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栄通記

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2011年 01月 12日

1426)「野口裕司・展」・時計台 1月10日(月)~1月15日(土)


○ 野口裕司・展 


 会場:札幌時計台ギャラリー
     中央区北1西3・札幌時計台文化会館
     (東西に走る仲通りの北側のビル)
     電話(011)241ー1831

 会期:2011年1月10日(月)~1月15日(土)
 時間:10:00~18:00 
     (最終日は、~17:00まで)

※ 作家在廊予定日10,11,12,15

ーーーーーーーーーーーーー(1.11)

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 細長いC室での音楽&映像作品。約24分。
 映像タイトルは「YO U」。音楽タイトルは「ip」、マッキントッシュの端末に関する言葉のようだ。

 音楽に関してはそれ自体でも独立して楽しめるだろう。安眠快適アルファ波といった感じの、機械音による癒し系だ。おかげで、途中眼をつむったら、そのまま1,2分眠ってしまった。

 問題は映像だ。
 何かを描写する、訴える、語り合うからは限りなく遠い。
 心象風景のような世界が、ことさら盛り上がる事もなく、永遠と続く。シナプスともウナギとも蛔虫ともおぼしき生物が時折のたうち廻り、墨絵のようなにじみ塊が雪降るようにスクリーンを覆い、そして空と雲、映写機の光源が太陽のように向こうで輝き、ようやく映像は終わる。神経系のイメージ連鎖でもある。

 スクリーンは白い化繊生地だ。前後2段組の為に同じ映像がだぶって写る。その左右にも段違いに生地スクリーンは垂れ、立体感なり映像の断片化を促している。全編淡いモノトーンの流れだ。何を見るでもなく、ただただ移ろい行く野口・時間に身を任すだけだ。
 かつて「皮膚の人・野口裕司」と喩えた事がある。白いスクリーンに写る影を見ると、その言葉は今でも生きている。
 皮膚を純白の無垢の美しさにする時がある、皮膚を生理の表出する格闘の場にする時がある。自己耽溺と社会批判のバランス界とも言い換えれる。

 今展は「自分の世界」と見た。
 大仰な道具立てで生理的表現や他者との触れ合いを構築しようとしているが、作家の意図する回路とは裏腹に、自分の川をナルシストになって流れ、水面に写る顔に魅入っている。
 他者との共感を意図しながら、自分には見えない自愛の壺に飲み込まれている。
 作品としてそのことは悪い事ではない。自愛のない芸術活動は無いのだから。
 彼は強い社会性を欲する。社会批判もした。今は共感共存関係性の重視の立場だろう。それを仮に自他愛と言おう。今展における「自己愛」、欲する所の「自己愛」、両者の回路の繋がりがモノトーンで覆われていた。その限りでは大いなる失敗作と言えるだろう。だが、強い「自己愛」無くしては大きな雪だるまは育たない。その前触れの展覧会なのかもしれない。

 それにしてもセクシャルな表現を一切せずに、男のナルシスというセクシャルさを久しぶりに見た。同じ男として、小さな恥ずかしさも味わった。
 

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by sakaidoori | 2011-01-12 22:34 | 時計台


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