバスに向かう時、作家自信の内側から涌いてくる想いを造型化したものだろう。一方で、美術表現に対する明快な思想、意思の表現でもあるかもしれない。見る人に「心和む気持ちを起こさせる」という。
 僕は例えば、子供の笑顔を表現して平和を訴えたいという作品にはあまり興味を持たない。鳩や髑髏で平和や死を表現するのも好まない。そして、僕自身の心の内側があまり他人に言えるような、清く美しいものでないから、心象としての「美」を表現されても懐疑的になってしまう。これが「癒し」であり「和み」だと言われれば、なおさら天邪鬼になって作品を見てしまう。

 西村作品を見ていると僕自身の絵画鑑賞の原点に戻らねばならないとつくづく思う。作品=作家と思ってはいけないのだ。作家を無視して作品を楽しまねばならない。
 写真で作品を見るならば、デザインとみなされるだろう。色の選択、配置、バランス、面としての色が主調で、線というより紐ほどの幅のある線の色と配置、それらを白が包み込んでいる。だが、西村作品のエッセンスは油彩による画質感のなんともいえない優しさにあると思う。肉声伝授の筆さばきや動きを廃し、デザイン的な無機質感にもたよらず、現代人が如何なる色そのものを好むかを自分自身を媒介として染めようとしているようだ。
 以前に「座る人」シリーズを手がけていた。おそらくその座る人は悟りを開いたブッダであり、その悟ったありようを背景着色して表現したのではなかろうか。絵からブッダは消え、「悟り絵」は「癒し絵」として具象性に頼らずに絵の色と形で顕にしようとしている。

 いつも見るたびに不本意にも満足してしまう。
 今展はいつもよりも華やかになった感じだ。具象的に見られるのを避けていた節があるが、風景の抽象化とも思える作品もある。そう見られることに作家は意外でもあると同時に満足もされているようだ。氏の作品に触れると、少しは心根も素直にならねばと思ったりしてしまう。なかなかそうはなれないが・・・・。


 

by sakaidoori | 2007-07-06 00:26 |    (時計台)


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