栄通記

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2011年 05月 02日

1525) 「井上まさじ・展」 ミヤシタ 4月13日(水)~5月8日(日)

  
○ 井上まさじ・展    


 会場:ギャラリー ミヤシタ
    中央区南5条西20丁目1-38 
    (南北の中小路の、東側にある民家)  
    電話(011)562-6977

 会期:2011年4月13日(水)~5月8日(日)
 休み:月曜日(休廊日)
 時間:12:00~19:00 
     (最終日は ~17:00まで)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(4.15)

 (以下、敬称は省略させて頂きます。)


 綺麗だ。
 綺麗と言い切れば次の言葉の必要は無い。文章としてはその言い切りを避けねばならない。だが、井上まさじ絵画は「綺麗」を入り口にしなければ嘘になる。

 展示は1階と2階。まず、1階の空間から。


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 語る前に2階に行こう。部屋を覗いた瞬間から廻りながら見ていこう。明快なテーマに基づいた配置だ。井上まさじにしては珍しいことだ。


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 白から始まり白で終わる。冬から始まり冬で終わる。

 2階が循環としての自然の相、マクロコスモスとして観よう。すると1階は動植物の細胞のうねりのようだ。ミクロコスモスと喩えることができる。
 こうした分離した見方はとりあえずの方便だ。井上まさじ・作品の本質は一つの中にミクロとマクロ、細胞と自然・宇宙を内包していることだ。しかも、作品は内側から明るく輝いている。ミクロもマクロも存在するものは内側から輝き、絡み合いながら踊っている。そういう画家の観想が作品に詰まっている。絵に美しさを求めての美ではない。美しいものを美しく描いているだけかもしれない。その為にはどうしても巧の技が必要なのだ。制作途上で露わになったある偶然、それを逃さないこと。しかも「美」に押し上げること。画家にとっての制作は偶然との連続した出会いであり、それらを美に置き換えることでもある。それは、制作が想念の表出であると同時に、予期せず向こうから来る何かのつかみ取りでもある。制作即修行でもあり、制作即信仰に近い行為でもある。

 その作品を僕は見る。人為の技を通り抜けた、画き加えられた自然美を見る。
 僕とて自然に親しんでいる。その綺麗さ、心地良さは知っている。だが、僕にとって自然とは生活の一部でしかない。支えられてはいるがメインではない。メインは人間であり、人間関係であり、人の織りなすドラマだ。それ故に自然は還るべき居心地の良い場ではあっても、それ以上にはならない。
 だが、画家・井上まさじにとっては「細胞」「自然」「宇宙」が基本だ。それ故に、僕には見えず見ようとしない存在の何かをいつも見続けている。画家としての天職を全うしている。貴重な目であり技であり想念だ。振り返らせtくれる存在だ。
 余りに美しい絵画、美しさの彼岸を思わずにはいられない。



 

by sakaidoori | 2011-05-02 16:20 | ミヤシタ


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