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栄通記

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2007年 04月 11日

136) ダイマル札幌店 「魯山人展」 4月9日まで(終了)

○ 美と食の探求者 「魯山人の宇宙展」

 会場:大丸札幌店7階ホール
    電話(011)828-1111
 会期:3月28日~4月9日(月)
 時間:10:00~20:00(最終日17:00)
 料金:有料

 魯山人(1883-1959)の作品はテレビや写真では見たことはあるが、実物は初めてだ。魯山人には先入見がある。彼は書、陶芸、食、古美術鑑識眼、文章と多芸多才を極めた人として紹介されている。同時に天才肌によくある話で、傲慢、不遜、我侭な人で、奇行、奇言も伝わってくる。もっとも知名度の割には作品そのもののイメージはつかめていなかったというのが本心なので、割と気楽に「巨匠」の陶芸作品を鑑賞することが出来た。

 最終日に一人で行った。相応の入場者だが、鑑賞の妨げになるということはない。4,5点ずつガラスに収められた陶器を、上から、斜めから、腰を折って真横から見た。焼き物は手に乗せて味わうのが一番だが、「名品」に初めからそういう気持ちでは接しない。その代わり、可能な限り近づいて見た。焼き物の展覧会の時には触るようにしている、この日の為のイメージ・トレーニングであった。それに、茶碗はともかくとして、食器というものは見た目が肝要である。色合いと形、食膳として利用する時は料理や他の器との、部屋全体との呼吸が大事だ。そういうマクロの世界と、器から食されて暫時器の模様が姿を現すミクロの世界の完結性が求められる。もっとも、今言った言葉は、魯山人の哲学で、魯山人に導かれて食の美の世界を考えているのだ。

136) ダイマル札幌店 「魯山人展」 4月9日まで(終了)_f0126829_14552335.jpg136) ダイマル札幌店 「魯山人展」 4月9日まで(終了)_f0126829_14561915.jpg









 魯山人の色は渋い。発色することなく、盛られる食材の色を引き立たせる按配だ。織部の緑色と地肌感の黄色が特に良かった。当然、黄瀬戸は素晴らしい。備前もあったが、余りに土色というか、鉄錆びに似て食器として使うにはかなり際立つ存在になりそうだった。食を生かすというより、器に合わせた料理を考えなければいけない作品だった。魯山人の才が表に出すぎている。無釉薬という直火による直接性がそうさせたのかもしれない。

136) ダイマル札幌店 「魯山人展」 4月9日まで(終了)_f0126829_14574855.jpg 魯山人の形はふくよかで、ゆったりしている。鉢類がもっとも解り易い。両の手のひらに乗せると、すっぽりと収まりそうで、ボディー・ラインというのか、ヒップ・ラインというのか、手が何かを触ろうとした時に自然に向き合える、そういう様式美だ。健康的な肉感性を思った。彼はこういう肉付きの女性を理想としていたのではと、想像をたくましくしてしまった。年表によると彼は5度結婚をしている。彼女等の容姿を知りたくなった。
 それにしても5度の結婚とは凄い。おそらく不幸な出生、生い立ちに起因しているのであろう。彼の評伝は白崎秀雄の著作が定番のようだ。僕はまだ読んではいないが、おそらくその書物を下敷きにした紹介から彼の生い立ちを簡単に記しておきます。図録には載っていない。

 本名、房治郎。明治16年(1883年)に京都の上加茂神社の社家に生まれる。父・清操は出生前に自殺した。生母・登女(とめ)の不倫がもとでのこととされる。房次郎は琵琶湖畔の農家に捨て子同様に引き取られ、あまりの虐待に仲介した巡査の妻が引き取った。6歳の時に巡査の死により木版屋福田武三の養子になった。当然、使い走りとして酷使されたことだろう。(「ナルシズム」、中西信男・著、講談社現代新書より)
 生前の雅号。福田鴨亭(24歳頃)、福田大観(30歳頃)、32歳で北大路性に復帰、北大路魯卿(33歳頃)、37歳時に生母・登女死亡により家督相続(といっても、北大路性以外は何ら益する物は無かったと思う)。「魯」の字は中国の書人・顔魯公による。昭和34年(1959年)76歳、没。

 彼の凄さは生い立ちの貧相さが作品に反映されてないことだ。彼は藤原時代の美術を最高と断じた芸術家だ。王朝美学を理想としながら、その後の日本芸術の足跡を自己という右足と近代という左足で飛び跳ねた傑物だ。彼は書をスタートとして専門家の領域の人であった。なぜに書をそのままに開花させなかったのか。ある書家から、「書は江戸時代で終わったのですよ」という言葉を聞いたことがある。戦前の日本は貧富の差はなはなだしく、階級社会であった。今とは違ったパトロンが芸を育てる時代であった。この辺に、専門外の焼き物に書では成立不能な日本美の再生が可能になった時代的条件があったのではないだろうか。当然、パトロン無き現代ではなかなか魯山人のような美は再興しがたいであろう。現代の美とは何か、僕は「個による大衆消費美学」として考えている。

 会場には一部屋を設けて食卓や食膳を再現している。おおらかな器にはこのような広いテーブル、床の間のある広い部屋が似合う。貧なる生い立ちの自分には魯山人の作品を愛でる気持ちは高いが、使う気は全然しない。器が言っているのだ、「金無き輩(やから)は相手にせず」と。


 説明が最後になりました。カワシマ・コレクションという、窯出しから直ぐにコレクションにされた未使用の完全品が半分ほど。未使用のきらびやかさを堪能することが出来ました。残りは笠間日動美術館コレクションを中心にしての焼き物、掛け軸、絵画など。補修品(金継ぎ)もありました。(写真は会場販売、展示図録より。)

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 もっとも好きな作品。「ハケ目茶碗」 陶器 高9.5×径11.3。

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 「春風萬里荘」。魯山人窯芸研究所の諸施設の「母屋」といわれていたもの。実におおらか、雄大だ。
 

by sakaidoori | 2007-04-11 15:17 | 百貨店


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