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栄通記

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2011年 11月 04日

1606) ①「第86回/2011 道展」 市民ギャラリー  10月19日(水)~11月6日(日)

 第86回/2011 道展  


 会場:札幌市民ギャラリー 
      中央区南2条東6丁目
      (北西角地)
     電話(011)271-5471

 会期:2011年10月19日(水)~11月6日(日)
 休み:月曜日(定休日)
 時間:10:00~17:30

 主催:北海道美術協会  

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(11.2)

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 公募展でお馴染みの会場風景です。お決まりのパターンですが、全てはここから始まる。「総合展、お祭り、美術の競争展、集団研鑽、公募展美学、大きいような狭いような美術家集団・・・」、日本広しといえども北海道ほど地域公募展の華やかな場はないでしょう。全ては津軽海峡のせいかもしれない。「海よ・・・はるかな海よ・・」、僕は会場のあまたある作品の向こうに海を見ている。

 知り合いの作風の動向、好きな画家の新たな一面、見知らぬ作品との出会い、そんなことを楽しみにして公募展を見ている。
 沢山の作品群です。気になる作家・作品も沢山あります。以下、適当に個別作品を載せます。「栄通の勧めるこの一点」ではありません。そんなものはありません。皆な皆な面白く、皆な皆な不満でもあるから。

 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


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     ↑:会友賞 竹津昇、「光陰」・水彩。

 いつも本ブログに登場している竹津昇。今回はとても丁寧だ。身だしなみの整った几帳面な娘さんが後片付けをしたみたいだ。シャツの第一ボタンもしっかり留めて、汗もかかずに淡々と働いたのだろう。
 僕は第2ボタンも開いて、汗の残る人、体臭臭さを余韻に持つ絵を氏に期待していた。今回は違った。
 会友、おめでとうございます。


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     ↑:一般・折目桃子(利尻富士町)、「Return Home」・油彩。

 何年前に大谷を卒業された方だと思う。懐かしい気持ちで見た。多くの学生の作品を僕は見ている。そ多くの学生の、その後を知らない。たった一作ではあるが、強い印象で再開できたことは鑑賞家としては望外の喜びだ。
 画題は学生時代と同じだ。より強くなった。それは公募展を意識したからか、現在のテンションが強いからか?強く大きく一点を見つめる視点が好ましい。


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     ↑:会友・川端摩沙子(小清水町)、「遥か’11」・油彩。

 一応、風景を画題にする若い画家だ。かつて山や岩を描いていた。今回は木だ。彼女の風景の一つ一つは人の擬人化だと思っている。どの画家もそうだと言われればそれまでだ。彼女の場合はそれがストレートの伝わるのが良い。そして、擬人化された画題には「個のセンチメンタル」もないではないが、「集団の中での個のありよう」を模索している。その真摯さが絵ににじんでいるのが好ましい。時に画題を屹立させ、個の独立心を謳ってもいる。
 今回、個と集団を強く和合させている。センチさが薄いのが良い。強く個々を見て皆なを輝かせているのが良い。


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     ↑:新人賞 一般・高橋知佳(札幌市)、「透過する心」・彫刻。

 可愛い作品です。愛おしくなってしまう。
 鉄の皮膚は冷たくても、この一所懸命さが優しく心を包んでいる。その見通せる心に何を見たらいいのだろう。見透かされるその人は、心が痛むのか喜ぶのか。彼氏に見られるのならばいいのだが、路傍の視線にはどう応えるのだろう。
 大量の針金が完璧に人体に収まった。二つの道がある。増殖という不可知性と、完璧さという整合性。作家はどちらを選択するのだろう。


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     ↑:会員・山川真一(札幌市)、「YOKOHAMA」・油彩。

 「山川真一」、道内を代表するカラーマンだ。厚め熱めの色合いで、バンバンと色で攻めてくる。色という燃える力を主張する。誤解を恐れずに言えば、精神性とか雅品として作品を見てはいけない。画題も風景や都市などと変貌する。風景の真相とか、社会や都市の情熱などと見る必要はない。ひたすら色が乱舞する世界だ。色の女神の奉仕者だ。「女心の優しい色調?」、そんなことには目もくれずに、色の響き合う画題を追い求めている。


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     ↑:左側 会員・中原宣孝(札幌市)、「T61stDaM'sB」・油彩。
     ↑:右側 会員・今泉心、「樹」・油彩。

 何と憎い配列だろう。技術の高さ、絵画を追求する向上心は共に素晴らしい。しかし、今の二人には絵に対して微妙な違いがある。違いがあるのだが、こうして並べられると今泉心の遊び心を中原宣孝が引き出している感じだ。

 赤ちゃんの絵は画家の誕生の喜びかもしれない。そういう意味では、愛おしい我が子を表現した絵と語れば事足りよう。いかに巧みな具象画であっても。
 画家のねらいはそうではあっても、絵としてのねらいは少し違うところにあるようだ。画家は具象絵画の遊びとしての好敵手を写真や映像に求めている。自身の絵画に写真性や映像性を取り込んで、トリッキーな遊びを演出している。この絵も、手前の人形を特異な表現にしている。NHKの子供向け童画を見ているような錯覚がある。自分の愛すべき生身の赤児と、絵空事の子供番組、その重なりの中に絵画の可能性を模索しているようだ。


 今泉心、壮大な藪の中の真理を追究していた。スケールの大きな絵から一転して、「石」を描き始めた。本質を、物そのものを見つめることによって、描ききろうとしていた。だが、動かない「石」ばかりに固執していたら、画家自身が「石」になる危険がある。遊び心がなくなる。そこでふっと「石」から「樹」へと視線を上げたみたいだ。壮大さや神々しさからは無縁な「樹」だ。静かな静かな緑の世界だ。


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 あと10作ぐらいは載せたいが、ただただ僕の凡調な言葉が続くだけです。止めにしよう。

 一番最後の部屋は「得陳コーナー」と呼ぶべき空間でしょう。力のある、あるいは可能性のある若手を配列したというものです。その是非はともかくとして、一つの企画展になっているのは事実です。後日、その部屋だけでも続編として載せたいです。
 

by sakaidoori | 2011-11-04 21:55 | 市民ギャラリー


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