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栄通記

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2007年 03月 26日

117) ①夕張にて 「夕張美術館企画 美術フォーラム」 3月25日(終了) 

○ 夕張美術館企画 美術フォーラム

    「夕張市美術館再生にむけて

  2007年3月25日、15時から16時半  
  美術館内「比志・松原二人展」会場にて

パネラー
 玉川薫氏:1953年、福井市生。北大文学部卒。現在、市立小樽文学館副館長。
 中村聖司氏:1964年、函館市生。北大文学部卒。現在、道立旭川美術館学芸課長。
 小林和拓氏:1953年、夕張市鹿島生。現在、夫人とともにメロン栽培と絵画制作に励む。昨年、この美術館で夫婦展開催。新道展参加。ゆうばり市民美術館友の会準備室次長。

進行役
 源籐(げんとう)隆一:夕張市美術館学芸員


 当初、予定されていなかった企画だ。美術館関係者に多くの人の励ましがあったという。そういう声を代表する形で、三名が参加して「地方の美術館の役割や未来像」という大きなテーマで話は進められた。

 この美術館は運営本体の夕張市の負債過多を主原因にして、廃止が決定していた。加森観光が他の施設の管理運営をまかされ、この企業の意思・意欲に基づき4月から再出発をすることになった。法律的には、昨今、公共文化施設の運営方式で話題をまいている指定管理者への運営委託である。だが、この方式の本来の趣旨は自治体の金銭負担の軽減と民間活力による公共施設の時代的展開にあった。だから、適当な指定管理者の決定にたいして、自治体は自由裁量があるし、理論的には変更も随時可能である。だが、この美術館の場合は違う。たまたまこういう制度があったので、美術館を丸投げ運営させることが出来たということだ。最終責任者である夕張市はこの美術館の将来展望に対して何一つコメントを出さない。少なくとも情報機関紙は何も伝えない。加森は若干の運営費の負担で美術館の収蔵品を自由に扱うことが可能になった。民間企業による公共美術館の再生という、いままでの日本では考えられない現象を我々は見ることが出来るのだ。・・こんなことを私は頭に描いてこのフォーラムに参加した。他の方々も言葉には出さずとも、「今後のこの美術館はどうなるのだろう。今後を見る視点の役に立つ材料はないのか」という思いを抱いていていたのではないだろうか。

 結論からいうと、この美術館への具体的な話しは少なかった。公共文化施設の一般的今日の状況を感じるには良い場でった。

 主な原因は二つあると思う。
 
 進行役の当該学芸員・源籐氏が美術館の現況を具体的に報告せずに、「(美術館の)未来像」という言葉をキーに進行したことにある。収蔵品やスタッフなどの連続・不連続を語らないから、パネラーは今後に役に立つのではないかと思える自分の所属する団体の経験に多くの時間が費やした。それなりに面白いのだが、「夕張」という冠を必要としない一般的な話題だ。パネラー自身の危機感の表明にもなっていた。その点では少ない時間の参加者の意見の方が具体的であった。ある人は言った。「・・・。館名もどうなるかわからない。(加森観光次第だ。)今後は名を捨てて、実をとってもらいたい」応援作家展に参加した作家が、パネラーの『ふくらます』という言葉を受けて発言していた。同席していた作家に「夕張に触れて、どう膨らんだか?」と言葉を投げていた。その作家も具体的に語っていた。私も二点質問した。収蔵品について。二百数十点は返還して、1千点の作品を所有しているとの事。他の施設と違って委託を決定するのに時間的に遅れた点について。役所の所轄部門による違いとの説明。それ以上の意見は上部の判断だからと私見を避けていた。どういう事態になろうとも、文化財に関わる者として、自覚と責任を持ちたいとの応えが返ってきた。

 パネラー自身が指定管理者制度の具体性が見えていないので、この制度とのからみで未来像を提言できなかったのではないか。ましてや夕張の場合は公共美術館には例のないことなので、話す糸口すら無いというのが実情だった。小樽文学館、旭川美術館の対外的有り様と、「公共文化財管理の施設関係者の重責」を説いていた。同じ自治体職員として、余りにも切実な問題として夕張が現れた。現状を整理しきれない感じで一般論を表明することで、自分自身の意識を高めようとしているようだ

 何枚か配布資料があった。
 パネラー小林氏の属する団体の「夕張市美術館の存続と美術館発展の為のメモ」は、具体的で現場作家の肉声が聞こえて素晴らしい。このメモを基調に関係者の半年後の報告を聞きたい。

 学芸員・源籐氏について。
 前回たまたま訪問客を相手にした現況報告を兼ねたお話を聞くことが出来た。その時の氏は余裕の無い分だけ真摯に語っていた。突然に加森観光が運営をしたいと発言したばかりの時で、今後はどうなるのだろうという不安と、自分はどうしたらいいのだろうという焦りの発言が好感を持って聞くことが出来た。今回の対応は「どうなるかはわからないが、新たな船出は出来そうだ。静かに船出しよう」という感じだった。氏は多くの貴重な体験をされたのだ。それは私的ではあるが、かけがいの無い公的体験でもあると思います。今後の所属は知りませんが、ある程度の時間が経ったら、中心になって話題を提供していただきたい。美術館のみならず、文化をとりまく現況に資するものが大だと思います。切に望みます。

 (後で簡単に進行経緯をかきます。)


  


    

by sakaidoori | 2007-03-26 10:22 | (☆夕張美術館)


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