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栄通記

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2016年 05月 09日

2515)④「群青『男展』金侑龍 小林孝人 佐々木錬 松尾泰宏」 アートスペース201 終了/前期:1月28日~2月3日

 群青」(ぐんせい)展

  ぐんじょうと読まないで下さい。
  ぐんせいと読んで下さい。「群れる青い人達」です。


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●第3回 丸島均(栄通記)企画

群青(グンセイ)
  八つの展覧会
  〔写真、絵画、書、ドローイング、テキスタイル、立体〕

 「群れる青い人達」による自己表現展です。
雪固まる1月、2月・・・
寒い・・・
少しでも元気になれれば・・・ 

●会場:アートスペース201
    札幌市中央区南2条西1丁目山口ビル5&6階
    電話:011―251―1418
   
●会期:前期⇒2016年1月28日(木)~2月2日(火)   
   後期⇒     2月4日(木)~2月9日(火)
       (前期は6階3室のみ。後期は全館5室の展覧会。)

●時間:10:00~19:00 
    (各会期最終日は、~18:00まで)

前期・6階A室
○「男展」(写真展)
金侑龍 小林孝人 佐々木錬 松尾泰宏
  

前期・6階B室
○「鉄の灰」(写真2人展)
阿部雄 千葉貴文
 
前期・6階C室
○「対展 Ⅰ」(写真中心の美術展)
西口由美恵 小野寺宏弥 加藤良明 黒澤智博 笹谷健 篠原奈那子 鈴木悠高 加藤エミ 橋本つぐみ 庄内直人、佐々木練・・・(以上11名。)

ーーーーーーーーー(1.30 2.1)


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   ↑:(男展の会場風景。ピンボケでした。)



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 男性撮影者4人による展覧会。だから「男展」だ。特に深い意味を込めてのネーミングではない。ましてや、この4人の競演で、呼びかけ人の主義主張を訴えるものではない。4人の共通性も乏しい。あえて言うならば、「全く異なるアプローチ作品で、どういう場が生まれるか」を試してみたというこだ。僕が参加者に求めたのは、「展示可能な範囲で沢山出して欲しい」ということだけだ。

 結果はどうだったか?非常に満足している。

 まったくバラバラな人達だ。それぞれの作品数が多いだけに、それぞれの関心事はよく伝わってくる。
 金侑龍のある場所への拘り、だからといって極々普通の住宅街の切り取り。
 佐々木練は「どうでも良い風景」を正直にきっちりと撮り続ける。しっかりと何かを撮ってはいるが、だからといって被写体の存在に重きはない。心象に流れず、被写体に拘らず、透明人間の目のようにして淡々と眺める。
 松尾泰宏は旅先での人々を撮る。彼等につかず離れず、距離感を一定に保ち安定している。この安定感が非日常の被写体ではあるが、普段着の風景のようにして展開していく。
 小林孝人は「沖縄」を僕らに見せる。しかし、青々海原や澄み渡る空には関心がない。ましてや「踊る沖縄人」などは微塵もない。沖縄の秘められた世界にも関心がない。無色透明の「沖縄」、しかし、これが小林孝人の沖縄だ。作品に奇抜さはないだけに、撮り手の頑固さと変人ぶりが伝わる。

 「それぞれの日常風景」展になってしまった。非日常ですら日常にしてしまう男たちだ。
 派手さは欠落し、面白味に欠ける。そのことがバラバラな4人を静かにまとめ上げ、鑑賞者自身も「面白味のない風景の持ち主・第五の人間」として仲間入りすることになる。




金侑龍の場合。




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   ↑:(全作品の展示風景。)





 現代美術家・金侑龍、在日韓国(朝鮮)人だ。札幌人ではあったが、釧路に転勤した。そして、釧路の「米町」を撮った。





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 タイトルは「米町」。それ以外は何一つ語らない。

 金侑龍は在日韓国・朝鮮人だ。名前を見れば分かる。だから、「在日コーリアン」としてのアイデンティティーの問題が作品に埋め込まれていると思って間違いない。
 「米町」---金侑龍は札幌から釧路に転勤した。だから、「米町」は彼が住んでいるところと判断した。彼にとっての釧路は一時的な住まいだろう。だから、「かりそめの住まいにいる自分、かりそめだが間違いなくそこにある米町、米町とは僕にとってなんなんだろ?」「『米町』、代わりばえのしない住宅街だ」「まぁいいかぁ、とりあえずファインダーで街を覗こう、シャッターを押そう」

 ファインダーとシャッター、カメラとは不思議なものだ。「米町」は「自分が今居る」ということ以外はなんの意味もなかったはずだ。このありきたりの世界!しかし、見つめあい取りこんでいくうちに、街という風景が恋しくなったみたいだ。「愛すべき土地だ」と呟いたかもしれない。
 「ただそこにある、しかし、僕(金侑龍)が見つめれば応えようとしているではないか!」それは金青年の勘違いかもしれない。「誰かと結ばれたい、みんなと良き関係を保ちたい」そんな正直な欲求がかりそめの土地で意識に昇り始めたのだろう。札幌という情報過多で落ち着きのない生活から、知り合いのいない環境で、「米町」が自分を見つめ直す場になったのだろう。

 変哲のない風景、静かな金侑龍の呼吸が聞こえそうだ。感情移入を押さえ、黄昏時のような雰囲気で街を写真行為で取りこむ。「見つめ合うこと」で、何かを確認しているみたい。彼なりの愛情表現かな?誰に対する?


