栄通記

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2007年 03月 19日

106) 時計台 「佐藤武展」・アクリル 終了(3月17日まで)

○ 佐藤 武 展   25年の軌跡

 会場:時計台ギャラリー 2階全室
    北1西3 札幌時計台文化会館・仲通り南向き
    電話(011)241-1831
 会期:3月12日~3月17日(土)
 時間:10:00~18:00 (最終日17:00まで)

 佐藤さんは耽美主義者であればと思う。

 僕は絵を思想と思ってみている。非言語的視覚表現としての思想です。作家にとって表出せざるをえないもの、その表出されたものを思想として美術作品を見ている。
 例えばこういうことです。
 ある日曜教室展で人物像を描いた作品があるとします。当然全ての上で未熟です。しかし、画家はなんと言われようともそこに作品を並べているわけです。未熟なるが故に、一所懸命に書いた部分と、そうでない部分がはっきりします。人物像の場合顔を普通は力を込めて描きます。顔のどの部分に気持ちを込めるのでしょう。目?鼻?額?・・その一所懸命に描いた部分に作家の思想性を僕は見るのです。僕の言う思想性とはそういうことです。

 今回の展覧会用のパンフには、こう書かれています。「・・・人間の根底に潜んでいる不安感を表現したく、絵画制作に身を招いている。・・・」1983年以来、一貫して『静寂、不安と崩壊』をテーマにされている。画題も一貫している。荒涼とした砂漠のような風景の中に古代宮殿あるいはモスクのような建造物を描き、空中にその石造りの建物の一部が崩壊し絵画下層の建造物にいるであろう人物の心理を圧迫している。作家は不安の象徴として大きな大きな石物の崩壊を克明に描く。セピア色に描くその技術は素晴らしいとしか言いようがない。だが、象徴は所詮言語の代替物以外の何者でもない。絵画として成功するかどうかは保証されてはいない。あんなに大きく描かなくても、もしかして画面の片隅にかすかに割れた石を描いた方が、不安を表現できる場合があるのではないだろうか。それに、画題があまりにも現代日本人には無関係すぎて、その無関係性が生きているのであろうか。画家は日本人という小さい視野でなく人類一般を問うているのであろう。だが、初期の作品を見れば明らかだが、デ・キリコに触発されて画題を決めたと思われる。デ・キリコの場合はあの建造物は歴史的リアリティーがある。佐藤さんの場合は借り物としての画題を25年描かれている。間違いなく技術は進歩されたが、技術の進歩=絵画表現の進歩という袋小路に陥ったようだ。絵画にとって技術は大事な要素だが、決して巧を競う平面空間ではない。

 佐藤さんの空気感はなかなか真似の出来るものではない。安易な象徴的手段を使うことなく、描かれた物そのものと、全体の構成の中で「不安」を表現してくれないものだろうか。

 『余りに美しすぎて、見ていて怖くなる、不安になる』と、そんな絵を見たいものだ。


 パンフレットより作品を年代順に写真掲載します。

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①左側:「秋の詩」1984年・アクリル、91.0cm×117.0cm
②右側:「真昼の幻想」1985年・アクリル、112.0cm×145・0cm

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③左側:「予感」1987年・アクリル、117・0cm×117・0cm
④右側:「都市の記憶」1998年・アクリル、190.0cm×230.0cm

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⑤左側:「不安な時代」2002年・アクリル、96.0cm×145.0cm
⑥右側:「雨上がりⅠ」2006年・アクリル、97.0cm×194・0cm

by sakaidoori | 2007-03-19 20:58 |    (時計台)


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