1494)①の続き。
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竹本英樹の場合
多くの人の影がある。まるで透明人間がそこにいるみたい、空気に紛れて人に寄り添っている。思い出や記憶という時の狭間で、優しくそこにある。一方では今を彷彿させる女の足運び、モダンガールと呼びたいがその言葉も懐古趣味的だ。
空気を保つことの得意な竹本英樹だ。見る方はそのまろやかでシャープな空気に親しみ、淡々と時を過ごしてグッド・バイと別れの挨拶、後に残る会場の光り、そんなモダンな感覚を楽しめばそれで良いのに、撮影者は難しい文章を用意している。
「私は蚊である。
意図とするのは、
世界を機能主義的に捉える、
近代合理主義に対するアンチテーゼ」
僕は迷ってしまう。竹本英樹がロマン作家とは言わないが、こんな難しい文章を会場に貼り付けるとは思いもよらなかった。
「私は蚊である」、そうであろう、透明人間が撮ったようなスナップだ。ロマンチックな蚊だ。蚊の一刺しは蜂ほどの痛みはない。しかし、その痒みはいつまでも心に体に残る。いつまでも指すっていたくなる愛おしさがある。
「・・・機能主義に・・・対するアンチテーゼ」。僕はロマン香る残映を今展に見た。その機能的な見方を撮影者は断固否定する。だって、君の写真は優しいのだもの、記憶という宝箱にしまいたくなる。それは君の優しさが悪いのだ。
「アンチテーゼ」、その優しさには似合わない響きだ。もしかしたら優しさの彼岸、空虚という狭間から立ち上がるかもしれない。だが、否定ばかりしていても仕方がない。所詮近代合理主義にドップリと浸かっている僕らだ。ドボドボとその甘美な世界に浸り続けるのも悪くはない。それにしてもその優しさは切ない。
③に続く。