 註記⇒金侑龍は語る。「ふとしたことで、米町が戦前の遊郭跡地ということを知った。当然、そこには朝鮮人の婦人もいたはずだ。リキんで米町を見に行った。遊郭の痕跡があると思って!しかし、何一つそれらしいものはない!今では普通の住宅街だ。がっかりした。でも、折角来たのだから、一応写真に収めておこうかな・・・」、そんなことを語っていた。



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佐々木練の場合




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   ↑:(全作品)「どうでもいい日常の切り取り方」。



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2515)④「群青『男展』金侑龍 小林孝人 佐々木錬 松尾泰宏」 アートスペース201 終了/前期:1月28日~2月3日_f0126829_2013158.jpg 「どうでもいい日常の切り取り方」、と佐々木練は語る。確かにそのとおりだ。そのとおりだが、「たまたまファインダーに入りました、シャッターを押しました」ではない。どのスナップも「そこ」を撮っている。空気とか、ムードとか、心象という目的意識で貫かれてはいない。当然そういう佐々木美学は作品に反映されてはいるが、「何故だか知らないが、オレはこの風景が気になるんだよな!ええぃ、バシッと撮っちゃおう・・いやいや軽く収めちゃおう」

 世界の若者の写真作品を見たことはないが、こういう美学というかアプローチというか写真行為と発表は日本若者特有のものではなかろうか。間違いなく「何か」を撮ってはいるが、まさしく「どうでもいいに日常の風景」になってしまう。見せられた僕も、撮り手の個性とは別に、日本人という集団心象風景を連想してしまう。

 おそらく、「他者」と対話していないのだ。被写体を他者と呼ぶには近すぎる。溺愛するような接近感もない。「愛」とよぶにはおこがましい。「憎しみ」とは無縁でありたい。適度な距離感を保ち、被写体のさりげない魅力を伝えたい。気になる世界を気になるままで残しておきたい。




松尾泰宏の場合



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   ↑:(全作品)「World without borders」




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 一年の内、11ヶ月働く。そして悠々自適に一ヶ月間バックパッカーになって世界を旅する。その旅先でのスナップ写真集だ。

 明るく堅実な写真だ。ボケ、ブレ、ムダがなく、淡々と撮り続けている。人間が好きなんだな・・・撮り手は「良い人だな」・・・と、つい思ってしまう。

 被写体との距離感は常に一定だ。一定という「調和」が全てといっていい。ことさら接近するでもなく、遠見から俯階しない。展示全体はシンメトリーだ。流動感や生活臭からは遠い。やはり「調和」を愛する撮り手だ。
 だからか、作品は明るく健康的なのだが、被写体の世界にのめり込むことをそれとなく拒否しているみたいだ。「ここはよその世界だ。我々はこうして出会えることに満足しよう。あたりまえだが、ここにはヨソ者の入れない固有の世界があるだろう。旅するものは彼等を見ているだけで満足しよう」、そんな訪問者の呟きが聞こえそうだ。



小林孝人の場合




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   ↑:(全作品)「沖縄光景」。



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 今展、「沖縄」なのだが、それらしい風景が無い。これはとんでもない驚きだ!
 作品を見ていた誰かが呟いた。「この人、ニューヨークへ行っても、例えばニューヨークの石を札幌の石みたいに撮るんだろうな・・・」と、感心したような、呆れたような顔をしていた。全く同感だ。

 だからといって、作意性はまったくない!だから、本人は「これは沖縄です」と、いたってすまし顔だ。
 作品の一つ一つを語る気がしない。作品が悪いからではない。どうのこうのといって、写真というものは情報なり記録として見てしまう。「これって面白いよね・・」とか何とかいって・・・。ところが出発点としての被写体の場でつまずいてしまう。感情移入ができない。小林孝人の美学が「沖縄という場」をあまりに自分のものにしてしまっているから。

 先ほど紹介した松尾泰宏の世界が、明るく清らかなのに、被写体と撮り手との間に意外な垣根を作っていた。
 小林孝人の場合は、被写体と小林孝人の関係が強すぎて、小林孝人と鑑賞者との間に垣根を作ってしまた。だが、そこに「垣根」を作ったがゆうえに、普通の写真家では表現できない「撮影者という個」を見ることができた。

 小林孝人、たぶん頑固な人だろう。ぶれない人だ。

by sakaidoori | 2016-05-09 22:27 | 群青(2016)


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