栄通記

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2011年 05月 27日

1571)「佐藤泰子・個展」 時計台 5月23日(月)~5月28日(土)

  
○ 佐藤泰子・個展     


 会場:時計台ギャラリー 2階B室
      中央区北1西3 
       札幌時計台文化会館
      (中通り南向き)
     電話(011)241-1831

 会期:2011年5月23日(月)~5月28日(土)
 時間: 10:00~18:00 
      (最終日は~17:00まで。)
  
ーーーーーーーーーーーーーーーーー(5.27)

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 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


 「パステル」という画材、「桜・フィニッシュ」というタイトル、それで何を連想されるだろう。「爽やかな春、良い気分、しあわせ~~」ならばいいのだが、そう簡単に言えないところが佐藤泰子だ。

 2003年に画家の属している自由美術協会の自由美術賞を得ている。私が佐藤・パステル桜を見だしたのは、その賞を得た後の、直ぐの当館個展からだ。
 桜の爛熟した美に託した、「執念」であり、「自由」を見た。
 パステルという空間の抜けた淡さ、パウダー的な淡さ、そのパステルの隙間隙間を同じパステルで「これでもか、これでもか」と言わんばかりに埋めつくす執念。陰影の線が居合い抜きのように鋭く画面を横断していた。花の散る爛熟の姿に生の執念を見つめ、自由に舞い散る姿に死を見つめている。
 執念と言っても、泥沼の出口無しというのでない。自由さを確保した吹っ切れた執念だ。執念と言うからには泥沼はある、が、自由なのだ。が、その自由は執念という生に反する死に近い。

 以来、どうしても佐藤作品を「執念」と「自由」で見てしまう、「生」と「死」で見てしまう。見始めて7,8年は経っているのだ。似た世界ではあるが変化はしている。見始めの頃の鋭さは薄れた。色はより一層分厚くなってどっしりした感じだ。それは画家の死生観の緩やかな変化なのかもしれない。より絵を楽しんでいるのかもしれない。


 今展、「波」をタイトルにした緑の作品は新作だろう。おそらく、大震災に触発されたものだろう。満開の桜の散る姿を見た目が、同じ目で巨大な大津波を見ているのだ。画家は象徴的に桜に生と死を見た。その時、もしかしたら健康上に何かがあったのかもしれない。余りに個人的な桜であった。
 そして再び、波に生と死を見ている。波は余りにも具体的で社会的であった。だから「祈り」という言葉が添えられたのだろう。




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     ↑:「波立つ...祈り」。


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          ↑:「波立つ」。


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          ↑:「さくら さくら finish c」。


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     ↑:「さくら さくら finish A」・2009年 パステル 水性絵の具 アルシュ紙 98×392㎝。


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     ↑:左から 「吊り上げられたさくら」、「さくら色に染まるとき finish」。


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     ↑:左から 「さくら色に染まるとき finish」、「からみ合う情景 さくら さくら finish」。 


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     ↑:「さくら さくら finish B」・2009年 パステル 水性絵の具 アルシュ紙 98×392㎝。

by sakaidoori | 2011-05-27 22:45 | 時計台


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