栄通記

sakaidoori.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2018年 09月 04日

2583) 「神成邦夫展 『surface(サーフェス) 北海道』」 茶廊法邑 終了/8月22日(水)~9月2日(日)

神成邦夫展 
  surface(サーフェス北海道
 
   
    
 会場:茶廊法邑 カフェ・スペース
     東区本町1条1丁目8-27
     電話(011)785-3607

 期間:2018年8月22日(水)~9月2日(日)
 休み:月曜日、火曜日(定休日)
 時間:10:00~18:00
     (最終日は、~16:00まで) 

ーーーーーーーーーーーーーーーー(8.26)



2583) 「神成邦夫展 『surface(サーフェス) 北海道』」 茶廊法邑 終了/8月22日(水)~9月2日(日)_f0126829_2224629.jpg





2583) 「神成邦夫展 『surface(サーフェス) 北海道』」 茶廊法邑 終了/8月22日(水)~9月2日(日)_f0126829_22304667.jpg







2583) 「神成邦夫展 『surface(サーフェス) 北海道』」 茶廊法邑 終了/8月22日(水)~9月2日(日)_f0126829_22312970.jpg




2583) 「神成邦夫展 『surface(サーフェス) 北海道』」 茶廊法邑 終了/8月22日(水)~9月2日(日)_f0126829_22315020.jpg




2583) 「神成邦夫展 『surface(サーフェス) 北海道』」 茶廊法邑 終了/8月22日(水)~9月2日(日)_f0126829_6104660.jpg




2583) 「神成邦夫展 『surface(サーフェス) 北海道』」 茶廊法邑 終了/8月22日(水)~9月2日(日)_f0126829_6112111.jpg




(以下、敬称は省略させていただきます。)


神成邦夫は飽くことなく道内の風景を撮る。「どこにでもある北海道の風景」、一言でいえば「殺風景な切り取り」だ。しかし、強固な約束事で作品は縛られている。それは氏の美学の落ち着いた地点?


強い約束事-地平線を入れる。しかも中央でなければならない。
すると、当然、上半分は空ばかり。空は青くなければならない。それも薄青一色、白雲は青の飾りになるから許される。雨雲一杯のダークな世界は排除される、個性が生まれるから。
それでは下はどうする?水平線辺りに建物が横並び、その下に綠の原野が拡がる、そして適当な方向に向かう道路。これが基本だ。
横拡がりのフラットな画面、濃淡を否定する、強く見せることを否定する。しかし、それでは神成の哲学美がゆるさない、灌木風の世界、やや濃いめの綠の窪地、そこに万感の思いを馳せて向こうの世界に通じる「窓」を配置する。「表層(サーヘェス)を見よ」といいながら、「この窪地を見よ」と、僕の目に迫ってくる。すると、いよいよどうでも良い風景は視界から消え、灌木の中ばかりを見つめる。しかし、「ただ見つめさせる」のが氏の主張だ。入るのも良し、見るだけでも良し、離れるのも良し・・・撮影者は見る人をあざ笑うかのようにして、同じ風景を提示するばかり。
きっと神成邦夫は都会の「個性的風景」を撮りすぎたのだろう。そんな大量なスナップ群を見ていると、ある日気が付いた。「なんだ、個性的と思って撮ったのに、みんな同じじゃん!都会って個性が無いのか?いや、個性が無いのは俺自身かも?」結局、個性的な写真がいやになっちゃったんだ!でも、アマノジャク的「神成邦夫」という目立ちたがり屋根性までは否定できない。そこを否定したら写真を止めないとけない。「オレ、写真が好きなんだよな・・・」最後に残ったつぶやき・・・

殺風景な作品群。風景を殺してでも見せたい「神成自身の原風景!」。それは間違いなく神成の世界だ。だが、これだけ徹すると、意外にも見る人と共感作用が働く。不思議な経路で、見る人と撮る人との共感体験を実現した。いや、そう錯覚させた、殺風景な風景で。



2583) 「神成邦夫展 『surface(サーフェス) 北海道』」 茶廊法邑 終了/8月22日(水)~9月2日(日)_f0126829_6144776.jpg





2583) 「神成邦夫展 『surface(サーフェス) 北海道』」 茶廊法邑 終了/8月22日(水)~9月2日(日)_f0126829_6154361.jpg



こういう作品が昔の都会を撮っていた時の名残なんだろう。それに、似たような綠多き風景ばかりでは面白くないと思ったのだろう、ちょっとした鑑賞者へのサービスだ。と同時に、殺風景な原野風景から繋がるなにかになるかもしれない、撮影者の保険なのだろう。

一点、記しておきたい。
画面下とカメラとの距離感は異様に近い存在になっている。真逆の画面上とカメラの距離感は自然体である。ここにカメラの嘘がある。人間目だと、画面下も画面上も無視される。どうしてもカメラ目は画面下を強調する。本当に画面下を強調したかったら、水平線を上の方に持っていけば自然な風景になる。神成邦夫はひたすら約束事の「水平線は中央」を守り、異質と思える作品を、全体の中では異質感を薄めて提示している。




2583) 「神成邦夫展 『surface(サーフェス) 北海道』」 茶廊法邑 終了/8月22日(水)~9月2日(日)_f0126829_6302099.jpg





2583) 「神成邦夫展 『surface(サーフェス) 北海道』」 茶廊法邑 終了/8月22日(水)~9月2日(日)_f0126829_6305648.jpg


by sakaidoori | 2018-09-04 10:25 | (茶廊)法邑


<< 2584) 「板東宏哉 本庄隆...      2582) 「岩佐俊宏の場合 ... >>