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栄通記

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2007年 04月 06日

131)芸森 「ディズニー・アート展」 ~5月27日まで

○ ディズニー・アート展

 会場:札幌芸術の森美術館
     札幌市南区芸術の森2丁目
    電話(011)591-0090
 会期:3月24日~5月27日(日)
 休み:4月9日、16日、23日の月曜日 
 時間:9:45~17:00 (入館は16:30まで)
 料金:一般大学生1ooo円 中学・高校生800円
 主催:当館+ウォルト・ディズニー・ジャパン、札幌テレビ放送、北海道新聞社、(財)札幌市芸術文化財団
 特別協賛:エプソン

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 非常に構成的な展示です。もちろん、作品構成の流れに関係なく、一点一点の原画(作品)を楽しめます。手元に図録(2800円)が無いので、正確性には欠けると思いますが、全体の流れを記します。

 私流ですが、あえて展示の目次(章立て)を付けて紹介します。

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Ⅰ:プロローグ(序章)あるいはエピローグ(終章)   
 会場チケット売り場に今展の意義と同時に、隣接した講堂に3篇のアニメを上映している。
 「骸骨と踊り」(1929年、6分)、白黒で夜に墓場から骸骨が出てきて、
体の骨を使いユーモラスに踊っているアニメ。「花と木」(1932年、8分)カラーで木の三角関係と女木をめぐる闘いと顛末を同じくユーモラスに描いたアニメ。「ディスティーノ」(2003年、7分)、戦後にダリの訪米により、ダリ作品のアニメ化を試みたが頓挫した。58年ぶりに当時の原画に基づいてアニメ化されたもの。ダリと言うより、デ・キリコの形而上学的画題をロマンと幻想風景にアレンジした感じ。

Ⅱ:アーティスト(主人公などを描く人)の紹介。
 「すべては一匹の猫から始まった」と言う言葉で展示は始まる。作家のインスピレーションを形にするという展示。作家メアリー・ブーケの紹介を中心にして淡々とした展示。

Ⅲ:ストーリー・ボード(スケッチなどの個々の作品を並べ、アニメとしての全体構想を決定する為の展示パネル)を展示し、アニメーター(あらすじを決める人)の紹介。
 展示としてはここからが本番。一挙にたくさん並んだスケッチなどの原画が圧巻だ。アニメは個々の作家、個々の原画ではなく、ストーリーとして作品化される。その為にいろんな人たちの共同作業ということが強調される。作品化のためのディスカッション、原画の取捨選択、作品の目的・意義の確認など作品化のためのプロセス、これをコンセプト・アートとして説明していた。それを担ったのがアニメーターと言われる人達で、伝説のナイン・アニメーターと言われた人達を扱っている。

Ⅳ:背景の説明。
 動画はキャラクターと背景で成り立っている。その背景の意義や作品の為の取り込み技術を紹介。カラー原画の鑑賞の楽しみはここから始まる。背景はほとんど紙と水彩からなっている。1950年代以前の作品だが綺麗だ。中には「ピエゾグラフ」という、現代デジタル複写技術の作品もある。売店でも販売している。この背景に水性樹脂絵具で描かれたキャラクターの切抜きを貼るわけだ。その作品も展示されている。

Ⅴ:作品「眠れる森の美女」の紹介。 
 かなりお金をかけた誘導通路、ディズニー・ランドのワンシーンを再現した壁紙の装飾通路を通って「眠れる森の美女」の世界に行き着く。今までの個別の紹介がディズニーの代表作にどう結実されたかを説明している。
 ここに限らず、部屋全体を色刷りの壁紙を貼ったりして、会場全体をテーマ・パークに来たようにしている。

Ⅵ:アニメから三次元の世界、「ディズニー・ランド」へ。
 動画という二次元の世界が、ディズニーに関わった作家を通して、三次元のテーマ・パークに結実した姿を紹介。

観外編:ふれあい開館にワーキング広場を設けて、写真を撮ったり帽子を作ったりして、鑑賞者参加型の企画としている。
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 (ここに並んで記念撮影をパチリ。)

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 (工芸館の休憩所。いつもここで昼食、おにぎり弁当です。)


 小さい頃、夕方になるとディズニーではないが「トムとジェリー」がテレビに流れていた。とりたてて好きというわけではなかったが、放送チャンネルの少なかった時代だから、何とはなしに見ていた。多分、日本の動画とかなりスタンスが違っていたので、何か変なマン画という受け止め方だったと思う。台詞が無いのも戸惑いの理由だと思う。それでも、猫とネズミが次から次へと動き回り、音楽も合っていて、ただただ動物の動きとアップされた顔の表情に笑うというのではなくてついつい魅入っていたのを思い出す。「善悪」とは違ったディズニーアメリカ・アニメの世界にはまっていたのだろう。(間違いを指摘されましたので、訂正と追加をしました。アンダー・ラインの部分です。)

 最近、アニメ関係が美術館でも企画されるようになった。半世紀前に「動画芸術 ウォルト・ディズニー展」が日本を巡回したと、パンフにはある。しかし、ヨーロッパの価値に基ずく博物館的芸術の研究・紹介を本旨とする日本の美術館は大衆娯楽・文化を扱わなかったのが現実だと思う。一部の戦略的作家がキャラクター的作風を海外をタ-ゲットにして成功を修め、逆輸入のような形で彼等を日本美術館が紹介するようになった。欧米の美術を見る目に、媚びる形でアニメが美術館というマイナーな舞台に登場したというのが事実に近い現象だと思う。観客動員数という、目に見えた数字的評価にも繋がるから、渡りに船の観がある。先程の戦略的作家はその辺も視野に入れていたのではないだろうか。美術館側の主体性の問われる点である。価値基準策定への積極的参加では無く、価値の定まった現象への追認という姿勢だ。現役の地元・中堅作家の、あるいは若いが気になる作家の紹介ができないのはそのためだろう。(芸森はよくやっていると思う。)もっとも、彼らの紹介が観客動員数に繋がるかはわからないし、マイナーな地元作家を紹介すると、肝心の地元美術界から不満やら、何やらかにやら面倒臭いことが発生して、学芸員が心穏やかに作品の研究が出来ないということも起こるだろう。上部機関の事務上の手続きも煩瑣なことだろう。自治体が普段とは違うことをするのは大変だとは想像できる。(三岸美術館が昨年の冬に若い作家を紹介するということをしたが、今年は不発のようだ。そのときは来年もしたいと関係者は言っていた。理由はともかく、残念だ。)幸か不幸か指定管理者制度の導入で、公立美術館関係者は今までと同じ行動規範だけでは成り立たなくなってきた。入場者が少ないと言っても、間違いなく美術館は学芸員を通して「公共的美」に触れ、「芸術を語り合う」場や話題を提供することは、増えることはあっても減ることは無いだろう。

 大衆文化の文章化と紹介では遅れをとった美術館ではある。遅れの非は将来の非ではない。大きな金が動き、社会的に認知された存在だ。行政と個人が繋がる結節点でもある。期待値が高いだけに批判も高いのだ。過去と比較すれば大変な環境になったともいえるが、やりがいのある時代が来たと逆に思って欲しい。批判をするために美術館に行くわけではないが、行かないことには何も言えない。道内の公立美術館さん、今後ともよろしく。

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by sakaidoori | 2007-04-06 14:37 | ☆芸術の森美術館


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