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栄通記

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2012年 10月 15日

1826) ①「旅 (フェリー)-仙台-南相馬市-飯舘村-白石市-女川町-多賀城市-(船)」 帰りの海の上

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     ↑:(2012/10/13 7:38 太平洋フェリー「きたかみ」船上にて。)


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     ↑:(同時刻)


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     ↑:(7:39。この日の日の出は5時42分頃。)



 2012年10月3日(水)から10月13日(土)まで、南東北を車で訪問した。行程は概ねタイトルに書いたとおりだ。
 目的は昨年の震災跡地を見ることに尽きる。
 仙台から海岸線を可能な範囲まで南下すること、そこを見ること、どなたかと会話ができれば、というものだ。一望できる山にも登りたかった。幸い手頃な山にも会えたし、以上の目的は果たした。

 行き着いた進入禁止地域から、ぐるっと左回りに廻って、反対側の太平洋岸に行く予定だった。それは止めた。いろんな地域も見れて悪い計画ではないのだが、相当時間を費やしそうだから。地図を見てあらためて思ったのだが、単純に反対側に行く道などない。別の機会に原子力発電所立入禁止地域の西側に行くことにした。

 予定を変更したので、時間に余裕ができた。同じ道を北上しても面白くないので、内陸側の白石市を抜けて仙台に戻った。というか、一端、被災地を見るのを避けたかった。風光明媚とは言わないが、普通の田舎風景を見たかったから。通り道に飯舘村があった。うかつにも、「飯舘村」を通るとは思わなかった。村内は特に交通規制や出入り禁止の立て札はなかった。民家周辺には人の気配は無かった。一人屋根に水を流して除染していた。その辺りに駐車して散策していたら、自警団の人に駐車を咎められた。「誰も住んでいませんから・・・、この辺は放射能が多いので危ないですよ」と立ち退きを促された。止めているところがいけなかった。堂々と広い道路に駐車すべきだった。
 福祉センターと除洗センターに固まって人がいた。
 とりたてて緊迫したムードはなかった。が、当然ながら不思議な雰囲気だった。

 昨年の9月、女川の被災地を見た。今回の旅の北限をそこに決めていた。1年間で、どのくらいの回復がなされたのを見たかった。見てきた。その後、女川原子力発電所をそれなりの近さで見ることができた。これは収穫だった。

 当然ながら、街々の名所旧跡も訪ねた。博物館関係を多く見た。


 多くのことを見た。多くをここで語りたいが無理だろう。実際、昨年の9月の東北旅行に関しては何も報告していない。だが、今回はそういうわけにはいかない。何故悲惨極まりない現地を、失礼さを伴いながら見に行くのか、それを写真紹介するのか、その理由も含めて少しは記していきたいと思う。時系列で進むのは止めよう。その時の思いつきで、現地の写真を載せよう。古墳や城跡や線路の紹介をしながら。


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     ↑:(8:59)

 フェリーに乗る醍醐味はこの光景に尽きるだろう。もちろん、陸上からでも海と空だけの写真は撮れる。撮れるのだが、海のまっただ中で撮るのとはわけが違う。気分が違う。もっとも、船中生活で常時感動している景色ではない。海の彼方に陸を探したり、何かがないかとあてもなく見渡していると、突然そこに海があるではないか、空があるではないか、雲も、と感じ入るのだ。


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 スカートからの透ける光が朝を際だたせる。



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     ↑:(10:36)


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 仙台も似た風景だろう。これらが破壊されたのだ。行く時に仙台港を見たが、素人目には被災跡が分からなかった。相当なスピードで回復させたと思う。物流の一大基地だからだろう。


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     ↑:(10:46。苫小牧港にて旋回中。11時着港の予定時刻にピッタリだ。)



1826) ①「旅 (フェリー)-仙台-南相馬市-飯舘村-白石市-女川町-多賀城市-(船)」 帰りの海の上_f0126829_10583878.jpg →本日の朝食。

by sakaidoori | 2012-10-15 11:20 | (震災跡地2回目の旅)


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