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栄通記

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2013年 10月 20日

2268)「佐佐木方斎展 2部 個展 -自由群-」テンポラリー 10月15日(火)~10月27日(日)

  
佐佐木方斎展 
2部 個展 -自由群
  



 ※ 1部 コレクション展 終了/10月8日(火)~10月13日(日)
        



 会場:テンポラリー・スペース
      北区北16条西5丁目1-8
       (北大斜め通りの東側。
       隣はテーラー岩澤。)
      電話(011)737-5503

 会期:2013年10月15日(火)~10月27日(日)
 休み:月曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00 

ーーーーーーーーーーーーーー(10.19)


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 (以下、敬称は省略させていただきます。)


 「佐佐木方斎の復活、再出発展」と断じても良いであろう。


 「佐佐木方斎」、いわゆるアンフォルメルな抽象画家だ。かつては輝かしき美術運動家であった。
 手元に、氏の創刊した「美術ノート」(1984年9月、1号発刊、隔月誌)が5冊ある。パラパラとめくるだけでも地方美術雑誌としては群を抜いた存在であることが分かる。一般的な現在美術の紹介誌ではない。狭義の札幌現代美術に焦点を当てながら「現代美術」を論じる場だ。詳細は分からないが、体も害し、美術運動はもとより画家活動も途絶えた。

 当館オーナーの働きかけもあり、旧作の発表という形で何度か当館でも個展をされた。そしていよいよ新作で画家活動の再開だ。いや、人生は長い。いつをもって停止とか中断とか再開とかを、軽んじて言うべきではないだろう。とくに作家の内面を考察せずに論じるのは慎むべきだろう。が、あまりに「美術ノート」の存在が大きすぎて、それを基準にして氏を語る時が多々ある。それは良いことではあるが、やはり「今」が常に大事だ。特に作家個人とは無縁な一般鑑賞者は「今」しか知り得ないから。

 過去の名声などは無視して、作品を見ていこう。


 1階は新作のみ。


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 2階は約40年前の小品2点に、1980年代後半の中品2点。


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   ↑:サイズ・S60。


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   ↑:(上掲作品の部分図。)



 激しく、濃密、沈鬱な作品だ。ナイフの走り跡、ヒッカキ線とも思える線の痕跡、重ね塗りの強度は激しく重く感じる。

 画家は、「いやいや、一気に塗ったものではないんだよ。ナイフをゆっくりゆっくり横に走らせて、何度も何度も薄く重ね塗りしたんだよ。激しい気持ちで描いてはいないのだよ。静かに、薄く薄く、何度もも何度も・・・」
 作画姿勢、作業としてはそうなのだろう。が、十重二十重に縦線横線がクロスして、「考える人の自由さ」を思う。

 氏はかつて、余剰群や格子群などをシリーズとして発表していた。賑やかな世界(自由群)から、無駄なものを消去する過程でもあった。建築的な幅広の縦線横線、それらを余白美が支えるまでになった版画を誕生させた。
 上の作品には、その「余剰」、「格子」、そして初期の作品群であり今展のタイトルである「自由」が全てそろった感だ。螺旋的なリ・バースとして作品があるようだ。


 凡調に言葉が進みそうだ。以下、一気に新作を何点か載せます。



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   ↑:サイズ・S60。



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   ↑:(上掲作品の部分図。)






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   ↑:サイズ・s50。


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   ↑:(上掲作品の部分図。)



 全て腕はしっかりと横滑り。確かに、これも「自由」と言えなくもない。飛び跳ねる自由ではない。仙人的な悟った軽さ自由さではない。茫洋とした海に細やかさを作り、その中でたたずむ自由と呼べばいいのか。





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    ↑:サイズ・S50。


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   ↑:(上掲作品の部分図。)



 渋い、重い。この作品は他とは違った異質さを与える。だが、この重さがあって、氏の「自由群」は一つの形態をなすのであろう。
 まさしく暗い海の中で、深く静かに沈んでいく自由だ。




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 2階の旧作を見ましょう。「今」との比較をしましょう。同時に、「過去」の作品は「古い作品」ですが、「古さ」、「新しさ」を見つめる場になるでしょう。問いにもなるでしょう。佐佐木方斎を通して、見る側もそれぞれの「今」と「過去」を往還する機会です。



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 大作では白を自粛した。強烈な赤の主張はあるが、七色は薄塗りの中に埋没した。堂々とした絵画にはなじまないと判断したのか?
 そうではないだろう。僕は、今展は新たなる自由のための過去との対話展として判断している。今後、以前のような「消去」によって、この自由はより整理されるかもしれない。どうなるか?

by sakaidoori | 2013-10-20 13:04 | テンポラリー


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