栄通記

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2012年 04月 13日

1702)「札幌市立大学 写真・映像部「SEED」 -拡張する視覚-(4人展)」アイボリー 4月11日(木)~4月15日(日)

 
○ 札幌市立大学 写真・映像部「SEED」 

       ー拡張する視覚
  


 会場:ほくせんギャラリー ivory(アイボリー)
      中央区南2条西2丁目 
       NC・HOKUSENブロックビル4階
      (北西角地、北&西に入り口あり)

 会期:2012年4月11日(木)~4月15日(日)
 時間:11:30~18:30 
   
 【参加学生】
 鈴木智夫 早坂佑磨 冨田歩 山下恵

ーーーーーーーーーーーーーー(4.11)

 (以下、敬称は省略させて頂きます。)

 二部屋の会場風景から、ほぼ全部です。
 まずは入り口のA室を左回りに行きます。

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     ↑:(正面のわけのわからない「肉塊」、アッと声が出そうだった。)


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 次は隣室に移動するのだが、「赤い唇」が目に飛び込む。オレを呼んでいる、と錯覚してしまう。


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     ↑:(写真でも雰囲気が出てると思うのだが、このB室は光具合が独特だ。会場の訪問者が蜃気楼のようだ。どこかトリッキーで、現実感がない。虚なる映像空間と言えばいいのか。女性がイスに重なり合っている。イスからはみ出たら違う世界に連れて行かれそう・・・、そんなあやふやな、はかない存在に見える。)



 実に頼もしい大学写真展だ。
 明快なテーマ展だ。心象風景とは異質で、悪く言えば頭でっかちなところがあって、「知」で写し撮るというスタンスだ。だが、大学生なのだ。頭でっかち大歓迎だ。「柔な心象風景よ、おさらばさ」とでも言っている。

 さて、二人の学生と話し込んだ。その人を中心に進みます。


○ 山下恵の場合


 何と言っても、異様な肉体写真からだ。


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     ↑:山下恵


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 何から何まで変な写真だ。女性の体?だとは思うが、どこなのかが分からない。それは想像する楽しみのため?ではないだろう。それに、裸体?で、豊満な体を連想したくなるがエロスでもない。厭らしく夢想したいが、、実際、少しは厭らしい気分も涌いてくるのだが、どうもエロスとしては盛り上がらない。見えにくい処もあるのだが、チラリズムとは全く無縁だ。
 見る人を小馬鹿にしたような開けっぴろげさ、一体何なんだろう?
 この強引、豪腕、大胆さには恐れ入った。なりふり構わず、瞬時に強く一点を見る、その目の続きを大いに期待しよう。
 (山下恵はこの3点だけ。もっと大きく見せたかったが、搬入等の制約で不可だったとのこと。この作品をもっと大きく見せたいなんて、重ねて重ねて天晴れな女子学生だ。男の鏡だ。)



○ 次は冨田歩
  「黒と色と光」、「赤と白と光」、そういう世界だ。の出品。

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 しかし、もっとも目立つのが唇だ。マリリン・モンローに見えるかな?欲望の権化になっているかな?


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 撮影者は「目」も出品したかったとのことだ。本当にそうだ。というか「目と口」とか、それに類するもので特化して発表すればよかった。
 撮影者はいろいろと考えている。その考えすぎが唇と闇という無縁な世界に共通項を見いだす。
 つまり、自分の中の美的なものとか、止むにやまれぬ衝動とか、情念と撮影行為が分離している。何かの為の撮影であり、手段としての作品だ。試験管の中の実験結果と言っても良いだろう。
 そういう意味では、写真の出来映えに関係なく、作品自体にのめり込めないところがある。だから、大胆な唇さえもデザインや飾りになりかねない。いや、飾りになってもいいのだ。そういう意識で作品化しているのならば。
 それでは撮影者の肉声が皆無かといえばそんなことはないだろう。何より、美しさをもっとも重視している。何より、物事を素直に真っ直ぐ見ている。
 問題は「何の為の写真か?」ではなく、「自己自身と写真との距離の確認」だろう。「武器としての写真」か、「自己の延長としての写真」か、なのだろう。



○ 鈴木智夫の場合


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 なかなかのテクニックだ。写真技術もそうなのだが、演出と言い、間の取り方と言い、素晴らしい。
 被写体を楽しむと言うより、撮影者の技巧を楽しむと言った方がいいだろう。撮影者と被写体の関係は迷いなくはっきりしている。「私撮る人、君撮られる人」だ。だから、撮る撮影者の客観力が問われるところだろう。どこまで高みに行けるか、登れるか。その高みから、どれだけ見る人にサービスを与えれるか。徹底的に自信に満ちて振る舞って欲しい。その自信の隙間の闇の部分が作品ににじみ出ると、もっと面白いだろう。



○ 早坂祐磨の場合


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 どこか映像を見ているような流れだ。一見爽やか心象風で、イメージの後追いには違いない。あまりビビットに迫らないで、色もふやけたムードで、被写体も当世若者スタイル風で、親しみやすそうだが、イメージとして固着させない世界だ。だからといって流れの先に何かを見せたいではない。流れ流れて、流れてないよ。どこか冷めた雰囲気だ。

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※ 次の作品、撮影者がわかりません。明日中には問い合わせます。
  どなたの作品か、想像できますか?
  相当に知的で、写真技術にも長けています。


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 暗い世界ですが、淡い光の取り込みに意を用いている。一枚一枚の被写体に重きは無さそう。遊んでいるというか実験しているというか・・・リンゴや雨粒にロマンティシズムがあるのか。
 光の淡さや象徴的なロマンなどは、流れるような写真群の早坂祐磨君だろうか

by sakaidoori | 2012-04-13 00:43 | 北専・アイボリー


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