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栄通記

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2007年 03月 03日

84) ①夕張市美術館 「Finish and Begin」~3月25日(日)まで

○ Finish and Begin
   夕張市美術館の軌跡(1979-2007)、明日へ

 場所:夕張市美術館
    夕張市旭町4の3
    電話(0123)52-0903
 期間:2月11日~3月25日(日)
 休み:月曜日(2月12日は開館)、2月13日14日、3月22日
 時間:10:00~1700

企画1 所蔵作品に息づく夕張
 期間:2月11日~3月4日(日)

企画2 夕張の風土が培った作家たち
 期間:3月7日~3月25日(日)

  企画3 夕張応援作家展
   期間:2月11日~3月25日(日)・・全期間

 日曜日(2月18日)に夕張に行ってきた。光の少ない日だったが、まずまずの天候だった。今年の雪の少なさは運転には助かる。スキー場のようすを横目にJR夕張駅を散策、昼前に美術館に到着した。日曜ということや最後の展示になるかもしれないということでお客も多かった。

○ 「企画1 所蔵作品に息づく夕張」

 出品作家は21名。3部構成。
 Ⅰ部は入り口からのメイン・ルームで夕張美術の歴史的変遷。夕張美術の礎という位置づけの木村礼輔の作品(1930年頃、1点出品)、矢野吉雄(1969年、1点)、菅保男(1935年頃、2点)と続き、戦争を挿んで夕張美術をひっぱて行った大黒孝義(1929年~1951年までの6点)へと。彼をリーダにして小林政雄(1949年~1980年までの8点)と畠山哲雄により道展夕張支部が結成され、1956年に戦前にも存在していた夕張美術協会が再編成されることになる。畠山哲雄は夕張の炭住で生まれ育ち働き、夕張を死ぬまで描き続けた。彼をメインにして作品を楽しむことになる。1951年~1999年までの23点が展示されている。四角い広い部屋の中央には彼の愛用していた物であろうキャンバス台やパレット、絵の具なども展示されている。
84) ①夕張市美術館 「Finish and Begin」~3月25日(日)まで _f0126829_0483666.jpg
出品作ではないが夕張・ユーパロの湯に彼の大作(上:「坂のある街」1978年F80)、小品(右:「早春のやまなみ」1992年M30)が飾ってあったので掲載します。84) ①夕張市美術館 「Finish and Begin」~3月25日(日)まで _f0126829_050347.jpg彼の絵にはモチーフであると同時に形への嗜好としてズリ山が多く出る。九州ではボタ山という。炭住も描かれる。僕が見た炭住の名残の建物は平屋でトイレ付き、4軒の棟長屋であった。筑豊の僕の住んでいた炭住は2階建て共同トイレの8軒長屋であった。蔑視用語としてハーモニカ長屋と呼ばれていたようだ。住宅街から離れた丘の麓に朝鮮部落があった。豚を飼っていたようだが当時は知らなかった。これも蔑視用語でその辺りをアリラン峠と読んでいたようだ。
 畠山は1926年に夕張町社光1区で生まれ、15歳で北炭に勤務、1945年19歳で旭川第7師団に入隊。夕張美術協会設立会員、道展会員、一水会会員、1971年45歳で炭鉱合理化のために退職(この年、筑豊最後の炭鉱、日炭若松が九電の石炭買取中止のために電撃閉山)、1995年空知炭鉱の閉山で石狩炭田の終焉、1999年永眠、享年73歳。
 作品は夕張美術協会設立に参加した木下勘二(1953年~1958年までの6点出品)、高橋忠雄(1956年、1点)、加賀屋松雄(1955年、1点)、富山妙子(1955頃、1点)で1部は終わる。1956年当時の彼らの作品は見がいがあります。窮屈な場所の展示でかわいそうですが仕方がありません。

 Ⅱ部は息抜き的な感じで写真、木版画、スケッチの展示。大崎盛、安藤文雄、ジャック・デ・メロ(写真)、伊佐治講、佐藤忠良。

 Ⅲ部は主に日本画などを現在に視点を置いて展示。蔦子葉(日本画・下絵、1950年頃3点)、白江正夫(水彩画、1999年、1点)、比志恵司(水彩画、1955年頃、2点)、五十嵐清雲(2005年、1点)、渡辺侃(2003年、1点)。白江さんをここで見れるとは嬉しい限り。日本画はなかなか見せてくれます。

 
 鑑賞後、他所からの訪問客の一団を相手に美術館・石炭博物館の現状の説明会を開いていた。許可を頂いて聞くことができた。印象に残ったことを幾つか報告します。
 
◎ 収蔵作品はお借りした物など、整理できるものはなるべく返却して、身を軽くして新たな体制になった時に、負担の無いようにしているとのこと。確認できなかったが、預かり作品の返却だけを意味していたのか寄贈品の返却をも含めてのことだかはっきりわからなかった。もう一度美術館に行く予定なので学芸員の方とお話を聞いてきたいと思います。
 
◎ 「正直に言って、我々職員は元気がありません。これではいけないと思うのですが、どうしたらいいのか右往左往しているのも事実です。ところが、地元の方々が今は非常に元気なのです。本当に嬉しいことです。今後どうなるかはわかりませんが、皆さんと一緒に考えながらやっていきたいと思っています」

◎ 参加者の質問から。その方は内地の文化施設関係者のようだった。加森観光の美術館参画を意識しての発言として、『利潤団体である企業が参加したらろくなことは無い』と明快に発言されていた。話の流れからいって、文化施設運営は企業の論理と相容れないという趣旨だった。僕は道内美術館常設展は企業の冠を明記して、限りなく無料で観覧できるようにしたらいいと思っている人間である。例えば「ラルズ近美常設展・・・・」と。これからは施設運営と利潤追求団体が緊張関係を保ちつつ、共に具体的に関わる時代だと思っている。

 (次の記事は応援作家展の参加作品の中から許可を頂いた10点ほどの写真紹介の予定)
  

by sakaidoori | 2007-03-03 01:20 | (☆夕張美術館)


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