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栄通記

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2007年 03月 31日

124) ③夕張にて 「夕張美術館・Finish and Begin展」 ~3月25日(終了)

 ある詩人が「ヴィオロンの溜息の身にしみて、うら哀し」と言った。この日のバイオリンは明るく楽しかったが、違う思いで現関係者最後の展覧会場を歩き回った。相応に人が居てにぎにぎしい。パイプイスを運んだりして、3時からのシンポジウム準備に館内はいっそう華やかなムードが漂っている。

124) ③夕張にて 「夕張美術館・Finish and Begin展」 ~3月25日(終了)  _f0126829_1143146.jpg
 今回の「夕張の風土が培った作家たち・展」と、「夕張応援作家展」は全体で一つのような一体感がある。前者は収蔵品で、約30名54点の作品。前回の「所蔵作品に息づく夕張・展」が土着性に主眼を置いて泥臭くマニアックな感じだった。今展はその伝統を引き継ぐ形で、制作年代も幅がありまとまりには欠けるが不思議な一本の糸で結ばれているような展示だ。前回のほうが古拙ではあったが、見がいがあった。美術館展らしく時系列、作家相互の関係など知的であった。今展はもっと緩やかに作品を見て、鑑賞者がその時その時を思いだしてください、今日というこの日を忘れないで下さいと語りかけていた。

124) ③夕張にて 「夕張美術館・Finish and Begin展」 ~3月25日(終了)  _f0126829_1164786.jpg
 今展の作品で注目したのは『坂本順子「真谷地の魚」2000年、1621×1303cm、板・油彩・コラージュ』だ。僕は2年前に深川での彼女の展覧会を見たことがある。2会場に別れ、一つは大作中心、一つはボックス・アートなど小品の展示であった。好みとしては小品の緊密なムード漂う展示の方に親しみがもてたのを記憶している。あの大作中心の部屋にこの「真谷地の魚」が無かったことを、本当に残念に思う。間違いなく彼女の代表作だろう。非常に具象的、余りに具象的で印象が強烈・爽やかである。直ぐに三岸好太郎の標本箱から羽ばたこうとしている蝶の絵を思い出した。三岸は若い頃「ロマンチックでグロテスクなものを描きたい」と、言っていた。その絵では詩人としての三岸の絵心がより昇華されて夢の世界を彷徨う姿を思う。だが、「自由」を確保したが「命」が限りなく薄くなった。作家の精神のみが反映され、蝶は生命力を失った。人は何かを得れば何かを失うのかもしれない。順子女史の「魚」は命あるものとして、古の地底から蘇り自由に泳ごうとしている。三岸の絵が男としての甘い性的ロマンを背景に持つなら、こちらは女らしい綺麗な世界を築こう、その中に命を育もうという感性を感じる。僕は絵の優劣を言っているのではない。絵に対峙する男女の感性の違いに気付かされたから書いているのだ。「魚」の中に内面を映し出すような機械仕掛けのカラクリをコラージュとして埋め込んでいる。かなり飛び出ていて全体のバランスから言って大仰とも言える。これが無い方がより綺麗かもしれない。だが、これがあるから順子絵画なのだ。彼女は美しい人ではあるが頑固な人だと思う。この部分は絵画内絵画と言ってもいいと思う。現代美術が額を離れようとするならば、額の中に額を入れ込むのも現代の美術のなせる業だと思う。異質ともいえる機械仕掛け、「入れ子」としての絵画表現・・。
 
 ある時彼女と話し込んだことがある。最後に「いい絵を描いてくださいよ。楽しみにしています」「はい、私、主婦ですから、それをわきまえて制作していきます」「・・・。何を言っているのですか。あなたが主婦であるとか、ないとかはどうでも良い話です。ただ一心にいい絵を描く、僕はそれを見たい、見るだけです」・・・「はい、描きます、描きます・・」・・会話はその後二、三の言葉を互いに交わしてわかれた。(坂本順子さんは昨年の3月に病気でお亡くなりになりました。失礼な言葉があるかも知れませんがお許し下さい。)その声が忘れられない。

 (掲載した写真は背景の色がかなり実作と異なります。考慮してみてください。)

by sakaidoori | 2007-03-31 11:35 | (☆夕張美術館)


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