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栄通記

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2013年 03月 25日

1991)②「CAI現代芸術研究所 第十七期生卒業制作展」 cai02 3月23日(土)~3月30日(土)

  

CAI現代芸術研究所 

   第十七期生卒業制作展
       

         
 会場:CAI02
      中央区大通西5丁目 昭和ビル・B2   
      (地下鉄大通駅1番出口。
    ※注意⇒駅の階段を下りてはいけません。
          昭和ビルの地下2階です。)
     電話(011)802-6438

 会期:2013年3月23日(土)~3月30日(土)
 休み:日曜・祝日  
 時間:13:00~23:00

※ 開催祝賀会 ⇒ 初日 19:00~ 

 【参加作家】
 阿部芳美 阿武勝広 阿武奈津実 伊勢千絵子 金侑龍 小林龍一 コイマウ 坂庭夢都美 佐々木幸 佐々木達郎 下澤央彩 高橋亜紗子 竹中昭子 山内絵理・・・以上、14名

ーーーーーーーーーーーーーーー(3.23)

 1990番①の続き。
 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


○ 下澤央彩の場合  
 

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 下澤央彩の粘土による造形を堪能して下さい。


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     ↑:「カンジュセイ」・土(別海 西春別) 水 粘土 鉄。


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     ↑:(人物の下半身。)


 パワーあふれる秀作だ。でっかい太腿に、顔を埋めたくなる。体内回帰だ若い作家なのに、思わず「オッカサン」と声が漏れかかった。色気はないが若さと生命力の塊だ。全く、恐れいる。

 人物造形、鉄板の上に置く方法、命の泉のような点滴、水溜まりの模様美など、センスの良さを感じる。それもそのはずだ。名前を知って驚いた。焼き物造形下澤敏夫氏の息女ではないか。本人は否定も肯定もしなかった。(勝手に息女と決めつけて話を進めよう。間違いないと思うが、間違ってもたいしたことはない。僕が恥をかくだけだ。)父親はバリバリの現役造形作家だが、祖父も道内では著名な焼き物師であった。血筋だ。

 美の収め方はセンスの良さなのだが、それは欠点にもなるだろう。今作、意外に破綻がない。胸のボロボロ感など、破滅へは至らない。引き裂かれた自己ではない。この辺は感覚的な作業でどうにでもなるのだろう。既にそういう領域の人だ。

 今作の最大の長所は「顔」だ。次の写真を見て欲しい。


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 はっきり言って、下手だ。
 彼女ほどのセンスがあれば、首無しのトルソを考えたであろう。そうすれば、画竜点睛を欠いた作品にはならなかったのに!だが、彼女にとっては「顔」がどうしても必要だった。
 ならば、いろいろとこねくり回して、「顔」の造形を試みれば良かったのに!たとえ失敗しても。
 だが、それができないのだ。なぜなら、自画像というか、自分を晒すような行為は、いかに美術のセンスの良い家系に生まれても習ってはいない。いや、「自画像」は血筋センスのらち外だ。
 『ここでどういう顔にするか』、下澤央彩の手が止まった。彼女にとっては未知の領域だ。綺麗に作れないということは許されない。

 それでも「顔」を出したのは良いことだ。
 だが、「顔」にチャレンジしなかったことは悪いことだ。
 充分に自己愛の強い人だろう。もっともっと自己に耽溺して、美しい顔、醜い顔、何かを求めている顔、・・とにかく立派な失敗作としての顔が課題だろう。

 「現代美術」はセンスではない。それを自覚した出展であっただろう。だが、センスの良さは大きな財産だ。この財産を大きくせねばならない。

    ※※※


○ 阿部芳美の場合 


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     ↑:阿部芳美、「ひっそりと」・紙。


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 阿部芳美はとんでもない作品を出品した。

 自分のシルエット拡大し、そこに無数のセルフ・ポートレートを小さく小さく貼り合わせる。そして堂々とした「阿部芳美」が誕生した。
 「自分って何なの?」が出発だったと思う。終着駅は、自分を飛び越えて芸術・自己表現の奥底まで進んでしまった。

 いったいこのアイデアはどこからきたのだろう?アイデアは今の時代としては普通かもしれない。だが、だが、だが、ここまでの作業はなかなかできない。いや、貼り合わせ始めたら、「止められない止まらない、かっぱエビセン」になるのだが、始めようとはしないだろう。


 はっきり言って、この作品以上はなかなかできない。神様が勘違いをして彼女に降りてきてしまった。彼女も勘違いして身を捧げてしまった。冗談っぽく書いたが、そうとしか言いようがない。これはセンスの問題ではない。前回の下澤央彩はさらに上昇するだろう。技術とセンスが支えてくれる。が、この作品は深化の道を進むしかない。遊びの世界で膨らませるしかないだ。一気にここまで来た阿部芳美・・・一発屋で終わるかもしれない。かげながら応援したい。


○ 小林龍一の場合  


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     ↑:「sensitive tower」・紙。



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 綺麗な紙がバベルの塔のようにして建っている。
 「これはこれで綺麗だが・・壊れそうだね・・・そういう美学を表現したいのかな・・・それも悪くはない。だが、これではインパクトがない。僕なら天井まで積みたい。天井にぴったり引っ付けば、なかなか壊れにくいし・・・」
 そんなことを作家に語った。すると・・
 「もっともっと高く積むつもりなんですよ。既に一度壊れちゃたんです。まだまだ会期はあります。高くします」

 要するに、小林龍一にとっては、今展はチャレンジャーなのだ。子供の積み木遊びと同じなのだ。同じでないのは、彼は子供ではない。子供に埋没して遊ぶのではない。子供を越えるためか?大人になるためか?内にエネルギーが溜まっているのだろう。発散したいのだ。だが、単なる爆発では彼の美学が許さない。外に高く高く、内にやさしく繊細にエネルギーを込めたいのだ。天井まで引っ付いてはいけないのだ。壊れそうで壊れない、綺麗な立ち姿を披露したいのだ。この場限りの美学を。

 かれにとっての砂絵なのだろう。どこか危険な砂遊びだ。



 もう何人か載せたかったが、なぜかシツコイ文章になりました。気分は③に続く

by sakaidoori | 2013-03-25 18:53 | CAI02(昭和ビル)


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