栄通記

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2010年 12月 18日

1397)テンポラリー 「岡部亮・展 with シミー書房 『詩の本と彫刻』」 終了・11月30日(火)~12月12日(日)

○ 岡部亮・展 with シミー書房

     詩の本と彫刻


 会場:テンポラリー・スペース
     北区北16条西5丁目1-8
     (北大斜め通りの東側。
      隣はテーラー岩澤。)
     電話(011)737-5503

 会期:2010年11月30日(火)~12月12日(日)
 休み:月曜日(定休日)
 時間:11:00~19:00

※  「シミー書房」とは岡部亮と新明史子の本作りのユニット名。

ーーーーーーーーーーーーーー(12.8)

 合作豆本と岡部亮・木彫り彫刻の展覧会。

 ほとんど彫刻作品しか語りません。


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     ↑:1階の様子。

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     ↑:2階の木彫り作品。


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 1階が豆本と木彫りの新作群。2階が7,8年前の旧作木彫りと、豆本の挿絵のような線描画。

 岡部亮の「今」を見るのならば、1階だけで充分だろう。明らかに少ない。寡作家なのか?2階にある旧作がかなり以前の作品だから、普通に彫刻に取り組んでいないと判断した。作る気がなかったのか?作れなかったのか?

 それはそれとして、新作展示の空間作りは良い。「この作品だけを見よ!」と言う姿勢だ。
 冷ややかな間合いの中で、静かに横たわっている。
 特に2本の釘を台にした木彫り作品が良い。屈折することなく、スーッと伸びている。朝靄の外気の中で音をたてることなく深呼吸する。その一本立ちした状態の横臥だ。背筋は伸び、下腹部はへこみ、あばら骨が姿を出す。やや上半身が浮かび上がり、かかとがつま立ち、大地との接点は減るのだが、つま先がしっかりと地面に食い込む。だからといって体の線はこわばりはしない。しなやかに延びるボディー・ラインが空気と遊んでいる。

 そんな僕の夢想はどうでもいい。
 横たわる豆の皮は暗闇の中で横になっているだけだ。だが、この伸びるオーラ(フォルム・型)は清々しい。豆が種としてしっかり存在している。作品を優しく両の手で持ち上げたら分かるのだが、重点が右側にあり、右の手だけに重さを感じて、意外なアンバランス感が存在を感じる。作家は豆の部分に力を込め、皮の部分で薄さのしなやかさを楽しんでいる。
 今展はこの作品だけを堪能するだけで、見る者にとっては充分だろう。数少ない作品数ということは、「作れない作家がようやく素直に作れた」、ということを確認できる。作れなかったが故に、「愛と祈りと、自然との遊び」に耽溺して、自分自身の為に作ったのだろう。


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 今展を「岡部亮の作品展『今』」としてみるならば、1階だけで充分だ。
 一方、「『今』に至る展覧会 『ミニ回顧精算展』」としても楽しめる。

 私家本としての写真集が用意されている。これはオーナーの判断による展示のようだ。そういう意味では企画展的要素の強い展覧会になっている。企画者曰く、「人間・岡部亮を見よ!」、ということだ。

 1999年4月に沖縄旅行をした。とりたててアテのない旅とのことだ。そして、沖縄の古城に出会った。なんと写真はその古城跡のみで埋め尽くされている。しかも大半が「壁」だ。「石垣としての石であり、石壁」だ。膨大な数の「石」を「石壁」を「石城」を撮ったのだ。魅了されたのだ。スケッチしたくても手が動かなかったのだ。その「存在感」に圧倒された。記憶としての「石」をただただ撮り続けた。「石の力」と「岡部の力」がぶっつかった。その結晶がこの写真集だ。

 結果が4年後に作品として形をなした。「歯形」である。2階の作品群だ。


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 ごろんとした歯形彫刻だ。ボデーとしてのボリューム感を表現したかったのだろう。おそらく「石城」での存在感・力の体得が創作の根っこにある。だが、「今」の作品から判断するに、このボリューム感は沖縄での体験、カルチャ-・ショックの正直な反映であり、あらぬ願望の強さに見える。「塊としての存在感を表現せねばならぬ」、それは作家の体質と会っていたのか?「存在の本質を見ること、体得すること」、それが沖縄体験であった。結果としての「形」にこだわった「歯形」だ。

 ホップ・ステップ・ジャンプ。
 もし沖縄体験が新生表現者・岡部亮の「ホップ」ならば、歯形作品は「ステップ」だ。そしてようやく今展の「種」で「ジャンプ」だ。

 もっともっと岡部亮は作品を作らねばならない。たとえそれが自身の為だけであっても、家族の為だけであっても。表現者にならねばならぬ。それが沖縄体験というものだ。そして僕らにも見せようではないか。

  今回の「種」は横臥している。軽やかに舞う日がくるだろう。いろんなリズムを演じるだろう。



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by sakaidoori | 2010-12-18 12:28 | テンポラリー | Trackback | Comments(0)
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